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孤独の岸辺:/9 元テレビマンのタクシー運転手

 ◇不況下、東京を撮りたい 乗客の人生、背中に…

 午後5時。年の瀬の日曜日、東京・渋谷。駅のロータリーから数百メートルにわたり、空車のタクシーが列を作った。スクランブル交差点の信号が赤になった。目の前を行き交う若者の群れ。「この中で、客になるのは多くて3人。特権階級だよ」。タクシー運転手の男性(59)がため息をついた。

 02年、運転手に転じてすぐのころ、浜松町で40代半ばの客が乗ってきた。「会社をつぶしたよ」。FMから70年代の音楽が流れていた。ボリュームを下げようとすると「かけっぱなしでやってくれや」。励ましの言葉が見つからない。川崎までの30分が何時間にも感じられた。あれから7年。「来月は会社がないかもな」。ため息とともに漏れる乗客の言葉を、この冬は何度聞いただろう。

 転職前は、テレビ局で番組制作に携わった後、フリーでドキュメンタリーを何本も手がけた。01年、宮大工に小学校で授業をしてもらったのが最後の企画だ。いま、不況風が吹きすさぶ東京で、何もできずにいるのが悔しい。1本、あと1本撮りたいと思う。

 午後5時半。世田谷の商店街から高齢の女性を自宅へ送った。無線が鳴り、高級マンションから若い女性を届けた。その後もディナーに繰り出すカップルや、風邪気味の母子を運んだ。慌ただしく夕飯をかき込み、手放せなくなった頭痛薬を飲む。

 午後11時。蒲田駅前に並んだ。終電まで駅との往復。大半は初乗り料金しか掛からない近場の客だ。運転手たちは遠方の客を狙い、目をギラつかせた。

 午前3時45分。若い男性を民放スタジオへ運んだ。以前に自分も通った場所だ。

 一時は「天才」と呼ばれた。現場にこだわり、苦労と驚きを仲間と共にしながら作品を練るのが喜びだった。大工の棟梁(とうりょう)のような気持ちでいた。

 だが、時代は変わった。若者はネタ探しをパソコンに頼り、番組は制作者ではなくコメンテーターのキャラクターに合わせて作られるようになった。市民マラソンの撮影現場で、局の人間が言った。「ばあさん一人倒れれば絵になるな」。それが許せなかった。途中降板。考え方の違いにいら立ち、人は去り、仕事はこなくなった。2人目の妻にも愛想を尽かされた。そして一人になった。

 運転手仲間にはアルコール依存に苦しむ男がいる。家族に縁を切られ、寮で暮らす40代。夕方、兜町で取引を終えた証券マンを狙う。「高速はどこから乗りましょう」「知らねえよ、いいから行けよ」。容赦なくストレスをぶつけられ、そのたびに傷つく。「勤務明けに浴びるほど飲んじゃうんですよ。妹と遊んだ幼いころのことを思い出しながら」

 弱い人間に運転手は務まらない。明けに4畳半のアパートで、ドキュメンタリーの企画書を書こうとペンを握ると、疲労と睡魔が襲う。情けなくて嫌気が差す。前妻に引き取られた一人娘の顔が目に浮かぶ。今の自分は、幸せにしてやれなかった報いだと、言い聞かせる。

 午前5時半。客などいないと分かっていながら、運だけを待って高級住宅街を流す。あきらめてはいない。まだ誰も絵にしたことのない東京を撮りたい。【市川明代】=つづく

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毎日新聞 2009年1月9日 東京朝刊

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