ファン・アントニオ・バヨナ監督「永遠のこどもたち」(C)Rodar y Rodar Cine y Televisión, S.L / Telecinco Cinema, S.A., 2006「永遠のこどもたち」(C)Rodar y Rodar Cine y Televisión, S.L / Telecinco Cinema, S.A., 2006
神隠しにあったように、子が失跡してしまった母親の悲しみを描いた「永遠のこどもたち」が12月20日、東京・シネカノン有楽町1丁目など、各地で順次公開される。怪奇の館に亡霊が現れるゴシックホラーの形を借りた物語だが、恐怖ではなく、喪失感に沈む心の機微を丁寧に映した佳品だ。(アサヒ・コム編集部)
■悲しみの「真実」描く
「世界中で膨大なホラー映画が作られてきたので、独創的な脚本を見つけるのは至難の業。この映画の脚本を見せられた時、恐怖の中に、悲しみの真実が描かれていると感じた」とファン・アントニオ・バヨナ監督は語る。
1児の母ラウラ(ベレン・ルエダ)は、自らが育った海辺の孤児院を買い取って、夫と7歳の養子シモンの3人で暮らす。その広大な自宅を、ラウラは障害のある子どもたちの施設にしようと計画する。過去の後ろめたい気持ちを奥底に秘めながら。
ある日、シモンが行方不明に。パニックを起こすラウラはふと、最近、シモンの素性をよく知る怪しげな老女が訪ねてきたことに思い当たる。ラウラが孤児院にいた幼時、友達みなで1人の子をいじめた。当時の写真を見ると、そこにはある女性が写っていた……。シモンは、姿の見えない「友達」と会話していた。降霊術師は、家の中に子供たちの亡霊が見え、叫び声が聞こえるという。失跡前、ゲーム好きのシモンが家の随所に隠した暗号を解いていくと、ラウラが抑圧していた過去の記憶の証しが倉庫に眠っていた。
「ある大事なものを失い、探しても、もう決して出会えない悲しみから正気を失い、前進や成長を止めるだけでなく、退行さえしてしまう人間の姿を映した」と監督は言う。その姿を好演したルエダは、尊厳死を正面から見すえ、04年のベネチア映画祭で審査員特別賞を得た「海を飛ぶ夢」で映画デビューし、注目を浴びた実力派。監督は、地元スペイン・バルセロナで、近親者らの悲しみに沈む人々のセラピーを行う「グリービング(悲しみ)・グループ」も取材した。そこで見聞きし、触れた喪失感や思いを演出に生かした。
■暗黒の雰囲気を加味
霊的な存在や死後の世界は信じていないという。だが、脚本家がカトリック信者で「見えない存在」を信じていた。「違う完成の持ち主による共同作業だったので、恐怖一色にならずに、情感をにじませることができたのだろう」
元孤児院という映画の舞台は、スペイン北端の町に残されていた19世紀後半の邸宅を使ったこともあり、ロバート・ワイズ監督の古典的名作「たたり」や、ニコール・キッドマン主演「アザーズ」のようなゴシックホラーの流れを引くように映る。ブルース・ウィリス主演「シックス・センス」に見られた切なさ、悲しみも織り込まれた。そこに、デルトロの暗黒の雰囲気が加わる。
「頭の中は『たたり』や、ヘンリー・ジェイムズの小説『ねじの回転』でイメージでいっぱいだった」と振り返る。「ゴシック文学的な物語が好きだ。抑圧された心がホラーという道具を使って見事に描かれている。その流れをよみがえらせたい」
敬愛するデルトロが、この映画を見て語ったと。「お前はオレを泣かせたよ」。その言葉は、どんな賛辞よりも宝物だという。
昨年のカンヌ映画祭批評家週間でのプレミア上映後、観客総立ちの拍手が続いたという。「ホラー映画に大歓声なんて、変な気分だった」と言う。だが、この映画にはホラー映画という冠詞はつくが、その描く世界は、もっと広く、深い。