(物語) 桜の季節のウエディング〜余命一ヶ月の花嫁〜

今年の春、桜が舞い散る東京の表参道である一組のカップルが結婚式を挙げました。その結婚式は2つだけ普通の結婚式と違っていました。

ひとつは、その結婚式が本物の結婚式ではなかったこと。
もうひとつは、花嫁の命があと一ヶ月と宣告されていたことでした。

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第1楽章 crescend

crescend(クレッシェンド) : だんだん強く

2005年秋。千葉県幕張にある展示会会場「幕張メッセ」で、来場者に笑顔を振りまくイベントコンパニオンがいた。彼女の名前は長島千恵さん。夢は将来独立し、カラーコーディネーターになること。そのためにアルバイトで資金を貯めていた。出身は神奈川県三浦市。高校卒業後、東京で一人暮らしをしていた。コンパニオン事務所の責任者だった江川陽子さんは千恵さんのことをよく覚えている。千恵さんは、強気な子が多い中、その後ろでちょこんと座って笑っているような礼儀正しい人だった。

2005年12月。千恵さんは、「i エキスポ」というソフトウエアのイベントのコンパニオンに採用された。企業側の担当だったのが赤須太郎さん。太郎さんは千恵さんを見て一目惚れをしたという。だが内気な太郎さんはありきたりの挨拶しかできなかった。3日間のイベントは終わり、打ち上げが行われた。太郎さんの上司は、千恵さんになかなか話しかけられない太郎さんを見るに見かね、太郎さんの手を引っ張って千恵さんに紹介した。その時二人は連絡先を交換し、その後二人はメールでやりとりした。二人の仲は、急速に近づいていった。

第2楽章 Allegro Moderato

Allegro Moderato(アレグロモデラート) : 穏やかに速く

太郎さんと出会う前の10月、千恵さんは左の胸に違和感を感じていた。小さなしこりは、どんどん大きくなっていく。千恵さんは滅多に電話しない父の貞士さんに連絡を取った。貞士さんは話を聞くとすぐに病院へ行くことを薦めた。翌日、父に付き添われて、千恵さんは総合病院で検査を受けた。結果は深刻だった。「完全にがんです。早く手術をすることをお勧めします」。

2006年1月。千恵さんと太郎さんは初めて二人で会った。好きな音楽のこと、高校時代のこと、仕事のこと、そして将来のこと。太郎さんは横浜から東京の晴海埠頭へ車を走らせ、そして千恵さんに告白した。だが千恵さんは戸惑った。「答えは1月末まで待って欲しい」。1月末、再び二人で会った時、千恵さんは涙を流しながら太郎さんに付き合うことはできないと言った。自分が乳がんであること、母も癌で亡くなっていること、そしてもう治らないかもしれないこと、抗がん剤を使用すれば髪の毛が抜け落ちてしまうかもしれないこと。千恵さんはいつも周りの人に気を遣う優しい人だった。だから自分と付き合えば、太郎さんの幸せを壊してしまうかもしれない。そう考えたのだろう。だが太郎さんは毅然とした態度でこう言った。

「全然気にしなくていい。まずは病気を治そう。病気のために楽しい時間を犠牲にしちゃいけないよ」。

二人はそのままスノーボードに行った。二人の物語が穏やかに、しかし速度を増して進んでいく。

スノーボードから戻った千恵さんは、東京・築地の国立がんセンターに向った。精密検査の結果、担当医はまずは抗がん剤を投与してから手術をするという治療方法を提案した。2006年2月。二種類の抗がん剤の投与が始まった。副作用としてまず激しい吐き気が襲ってきた。展示会の花形であるコンパニオンとして働くことは難しくなった。それでも千恵さんは事務員として働き続けた。コンパニオン事務所の責任者である江川さんは、吐き気でトイレに駆け込む千恵さんの姿を何度も目撃していた。次の副作用は脱毛だった。特に髪の毛が抜け落ちることは、男女を問わずとてもつらいことだ。そこで太郎さんはかつらを買うことを提案する。少しでも評判のいいかつらがあると聞けば、福島県の温泉や三重県の松坂まで車を走らせたという。

7月。医師は過酷な選択を千恵さんに迫った。「あとは手術しかありません」。手術とは左乳房を切除することだった。23歳の女性にはあまりにも厳しい選択。しかし二人はその選択を受け入れた。完治することを信じて。

第3楽章 Da Carpo

Da Carpo (ダ・カーポ) : 最初に戻って

千恵さんは2006年8月1日、日本最大のソーシャルネットワークソサエティ(SNS)、mixiの日記にこう書いている。

「9月からリニューアル。何度も何度も折れそうになったけど 辛い事と同じ分だけあったかいものももらった。 もしかしたらこれからもっと辛い事があるかもしれない。 でもそれをカバーしてくれるほどの幸せも感じることができるんだな。

それってすごいこと、とってもありがたいこと。 一生をかけて感謝します。まわりの人を大切にします。 私もみんなを幸せにできるようがんばります。 」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=188570715&owner_id=1626245


2006年10月26日。全ての治療が完了した。すべてが再スタート。ほどなく千恵さんはシステムエンジ二アの道を歩むことを決意する。インターネットとメールくらいしかできなかった千恵さんは、朝から深夜まで必死に勉強し、研修に励んだ。ほとんどの研修生が脱落していく中で無事カリキュラムを終了、2007年2月1日、ある企業のシステムエンジニアとして正式に採用された。

第4楽章 decrescend

decrescend(デクレッシェンド) : だんだん弱く

千恵さんの友人、湯野川桃子さんはこの頃の千恵さんの咳こむ姿を覚えている。咳は次第に増していった。3月5日、咳の原因が普通の風邪ではないことを悟った千恵さんは、近くの病院で診察を受けた。すると、医師は「早く主治医の元へ行ってください」と強い口調で言った。3月6日、千恵さんは国立がんセンター中央病院で精密検査を受ける。検査の結果、胸膜への転移が確認された。

千恵さんの病状はみるみる悪化、千恵さんは希望を失ってしまった。太郎さんに激しい口調で本音をぶつけることもあったという。そして癌は胸骨、肺へも転移していった。3月30日。家族は医師に呼ばれ、こう告げられる。「今後は週単位で考えてください」。週単位、それは千恵さんの命が、あと一ヶ月しかもたないことを意味していた。

この頃、千恵さんは桃子さんに2つの願いを伝えていた。一つは年齢の若い自分の乳がんの闘病について、色々な人に知って欲しいというものだった。桃子さんは友人のツテをたどり、東京放送(TBS)の記者を紹介してもらえることになった。4月3日の夜、TBSの樫元記者から連絡が入った。桃子さんはこれまでのいきさつを話し、できればすぐに取材してもらえないかと頼んだ。樫元記者は翌日に伺います、と言って電話を切った。インタービューは翌日に行われた。決められた時間は30分。樫元記者は千恵さんの優しい雰囲気のとりこになったという。そして桃子さんから驚くべき秘密の計画を打ち明けられる。それは明日、本人には内緒で二人の結婚式を開くというものだった。

第5楽章 fortissimo

fortissimo (フォルテッシモ) : とても強く

千恵さんのもう一つの願い。それはウェディングドレスを着ることだった。ただし彼女は結婚式は固く拒否した。それはもう自分がこの世にいなくなってしまった後の、太郎さんの結婚相手へ配慮したものだった。だが、桃子さんは決意をする。最高の思い出となるウェディングを決行することを。

2007年3月末。桃子さんはすぐに行動を開始した。時間がない。東京中の結婚式場に電話した。通常、結婚式場の予約は一年前から遅くとも半年前にはしておくものだ。しかし桃子さんの条件は1週間以内。さらに花嫁は末期癌患者。縁起が何よりも大事な結婚式場では、病気を理由に難色を示した式場も多かった。そんな中、一軒だけ快諾してくれた式場があった。しかも式は4月5日でよいという。できる限りのことをさせて頂きます、と優しく応えてくれたのは東京で最も人気のある式場の一つ、表参道にあるセント・グレース大聖堂だった。

4月5日。東京は早かった桜が舞い散っていた。築地から表参道までは車で20分の距離。しかしその距離はとてつもなく遠い道のりだった。車酔いをしてしまう千恵さん。この頃、呼吸困難のために酸素ボンベを使用していた。ボンベがついた車椅子に乗り変え、表参道の街を進んでいく。そして彼女の目に見えてきたのは、真っ青な空に天高くそびえるセント・グレース大聖堂のチャペルだった。

ウェディングドレスの用意と薬を効かせるために、1時間ほど時間が取られた。準備を整え、純白のドレスをまとった千恵さん。TBSのカメラがその顔を捉える。そして彼女は、酸素ボンベから伸びるチューブを外し、白いタキシードをまとった太郎さんが待つ式場へと向った。祭壇につくと、二人は並んで多くの記念写真を撮った。千恵さんは満面の笑みを浮かべていた。記念撮影が終わった後、太郎さんは千恵さんにこれから結婚式をするよ、と伝えた。千恵さんは穏やかに笑っていたという。

結婚式が始まった。太郎さんが千恵さんに捧げたリング。それは千恵さんが病院のベットの上で見ていた雑誌に載っていたリングだった。太郎さんは必死に探し回って、ようやく日比谷の帝国ホテルのブライダルショップで買ったものだった。

長い道のりだった。どこにでもいる普通のカップル。そのカップルは運命に翻弄されながらも、その運命に果敢に挑んだ。春風が、桜の花びらを誘って優しく吹き抜ける。結婚式に参加した全員が、二人を心から祝福していた。涙と笑顔が溢れるウェディングだった。

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悪夢の米同時多発テロ事件。その追悼式で詠まれ、世界中へチェーンメールとして配信された一遍の詩があります。

"Tomorrow Never Comes"  Norma Cornett Marek

"So just in case tomorrow never comes,
And today is all I get,
I'd like to say how much I love you,
And I hope we never will forget.
Tomorrow is not promised to anyone,
Young or old alike,
And today may be the last chance
You get to hold your loved one tight.
So if you're waiting for tomorrow,
Why not do it today?
For if tomorrow never comes,
You'll surely regret the day.
That you didn't take that extra time
For a smile, a hug, or a kiss,
And you were too busy to grant someone,
What turned out to be their one last wish.
So hold your loved ones close today,
And whisper in their ear,
That you love them very much, and
You'll always hold them dear.
Take time to say "I'm sorry,"
"Please forgive me," "thank you" or "it's okay".
And if tomorrow never comes,
You'll have no regrets about today

明日が来ないとしたら

もし明日が来ることなく
今日という日が私の全てなら
私はどんなにあなたを愛しているかを伝えたい
そしてそれを忘れないようにしたい
明日は誰にも約束されたものではない
若い人にも 年老いた人達にも
今日という日が 
愛している人を強く抱きしめることができる最後なのかもしれない
もしあなたが明日を待っているならば
なぜそれを今日やってしまわないのか
もし明日がやって来ないとするならば
きっとあなたは後悔するだろう
微笑み 抱き合い キスする時間を取らなかった事を
その人が最後に望んだことに対して
忙しさを理由に時間を取らなかったことを
だから今日 
愛している人を強く抱きしめ 耳元で囁こう
どれほどあなたを愛しているのかを
そして 
それをいつも想っていることを
「ごめんなさい」「許して」「ありがとう」「気にしないで」
そんな言葉をささやく時間を持とう
そうすれば もし明日がやって来なくとも
後悔することはないだろう
(一部略)

COPYRIGHT 2007 NORMA CORNET MAREK  ALL RIGHTS RESERVED
http://www.heartwhispers.net/poetry/00040.html
http://www.mamarocks.com/if_tomorrow_never_comes.htm

その人の最後が分かっていても分からなくても、明日に後悔することがないよう、「今」を大切にしなければならないことに変わりはないだろう。

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結婚式の後、千恵さんの病状はさらに悪化していった。だがゴールデンウイークは特に体調がよかったという。千恵さんを見舞う多くの仲間が訪れた。

その日、午後になって東京の街を雨が洗った。みんなの涙を表していたのかもしれない。

2007年5月7日午後4時42分。雨の中を、長島千恵さんは天国へと旅立っていった。


最終楽章 spiritoso

spiritoso(スピリトローソ): 魂をこめて

人生は楽譜と同じだという人がいる。滑らかな旋律、激しく強いパート、だんだん強く、だだん弱く。確かにそうかもしれない。旋律は人間の感情と同じかもしれない。千恵さんと太郎さんと仲間の皆さんが奏でた協奏曲の最終パート。旋律がデクレッシェンドしていく中で、私は強くはかないフォルテッシモを聞いた気がする。その響きは、どこまでも優しかった。

TBSの夕方の報道番組「イブニングファイブ」が長島千恵さんの特集をしたのは2007年5月のことだ。特集「24歳の末期がん」として放送され、視聴者の大反響を呼んで同番組史上初の特別番組が編まれた。私が見たのはその特集番組、7月18日放送の「余命一ヶ月の花嫁〜〜乳がんと闘った24歳最後のメッセージ」だった。この番組で俳優の藤原竜也さんがナレーションを担当した。藤原さんは「重い作品ですが、千恵さんのメッセージを伝えなければいけないと思いました」と語っている。
http://blog.television.co.jp/entertainment/news/2007/07/post_213.html

4月にTBSの樫元記者のインタビューを受けたとき、千恵さんは取材を受けた理由をこう語っている。

「本当に自分が病気になってからじゃないと健康であることのありがたみが分からない部分が大きいのだと思います。本当に病気になってからじゃ遅いんだっていうのをわかってもらって。早いうちに防ぐことが大事だと思うので。特に若い人は進行も早いし、再発の可能性も高いし。特に若い人ほど自分の健康管理にはちゃんとして欲しいと思います」 (「余命一ヶ月の花嫁」p106)

同番組が書籍化された。発売間もない頃、東京中を歩き回ってようやく購入したこの本の表紙には、美しい千恵さんのウエデイングドレス姿が写っている。そして多くの人々の心に届いた、mixiの日記に書かれたメッセージが帯に巻かれている。

「みなさんに明日が来ることは奇跡です。
それを知ってるだけで、日常は幸せなことだらけで溢れてます」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=400460343&owner_id=1626245


長島千恵さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


東京放送(TBS)系「余命1ヶ月の花嫁」〜乳がんと闘った24歳最後のメッセージ〜」
http://www.tbs.co.jp/program/cancersp_20070718.html

(参考文献) TBSイブニングファイブ編 「余命一ヶ月の花嫁」
http://ishop.tbs.co.jp/ec/tbs/product/orgprg.jsp?cid=cat13323


日本乳がん ピンクリボン運動
http://www.j-posh.com/

国立がんセンター
http://ganjoho.ncc.go.jp/

セント・グレース大聖堂
http://ayw.jp/

"Tomorrow Never Comes"
http://www.heartwhispers.net/poetry/00069.html

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