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孤独の岸辺:/7 少年院出所の18歳

 ◇母の許しと再会願い 返信ない手紙、書き続け…

 大きな爆音とともにスピードメーターの針が振れる。盗んだバイクの部品をいじり、エンジンをかければどこにでも行けた。ガソリンがなくなれば捨て、悪いことと知りながら、また別のを盗んだ。バイクと一緒にいる時だけ、嫌なことを忘れられた。数年前まで、そんな生活だった。

 横浜市内で生まれ育った少年(18)は、両親に服を買ってもらったり、小遣いをもらった記憶がない。厳しい両親だった。朝夕の洗濯や食事の後かたづけは自分の役目。「ほかの家の子ならよかったのに」。そのうち食事も作らされた。

 15歳のころ。たびたび外出していた母が突然、家から姿を消した。父の言葉が追い打ちをかけた。「そんなばかな高校を受けず、働いて家から出ていけ」

 不良仲間に誘われるままバイクを盗み、非行を繰り返した。16歳まであと1カ月のある日、警察に捕まった。初犯のため処分に至らず、父母のどちらの元に帰りたいかを問われ、迷わず「お母さんの所」と答えた。引き取りに来た母は優しげに見えた。でも、職員に呼ばれた母の名字は違っていた。既に別の男性と再婚していた。

 母と義父との生活はつかの間、うまくやれた。しかし、ふとしたきっかけで戸籍の名字を2人と一緒にしてもらえていないと知った。「『家族』にはしてくれないのか」。怖くて母に理由を聞けぬまま、2人との食卓を避けるようになった。自室にこもり、コンビニ弁当で空腹を埋めた。

 「家にいちゃいけない。いられない」。昔の仲間に連絡を取り、以前の生活が再び始まった。いつも夜中の帰宅。母は、無言で家のドアを開けてくれるだけになった。06年10月、盗んだバイクで家に向かおうとして2度目の逮捕。少年院送致の処分が下った。

 「こんなことして、ごめん」

 栃木県の少年院の一室で毎月、母に手紙を書いた。ボールペンで便せん2~3枚を埋めては何度も書き直した。でも、返信は一度もなく、面会にも現れなかった。院内での作業中、職員が誰かの名前を呼ぶと「ああ、面会だな」と思い、うらやましかった。父に続き、母も遠くなった。あれほど離れたいと思っていた「自分の家」が、思わぬ形でなくなった。「見捨てられちゃった」。そう感じた。

 そこでの1年半は一度の規則違反もなく過ごした。昨年5月に出所。「一人で頑張って生きろ」と入所中に励ましてくれた担当職員が、泣いて見送ってくれた。身寄りのない少年たちを受け入れる東京都内の更生保護施設に身を寄せた。

 最近、都内のアパートで1人暮らしを始めた。カーテンもない4畳半。テレビには新しく見つけた友人と写した「プリクラ」が数枚。不良仲間と連絡を取るのはやめた。毎日、ハローワークで見つけた塗装の仕事から帰宅した後、保護司がくれた炊飯器で温かいご飯を炊く。

 日付が09年に変わった直後、新年を祝うメールが5通ほど携帯電話に届いた。だが、出所後も母からの連絡はない。古い携帯に残る番号は、もうつながらない。「働いて貯金して、ちゃんとした姿を見せたい。そしたら許してくれるかな」。いや、きっと……そんな気がする。その時、もう一度ペンを執ろうと思っている。【曽田拓】=つづく

毎日新聞 2009年1月7日 東京朝刊

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