講道館杯全日本体重別選手権 男子100キ 超級決勝 優勝した井上はメダルとカップを手に感無量の表情=06年11月19日(撮影・浅見桂子)
1月上旬の台湾合宿出発前の成田空港には、鈴木桂治(平成管財)とふざけ合う井上康生(28=綜合警備保障)の姿があった。「元日には、今年は一年、出る試合は勝てるように、日本一、世界一に返り咲けるようにとお願いしました」。そこには恐怖心におののく姿はなかった。
2カ月前に大男は、らしくない言葉をこぼした。「ここでつまずいたら何が残るんだろうと思った…」。約1年10カ月ぶりの個人戦となった昨年11月中旬の講道館杯、場所は千葉ポートアリーナ。井上は優勝を決めた直後、胸中にあった恐怖心を素直に言葉にした。勝利への重圧は嫌なほど経験しているエリートが、「敗北」の恐怖を強烈に感じた瞬間だった。
「あの時、康生は今までにないほど緊張していた。五輪の時とは別ものでした」。二人三脚で復帰までの道を歩んできた父明さん(60)は、しみじみと振り返った。05年1月の嘉納杯国際大会で負った右大胸筋腱(けん)断裂の重傷からの「完全復活」を求められた一戦。会場では柔道界屈指のスターを常に3台以上のテレビカメラが追い、井上と明さんの一挙手一投足に耳目が集まった。見かねた関係者が、2人の周囲に幕を張ったほどだった。
大相撲の玉ノ井部屋のけいこに参加し若い衆とすり足のけいこをする井上(中央)奥は指導する栃東=07年1月4日(撮影・柳田通斉)
男子日本代表の斉藤仁監督はいう。「講道館杯の時は普段の康生と様子が違った。怖さがあったんだろう。すぐに分かったよ。でも恐怖を乗り越えたことが北京五輪へ向けて必ずプラスになる」と断言した。シドニー五輪100キロ級金メダルなど華やかな経歴を持つが、アテネ五輪で敗戦。その後は故障や兄将明さん(享年32)の急死など、苦しい時間を過ごしてきた。「それでもやれると思って前を向いてやってこれた」。崩れそうな自信をつなぎ止めたのは、自分を信じるという心だった。その心は恐怖心を乗り越えたことでさらに強くなった。
100キロ超級に階級を上げ、北京五輪では2個目の金メダルを目指す。金メダルへの期待に加え、柔道界のリーダーとしての責任を背負わなければいけないが、たくましくなった「心」を持つ修羅なら、必ずやその重責をまっとうするはずだ。【菅家大輔】
- 菅家 大輔かんけ・だいすけ
- 06年2月に日刊スポーツに入社し、アマチュアスポーツ担当に配属。特技は茨城弁。175センチ、86キロ。
※本連載は毎週木曜日更新予定です