林訴訟最高裁判決に対する弁護団声明
2001.02.13 林訴訟弁護団
(1) 日雇労働者林勝義さん(当時55歳)は、戦後最大の不況の影響を受け、中高年を取り巻く雇用状況が厳しい中、両足に障害を持つというハンディを背負いながら、求職しても仕事が見つからず野宿を強いられていたため、藁をもすがる思いで名古屋市社会福祉事務所へ1993年7月に4度も赴いた。
しかし、「軽作業ならできる」との医療判断のみで生活保護が認められず、林さんはそのまま野宿を強いられた。
林さんは、この処分を違法として、審査請求および再審査請求を経て、1994年5月、名古屋市および社会福祉事務所を相手取って提訴した。しかし、一昨年10月22日、志半ばで林さんは亡くなり、藤井克彦さんがその遺志を承継し現在に至った。
(2) 従来から、名古屋市は、「住所不定者」への生活保護の適用については、医師の診断の結果「就労可能」とされた者に対しては、一律に1日のみ医療扶助単給とする差別的取扱いを行ってきた。
林さんの場合も同じ取扱いがされたのであって、担当者は「就労能力があるというふうに判断したので保護の要件がない」として、林さんに所持金も宿所もないことを認識しながら、生活保護法上判断すべきとされる就労可能性などの要素を一切考慮しないまま、生活保護決定をしなかった。
仮に就労能力があったとしても、現実に働くことのできる職場が無ければ生活保護を受ける必要があるのは当然のことである。生活保護法がセーフティー・ネット(安全網)であるという所以もまさにここにあるのである。にもかかわらず、林さんに対して生活保護決定をなさなかった名古屋市の判断は明らかに違法である。
この極めて当たり前のことを確認するように、名古屋地方裁判所は、1996年10月30日、林さんの主張を正当なものであると認め、名古屋市(中村区社会福祉事務所)の処分を取り消す原告勝訴の判決を言い渡した。しかし、名古屋高等裁判所は事実に基づかず、しかも現実には林さんの就職に結びつく可能性がほとんどない求人情報を根拠に不合理な推測で原判決を破棄し、林さんの正当な主張を退けたのである。そして、この度最高裁判所が言い渡した判決は、名古屋高等裁判所の判断をそのまま是認したものであり、極めて不当である。
(3) 一方、この間の林訴訟とそれを支える運動の広がりは、行政をして、野宿労働者に対する生活保護の運用を改めざるを得なくしている。厚生省は「(稼働能力を有する要保護者について)稼働能力を活用するための努力をしていることが認められるのであれば、もとより保護の要件を欠くわけではない」「ホームレスなどに対する生活保護の適用の要件は、一般と異なるところはない」(2000年3月3日社会・援護局保護課)としている。また、「保護の実施機関は被保護者の労働能力の活用に向けた助言指導を行わなければならない。就労の機会の確保を図るよう積極的に取り組まれたい」としている。
この内容は、林さんに対して名古屋市のなした処置を明らかに否定するものであり、生活保護法の趣旨からいって当然のことを認めたにすぎないが、この当然のことさえ頑なに認めてこなかった生活保護の現場を振り返れば、上記のような行政の対応の変化は林訴訟とそれを支える運動が勝ち取った大きな成果である。
(4) にもかかわらず、この間の7年以上にわたる闘いによる行政の対応の変化にも棹を差し、長引く不況の中で野宿者が急増し、多くの国民の生存権が侵害されている状況からも目を背け、過去の違法な行政行為を追認した今回の最高裁判決は、弱者切り捨ての論理に立つものとしか言いようがない。
林訴訟が提起した問題は一人林さんに留まる問題ではない。
憲法25条の適用をめぐってなされた本件上告に対して、「原審の判断を正当として是認する」とする今回の判決は、最高裁が憲法の番人たる役割を捨て去り、法の支配の担い手であることすら放棄するものである。主権者本位の司法改革が叫ばれる中で、最高裁がこのような主権者不在の判決を言い渡したことは極めて重大である。
また、最高裁が、生活保護決定の違法性について、「一身専属の権利である」ということだけで本件上告を門前払いしている点は、朝日訴訟以来問題とされてきた生活保護裁判に対する最高裁の逃げの姿勢を改めてさらけ出したものである。朝日訴訟以来、最高裁判決まで生き永らえた上告人がいない中、果たして最高裁は、憲法の番人として生活保護の精神を守り、急迫した人々の生活を救えるというのであろうか。これは、折からの司法制度改革審議会において志向されている、わが国社会での法の支配の強化、とりわけ行政に対する司法のチェック機能の実質化にも反するものである。
私達はこの不当な判決に怯むことなく、真に一人一人の最低限の生活が保障される社会を目指して今後も闘い続けることを改めて決意する。
以上