茨城県が救世主だった
グループホームのほか小規模多機能型居宅介護や認知症デイサービスなど6種類のサービスが「地域密着サービス」として括られた。都道府県から市町村に事業者の指定権限が移るともに、当該市町村の住民しか利用できなくなり、文字通り「地域住民の専用サービス」となった。
一見、「住み慣れた地域で介護を受け続けられる」というケアの理想に近づける試みとして評価されそうだ。ところが、逆に理想とは遠い、利用者を「苦しめる」現実がある。
「被害者」は、茨城県のグループホームへ入居できたはずなのに、できなくなった東京23区の住民である。茨城県内のグループホームの利用者の4人に1人は県外住民で、その多くは東京都民だった。東京からアクセスがいい割に、地価と人件費が低いことから茨城県では「都民向け」グループホームの新設が続いていた。
調査会社のハヤカワプランニングがまとめた要介護認定者100人に対するグループホームの定員数の推移を見ると、茨城県のグループホームの急増ぶりは目を見張るものがある。
介護保険1年目の2000年度末には0.3人で全都道府県中で38位だったが、2年目は0.7人で17位、3年目は1.8人で8位、そして4年目には3.7人となり3位に浮上した。38位から3位に駆け上がったのだから、いかに急激にグループホームが増えたのかが分かる。5年目になっても4.8人と増えて、4位を確保、6年目の2005年度は5.3人で8位と少し下がるが上位であることには変わらない。
なかでも、霞ケ浦の北に位置するかすみがうら市には10カ所、25ユニットのグループホームがあり、定員は225人に達した。同市の人口は約4万5千人で、高齢者数は約9000人。高齢者1000人に対する定員数を見ると24人となる。全国平均は約5人というから、いかに急増したか明白だ。
その225人の定員枠の中で65%は市外の住民という。さらにそのほとんどは東京23区からやってきた。
生活保護の受給者が東京から引っ越し
そして、見逃せないのは利用者のなかに生活保護の受給者が多数いることだ。生活保護者たちが、自ら選んで東京から千葉県をまたいで60キロも先の同市に引っ越してきたわけではない。23区の区役所生活課の専任職員、すなわちケースワーカーがそれぞれ担当する受給者たちを案内し、連れてきたのである。茨城県の事業者の営業が功を奏したともいえる。
なぜこれほど生活保護受給者が多いのか。認知症や脳卒中系の障害を抱える、身寄りのない要介護者は、自宅での一人暮らしがままならない。そこで、ケースワーカーが要介護者を受け入れる特養などにあたっても、どこも満員。同じ区内にはすぐ入居できるところはない。とりわけ要介護1、2の軽度者には、施設のハードルは高い。待機者が列をなす特養が要介護度5、4の重度者から順番に入居させるようになったためだ。では、認知症高齢者向けのグループホームはどうか。
特養よりも絶対数が少なく、とても入居できる状況ではない。例えば渋谷区はたった1カ所、9人の枠しかない。高齢者1000人当たりの定員で東京23区は1.7人である。例えば、広島市と福岡市はそれぞれ7人と6人だから、その差は大きい。地価と人件費が全国一高い地域なのに、事業者が得られる介護報酬はほとんど地域差がないため、施設の建設・運営が難しいのだ。
こうして「介護難民」を抱えて困り果てた23区のケースワーカーがやっと探し出し、たどり着いたのがかすみがうら市をはじめとする茨城県内のグループホームだったというわけだ。
一方、かすみがうら市では、建設候補地にゆとりがあり、利用者が着実に見込まれるなら、事業者の建設意欲は高くなる。しかも、グループホームは、日中、入居者3人に対してスタッフ1人を配置するという介護保険施設の中で最も手厚い介護態勢を採るから、多くの職員が採用されて地元雇用につながる。
入居者が都会の遠隔地からやってきて、戸惑いや不安があるかというと、そうでもなさそうだ。80歳以上の利用者の多くは若いときに田舎で過ごしていたため、日々の生活に違和感はなく、落ち着いて暮らしている。
住民票は都内に残したままの居住
介護コストはどうなのか。
市外の住民が引っ越してきてサービスを利用すれば、かすみがうら市の介護保険料はどんどん上ってしまう。だが、実際の利用者は、住民票を移していない。23区に住民登録を残したままやってきて、かすみがうら市の介護サービスを使っているのだ。
「生活している地域の自治体に住民票の届けを出す」とする住民基本台帳法に照らせば「違法」にあたりそうだが、これなら、介護サービスのコストは23区が担い、同市にはなんの負担もない。
生活保護の支給も23区が引き続き実施するから、同市はここでも負担がない。厳格に言えば、生活保護法に抵触しかねないのだが。
ともあれ、東京23区が金を差し出し、同市が施設とスタッフを提供することで、利用者は無事に「ケア付き住宅」に暮らすことが出来、三者すべてが満足という構図になっていた。
「地域密着サービス」の新設で事態が一変
それが、「地域密着サービス」の導入でその構図が瓦解してしまった。
かすみがうら市以外の住民はグループホームに入居できなくなったからだ。もちろん東京からも来られない。当然ながら、事業者は、入居者のあてがなくなったので建設をやめてしまう。
しかも、厚労省が主導した居住系施設の抑制策「総量規制」を受けて、多くの自治体と同様にかすみがうら市も、06年4月から3カ年の介護保険事業計画でグループホームの新設をゼロにしてしまった。
だが、地域密着サービス制度では特例が用意されている。市町村が互いに合意すれば、他市町村から入居者を受け入れていい。この方式を活用して、東京の墨田、文京、江戸川の3区から計5人が市内のグループホームに入居している。ただ、一人ひとりについて23区側から「お願い」して協議するため手間がかかる。以前のように利用者が自由に入居先を選ぶことは出来ない。到底代替制度とは言えない。つまり、生活保護受給者たちの行き場がなくなろうとしているのである。
新設ストップの状態であれば、既存のグループホームに空きが出るまで待たねばならない。これまでのように相次いで入居できる状況からはほど遠い。
こうした事態に頭を抱えているのは東京23区の生活課の職員たちである。「折角三方が丸く収まるいい方法だったのに」と新制度への不満を漏らす職員もいる。
供給不足では選択権が行使できない
とすると、地域密着サービスという理想的なケア制度がまずいのだろうか。
否。制度それ自体は間違っていない。だが、厚労省は現場の状況をきちんと把握しないで導入を急いでしまった。グループホームなど6種類のサービスが各地域に十分に供給されていれば問題はない。利用者はそれぞれ自分の市区町村内でサービスを選べるからだ。
しかし、絶対量が足らなければ話は成り立たない。東京23区の住民にとって居住系サービスはいずれも「高嶺の花」である。追い立てられるようにして、遠くの茨城県までサービスを求めざるを得なかった。
介護保険制度はそもそも「サービスを自由に選択できる」という理念で始まったはず。それなのに、サービスの供給量には大きな地域差がある。だが、保険料はどこに住んでいても支払わねばならない。こんな不平等が続けば、制度への不信につながりかねない。
しかも、問題は生活保護の受給者にとどまらない。「難民」状態として表面化したのは、最も困窮度の高い人たちであった。あとに続くのは、多くの保険料を支払っている独居高齢者である。
介護サービスの需給バランスが崩れたままだから、需要がさらに膨らめば、同様の問題が23区のあちこちで起きてくる。今後10年、20年先には都内の高齢化が一段と進むのは確実である。解決策は「東京特区」を設けて、全国一律の規制からはずれるほかにはなさそうだ。