第923号 Jan.18,2001

フリートーク「卒業に寄せる思い」

 東大に「大学をおもしろくする会」があると聞いた時、「え、大学ってそんなにつまらないものなの?」と訝しく思ったものである。父が熱烈なワセダニアンだったお陰で「やっぱり早稲田に入りたい!」その思いだけで入学した大学だったから、入ってからの事なんて考えたことがなかった。そうか、大学はつまらないのか。だったら私は退屈したくない。入学式の興奮のまま、そう決めた四年前だった。

 ある年参加した早慶戦で、早稲田の優勝が決まった。朝からの応援で疲れ果て、終了時には燃え尽きた気になっていた私は、パレードの前に帰宅してしまった。「一度、パレードに参加したらいいよ!」と言っていた父は残念がるかな。電話で伝えると「好きなようにしたらいいよ、でも後悔だけはしないようにね」優勝は、次もあるとは限らない。今行かなければ後悔するかもしれない。行くだけ行ってみようと出かけた。講堂前にパレードが近づいてくるのが見えたとき、思わず私は駆け出していた。後は人人人にもみくちゃにされながら、気づいたら泣きながら声を張り上げていた。ものすごい熱気だった。「そうだ、私は後悔しないように生きよう」早稲田、ワセダ、と繰り返しながら強く思った。

 物理学に「場」という概念がある。空間の性質を指し、電場・磁場を検出するなどと言う。早稲田大学はまさに、さまざまな思いを検出できる「場」であった。そして目に見えない「場」から何を検出できるかは、すべて自分にかかっているのだとも知った。アンテナを張り、体当たりで活動したお陰であらゆる体験をした。辛い思いも沢山したけれど、検出メーターを振り切る位の楽しい思いもまた体験することができた。「楽しかった」なんてものじゃない、エキサイティングな四年間だった。「大学時代は、エキサイティングでした!」こう言って卒業できる幸福な思いを、今改めてかみしめている。

(二文4年 森田 綺央)

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■フリートーク「メルマガ〜大学生日記〜現役早大8年生の海外放浪記」

 元アメリカ大統領ニクソンの言葉に次のような言葉がある。「若者は若い時に多いに旅行すべきだ。年をとってから旅行するのは悲しいことである。金がなければ借りればいい。時間がなければつくればいい。」

 僕は初めての土地に行くことが大好きだ。この時の緊張感が一番自分が生きているということを強く感じさせてくれる。そう、ずべてが新鮮なのだ。通じない言葉、地元の見知らぬ料理、日本と明らかに違う風景。

 もちろん、旅は楽しい事だらけではない。フィリピンではぼられまくり、中国では睡眠薬を飲まされ、エジプトでは人間不信になるくらいだまされ、ロシアの地下鉄ではマフィアに後をつけられ、ルーマニアでは拉致・監禁されお金を巻き上げられたこともあった。

 しかし、それを補うに十分すぎるすばらしい人々との出会いがあった。そう、旅の一番は人との出会いなのだ。おいしい食べ物を食べたいというだけなら東京には日本人好みに味付けされた世界各国の料理が食べられる。もし、グランドキャニオンなどの景色だけを楽しみたいだけならレンタルビデオ屋でビデオを借りれば見ることも現代なら可能なのだ。

 今、我々は世界の歴史上きわめてまれな存在である。マルコポーロやイブン・バットゥーダのような大旅行家でさえ私たちみたいに広範囲の土地を訪れることはできなかったのだから。

 そして僕は旅の集大成として去年学校を休学して飛行機を使わずフェリーと鉄道とバスでユーラシア大陸を周遊した。そして、その経験を旅行好きの人達にいかしてもらおうと旅日記をメールマガジンにて配信することに決めた。(申し込むとその日あった一日の日記が毎日あなたのパソコンに届き、自分も旅をしているかのような擬似体験ができます。)

 旅好きな人、海外に興味がある人、自分も放浪しようと思っている人には絶対お勧めですので是非読んでみてくだい。希望の方は(【URLhttp://melten.com/m/3409.html)で登録を行ってください。

 尚、卒業旅行なので急いでその国の情報がほしい方や旅に関する質問は【E-mailh9101026@mn.waseda.ac.jpにて承ります。

(社会科学部8年 大庄司 秀貴)


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第922号 Jan.11,2001

■演劇観賞「十二月歌舞伎公演 富岡恋山開 素襖落を観て」

 幸運にも早稲田ウィークリーの歌舞伎チケットに当選し、早速十二月八日の国立劇場での公演を観ることができました。生まれて初めて、「生」の歌舞伎を見たのですが、とにかくあの迫力には、驚きました。一等A席で観られたので、役者の見得を切る瞬間や、大立ち回り等、客席にも舞台の振動が伝わってきて、テレビで観るのとは全く違うんだな、と思いました。特に、泥に塗れるシーンでは、舞台に本当の泥が置かれ、そこの上で役者が泥に塗れて演技をするのは、流石という感じでした。生の花道も見る事が出来、直ぐ近くを役者が通って行くのも、感動しました。言葉も、最初は分かりにくかったのですが、慣れてくるとストーリーに夢中になって、のめり込んでしまい、面白い所では自然に笑いが出てしまったり、最後は余りの感動に、涙が出てしまいました。

 また、今回の公演では狂言舞踊も行われたのですが、歌舞伎とはまた全然違い、舞台には浄瑠璃、三味線、太鼓の人が並び、松の絵の背景一つしかないのです。だから、役者の演技だけで、話を展開させなくてはならないので、役者の微妙な表情、一つ一つの動きが重要になってきます。でも、内容は現代でも通じるような、面白いもので、何度も笑ってしまいました。

 今迄、歌舞伎や、狂言と言うと、堅苦しいイメージを持っていたのですが、実はとても分かり易く、誰でも楽しめるものなんだな、と思いました。これからも、歌舞伎は勿論、その他の文楽や、新派等、いろんなジャンルにも挑戦してみたいと思います。

(法4年 キティ)

■フリートーク「なぜアパートでなく寮なのか」

 私は現在早稲田大学の東伏見学生寮に住んでいる。寮といっても体育会の寮ではなく経済的に修学が困難な者のための寮で、年額七万二千円(月額ではない。年額である)という破格の家賃で住まわせていただいている。

 寮というと上下関係が厳しい、毎日先輩に酒を強要される、建物が古いといったマイナスのイメージがあるようだが、実際には社会の一般常識程度の上下関係しかなく、酒を飲むといっても年に数回の飲み会がある程度で、酒の強要はしない。また、寮の建物もトイレや台所は共同であるものの部屋はきれいでワンルームマンションと同じくらいの設備である。それでも、大学側が「アパート」ではなく「寮」としたのは、共同生活をすることによって、ただ単位を取るだけでは得られない大きなものを得て社会に通用するような人間に成長してほしいという親心なのだと私たちも理解している。

 新しく寮生を選ぶ時にも、私たちは、単に生活が苦しいからといった消極的な理由だけで入寮を希望する者よりも寮に入って積極的に何かを得ようとしている者を寮に入れるようにしている。

 だが面接で普通の質問をしていただけではその人の積極性までは分からない。そこで一発芸をリクエストしたり「酒が飲めるか」などの質問をしたりするのだ。この時一発芸が出来るかどうかとか面白いかどうか、ましてや酒が飲めるかどうかが問題なのではない。一発芸のできる大酒飲みでもつまらない人間はいくらでもいる。多様な人間関係の中で、協力しあったり助けあったりしながら集団生活に積極的に入って行こうとする姿勢があるかどうかをみているのである。

 こうして自分たちで選んだ寮生と毎日過ごすことによって、私も日々成長していることを感じている。これも積極的に何かを得ようとしている周りの寮生の影響である。寮にいることができるのもあと一年と少し。自分が卒業して学生生活を振り返った時に寮に入って大きなものを得たと自信を持って言えるように残りの寮生活を楽しみたい。

(早稲田大学東伏見寮副寮長 法3年 茅島真吾)


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第921号 Dec.14,2000

「マスコミを志す後輩たちへ−わかりやすいことをわかりやすく−」

 テレビ局と新聞社を受験し、NHKと日本経済新聞社から内定をいただきました。テレビ局も新聞社も、面接と論文のウエートが高く、「人に何かを伝える」試験が重視されます。マスコミは、多くの人に何かを伝える仕事ですから、当然のことかもしれませんが、この適性をアピールすることが大切になります。

 では、どうすれば適性があると判断されるのでしょうか。答は簡単です。「わかりやすいことをわかりやすく」語ればよいのです。多くの人が理解できないような内容を難しく語っても、決して良い評価はもらえません。当たり前のことのようですが、本気でマスコミを目指している人こそ「この罠」に陥りやすいのです。中には、自分でも理解しきれないような内容を語ってしまう人もいます。就職活動を始めた頃の私がまさにそうでした。

 「わかりやすいことをわかりやすく」とはこういうことです。まず、「わかりやすいこと」とは、多くの人が理解できる内容という意味です。この時、話の題材は、何も特別な必要はありません。家庭教師のアルバイトをして苦労したとか、サークルで幹事をしていて大変だったとか、そのくらいの題材でも、理解不能な話よりは、断然魅力ある学生生活が伝えられます。大事なのは伝え方です。次に、「わかりやすく」伝えるということは、三つのことを意味します。すなわち、1.自分の言葉で、2.自分の経験に則して、3.具体的な例を交えてということです。これができないと、いかに魅力ある内容を語ろうとしても、地に足のついた話として伝えることができず、結局失敗してしまいます。

 以上が、私が面接・論文のコツとして実感したことです。これは、準備、練習すれば、誰でもマスターできることだと思います。受験生にはぜひとも事前の周到な準備を経て、試験に臨んでほしいと思います。私が後輩たちに伝えたいことはこれだけです。健闘を祈ります。

(日本放送協会アナウンス職内定法4年 下境 秀幸)


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第920号 Dec.7,2000

■書評「高山文彦、「少年A」14歳の肖像、を読んで」

 神戸の連続児童殺傷事件の犯人である少年Aの家庭環境や犯行に至るまでの経緯が書かれた本書を読んで私は少なからず衝撃を受けずにはいられなかった。

 少年Aは中学生にして、シュレアリスムにの画家であるダリの絵に興味を示し、ヒトラーに心酔して「輪が闘争」を読み耽り、スメタナの音楽をよく聞いていた早熟な少年であった。同時に猫を殺すことに今まで経験したことのないような性的快感を得た彼は、自分は異常だと落ち込み、その後、内なる葛藤が始まるのである。

 彼の心の闇はあまりに深く、その核心を理解することは決して容易ではない。本書においても、彼の精神的な歪みがいかにして生まれたのか、その概要は知ることはできても、では何故人を殺すまで至ったかという根本的な問題については知ることはできなかった。いや、少年A自身にも分からなかったのかもしれない。だから、彼は苦しみ、「自分は無価値だ。自分は生まれてこなければよかった」と思うようになったのではないだろうか。そしていつしか人を殺してみたいという衝動だけが彼の生き甲斐になっていたのではないだろうか。

 今国会での少年法の改正はほぼ確実である。犯罪被害者、そして遺族にあまりに大きな犠牲を強いている現行少年法の不条理は私にもよく分かる。遺族でさえ報道からでし審判の内容をしることができないような現在の状況は早急に改められるべきであると私は考える。しかし適用年齢の引き下げ、刑事罰の厳罰化が少年犯罪の抑止にいかに無力か本書は物語っている。事実、少年Aは人を殺せば死刑になると信じ込んでいたのである。

 少年Aは 犯罪の加害者であると同時に、現代社会という狂気が生み出した被害者でもある。事件当時の報道はあまりに興味本位のものが蔓延っており、事件の本質を理解するには物足りないものばかりであった。そういう意味でも本書は非常に考えさせられる一冊である。

(法3年 河村 英紀)


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第919号 Nov.30,2000

■フリートーク「NGOの関わり方」

 「国際協力(開発援助)」における関心が高まる中、NGO活動に興味を持っている方も多いのではないだろうか。日本には三百以上もの団体が存在し、さまざまな活動を草の根レベルで行っている。"活動に参加したい"、"どんなことをやっているのか活動をみてみたい"と思ってはいるものの、具体的にどうすれば良いのか分からない、そんな人もきっと多いのではないかと思う。

 私は「ボランティア活動」とは、"自分のできることをできる範囲でやる"ことであると考えている。時間的余裕がある人は、バザーの手伝い、封筒の宛名書き等の事務作業、金銭的余裕のある人は、会員となって活動を支援すればいい。もちろんこればかりではない。休み期間にNGOの主催するスタディーツアーに参加する、日常生活で書き損じのはがきやテレホンカードを集める、フェアトレード製品(【URL】http://www.wakachiai.com/)を購入する、探せばいくらでもある。自分の今できることを探す、それがボランティア精神であると思う。

 今はインターネットを使えば簡単に各NGOの活動内容を知ることができる(【URL】http://www.ngo.or.jp/)。興味のある団体を見つけたら、早速メール、または電話をして活動内容を詳しく聞いてみよう。そんなほんのちょっとの勇気が、自分の世界を何十倍、何百倍にも広げるきっかけを与えてくれる。

 私自身、NGO活動を通して自分の人生観、価値観が大きく変わった。人との出会いと実体験こそが、人に感動を与え、人に大きな影響を及ぼすと思う。そんな体験をまとめたセネガル スタディーツアー報告書『SOPI(変革)〜民主化を考える〜』を十月に出版した。一人でも多くの方に読んでいただき、少しでもセネガルという西アフリカの国を通して、NGO活動に興味を持っていただけたら、幸いである(問い合わせは600h0497@mn.waseda.ac.jpまで)。

(工研修士1年 村山 恵理)


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第915号 Nov.2,2000

■フリートーク「寮の面接を受けて」

 私は二十八歳の新入生である。今まで勉強は自分でやるものと心に決め、アルバイトをしながらしたい勉強をしてきた。親元なら一日五、六時間は読書ができる。だが所詮独学は独学だ。もっと体系だった学問をしたい、その思いを信頼してこの春大学を目指した。

 悩んだのはお金のことだ。僅かな年金で糊口を凌ぐ一家にとって、息子を東京の私学に入れるのは易しい事ではない。齧るべき脛は疾うに痩せこけてしまっている。

 それでも希望はあった。ご存知の通り本学には寮生の自治で運営されている田無寮と東伏見寮という二つの学生寮がある。今年からは女子寮もできた。勉学を志す地方出身者のための暖かい配慮だ。私は早速願書を取り寄せ、事情を書き綴った。親の援助に頼れないこと、アルバイトに明け暮れては大学にくる意味もないので寮生活で生活費を圧縮したいこと、何よりも勉強の時間が必要なこと、云々。そして面接のため無理を言って仕事を休ませてもらい、九州から上京した。

 面接者は全員寮の学生であった。正面に陣取る寮長が最初にした質問は、「寮ではしばしば飲み会が催され新入生は大量の酒を飲むことを強要されますがあなたはできますか」というものだった。私は呆れた。私はアルコールがだめだ。体質なのだ。仏外人部隊にいた時も、上官に強いられようが飲んだことはない。「いいえ」。重い沈黙が場を支配する。面接者の反感をかったことがよくわかる。これで俺は面接に落ちるのか? この子たちにとってのいい寮生を選ぶ基準がこれなのか?

 別の面接者から、勉強は大学でなくてもできるじゃないかと言われた時、もう甘い考えは捨てた。

 陰鬱な心持で控え室に戻ると東伏見寮の面接心得が目に入る。

 一、一発芸をやること

 一、その他面接者のリクエストには何でも答えること

 これ以上時間を無駄にはできぬ。せめて下宿ぐらい見つけて帰らねば何のための飛行機代だか。帰りの飛行機の時間を確かめると、東伏見寮の面接は辞退して私は夕闇せまる早稲田界隈に飛び出した。

(政経1年 片山 修)


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第914号 Oct.26,2000

■フリートーク「語られなかった言葉」

 かつて私は二週間に一度、決まって土曜日の夜に電話した。話すことはたくさんあった。用意したメモには二週間分の出来事が並んでいた。電話をする夜は二週間にたった一度の安心して眠れる夜でもあった。しかしそれが数カ月も続いたこと、逆に電話をすることで不安が生まれ、眠りを妨げるようになった。

 点と点を結ぶ直線は何も隠すところがない。私はずっとそう信じてきた。しかし確実に不安は生まれていた。私は不安がどこで生まれるのかを確かめたかった。

 私は二週間の出来事を正確に言葉で表現し、受話器からは聞きなれた声で返事が返ってくる。初めのうちは、彼女の慣れない土地での不安が、逆に私に自分が必要とされていることを感じさせ、実は彼女を励ましながら内心満足していた。

 しかし、徐々に彼女の口から向こうでの出来事が語られる。そこには私の知らない単語が混ざるようになり、私の知らない人、私の知らない土地、私の知らない生活それ自体であった。受話器の向こう側が元気を取り戻していくにつれて、自分のことを必要としなくなっていくような予感がとりとめのない不安を呼び、募る不安は予感にさらなる彩りを加え、現実味が満ち溢れてくる。そうした本心が電話での不自然な「間」になって現れるようになり、不自然さが極致にまでのぼりつめたとき、何故か自分の方からよそよそしくするという、ぎりぎりの平静さで彼女に接することで切なる思いを伝えようとしている。そんな自分に気づいた。

 言葉によって語られるのはその人が選び出した一部の側面に限られている。選び出された側面の向こう側にある選び出されなかった側面、そして何故それが選び出されなかったのか、そこに私の不安が生まれたのかもしれない。

                           (商3年 持田 英裕)


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第913号 Oct.19,2000

■フリートーク「早稲田大学の矛盾

 私は、十月五日発行の早稲田ウィークリー紙上における紙屋学生部長の投稿(ちょっと違うよ! 「わせだまつり」)を読み、思う所があったので今回ペンを執りました。

 早稲田大学は最近、ベンチャー企業育成を目指した事業の展開を大いに進めています。ベンチャー企業を育成したいという考えのもとには、学生や若者の「何かやりたい」という情熱、熱意を決して削ぎたくないという大学側の理念が入っていることは、確かだと私は信じております。しかし、今回の「わせだまつり」をめぐる大学側の対応は、果たしてどうだったのでしょうか。早稲田祭をやりたいという学生の声を「したくスタッフ」の献身的な努力により行動に移し、一万人を超える学生の署名を集めたという事実。この学生側の熱意を今回大学側は全く反故にしてしまったと私は思っています。また、屋外エリアの使用禁止という措置についても一言あります。早稲田大学は、地域に開かれた大学ではなかったのでしょうか。

 最近、早稲田大学は大学側主導の路線をひた走り、学生を声なき一構成要素としてのみ位置づけているような気がします。つまり、大学側と学生側は大きく乖離しているのです。私は、大学とは、学生の熱意を吸収し、失敗を恐れず立ち向かう人々を支援していくものだと強く信じています。よって、今後、大学側がどのような措置を学生に対して取っていくのか、非常に関心を持って私は見つめています。今回「したくスタッフ」の起こした全学的なムーブメント、それに大学側がどう答えるのか。私は、これを早稲田大学再生への一転機だと思っています。ぜひとも「わせだまつり」について大学側に今一度再考してもらい良識ある回答が得られることを待っています。付け加えて、四年生にはもう時間がないということも忘れられぬよう。

(商4年 K.M.)


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第910号 Sep.28,2000

■書評「『枕草子』を読んで」

 受験勉強の意味もあって、去年幾つかの古典を通読した。なかんずく枕草子は印象深い作品であった。よく知られたようにこれは皇后定子に仕えた清少納言の作である。「をかし」の美学に支えられた随筆として名高いが、私は日記的章段の華やかさの陰に隠れた切なさが好きだ。私を捕らえるのは自分たちが生きた証を残したいという清女の想いである。

 定子は、時の関白藤原道隆の娘である。道隆の威権は弟道長に勝って、他にも並ぶ者がなかった。皇后は才知に美貌を兼ね天皇の寵愛にも恵まれたが、父の死後政敵道長とその娘中宮彰子のため兄伊周と共に零落の憂き目を見る。道長と彰子は言わば歴史の勝者であり伊周定子兄妹は敗者である。歴史は常に勝者のものだ。敗者は勝者を称えるため引き合いに出されるのみ。才女を以って任じた清女は道隆一門の華やかなりし時代が忘れられてゆくのに耐えられず筆を執る。彼女は、道隆の朝野を圧する権勢を語り、伊周の雅やかな男振りを語り、定子の美しさ、才知、天皇からの寵愛について清女自身酔うように語る。自らの才覚を語ることは子供っぽい自慢癖とされがちだがサロンのスポークスマンとしての彼女の功績とその主たる皇后の名誉とを清女が同一視していたのだと考えたい。

 人間はある意味でみな運命に対する惨めな敗者である。しかし同時に永遠を希求するものでもある。それこそが詩人に歌を歌わせ、女に子供を産ませ、英雄に死に場所を与える、人間の営み全ての根源である。我々は死の中に生き残ることでしか運命に抵抗し得ない。

 皇后定子が二十四年の短い生涯を閉じて間もなく清少納言は宮仕えを辞している。その晩年について歴史は多くを語らない。しかし彼女が運命に抵抗した証が千年の時を超えて現代に生きる我々の胸を熱く打つ。

(政経1年 合垣 綜簡)


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第909号 Sep.21,2000

■フリートーク「早稲田祭中止に寄せて」

 早稲田祭中止の決定がなされた。その時の心中は「ああ、やっぱりな」というものだった。淡い期待があったのも確かだが、他方、中止になるだろうなという、ある意味、諦めの方が強かったからだ。このままいくと、来年もきっとないだろう。学生たちの間の熱気も冷めていくに違いない。なぜなら自分は三年生である。「早稲田祭を知らない子供たち」なのだ。来年、最高学年になる我々は、サークルにしろゼミにしろあらゆる団体の幹部になる人間が多いだろう。しかし、早稲田祭を経験したことのない人間が集まって「早稲田祭の復活を!」といくら声高く叫んだところで、後輩に「早稲田祭って面白いんですか?」って聞かれたらどうしよう。だって経験がないんだもの。

 大学側は、いくつかの理由を挙げて早稲田祭の中止を「やむをえないもの」として遺憾に感じている文面を掲げているが、我々学生側から見れば、「やる気がない」ようにしか見えない。やりたくないなら廃止にすればいいのだ。だが、今の大学側にはそのような度胸はないだろう。あたかも東大安田講堂を始めとする六〇年代安保闘争の発端の一つに、大学の教授たちの、保身に走るあまりの消極的な大学自治があることをお忘れではないだろうか。もちろん、今の大学生に安保闘争のような団結力まではないだろうが、しかしながら今年度の「早稲田祭したくスタッフ」を先導とする学生の活動ぶりは、中止四年目を迎えた今年が一番活発ではなかっただろうかと感じている。

 早稲田大学は、何もしない学生にはつまらない大学だが、何かをしようとしている学生には遠慮なく手を差し伸べてくれる大学だといわれています。学生たちが何かをしようとしている力を、ある一部の不良学生たちのためにスポイルすることはあまりにも残酷ではないだろうか。四年間「中止」という決定を出し続けてきたが、そろそろ「中止」に替わる痛快な決定をくだしてもらいたいものだ。

(人科3年 T・H)


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