株価が暴落を続けていた昨年10月、首都圏の証券会社支店に70代の男性が現れた。「上がるって言ってたろ」。怒号は店舗奥まで響き渡った。トラブルの原因は、平均株価に連動する「ETF」(上場投資信託)。男性は店の勧めで購入したが、暴落で元本割れを起こしていた。
「こっちに回ってくる」。若手社員(26)の直感は当たった。応対していた先輩が自分を手招きした。人さし指で男性の方を指している。「お前に任せる」という無言の指示だ。2時間、怒鳴られ続けた。
その日、自転車で外に営業に出掛けた。どんより曇っていた空を見上げ「おれの存在価値ってなんだろう」と考えた。雨が落ちてきた。スーツが、ずぶぬれになった。
本当はディーラーになりたかった。株の売買で数百億円の資産を築いたとされる同世代のデイトレーダーにあこがれた。大学生のころは「幸せの土台は、お金だ」と思っていた。証券会社に入社が決まった時、一生の職場にしようと誓った。だが今。営業部門に配属され、社内の成績は「下の下」。上司からは「ディーラーの芽はない」と通告された。
「上がり相場です」。ノルマが達成できない月は、うそがのどまで出掛かる。「損をさせて顧客が人生を棒に振ったらどうする」と自らに言い聞かせ、踏みとどまる。
朝5時に起き、帰宅するころ日付が変わる。6畳1間のアパートの電気をつけ、398円のコンビニ弁当をかきこみ、ひとりテレビを眺める。
「不景気とか雇用不安とか、暗いニュースばかり」。ある日、テレビの前でノートを広げ、幸せなニュースを数えてみた。1時間番組で一つしかなかった。六本木のライトアップ。ノートには「彼女がいないやつはどうする」と書き添えた。
東京・秋葉原の17人殺傷事件はネットの速報で知った。「希望が持てないのは、みんな同じか」。加藤智大(ともひろ)被告(26)は、中学時代に遊んだ同級生だった。
26歳の誕生日翌日、青森の父から連絡があった。毎年恒例で必ず前後に1日ずれる。「おめでとう。遅れたけどな」と切り出した父。「悪いけど仕事中」と電話を切った。10秒にも満たないやりとりが、最後の会話になった。10日ほど後、父は心臓発作のため急逝した。
理由もなく暴力を振るう父が嫌いだった。いつもおびえていた。盆や正月の帰省はずっと避けてきた。
葬儀の準備をしながら、嫌な思い出とともに実家を見渡した。居間の電話機のそばにあったカレンダー。自分の名前とともに「誕生日」と黒のボールペンで書き込まれていた。父の字だった。
母から生前の父について聞かされた。「わ(自分)は高卒だはんで(なので)何をしてでもあいつを大学さ行かせる」「いつか一緒に酒ば飲めるかな」。息子の誕生日、電話をちゅうちょしている不器用な父の姿が浮かんだ。棺(ひつぎ)に入れた手紙にこう書いた。「親父(おやじ)の気持ちに気付かなくて本当にごめんなさい」
大みそか、夜行バスに飛び乗り、元日の朝、青森に降り立った。吹雪の中、肩にかけたビニール製の黒バッグをぐっと身に引き寄せた。葬儀の際、実家から持ち出した。父の愛用品だったと聞いている。【山本将克】=つづく
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毎日新聞 2009年1月5日 東京朝刊