新成人の皆さんおめでとう。平成生まれの成人は初めてです。価値観が大きく揺らぎ、変化を渇望する時代。舵(かじ)を取るのは、大人になった君たちだ。
恵泉女学園大学(東京都多摩市)では、「生活園芸1」という名の農業実習が、一年生の必修科目になっています。
週に一回、九十分。決められた区画を二人一組で受け持って、堆肥(たいひ)を使った土作りから始め、備え付けの麦わら帽子や長靴を身につけて、ジャガ芋やキュウリ、大根などを育てます。
◆私が育てた最初のいのち
農場では過程を重視します。収穫という結果だけでなく、栽培の手順を重んじます。受け持ち区画は担当者が最後まで責任を持ち、夏休みに“出勤”することもしばしばです。
五感を駆使して季節の変化を感じ取り、観察する姿勢を身につけます。そうするうちに、他者との関係性にも、目を向けるようになってきます。
周囲の生き物だけでなく、環境全般や友人との関係にも気配りができてくるようです。食べ物が土に返り、その土から新たないのちが芽吹く。人や動物がまたそれをいただいて生きていく。循環するいのちの営みを実感し、さまざまなかかわりを知ることで、多方面へと視野が広がり始めます。
入学当初は、ジャガ芋が土の中で育つことさえ知らず、日焼けばかりが気がかりだった女子大生が、収穫時には、ずっしり重く育った野菜をいとおしげになでながら「私が育てた最初のいのち」と瞳をうるませます。
「夏は夏の風、冬は肌にぴりりと来るあの寒さを受け止めることから、学生たちの変化が始まります。人が生きるということを真摯(しんし)に学ぼうとし始めます」と、指導に当たる人間社会学部准教授の沢登早苗さん。あたかも二十歳前の通過儀礼のように。
◆人生の大きな節目
さて、新成人の皆さんは、昭和から平成へと移る時代の大きな節目に生まれ、混迷と不安と変化の時代を生きています−。
このようにひとくくりにされてはみても、渦中で過ごした当事者には、「新しい時代」を歩んできたという実感は、乏しいに違いありません。
突然ぶり返した就職氷河期も、派遣切りも、医療不安も、年金危機も、地球温暖化問題も、君たちのせいではありません。
二十歳になったからといって、その日から風景ががらりと変わるわけではありません。それでも「成人」という人生の節目は、大切にしてほしいと強く希望します。
例えば、二十年の過程を振り返り、五感に触れる季節の移ろいを味わいながら、循環するいのちを感じ、他者との関係性を見直して、視野を広げる契機にしてほしい。そうやって、人は「大人」になっていくものです。
一昨年亡くなった、昭和を代表する作詞家の阿久悠さんは「世代というのは面白いものだと思う。わずか数年ずれただけで全く別の世界を見ることになる」(「生きっぱなしの記」)と書きました。
一九四五年敗戦の朝、昭和十二年生まれの阿久さんは、言いようのない解放感に包まれました。反対に、昭和一けた生まれの上の世代は、喪失感に襲われました。
上の世代には、戦前に甘いものを食べた記憶がありました。阿久さんの世代には、はじめからそれがありませんでした。
チョコレートやチューインガムは、進駐軍が初めてもたらしたのでした。阿久さんにとって敗戦は「明るい日々」の始まりでした。
「戦争という洪水のあと/水たまりが残った/水たまりのぼうふらは/泥水の息苦しさよりも/見上げる彼方の/青い青い空を思った/戦争という夜のあと/こどもの朝が訪れた」
ふるさと淡路島の公園に建てられた「瀬戸内少年野球団の碑」に、阿久さんが刻んだ言葉です。
新成人の君たちは今、先の見えない時代におびえ、「泥水の息苦しさ」にあえいでいるのかもしれません。
しかし、戦争という暗闇を手探りで乗り越えて、阿久さんが「昭和の青空」をつかんだように、君たちは「平成の青空」を見つけなければなりません。
◆逆風に向かって立つ
世の中「変化」ばやりです。でもそれは、他者から与えてもらうものではありません。自らに課すべきものであるはずです。
きょう成人の日。この強い逆風に向かって立つことができるよう、まず自らを変化に導く節目にしてほしいと願います。
時代の霧を追い払うことができるよう、私たちも精いっぱい努力しますから。
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