備前市出身の作家柴田錬三郎には生死をさまよう体験があった。衛生兵として召集されていた一九四五年。台湾南方のバシー海峡で乗船が撃沈され、数時間漂流した。
「ただ、茫然(ぼうぜん)と海上に浮いていた」。随筆集「地べたから物申す」の中で、わが生涯の中の空白としてこう回想する。この異常体験が、後の「眠狂四郎」シリーズに代表される虚無の文学世界につながったのだろう。
岡山市の吉備路文学館で没後三十年を記念した「柴田錬三郎展」が開催中(十八日まで)だ。自筆原稿や写真、自ら絵付けした皿、小説の題字にも使われた独特の書などが並び、ダンディズムを貫いた人気作家の足跡が浮かび上がる。
「文壇の無頼漢」を自称し、“シバレン”の名で親しまれた。苦虫をかみつぶしたような表情で眼光鋭く紫煙をくゆらす写真からは、孤独な魂の輝きが伝わってきそうだ。映画で眠狂四郎を演じた市川雷蔵と一緒の写真も目を引く。
母校の小学校に送った手紙では「私が希望したいのは、自分はいったい何が好きかということを早く見つけること」と助言し、後輩を思う優しい素顔をのぞかせる。
歯に衣きせぬ毒舌家としても知られ、軽佻(けいちょう)浮薄な世相を切りまくった。政治への信頼が失われ、社会の劣化が進む混迷の今の時代をどう見ているだろうか。