東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

週のはじめに考える 昭和恐慌に学ぶ

2009年1月11日

 景気は循環するとはいえ、今回の不況は戦前の昭和恐慌に似て谷が深く、回復に時間を要しそうです。いま昭和恐慌から学ぶことは何でしょうか。

 銀行の取りつけ騒ぎから金融恐慌に発展した一九二七(昭和二)年、作家・芥川龍之介は「将来に対するぼんやりした不安」という言葉を残して自殺しました。彼の胸中は謎ですが、当時、日本人の多くが感じていた「ぼんやりした不安」は、その二年後、世界大恐慌で現実化したのです。戦前の内務省失業統計によると二九年には三十八万人近くが失業したとありますが、実際には百万人以上が職を失ったとみられています。

 ◆不況で高まる自殺率

 不況と自殺率は相関性が高く、昭和恐慌では自殺者が急増、三〇年は約一万四千人にのぼりました(戦後も同様で高度成長が本格化するまでの五〇年代は十万人当たり二十五人前後と世界一の自殺率を記録。バブル崩壊後ここ十年も同二十五人前後、実数で年三万人超の自殺者を出しています)。

 大学卒の就職率が40%を切り、「大学は出たけれど」(小津安二郎監督の映画)やルンペン(ドイツ語で「ぼろ」)が流行語になったのも昭和恐慌の時代でした。メーカーは製品を作っても売れず、輸出も減少、株は暴落、合理化、企業倒産、失業といった負の連鎖が止まりません。

 そこからどうやって脱出するのか−緊縮財政をとった井上準之助蔵相(浜口雄幸内閣)と積極財政の高橋是清蔵相(犬養毅内閣)では経済政策が百八十度違い、国民も戸惑いましたが、結果的には高橋財政のリフレーション政策(ソフトなインフレ政策)で脱出への糸口をつかんだのでした。だが、そこに至るには大きな犠牲を伴いました。血盟団事件、五・一五事件など流血テロが頻発し、前記の政治家たちや団琢磨らが次々に命を落としました。

 ◆現代社会の矛盾正せ

 政党政治の危機、ファシズムの台頭、国際社会での孤立化などを代償に、金融恐慌の開始から四、五年を要して景気は、満州事変の軍需景気も手伝ってようやく好転の兆しを見せたのです。

 なんだ究極の景気回復策は戦争か、と思われては困ります。昭和恐慌のころ経済誌の社説を書いていた石橋湛山は、井上蔵相の金輸出解禁政策に反対した一人でしたが、高橋蔵相のもとで金の輸出再禁止に踏み切ったときは「もう遅かった」と後年述懐しています。「昭和四年以来の不景気で、国民が陥った深刻な生活難は、国家革新を叫ぶ青年将校と右翼団体の勢力を伸ばす良い基盤となった」とし「戦後の日本も、また同様の誤りを繰り返しはしないか」と警告しました(「湛山回想」)。

 現在の日本が、いきなりファシズムや戦争への道を歩むことはありますまい。だが不況が深刻で長期化すれば国民の政治不信と政治家・財界人への反発が爆発して予想外の「異変」を招く可能性は、戦前同様にあるとみておくべきでしょう。民主社会に強い衝撃を与えるに違いない「異変」の芽を摘むためにも、いま直面している矛盾の構造を正す政策を立案・推進することが急務です。

 貧富の格差拡大、地方・農村部の疲弊などは昭和恐慌当時もあった矛盾ですが、現代日本に特有の矛盾も生まれています。たとえば少子高齢化で生産人口が急激に減少し、外国人労働力の導入論議まであるほどマクロでは働き手不足なのに、今回の景気悪化では八万五千人の派遣切りや、内定取り消しが出るという矛盾。また急速な高齢化で介護や福祉関係の需要は増大しているのに、その分野で働く人たちの報酬は低水準に抑えられ人手も足りないといった矛盾。さらには財政再建自治体(歳入に対する借金返済割合が35%以上)の基準でいえば長野県王滝村や北海道夕張市より悪い破産状態の日本国なのに性格があいまいな定額給付金に二兆円の税金が使われる矛盾などなど。

 千五百兆円の個人金融資産を抱えながら、先行き不安から大半が高齢世代のタンス預金になり、欧米並みの企業投資に活用されていないという問題もあります。

 厳しい経済情勢だけに、政治の基本は「成長政策」と「公平・公正な分配」であるべきです。民間産業を元気づけ、パイの拡大を図る一方、国のありさまに関する設計図を早期の総選挙において国民に問いかけるべきでしょう。国民のニーズと現実政治がミスマッチ、擦れ違っているのが今日の大きな問題です。

 ◆求む「大きな政治家」

 小泉構造改革で小さい政府になり過ぎたという学者もいます。しかし不況だから大きな政府を、というのは短絡した議論でしょう。いま必要なのは大きな政府ではなくて、大きな政治家です。

 

この記事を印刷する