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特集:裁判員制度、いよいよスタート(その1) 選ばれ、人裁く重み

 市民が刑事裁判に参加して有罪・無罪や量刑を判断する裁判員制度が5月から始まる。既に今年の裁判員候補者約30万人に通知が発送された。しかし、仕事や育児などを抱える候補者たちの不安は小さくない。全国で約500回の模擬裁判が繰り返されたが、裁判員役で参加した人たちの声からは、審理や評議での課題も浮かび上がる。国民の実感をもとに「裁判員に選ばれたら、どうするか?」を考えた。

 ◆各地で模擬裁判----とまどい、課題も多く

 ■事実認定

 ◇灰色の無罪 立証方法で結論に差

 昨年7月に東京地裁であった模擬裁判では、物証や目撃証言がない傷害致死事件を裁判員が審理した。泥酔して道で寝込んだ仕事仲間を起こそうと腹を踏みつけ死なせたとされる事件で、検察側は(1)被害者の服に被告のものとみられる足跡があった(2)被害者と一緒だったのは被告だけ(3)被告が別の仲間に口止めした--という状況証拠で起訴した。これに対し、被告は全面的に否認した。

 結論は、裁判官3人と裁判員6人の全員一致で無罪。裁判員を務めた会社員、小林克之さんは「疑わしいだけで有罪にはできないと考えた」。一方、有罪から無罪に意見を変えた50代主婦は「最初は検察官の話に説得力を感じたが、間違いなく犯人かというと疑問が残った。でも『灰色』の無罪だと思う」と語る。検察側が「従来の裁判なら証拠を総合評価して有罪になり得るケース」と言う事件。立証のやり方により、結論が大きく変わる可能性を示した。

 一方、昨年12月の東京地裁の模擬裁判では、強盗傷害罪などに問われた被告と、被害者の警官の言い分が完全に食い違う事件を審理した。最終的に「警官の証言は自然で、けがの状況とも符合する」などとして被告は有罪となったが、裁判員役は難しさを感じていた。裁判員役の田村均さん(68)は「2人の主張を足して2で割りたいくらい。他の裁判員の意見を聞く姿勢が大切と思った」と話した。

 ■量刑判断

 ◇実刑か否か 地域差生じる懸念

 懲役何年にするか、執行猶予をつけるか、そして過去の同じような事件と比べてどうなのか--。量刑は事実認定以上に、一般市民になじみの薄い作業を迫られる。

 最高裁は「量刑検索システム」の整備を進め、裁判員制度対象事件の判決例についてデータ蓄積を進めている。▽罪名▽犯行の状況▽けがや被害額の程度--などのキーワードを入力すれば、過去の同種事件について量刑の幅や件数が分かる仕組みだ。ただ、これはあくまでも参考資料。裁判員は検察側の求刑や弁護側の主張も参考にしながら、刑を決めていくことになる。

 昨年4月に東京地裁で5グループが同じ事件を審理する模擬裁判が行われた。女性が夫を刺して重傷を負わせた殺人未遂事件を題材に、量刑にどの程度の差が生じるかを検証した。夫の日常的な家庭内暴力(DV)と結果の重大性をどう評価するかが争われ、4グループが執行猶予つき判決、残る1グループが実刑を言い渡した。裁判員役の会社員、石井剛さんは「もっと大きな事件だと判断に二の足を踏むかもしれない」と話す。一方、裁判官は「もっとばらばらになると思ったが意外」。ただ、地域や裁判員の構成による量刑のばらつきを不安視する声は、なお大きい。

 ■被害者参加

 ◇感情の影響 抑制傾向か重罰化か

 昨年12月から始まった被害者参加制度を想定した模擬裁判は、同5月以降、全国約30の裁判所で行われた。題材は飲酒運転の男による同じ危険運転致死事件だが、検察側の求刑が懲役6~12年に対し、被害者の意見は8~20年。判決は4~8年とばらつき、被害者の発言を裁判員がどのように受け止めたかによって判断が分かれた。

 昨年7月の東京地裁の模擬裁判は、被害者側が検察求刑(懲役8年)より重い懲役10年を求め、判決は懲役8年だった。裁判員役を務めた会社員、小島建さんは「被害者から見たらと考え、その意見を考慮した」と言う。これに対し会社員、萩原和明さんは「被害者感情からすれば重い刑を求めると思うが、言いなりで刑を決めてもいいものかと考えた」と話した。日本弁護士連合会でも、被害者参加によって裁判員がどのような影響を受けるのかは、「抑制する」「重罰化の危険性を感じる」と意見が分かれる。

 97年に妻を殺害され、制度実現を求めてきた全国犯罪被害者の会(あすの会)代表幹事の岡村勲弁護士は「被害者は法廷で思いを述べただけで救われることもある。判決に反映されなくても、達成感は大きい」と話している。

 ■責任能力

 ◇異なる鑑定 分かりやすい説明重要

 有罪・無罪を左右する責任能力の判断は、裁判員にとって最も難しいテーマの一つだ。東京地裁で行われた模擬裁判では、百数十ページに及ぶこともあった精神鑑定書を5ページに簡略化した。さらに、法廷で分かりやすい鑑定医尋問の仕方を探った。

 題材は、レンタカー返却を巡るトラブルから統合失調症の男が社員を刺殺した事件。捜査段階の簡易鑑定は心神耗弱、起訴後の鑑定は心神喪失の可能性を強く示していた。裁判員役で参加したNPO法人理事の大西千恵さんは「統合失調症についての一定の知識はあったが、犯罪との結びつきになるとよく分からない。二つの異なる精神鑑定をどう考えたらいいか難しく、まとめられなかった」と振り返る。

 起訴後鑑定の鑑定医役の説明は「丁寧でよく分かった」と感じた。心神喪失ならば無罪だが、評議では、心神耗弱状態と認めて懲役7年を選択した。被告の事件当時や前後の行動に、冷静な部分があると考えたからだった。

 責任能力の判断が裁判員制度になじむのかという意見は根強い。大西さんは「審理が進めば次第に分かってくることもある。十分な議論を尽くせれば納得できる結論を出せる」と語った。

 ■裁判官による誘導

 ◇密室の逆転 公正な評議どう確保

 「プロの裁判官が素人の裁判員を誘導するのは、簡単なことだと感じた」。さいたま地裁の模擬裁判に裁判員役で参加した元高校教諭、小川司さん(65)は振り返った。

 題材は、ホームレスが公園で別のホームレスを殴って現金を奪った強盗傷害事件。目撃者は殴った瞬間を見ておらず、その証言の信用性が争点だった。

 当初、裁判員6人のうち5人から、証言の信用性を疑問視する発言が相次いだ。裁判長は目撃者の自衛官について「公務員だし、うそを言う立場にない」と発言。これに裁判員たちは「職業差別だ」などと反発した。

 しかし、裁判長が重ねて「殴ったと考えるのが自然」と指摘すると、大学生の女性が「被告を信用していいのか、考え始めた」と有罪の立場に。結局、5対4で強盗傷害罪が認定された。

 小川さんは「裁判官は公判前整理手続きで心証を持っていて、裁判を早く終わらせるため誘導せざるを得ないのかもと思う。裁判員も『どちらか分からなければ、専門家の言う方が間違いない』と考えるだろう」と話す。実際の裁判では評議は密室で行われ、経緯が明らかにならないだけに、公正さをどう確保するかが問題になりそうだ。

 ◆禁止行為、罰則

 ◇裁判官にうそ、罰金刑に

 裁判員や裁判員候補者には、裁判員法で禁止行為や罰則が定められている。

 候補者が通知に同封された調査票に虚偽の記載をしても罰せられないが、具体的な事件で呼び出された際に届く質問票に虚偽の回答をすると、50万円以下の罰金を科される。裁判所の選任手続きで裁判官にうそを答えた際も同様だ。

 また、正当な理由がないのに、呼び出された候補者が裁判所に出向かなかったり、裁判員が公判期日に出席しないと、10万円以下の過料に処される。

 裁判員や経験者が評議の秘密を漏らすと、6月以下の懲役か50万円以下の罰金が科される。評議の秘密とは▽どのような過程を経て結論に達したか▽裁判員や裁判官がどのような意見を述べたか▽評決の多数決数--などだ。

 自分が裁判員や候補者になったことを不特定多数に言うことは禁止されているが、罰則はない。職務が終わった後に裁判員であったことを公にするのは構わない。

 ◇候補者、352人に1人

 今年の裁判員候補者になる確率は全国平均で有権者352人に1人だった。各地裁は事件ごとに候補者名簿から50~100人を選んで呼び出し状を出し、初公判の日に出向いた候補者の中から原則6人が裁判員に選ばれる。実際に裁判員になるのは候補者十数人~数十人に1人の確率となる。

 候補者として裁判所に出向いた人は、その年は別の事件で呼び出されることはない。ただ、辞退が認められた人は、再び呼び出し状が来る可能性がある。裁判員になった人はその後5年間、裁判員を辞退できる。

 今年の裁判員候補者に選ばれなかった人も、来年以降の候補者になる可能性は十分にある。最高裁の試算によると、一生に一度でも裁判員に選ばれる人は約100人に1人、候補者になる人は6~7人に1人という。

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 ■起訴罪名別の裁判員制度対象事件数■

起訴罪名         03年  04年  05年  06年  07年

強盗致傷        1042 1140 1111  939  695

殺人           819  759  690  642  556

現住建造物等放火     382  357  322  331  286

強姦(ごうかん)致死傷  363  316  274  240  218

傷害致死         268  229  205  181  171

強制わいせつ致死傷    145  166  132  161  168

強盗強姦         132  197  165  153  129

覚せい剤取締法違反     87  145  118  125   94

強盗致死(強盗殺人)   113  136  123   72   66

偽造通貨行使        78  151  244   40   62

危険運転致死        62   38   43   56   51

銃刀法違反         34   23   37   40   29

麻薬取締法違反       26   28   10   13   28

集団強姦致死傷       --   --   14   16   23

通貨偽造          38   53   76   30   17

麻薬特例法違反        8   20   19   14   13

保護責任者遺棄致死      9    8    8   14   10

その他           40   25   42   44   27

総数          3646 3791 3633 3111 2643

 ■想定される都道府県別の裁判員数■

      候補者数 候補者確率  事件数  裁判員数 裁判員確率

北海道  10300   450   71   568    18

青森    1800   653   10    80    23

秋田    1199   787    6    48    25

岩手    1800   622   12    96    19

宮城    4160   459   36   288    14

山形    2160   453   10    80    27

福島    3500   478   21   168    21

茨城    7599   319   25   200    38

栃木    5440   300   36   288    19

群馬    6000   272   36   288    21

埼玉   16559   348   62   496    33

千葉   22560   221  125  1000    23

東京   33798   311  149  1192    28

神奈川  18176   397  100   800    23

新潟    3000   660   17   136    22

富山    2200   414    6    48    46

石川    1700   558    9    72    24

福井     960   684    4    32    30

山梨    2300   307    9    72    32

長野    3599   491   33   264    14

岐阜    3400   499   21   168    20

静岡    6720   458   34   272    25

愛知   21600   268   79   632    34

三重    6000   251   23   184    33

滋賀    3600   304    8    64    56

京都    5200   405   41   328    16

大阪   28900   245  179  1432    20

兵庫   12500   363   63   504    25

奈良    2700   429   23   184    15

和歌山   2399   357    9    72    33

島根    1200   500    8    64    19

鳥取    1039   472    6    48    22

岡山    3440   460   22   176    20

広島    5100   457   22   176    29

山口    2400   509   16   128    19

徳島    1839   362    9    72    26

香川    2880   290   16   128    23

愛媛    2800   431    9    72    39

高知    2160   301   11    88    25

福岡   14700   278   74   592    25

佐賀    1200   576    5    40    30

長崎    2000   595   13   104    19

熊本    3040   492   23   184    17

大分    2400   415   10    80    30

宮崎    2700   348   11    88    31

鹿児島   2300   613   17   136    17

沖縄    2000   529   16   128    16

合計  295027   352 1545 12360    24

 ※候補者確率は有権者何人に1人か。事件数は制度が5月21日から始まることを考慮して、07年の裁判員制度対象事件数の12分の7とした。裁判員数は裁判員6人、補充裁判員2人で試算。裁判員確率は候補者何人に1人か。

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 この特集は、北村和巳、武本光政、坂本高志、伊藤一郎(以上、東京社会部)、関谷俊介(佐賀支局)が担当しました。

毎日新聞 2009年1月4日 東京朝刊

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