空中キャンプ

2009-01-09

個人的なルーティン

同じことを日々、何度も反復しているうちに、しだいにその行為が儀式化していく、セレモニー的に変化していくということがある。イチローは出塁すると、一塁上でまずは肘のプロテクターを外し、次にヘルメットの穴に右の人差し指をちょこっとだけ入れる。この動作を、毎回かならず同じタイミングでおこなう。そうすることで、精神状態を安定させていくのである。なぜヘルメットの穴に指なのかはわからないけれど(なにか性的なものを感じました)、心理とはえてしてそのようなものだとおもう。

仕事でも、まずは机の上をきれいに拭いてからはじめる人、始業開始と共にトイレに籠る人、メールのカタカナをすべて半角にする人などがいて、そうした動作は仕事じたいに直接は関係していないものの、その人にとってはなんらかの意味がある。そうしないと、どうにも落ち着かないのである。よって一緒に働いている人は、そうした個人的なルーティンを理解してあげて、それが無意味に見える場合であっても、できるだけ許容するべきだとわたしはおもう。

ファイリングに凝る人などもそのひとつで、伝票をすべて分類してからファイルに収納したり、果ては伝票のバーコード部分だけをはさみでちょきちょき切って、それをひとつひとつていねいに台紙に貼っていく人などもいる。もはや、紙ベースで記録を残しても使い道はない。そのデータ、システムで検索すれば3秒で見れるんですが…といいたい気持ちをぐっとこらえて、ファイリング作業を見守る。彼らは満ち足りた表情ではさみを動かし、伝票をのりで台紙に貼っていく。止めろとはいえない。勤務年数の長い人であれば、機嫌を損ねるとめんどうなのだ。それでこの人たちが気持ちよく働けるなら、いいじゃないか。

わたしは、海外にメールをだすときに、なぜかムダに文法にこだわってしまい、この場合の冠詞は a なのか the なのか、それとも無冠詞なのかなど、ときには文法書をひいて確認したりする。まちがってもたいていは伝わるから適当にやればいいのだが、気がつくと文法のことを10分くらい調べてしまい、はっ俺はなにをしているんだ、たかがメール一通で、などとおもうので気をつけたい。