エロゲ
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~ エロゲ について、ソレナンテ・エ・ロゲ
エロゲとは、エロゲームの事である。目的は成人男性または思春期の男性を性的な物で喜ばせるためのもので、エロゲの魅力は万国共通なのである。 高校受験、大学受験での現代国語の点数が上がらないときの最終手段としての一面も持つ。 これは東大生すら認めた勉強法である。 問題点として、勉強法として実行する時は年齢が本来あるべき年齢に達してないということである。 ちなみにその東大生は現役合格らしい。あれぇ?
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[編集] 具体例
具体的なエロゲの例を上げれば物凄い量が出て来るが、基本的には、
- ブロックを落とせばだんだん裸になっていく、脱衣ブロック崩し系。
- PC-98シリーズの頃良くあった、シューティングでクリアすると画像が表示されるシューティング系
- ジャンケンやカードゲーム、ミニゲームなどで負ける、あるいは一定得点を達成すると一枚ずつ服を脱いでいく野球拳系。
- ミニゲームなど単純なボタン操作などでもやもやが消えていく雲消し系。
- 恋愛シミュレーションなのだが、ベッドシーンまで発展するシュミレーション系。
- 静止画が紙芝居のように表示され、選択肢によってストーリーが変わるアドベンチャー系。
- ムービーから構成されていて、途中途中に出てくる選択肢でストーリーが変わるムービー系。
- 着替えを手伝う着せ替え系。
- その他、パンチラを狙うアクションや、グラビアの撮影に同行したり、戦争ものとか職業ものとか。いろいろある。
[編集] エロゲの歴史
エロゲの起源は定かではないが、現在確認されている最古のエロゲは1987年にエジプトで発掘された。古代エジプトの有力者の墳墓に遺体と共に紀元前1500年頃に埋葬されたものであると考えられている。
古代におけるエロゲはギリシア、次いでローマにおいて長足の進歩を遂げた。プラトンの著した『弁明』では青少年に無闇にエロゲを薦めたとしてアテナイで告発されたソクラテスの姿を見ることができる。同じくプラトンの『クリトン』は処刑を前にするソクラテスとその親友クリトンのエロゲに関する対話である。その中でのソクラテスの台詞「駄作もまた作品なり」は現代のエロゲの抱えている問題点を見事に予言したものといえる。
紀元前4世紀、マケドニアのアレクサンドロス3世 (アレクサンダー大王)の東征により、ギリシアの洗練されたエロゲが東方に伝播することになった。
ギリシアの衰退後、西洋世界におけるエロゲの中心地は当時新興国であったローマに移る。
[編集] ローマにおけるエロゲ
既に共和制下のローマにおいてエロゲは知られていたが、当時はまだ元老院階級の一部の人間にギリシアの芸術として楽しまれていたに過ぎなかった。しかしポエニ戦役後、ローマの東方への進出に伴い、ギリシアの芸術がローマに大規模に移入され元老院階級のみならず幅広い層に楽しまれるに至った。
ユリウス・カエサルのガリア征服によってエロゲは北方にも伝播し、ガリア(フランス、ベルギー、オランダ)やブリタニア(イギリス)でも楽しまれた。カエサルはローマの防衛線としてライン川を示したが、これによってゲルマニア(ドイツ)へのエロゲの普及は遅れ、後代蛮族の侵入によるローマ帝国崩壊の遠因となった。
共和制ローマの代表的な哲学者・政治家・作家・オタクであるキケロは親友アッティクスとの2678018通に及ぶ書簡の中で、頻繁にエロゲについて言及している。キケロの死後、これらの書簡はアッティクスによって出版され、後世の研究者にとりまたとない資料となった。
帝政移行後のローマにおいて、初代皇帝のアウグストゥスはエロゲを手厚く保護し普及に努め、結果エロゲはローマの覇権下にある地中海世界の広きに渡って普及した。アウグストゥスを継ぎ皇帝となったティベリウスはカプリ島の別荘に引き篭もりエロゲ(なお、彼は主にショタ系のエロゲを好んだといわれる)に熱中した。このことはタキトゥスを初めとする後代の歴史家から口を極めて非難された。
五代目の皇帝ネロの家庭教師を務めた哲学者セネカは著作『エロゲについて』(De Erogema)においてエロゲについて詳細な検討を行なっている。
皇帝に就任したネロはあらゆるエロゲをやり尽くし、やがてオタクの権威者と呼ばれたペトロニウスがレビューで高得点を付けたエロゲー以外は行わなくなった。ペトロニウス自身も『サテュリコン』と題した同人エロゲを制作しているが、内容はショタである。後に、ペトロニウスは自殺に追い込まれるが、その際にネロに対してネロが熱中していたエロゲの攻略法を記して、厳重に封印した上で送った事は有名である。
[編集] キリスト教の伸張とエロゲの衰退
当時東方で勢力を伸ばしていたキリスト教はエロゲを頽廃的なものとし、敵視した。
コンスタンティヌス1世によるキリスト教の公認、テオドシウス1世による国教化によって西洋世界におけるエロゲは壊滅的な打撃を受け、エロゲは長い中世の暗黒にまどろむことになった。
[編集] 中世のエロゲ
西ローマ帝国の崩壊に伴う混乱によって、古代のエロゲの大多数は永遠に失われた。消滅を逃れた幸運な作品も完全な形で残っているものは少ない。
キリスト教の支配下においても幾つかのエロゲが作られたが、その多くは原画のレベルが著しく低い。その一方で優れたシナリオが幾つか残っており、アーサー王物語とそれに派生する幾つかの物語は今なお名作と讃えられる。2004年にはTYPE-MOONから『Fate/stay night』としてリメイクされた。実に数百年の時を越えてのリメイクである。
東ローマ帝国では古代ギリシア時代のエロゲや、東方ペルシアのエロゲがもてはやされた。しかし独自のエロゲはあまり発達しなかったとの説があるが、そうでもない。肉体的・写実的なエロゲの枠組みから、精神面や理知的なエロゲが主流に変化したのである。また、モザイクという技法が生み出され、猥褻物に厳しい官憲の目をごまかす手段として現代まで使われている。帝国末期と崩壊後には多数の知識人が西欧へと亡命。古代ギリシアや東方ペルシアのエロゲが伝播し、西欧のルネサンスへとつながった。
[編集] ルネサンス期のエロゲ
ルネサンス期のエロゲは、ソレナンテ・エ・ロゲ抜きに語ることは出来ない。エロゲ評論家の大家であったロゲは『妹萌論』『姉萌論』『属性大全』などといった研究書を多く著したが、エロゲのやりすぎによって精神に異常をきたし、晩年は悲惨なものだったという。
ボッカチオ、ラブレー、シェークスピアなどといった脚本家は、優れたローマ時代のエロゲを研究することにより名作を生み出した。中世の理知的ではあるが退屈なエロゲに比べ、ルネサンス期に作られたエロゲは快楽や感情が重視されるようになったため、密かにこのようなエロゲを待ち望んでいたプレイヤーからは熱狂的に迎えられた。
また写実主義の基礎が確立されたことにより、原画のレベルも向上した。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリなどといった有名な原画師が多く登場したのもこの時期であり、彼らのリアルな肉体の描写は高い評価を得た。
[編集] 近代のエロゲ
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[編集] 20世紀~現代におけるエロゲ
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[編集] 日本におけるエロゲ
日本におけるエロゲの歴史は古く、一説には紀元前660年の神武天皇の建国以前にまで遡る。当時のエロゲは日本独自のものであったが、アレクサンダー大王の東征によって確立された西洋と東洋の交流、シルクロードを経て海外のエロゲが日本にも輸入された。これら日本古来のエロゲと海外のエロゲが融合し、世界に類のないエロゲ文化が形成された。正倉院には当時日本に輸入されたエロゲが保管されている。
[編集] 旧石器~縄文時代
既に、伊勢原の遺跡にて旧石器、あるいは縄文時代のものと思われるエロゲの原型とも言えるものが発掘されている。 パッケージは籐製で発掘された当初はかなり当時の状態に近いため、近年まで捏造とされていたが、炭素14による年代測定により紀元前のものと判定されたため、急速に縄文時代以前のエロゲの研究が発展した。発見者が学者でなく学会での発言力が皆無に等しかったことも、この研究が遅れた原因の一つである。 しかし今の観点からみればきわめて素朴でありエロ部分も少なく、どちらかというと恋愛シミュレーションに近いため、この頃はまだエロゲとギャルゲーの区別はあまり明確でなく、はっきりと分かれるようになったのは弥生、もしくは古墳時代からであると考えられている。 また、民間伝承によれば、アマノウズメと言われる女性の主人公が、天照と言う名のヒッキー男をたらしこみ、岩屋から引っ張り出す女性向けエロゲが存在したらしい。しかし、あくまで伝説の域を出ない。
[編集] 飛鳥時代
時の天皇、推古天皇の摂政となった聖徳太子は(蘇我蝦夷にフラれて、同性愛にはウンザリしていたという私的な事情もあり)隋の進んだエロゲの文化を取り入れようと、エロゲ通として知られていた腐女子の小野妹子を隋に派遣した。この結果として世界中の珍しいエロゲが日本に輸入され、日本独自のエロゲに取り込まれていった。中大兄皇子は当時最高品質を誇るエロゲコレクションで有力者を買収し、天皇に即位した。日本では平安、鎌倉まではヒトと神、精霊との垣根があまり明確でなかったため、この頃触手といったジャンルが開発、発展したと考えられている。 この頃、エロゲをやりすぎてセリフもト書きも全部暗記した老人(性別不明)から聞書きで記録をとることが行われた。その冒頭シナリオは、何も知らない妹を「パズルをやろう」と誘う鬼畜な兄貴の話であり、最後にはヤンデレになった妹に追いかけられる、というものである。「Nice Boat」の原案とされている。
[編集] 平安時代
平安時代には貴族勢力、寺社勢力を背景に豊かなエロゲ文化が花開いた。奈良時代から平安時代初期までのエロゲは大陸の影響を強く受けたもの(中国人のヒロインやチャイナドレスが盛んに用いられた)だったが9世紀末の遣唐使の停止に伴い、日本独自のエロゲが発展した。巫女や黒髪、幼女、宇宙人といった古典的なヒロイン属性はこの頃完成された。竹取物語や紫式部(作者についてはまだ議論の余地がある)の源氏物語など古典的な名作が誕生したのもこの頃である。現在においても古典派と称される人々はこの頃派生した作品に強い愛着を持っており、先述の竹取物語に基づいた『夜明け前より瑠璃色な』や堤中納言物語から着想を得たとされる『EXTRAVAGANZA~蟲愛でる少女~』などはその思想が具体化した典型である。また、『AIR』『SAKURA 雪月華』『銀色』のように現代のシナリオと当時作られたシナリオ(いわゆるSUMMER編とか平安編とかシナリオ:『銀色』とか)との統合を行うことで、物語全体に更なる奥行きを与えた現古融合型のエロゲも見受けられる。
[編集] 鎌倉時代
武家社会によって、いままで貴族が独占していたエロゲ文化は武士のたしなみとして成熟していった。また、旧仏教のエロゲに欲求不満を覚えモンモンとしていた僧侶達によって新しいエロゲが創り出された。いわゆる鎌倉六エロゲである。その様子はマ○コ・ポーロの「東方見聞録」に詳しく記載されている。それを伝え聞いたモンゴルのクビライ・ハンは大軍を派遣してこれを買い占めようとしたが、神風に遭い全滅した。 しかし、この来襲によって奉公人たちは多くの作品を失い、結果幕府の転覆に繋がる事になった。
[編集] 室町時代
応仁の乱や室町幕府の衰退による各地の戦乱、荒廃の結果、無常観の漂うエロゲが多数生まれた。いわゆる「鬱ゲー」の原型はこの頃に誕生したとされる。
一方で豊かな庶民文化が花開き、庶民にもエロゲが広く普及した。
[編集] 戦国時代
室町幕府の崩壊によって日本は諸国の大名が天下を狙う戦国時代に突入した。当時の諸大名には『鬼畜王ランス』を地で行く行動が見受けられるが、それほどまでにエロゲの影響が大きかった証拠である。諸大名は自らの武勇、精力、財力、勃起力を誇るため、競って華美淫猥なエロゲを創り上げていく。 また、プロの作品の売り上げ本数が人気同人のそれにトリプルスコアで負けることがざらに起こるなど下克上の時代でもあった。
[編集] 江戸時代
戦国時代は武将達が自らの精力を使い果たしたと同時に終わった。時の征夷大将軍、徳川家康はエロゲ買出しの帰りにふらっと立ち寄ったとある関東の平原(今の秋葉原付近と思われる)で「これからのエロゲは都ではなく、この江戸を拠点にせよ」との声を聴き、エロ、じゃなかった、江戸に幕府を開いた。 海外の文化は幕府の権力に罅を入れると考えた徳川家は鎖国を始め、日本のエロゲは更なる独自の発展を遂げていく。 また、戦乱の世が終わり太平の世がやって来たため、かつての戦国時代では有力な武将の占有文化であったエロゲも庶民の手によって更なる発展を遂げることとなる。 エロ原画家葛飾北斎は触手モノの大家として有名である。 妖怪や幽霊といった存在がまだ信じられていた時代であったため、妖人伝奇絵巻『あやかしびと』の誕生は今昔の怪談に大きな影響をもたらした。
[編集] 幕末
ペリーによってアメリカ産エロゲが輸入されると黒髪一辺倒だった日本の作画人に衝撃がはしる。そのため各地で青髪や緑髪など到底日本人とは思えない女性を主体とした同人エロゲが制作された。しかし幕府権威の失墜を恐れ、これを認めず新撰組を投入し弾圧し始めたので、あっというまに民衆の支持を失いエロゲの売り上げも急減、幕府財政は崩壊したのである。 明治維新の際に最後まで純和製エロゲに固執し、もう昔の秋葉ではないと、江戸を捨てて函館に引きこもった者も多く居た。
[編集] 昭和(戦前)
昭和12年に日中戦争が勃発するとエロゲー界からは中国系が姿を消すようになり、昭和14年にはパーマネントに規制がかかるようになってくる、また、昭和15年からはエロゲーのタイトルや制作会社に英語の使用が禁止された。その影響で『To Heart』は『東鳩』、『key』は『鍵』のように名称変更を余儀なくされた。昭和16年に大東亜戦争が勃発するとついにエロゲーの生産に規制がかかり、数多くの会社は生産停止においこまれた、しかしヒロインが全員黒髪で日本人の『夏色小町』は愛国心の表れとして規制がかからず、むしろ励行され、多大な人気を催した。
[編集] 昭和(戦後)
開戦によりアメリカは、既に当時最高峰のクオリティを誇る日本のエロゲが輸入されず、アメリカ国内では即時停戦し、日本と国交を回復したのちに経済支援を行い、日本製エロゲの復興を願う声があがり始めた。しかし、大国としてのプライドがあったためか、平和的手段(つまりエロゲ欲)ではなくみずからとソビエト社会主義共和国連邦による満州侵攻が15年にわたる戦争に終止符を打った。
1945年8月にソビエト社会主義共和国連邦の満州侵攻と、アメリカによる広島、長崎に相次いで投下された原子爆弾の投下によって、日本は強烈なショック療法を受けた形で降伏した。
エロゲの作画に関してのいがみ合いの末に中国とアメリカが朝鮮半島での衝突をきっかけに始まった朝鮮戦争の時、米軍から大量の軍需物資の製造、修理や米国製エロゲのデバッグなどの注文が殺到し、日本はまず経済が復活し、その後国民が次第に豊かになってゆくと、壊滅的な打撃を受けた日本製エロゲも市民、企業、政府の3者の手によって復活していった。
後に高度経済成長と呼ばれることになるこの経済的成長は、実は戦前に抑圧された日本のエロゲ文化復活を願う全てのエロゲ関係者によって引き起こされたものであるといえる。この頃、日本はエロゲだけでなく工業などが奇跡的な勢いで発達した。
日本は敗戦によって1からやり直す事になったが、持ち前の手先の器用さを生かしてエロゲによって経済的にも技術的にも世界最高水準に復活した。
なお『GHQ』による占領政策の一環として東京裁判史観を浸透させる一環としてエロゲーが粗製濫造され、憲法の見直しをも阻んでいる。
[編集] 現代
日本のエロゲと工業は1960年代までに世界最高水準のクオリティに達し、海外では「メイドイン・ジャパン」が1つのステータスとなるまでになったが、トイレットペーパーの買占めで記憶に新しいオイルショックで大きな打撃を受けた。
80年代に入ると、PC-98シリーズ等の普及によって、シューティングなどと絡めたエロゲなどの新しいエロゲの形態が
現れてきた。現在のここまでの日本のIT社会の発展はエロゲによるものであるといっても過言では無いだろう。
80年代後半から90年代前半にかけての今までエロゲに費やしていた資金を土地などにバカみたいにつぎ込んでいた、
いわゆるバブル経済であるが、見かけ上は景気の回復があったため、エロゲも更なる発展、新ジャンルの開拓に明け暮れていた。
[編集] 関連項目
- 登場人物は18歳以上
- アンサイクロペディア (エロゲ)
- アンサイクロペディア (エロゲー)
- アナタハン島事件-戦後初の(?)エロゲであり乙女ゲーム。主人公の比嘉和子がとても可愛いことから、男性ユーザーにも一定の支持を得られたことで知られている。
- D.C. 〜ダ・カーポ〜
- オーガスト
- 工口ゲー
- ギャルゲー
- NEC
- ゲーム
- 農林水産省
- JAS39 (戦闘機)
- Nursery Rhyme -ナーサリィ☆ライム-
- がくと!
- 遥かに仰ぎ、麗しの
- SHUFFLE!
- IDOLM@STER
- ランブルローズXX
- 春画
- 神戸市エロゲの聖地になりつつある。
- 札幌市零細エロゲメーカーが多い市。
- 若木民喜
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