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生活危機:年越し派遣村、路線の壁超え結束 連合・全労連・全労協、裏方に徹し成功

 ◇目の前の一人を救う…「連帯」につながった

 東京・日比谷公園を拠点に、仕事と住居を失った派遣労働者らを支援した「年越し派遣村」は、不況に伴う雇用問題の深刻さを強く印象づけ、通常国会の主要テーマに押し上げるなど大きな注目を集めた。企画・運営したのは市民団体や労働組合。労組は非正規社員への関心が薄く「正社員クラブ」と揶揄(やゆ)されることも多いが、路線の違いを超えて結束した。【東海林智】

 派遣村誕生のきっかけは、08年12月4日に都内で開かれた労働者派遣法の抜本改正を求める集会。労組のナショナルセンターである連合や全労連、全労協の三つの全国組織に加入する労組や弁護士グループが主催し、2000人以上が参加して政府の派遣法改正案の問題点を訴えた。集会後、労働弁護団の棗(なつめ)一郎弁護士らが「労働者の生存権すら脅かされる状況なのに、集会だけでいいのか。目の前の一人を救う活動が必要だ」と支援を労組などに呼び掛け、派遣村が実現した。

 労組は80年代の労働戦線統一問題で、これら三つの全国組織が分立し、そのしこりで共同行動が難しい状況が続いてきた。しかし派遣村では炊き出しの機材やテント、食材の調達のほか労働、医療相談などに各組合が協力した。労組幹部は「それぞれが表に出ず裏方に徹したことが成功の理由」と口をそろえる。

 背景には直接組合と関係のないNPO「自立生活サポートセンターもやい」の湯浅誠事務局長が村長に選ばれたことがある。湯浅氏は路上生活者の支援を手がけ、生活保護申請で一緒に自治体窓口に出向いて折衝する活動を続けてきた。この経験が、宿泊施設の確保を巡る厚生労働省などとの折衝や生活保護の一斉申請に役立った。労組幹部は「人手や物資の確保は労組のお手のものだが、いったん動き出した活動をどうまとめ上げるかが最も難しい。派遣村は理想的だった」と話す。

 労組幹部同士がささいな活動方法を巡ってぶつかりそうになる場面もあった。全国組織の幹部は「1700人ものボランティアが集まり全国から注目を集めている。正規も非正規も働く者の連帯が大事だと思った」と振り返る。湯浅氏は「労組と市民が手を組んで行動を起こしたことに意味があった。次につなげたい」と話した。

毎日新聞 2009年1月12日 東京朝刊

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