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【コラム】音楽会で目の当たりにした秩序と無秩序(下)

 音楽会で息を殺しながらおとなしい市民を演じる彼らと、会場の外で肩をいからせながら写真を撮影し、菓子をむさぼる無礼な群衆は言うまでもなく同一人物だ。しかし実際に公演が終わると会場で音楽に親しんでいた文化市民は蜃気楼のように消え去り、有名人の写真撮影と無料の菓子に目を奪われる、まさに秩序には関心のない別の文化市民だけがその場に残ったかのように感じた。通りで、地下鉄で、飲食店で、韓国社会の至るところで見られる無秩序と好戦的な無礼さが、またも再現されてしまったのだ。

 ドイツの社会学者ノルベルト・エリアスは1939年、『文明化の過程』を発表した。この本で彼は封建制度が解体し、近代国家が形成される社会発展段階で個人が「文明化」される過程を追跡した。私的な暴力が国家の公的な暴力として生まれ変わり、個人は欲望と本能を統制して羞恥心のレベルを高め、教養と礼儀を身につけてお互いの共存と平和を構築する、というのが彼の説明だ。

 エリアスの見方を借りれば、この日の公演会場の内外では「文明と野蛮」が明確に分けられていた。会場に入った瞬間、多くの群衆が落ち着いて節制のある話し方や態度を駆使する方法、さらには他人の言うことに耳を傾ける文明化された態度を学び、またそれを実践していた。

 ところが客席の「ソウル市民教養楽団」とも呼ばれるべき市民意識は、演奏会場という非常に限定され、制限された時間は維持されていたが、しばらくすると突如として消え去り、同時に無秩序へと舞い戻ってしまった。これこそが韓国社会の実情であり、限界だ。

 この日公演を行ったソウル市立交響楽団の演奏に目を向ければ、わずか3年の間に輝かしい発展を成し遂げたのは間違いない。2005年に法人化され、その後は世界的な指揮者と斬新な経営者を招き入れ、経営の革新と音楽の刷新の双方を実行に移した。ならばその一方で、ソウル市民教養楽団の「教養」に関しては、どうすればこのような発展が可能になるのだろうか。

姜京希(カン・ギョンヒ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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