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孤独の岸辺:/8 72歳母と難病患う35歳娘

 ◇2人で選んだ「死に方」 遺品整理、納骨代行を依頼

 「あたしが先にあの世へ行くけど」。母(72)がふともらした言葉を、娘(35)は聞き逃さなかった。「年の順とは限りません」。2人は顔を見合わせて笑ったが、娘の目には大粒の涙が浮かんでいた。母は続けた。「病気のあんたに迷惑はかけないからね」

 千葉県木更津市に独居する母は昨年暮れ、東京都内に住む一人娘を家に呼び、自分と娘が死亡した時の処理を遺品整理会社に依頼した。2人分の納骨代行と、残る1人が死亡した時の遺品処分。その代金として38万円を3年間で分割払いする。遺体の搬送と火葬は葬儀会社に頼んだ。死亡保険金で支払う。

 納骨先は、がんで先に逝った夫の眠る北海道石狩市の霊園。家族3人で長年住んだ札幌市に近く、墓にはすでに母の名前も刻んである。雪がとける5月、母は石狩へ行き、娘の名も刻むつもりだ。

 娘は20歳で難病の膠原(こうげん)病を発症した。細菌やウイルスを攻撃する免疫システムが正常な細胞や組織まで壊す疾患で、完治は難しい。娘の場合、全身各所の炎症や薬の副作用で、苦痛に終わりはない。

 夫が他界する直前の06年春だった。「母さん、一緒に死のうよ」。車で見舞いに向かう途中、助手席で娘が言った。「父さんがこんな時に……」と受け流したが、自分もいつか他界し、娘は肉親の支えを失う。あの日の言葉は、胸に深く突き刺さったままだ。

 母自身、幼くして肉親と離ればなれになった。実母は生後すぐに病死。実父は兄姉4人を連れて北海道から樺太へ渡り、末っ子の自分だけ3歳で養子に出された。養父母宅に着いて1週間、迎えに来るはずのない実父や兄姉を、玄関先で一人待ち続けた。

 引き揚げ後も養父母の意向で一度も姿を見せなかった実父と、85年に再会した。老いた養父母が入院する札幌の同じ病院にいた。病室の名札を確かめ、誰もいない時を見計らってベッドへ近づいた。顔に無数のしわを刻んでいたが、すぐ分かった。「父さん」。手を握ると、払いのけられた。認知症で判断力を失っていた。

 そんな人生で唯一の肉親である娘が難病と判明した時、「この子に、私の人生をささげよう」と誓った。

 娘は8年前、東京の男性から病気を承知で求婚され、母は「いつでも帰っておいで」と送り出した。上京する娘を追うように翌年、母も夫とともに札幌から木更津へ転居し、陰で支えた。だが、娘は病状の悪化や心のすれ違いから昨年、離婚を決意した。近く母と2人暮らしを始める。

 娘と暮らせるのはうれしい。自分がいる間は夫の遺族年金で何とか食べていける。その先を思うと不安だが、せめて死に方をきちんと決め、娘と歩む残りわずかな生を輝かせたい。母娘の納骨代行を引き受けた遺品整理「あんしんネット」(東京都大田区)には、同様の依頼や問い合わせが単身高齢者から相次いでいるという。「ひとり残され無縁仏だわ」と娘は悲観していた。「あんたも父さんの墓に入るの。また家族3人一緒よ」

 年が明け、母は、娘の具合が許せば京都へ2人旅に出ようと思い立った。今月中旬から近所の和菓子店へ桜餅を作る仕事に出る。旅費を得るためだ。娘には、まだ打ち明けていない。【井上英介】=つづく

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毎日新聞 2009年1月8日 東京朝刊

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