◆ 開会あいさつ
【小森陽一事務局長】
読売新聞の世論調査で今年、「憲法を変えてはいけない」という世論が「変える」を上回った。
九条の会結成から4年目にして遂に逆転した。九条の会運動の高まりが、イラクへの無法な戦
争を支持した安倍、福田の政権投げ出しの一つの要因となった。名古屋高裁での違憲判決も
この世論と深く関わっていると思う。相次ぐ政権崩壊で明文改憲は隠れたように見えるが、アメ
リカの圧力によりアフガニスタンへの派遣をあきらめてはいない。憲法を巡る争点は何なのか
を、幅広く訴えていかなければない。今日は、アフガンへの派兵を巡る動きがあるなか、これを
絶対に許さないという立場で日本国際ボランティアセンターの谷山博史さんにお話をしていた
だくことにした。
全国の九条の会を100%把握することは不可能だが、前回の交流集会以来493の会が新
たに誕生し、現在の総数は7294となった。もう一歩も二歩も運動を前進させ、憲法を変えて
はいけない、憲法を生かしていこうという世論をつくりあげたい。
◆よびかけ人あいさつ
【大江健三郎さん】
沖縄戦の最後の集団死裁判について、第2審の判決があった。この裁判は私に対する名誉
毀損の裁判だが、原告側は「政治的に大きい目的を持っている」と言っている。私は政治的な 目的を持っていない。ただ、38年前に書いた本を守ってやろうということだ。しかし、裁判は私 の日常生活に深く入りこんでいる。
裁判のさなか日常生活のことを思うのは、最近、フリーマン・ダイソンの『叛逆としての科学』
を読んだからだ。20年前に読んだ論文「核兵器と人間」も収録されていた。以前に読んだ本で
感動し赤線を引いたところと、今回読んで感銘したところが違うことに気づいた。
20年前には物理学者による核兵器を廃絶の主張に感動したのだが、今回、感動したのは、
ダイソンが「平和を守ろうとか、核兵器反対の声は世界中にあるが、これを政治主義的に考え
ている人よりも、そうでない人に影響を受けている」と書いているところだ。
ダイソンが政治的平和主義の代表として考えているのはガンジーだ。もちろん、彼はガンジ
ーに敬意を抱いているのだが、「その後継者たちが国際関係において役割を平和主義で一貫
してはいないと思う」と言う。この1、2年のインドの核武装の方針は米仏の援護により、少し変
わってきていると考える。ダイソンは「今の政治主義的運動としての平和主義ではなく、もっと
日常生活に即した平和の伝統がインドにはある。18世紀から200年にわたって続いてきた。
そういうインドに自分は希望を持つんだ」と言っている。
同様のことは、クエーカー教徒についても言えるという。「クエーカー教徒は、暴力的行動に
賛成しない、とひたむきに考えている。自分の部族や国家の名誉を守る戦士の伝統がある
が、もう一方に平和主義の伝統がある。これまた長く、何百年も前からある。17世紀から続 く、この非暴力主義の伝統は政治的なものでなく個人的なものだ。彼らは武器をとることを個 人として拒んだ。また、政治権力を求めず、戦争に関して良心に禁じられた行動は、一切とら ないと宣言するだけだった。その個人的平和主義は連綿として受け継がれ、多くの国に根付い た。個人的倫理規範としての平和主義の伝統は嵐に耐えた」としている。
ダイソンは「非暴力抵抗の概念を、国家政策の有力な基盤とする国が必要であり、小さくても
均質で、圧政に静かな抵抗をする伝統を持った国があれば、未来世界の平和構想に有力な はたらきをする国ができる」と希望を語っている。
去年から、私は全国の九条の会に何度か出た。そこには、個人が生きている規範として九
条の会の人間であることを続けている人たちがいた。そういう人たちの、静かな確信に満ちた
規範を、そこではたらいている人たちの人格への敬意と共に感じ取った。
例えば、(大分の)臼杵では100歳で亡くなられた野上弥栄子さんの世代、その子ども、孫、
ひ孫の世代まで九条の会に入っている。野上さんから数えて4代にわたる憲法を守ろうとする 平和主義の伝統というべきであり、個人的規範としての平和主義が伝統となっている。これ が、日本の国の伝統になれば、国際的に平和主義を樹立するための大きい手がかりとなると いう気持ちを持った。そういうことが、私自身を変えてきたと思う。
(文責・羽原)
広島マスコミ九条の会
代表 平岡 敬
広島マスコミ九の会3周年記念講演会にご参加下さった皆様にお礼を申し上げます。
イラク戦争を契機に、政府は憲法を無視して自衛隊を海外に派遣し、防衛省を防衛庁に昇
格させて、我が国を「戦争をする国」にしようとする動きが強まりました。
私たちは、戦争をしてはならない、戦争をする者に加担をしてはならない、マスコミが戦前の
歴史を繰り返してはならない、という思いからマスコミ九条の会をつくりました。「戦争をする国」 をつくろうとする政府の動きを心配しているのは、私たちだけではありません。多くの国民も反 対の声を上げ、いま地域、職域、職能など様々な分野で九条の会が生まれ、その数は全国で 7000を超えました。
憲法は政府、公権力の勝手な振る舞いを抑え、私たちの権利とくらしを守り、幸せを実現す
るためのものです。この憲法を守る義務があるのは、第99条にあるように、天皇以下、国会 議員、裁判官、公務員です。
ところが、これまで政府は憲法を守るどころか、嘘をついて国民を欺き、米国の世界戦略の
片棒をかついで、米国追随を続けてきました。航空自衛隊のイラクでの空輸活動が憲法違反 である、という名古屋高裁の判決を聞いて「そんなの関係ねえ」と言った自衛隊幹部の放言 も、お咎めなしの有様です。
先日、朝鮮半島有事の際、米軍は日本と協議せずに、在日米軍基地から攻撃できるという
密約があったことが明らかになりました。
古くは、1972年、沖縄返還の時、核持ち込みの可能性や日本が2億ドル上負担する密約が
あったことを、毎日新聞の西山記者がスクープしました。
しかし、いずれも政府は否定し続けて、今日に至っています。
イラクが核兵器を持っているという情報は誤りだったと米国は認めているにもかかわらず、イ
ラク戦争に加担した日本政府は、頬かぶりしています。「自衛隊の行くところが非戦闘地域だ」 などと言って開き直った小泉首相の暴言も、まかり通ったままです。いつからマスコミは、この ような不条理を追及しなくなったのでしょうか。これはマスメディアのあり方に関する重大な問題 です。
憲法9条が守られないだけではありません。政府は、年寄りを邪魔者扱いにして切り捨てる
後期高齢者医療保険制度をスタートさせて、憲法第25条で保障している平和的生存権も踏み にじりました。
真実を報道する、世の間違いを正すのが、マスコミの使命です。しかし、いまマスコミはジャ
ーナリズムと企業論理の狭間で、右往左往しているようです。
私たちは、ただ平和を守れ、9条を守れ、というだけではダメです。どのような社会をめざす
のか、どのような世界をつくるのか、という視点を持って行動しなければなりません。そのため に、マスコミの果たすべき役割と責任はきわめて大きいものがあります。
マスメディアのあり方を批判することは、メディアへの叱咤激励でもありますが、その批判の
刃はブーメランのように、マスメディアにかかわってきた私たちにも還ってくることを、自覚しな ければなりません。
これから、講師としてお招きした前坂俊之さんのお話をお聞きして、市民の方々と一緒にメデ
ィアの役割や責任について話し合い、この集会が実り多いものとなることを願って、開会のご 挨拶といたします。
私たちは、世界最初の原爆被爆地広島に住んでいます。
私たちは、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と誓い、世界に核兵器廃絶
と恒久平和を訴え続けています。それを実現するためには、憲法9条を変えるのではなく、誇り
を持って守り、生かし、全世界に訴えることであると確信しています。
いま、全国に7千近い「九条の会」が生まれていることを私たちは心から喜んでいます。昨年
末の「九条の会」全国交流会では、それを地域に広げるため、「小学校区に九条の会を」と強く
呼びかけました。
さらに世界でも、憲法九条への関心が高まり、世界各国に広げようという動きが始まっていま
す。今年5月4日に東京で、「9条世界会議」(千葉・幕張メッセ)が1万人規模で、広島でも同
月5日その「ヒロシマ集会」が開かれます。このように国内外で「九条を守り、生かせ」「九条を
各国へ」「核兵器廃絶と世界平和を」の声が広がり、また9月には、G8(主要8カ国)下院議長
会議が広島市で開かれるなど、広島の役割は一層重要になっています。
広島こそ、この声をさらに大きく広げようではありませんか。西区に住む私たちは、同じ西区
の皆様が、その町々に「九条の会」をつくり、ひろげて頂きますよう心から訴えます。
2008年2月6日
呼びかけ人 (50音順)
浅井 基文(三滝 広島平和研究所長)
今村喜代子(鈴ケ峰 生協ひろしま平和憲法・9条を考える会世話人)
岩田 守雄(井口 元広島市中学校校長)
植木 研介(己斐 広島大学教授 原爆遺跡保存運動懇談会)
佐藤 元宣(三滝 三滝寺住職 広島宗教者九条の和)
斉藤 真仁(観音 カトリック観音町教会主任司祭 広島宗教者九条の和)
笹岡 孝治(古江 広島市西南商店街連合会会長)
高橋 昭博(草津 元広島平和記念資料館館長、 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会)
坪井 直(井口明神 広島県被団協理事長 被爆者九条の会)
濱口 逸記(己斐 広島中央保健生協常務理事)
平岡 敬(古江 元広島市長 広島マスコミ9条の会)
舛井 寛一(高須 マスカン株式会社会長)
吉岡 憲朗(南観音 元広島市小学校校長)
1 1月18日、通常国会が開会したが、自由法曹団は、本国会において憲法審査会を始動さ
せることに強く反対し、改憲手続法(国民投票法)を廃止にすることを求める。
2 昨年11月、改憲に賛成する議員でつくる「新憲法制定議員同盟」(会長・中曽根康弘元首
相)が審査会の活動開始を求める決議をあげ、本年1月10日には、憲法審査会規定の制 定を急ぐよう参議院議長に申し入れを行うなど、憲法審査会の始動に向けた動きが報道さ れている。
しかし、改憲手続法に基づき衆参両院に設置された憲法審査会は、昨年7月の参院選で
の自民党・公明党の大敗の後、野党の強い反対で、組織や運営のルールを定める審査会 規程の議決すら行えず、活動を開始できなかったものである。これは、改憲が政治課題にな る中で国民の憲法への支持が強まり、「戦後レジーム脱却」を叫んだ安倍政権が参議院選 で歴史的敗北に追い込まれた結果である。憲法審査会を始動させることは、こうした国民の 声に反するものにほかならない。
また、憲法審査会は、@会期と関係なく活動できる常設の機関であり、国会の会期制の原
則に反すること、A両院の意見が分かれた場合、合同審査会や両院協議会を開いて意見の すり合わせをすることとされており、憲法が定めた両議院の平等原則に反すること、B合同 審査会で実質的に基本的な事項が取り決められ、それが両院の憲法審査会におりていくこ ととなれば、両院の独立性・自主性を損なうおそれがあることなど、その内容にも重大な問題 がある。
しかも、憲法審査会では、憲法「改正」のための審議が進められ、改憲へのレールが敷か
れ改憲への流れを一気に加速させることがねらわれている。憲法審査会が始動すれば、自 衛隊の海外派兵の恒久化法の議論や集団的自衛権の行使をめぐる憲法解釈の変更の問 題など、解釈改憲の舞台として機能するおそれもある。戦争するための改憲を促進しようと する流れを強める憲法審査会の始動は断じて許されない。
3 そもそも、改憲手続法には、@最低投票率の定めがない、A公務員・教育者に対する運
動規制が盛り込まれている、B有料意見広告が野放しにされている、C議席数に応じて構 成される広報協議会による改憲案PR が無制限に認められる、などの重大な問題点が含ま れている。こうした重大な問題点が生じるのは、同法に憲法の改正権者が主権者である国 民1人1人であるという国民主権の視点が欠落しているからにほかならない。
同法によって実施される国民投票では真に国民の意思を反映することはできない。こうした
問題点は小手先の手直しで改善できるものではなく、改憲手続法は憲法96条の趣旨に反 する欠陥法である。18項目にも及ぶ付帯決議でこれらの問題点等について今後検討するこ とが確認されたこと自体、改憲手続法が欠陥法であることを如実に示している。
4 自由法曹団は、こうした国民の声に反する憲法審査会の始動に強く反対し、18項目にも
及ぶ付帯決議のついた欠陥法案である改憲手続法の廃止を強く求めるとともに、憲法を守 り活かすとりくみを強めるために尽力することを表明するものである。
2008年1月19日 自由法曹団
▼奥平康弘さん
「九条の会」の運動から学んだ。私たち90年代以前の憲法研究者は「自衛隊は9条2項に違
反する」という憲法解釈だけに凝り固まっていた。ところがいま、今まで語らなかった人たちが
発言し始め、「安倍ではいやだ」「こんなペースでやるべきではない」など『オーバーラッピイング
コンセンサス』(筋道・根拠は違っても重なる合意点)により、様々な根拠を力に蹴り返すこと
が大切だと知った。いろんな根拠・理由を糾合する使命がこの会にはあることを学んだ。
▼加藤周一さん
大勢の人に訴えるスローガンは「明瞭で簡単」でなければならないが、事態が複雑になると、
それもなかなか難しいものだ。九条を「守る」会だが、これからは「生かす」ことも念頭におきた
い。
「解釈」改憲は、違憲事態をすべて認めてきた。それが限界に来ると今度は「合憲ではない
が合法」という発想だ。9・11からアフガン、イラク、そしてテロ対策は九条を「守っている」中で
起きている。日本国憲法を超える事態=超憲法的秩序が必要だ、という論法だ。状況判断が
複雑になる。明文改憲を急がない福田内閣は安倍よりも手ごわい。「守る」と同時に「生かす」
必要があり、今後長丁場になる。
そこで二つ。一つは、「劇的に大きく」。もう一つは年金や教育など「日常」に結びつけること
だ。
▼澤地久枝さん
参加の皆さんの後ろに多くの人がいる。3年半前と比べるとかつてないほど『市民』を自覚す
る。「9条で世直し 市民連合を」と密かな思いだった。
軍隊を持つことを認めると、原爆もOKになる。金持ちや企業には減税、防衛予算に思いやり
予算、生活で搾り取られ病気も出来ない、歳も取れない、まるでアメリカの植民地支配にいる
みたいだ。
平和憲法を掲げて世界に受け入れられる国、世界の理想の国にしたい。憲法を活性化させ
世直し出来ると思い始めた。時間は掛かるが一人ではない。
▼鶴見俊輔さん
対立する意見、時々間違う自分の意見を合わせて前に進む、他人をつぶす考え方を採らな
い小田さんに大きさを感じた。
広島で被爆し、もう一度長崎で原爆に遭ったという人が、「自分の人生を弄ばされたような気
がする」といっている。連合艦隊も兵器工場もなくなっている日本に、もはや戦闘能力はないこ
とを誰もが知っていた。原爆は「試した」のだ。
「アメリカ兵の命を救った」という大嘘を60年間続けており、それを赦してきたアメリカ国民は
何だ。生物は1対1で殺し合いをするが、1対10万人は人間が初めてやった。
5歳のとき、関東軍が殺した張作霖の写真を見た。80年間、反戦運動した私の中で、日本
人は悪いという感情が生きている。
「これからも続ける」と、私が言うのはたやすい。あと2、3年の命だから…。原爆を2度も落と
された日本人だから、戦争をやめさせる社会を作るエネルギーは日本人の中にある。
▼大江健三郎さん
日本青年館に(会場を間違えて)1時間半前からいた。誰もいない。小説家だから極端なこと
を考える。教育基本法もなくなったし、「九条の会」ももう落ち目になったのか―と。
07年11月9日、大阪地裁で相手の弁護士が292人の自殺者のことで、ある人の本を朗読
した。「国に殉ずるという美しい心で死んでいった人々を、命令で強制されたというのは、その
死の清らかさを貶めるものだ」と。
この作家は憲法13条などまるで理解していない。母が言っていたように「口をひねり上げて
やらねばならない」と思う。
■自衛隊による市民・ジャーナリストへの監視活動に抗議する声明■
自衛隊の国民監視・調査活動に強く抗議する。国民を守るべき自衛隊が、「情報収集」の名
目で、市民やジャーナリストの行動を監視・調査し、無言の威圧を加えることは許されない。
「言論・表現・報道の自由」を侵害し、人権を蹂躙する行為である。直ちに監視・調査活動をや
め、これまでの全容を公開し、その責任を明確にせよ。
特に私たちは、自衛隊の監視活動がジャーナリストに向けられている点に、強い関心を持た
ざるを得ない。ジャーナリストの重要な役割は、主権者としての国民が、物事を正しく判断でき
るように、広く社会の実態をつかみ、多くの意見を吸い上げ、問題の本質を明らかにすること
である。
自衛隊のあり方については、国民の間に多様な意見がある。その現状を踏まえれば、国民
の判断に資するよう、もっともっと自衛隊の実態が報道されなければならない。しかし、今回の
自衛隊の姿勢は、この取材活動すら敵視し、実態を国民の目から隠そうとしたものである。
これまでも自衛隊は、情報公開を求めて窓口に来た市民をリストアップし、その立場を恣意
的に分類・報告していた事例がある。さらに適齢となる若者の名簿を自治体から出させて、自
衛隊への勧誘に使うなど、人権を無視した活動が目立っている。私たちはこうした動きに対し
ても抗議し、やめるよう求めるものである。
2007年6月13日 日本ジャーナリスト会議
…………………………………………………………………………………………
■声明 「自衛隊による市民・ジャーナリストなどの情報収集・監視活動に抗議する」■
自衛隊への批判的な市民運動やジャーナリストの動向を密かに調査監視していた事を示す
自衛隊の内部文書が明らかになりました。
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)は表現の自由、知る権利、知らせる権利の侵害
であり、ジャーナリストの活動を抑圧するものだと考える。同時に戦前の憲兵政治の復活を想
起させる重大な問題であり民主主義社会において許される事ではない。
今回明らかになった内部文書は氷山の一角であることはその後の国会での論議の中で明ら
かになりつつある。陸上自衛隊だけでなく空・海自衛隊も同じような調査・監視を行っているこ
とはすでに防衛大臣自身が言明している。
いま、メディアには自衛隊や政府が収集した情報をどのように利用したのかも含め追求して
ゆく事が強く求められている。同時にジャーナリストはこの報道を通して平和と民主主義に対す
る姿勢が鋭く問われている。
デモや集会参加者の写真撮影もしていた事実について防衛大臣は「マスコミも写真を撮って
いる」とジャーナリストの取材活動と同列に置こうとしている。
事実を広く伝えるための取材活動と取り締まりの対象にするための情報収集とは全く正確
が違う。一方は知らせる権利の行使であり、自衛隊の監視・調査は人権侵害に他ならない。
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会は全容の解明と責任者の厳正な処罰を要求します。
2007年6月8日 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)
…………………………………………………………………………………………
■新聞労連の声明■
陸上自衛隊情報保全隊が、自衛隊のイラク派遣に反対する団体、個人の活動について情報
収集し、記録していたことが明らかになりました。この中には新聞記者の取材活動までも含ま
れていました。こうした情報収集・監視は情報保全隊の任務を大きく逸脱し、市民の表現・言論
の自由、報道の自由を侵害するものであり、強く抗議します。
そもそも情報保全隊は機密情報の漏洩を防ぐのが任務で、「不当に秘密を探知しようとする
行動」「基地、施設などに対する襲撃」「業務に対する妨害」などを防ぐための情報収集活動も 含まれるとされています。スパイ活動やテロリスト集団に備えるという任務を完全に否定するも のではありません。今回の一連の行動は「隊員が動揺しないように、家族に不安が生じないよ うに」(守屋防衛事務次官)対処したものと説明しています。
しかし、A4判で166ページにも及ぶ調査資料の中にある団体、個人の活動のほとんどが、
どう見ても自衛隊の任務を妨害したり、攻撃したりする組織・行動に思われません。中には高
校生たちが行った(自衛隊)派遣反対集会や、派遣とは関係ない消費税引き上げ反対集会ま
でも記録されています。私たち新聞労連の仲間(新聞労連北海道地連)が2004年2月、札幌
で行った「イラクへの自衛隊派遣を考える集会」も調査対象となっています。新聞労連は全国
の新聞社で働く者たちでつくる唯一の産業別組合であり、言うまでもなくスパイ活動は行ってい
ません。
呆れたことに、調査資料では、新聞記者が派遣部隊の出発を受けて地元の駐屯地前で隊員
を取材したことを「反自衛隊活動」と決めつけています。国民の意見が分かれるイラク派遣が
実際に始まる中で、自衛隊員たちの心境を聞き伝えることで国民の判断材料にしてもらおうと
いう取材は、賛否の立場を超えてジャーナリズムとしてごく真っ当な活動です。どうしてそれが
「反−」なのでしょうか。
一般市民の自由な意思表現の場が、国民の「知る権利」の負託に応えようとする記者たちの
取材が、武力を持つ巨大組織に知らぬ間に監視・記録され、反自衛隊か否かの「レッテル」ま
で貼られている−。とても不気味なものを感じてしまいます。
国民を守るべき自衛隊が、時の政権の政治方針を守るための「目」となっているとしたら、民
主主義を大きく揺るがすものです。政府と自衛隊に徹底した調査と事実解明を強く求めます。
以 上
新聞労連委員長 嵯峨仁朗
米軍再編法案や消費税、国民投票法など安倍内閣が進めようとする悪政関連法案が目白
押しとなっている。米軍再編はこの廿日市も重要なかかわりを持つものだが、この法案は米軍 の再編だけではなく日米軍事経済一体化に踏み込むもので、日本がアメリカの一部分となるも のだ。
安部首相は「戦後レジームからの脱却」を言い、戦後の民主主義を否定する方向に向かって
いる。また、従軍慰安婦や沖縄の集団自決問題で戦前の「美しくない」事実を隠蔽しようとして いる。「戦後」からの脱却というが、アメリカに対する従属はそのままだ。これは明らかな矛盾 だ。
憲法は奇跡的に生まれたといえる。背景には奇跡的な条件があった。それは敗戦と米ソ冷
戦開始の狭間で生まれたことだ。もともとアメリカにとっては第二次大戦が終了したあとは中国 が、ソ連の進出を防ぐ反共のとりでになるはずだった。蒋介石を最前線に立てれば、日本はそ んなに重要とは見做していなかった。だから、「非軍事化、民主化」が占領政策の柱だった。占 領軍は財閥解体、農地改革を進め、中産階級を育てるとともに、労働組合を民主主義の担い 手として奨励した。
ドイツでは戦争で壊滅した。戦犯は戦後一切公職に付けなかった。今でも公務員がヒットラー
を賛美することは犯罪とされている。ドイツ軍は壊滅したが、日本軍は敗戦時約100万人の軍 人が残っていた。これを武装解除するためには「天皇」の名が必要だった。イタリアは人民の 手で政府を倒した。日本では、政治の支配機構そのものは戦前のまま残り、アメリカもこれを 利用した。8月15日の前と後では、軍隊以外の役所は何も変らなかった。ドイツやイタリアとの 大きな違いだ。
憲法は敗戦から49年までの間に奇跡的に生まれたものだが、1949年10月、中国大陸に
中華人民共和国が誕生して、状況は大きく変った。アメリカは米ソ陣営の対立の最前線として 日本が必要になった。再軍備をはかり、民主化を押える、いわゆる「逆コース」の始まりだ。財 閥の復活、2.1ストの弾圧など、労働者への攻撃、レッドパージによる共産党員の追放などが マッカーサー指令によって行われた。
49年12月には岸信介、児玉誉志夫などのA級戦犯が解放され、戦後初の総選挙が行われ
た。戦争遂行の一翼を担った人間が政治家として復活した。椎名悦三郎、福田赳夫、賀屋興 宣、大平正芳らだ。町村前外務大臣の父親、町村金吾は内務省警保局の役人だった。警保 局はかつての特高の元締めだ。特高は「思想」を取り締まり、「思想」を変えさせる部署だっ た。文部大臣だった奥野誠亮は鹿児島で特高課長をしていた。
1953年来日したアメリカのニクソン副大統領は「九条を定めたのは失敗だった」と言ってい
る。54年には日米相互防衛援助条約(MSA協定)が締結され、アメリカは日本を援助する代 わりに日本の防衛力増強を求め、26万人の「自衛隊」が発足する。
60年代には日本人の中に、「大国意識」が芽生え始めていたという気がする。安保闘争に
懲りた政府は経済成長政策に取り組んだ。労働者はマイホームのため、退職金を担保にロー ンを組むことになる。企業に従属する意識が高まり、労働組合は懐柔されて行った。冷戦下だ が、ソ連は直接の敵でなくなり、「戦争をやってもいい」という雰囲気が出始めていた。政府は 教育とマスコミに力を入れ始めた。池田・ロバートソン会談の結果だ。
80年代には、中曽根行革により国鉄や電電公社の民営化が進み、規制緩和の大合唱が起
きる。小泉、安倍がこの流れを汲んで現在に至る。
1931年からの戦争をどう呼ぶかということが議論になったことがある。通常は太平洋戦争
だが、中国などアジア諸国への侵略が表現されていないとして、最近ではアジア太平洋戦争と 呼ばれる場合もある。しかし、60年前の戦争の呼び方が決まっていないし、戦争の責任が明 らかになっていない。つまりこの戦争が何だったのかが、はっきりしていないということだ。
「それに付けても憲法・・・」「それに付けても九条・・・」で周りの人に話しかけて行こう。
●07.5.14
MICが国民投票法案で公開討論会ひらく
有料意見広告について
法律によるルール化か メディアによる自主的ルール化かを議論
MIC主催の公開討論会が4月19日夜シビックセンター会議室で開かれた。
今回の公開討論会の開催のいきさつについて、コーディネータをつとめた嵯峨仁朗MIC議
長から説明があった。3月10日にMIC・自由法曹団・JCJ・マスコミ関連九条の会連絡会4者 によるパネル討論会が開かれた。その討論会の中で意見広告のルール化を巡って意見の違 いが明らかになった。国民投票法案廃案では意見が一致していたが、意見広告の法による規 制か、メディアによる自主ルール化がについての議論が十分にはかみ合わないまま終了し た。そこで坂本弁護士から、もう少しメディア関係の人と議論したいと申し入れがあり、当日パ ネラーをつとめた岩崎さんが受けて立とうと言うことになり今日の公開討論会の開催となったと いうことだ。
公開討論は、嵯峨さんがコーディネータをつとめ、坂本修弁護士(東京法律事務所)と岩崎貞
明さん(メディア総研事務局長)がパネラーをつとめた。
◆坂本弁護士からの問題提起は要旨次のような内容であった。
国会の衆議院で自公による採決が行われている改憲手続き法について憲法を守る立場か
らどう考えていくのか、と言うことについて発言する。
憲法96条は、国民の過半数の賛成で改正できるとしているが、いくつかの論点があるが、
今日は意見広告の問題に絞って発言したい。有料意見広告について現在の公選法ではCM は禁止となっている。国の長期にわたる行方を決める憲法についての国民投票について有料 意見CMが投票の2週間前まで全く自由であっていいのか、という問題である。自由法曹団とし ては、それについてルールが必要だ。そのルールの内容をどうするのか、誰がそのルールを 決めて、守らせるのか、そこに大きな問題がある。自由法曹団としては次のように考える。
私たちもメディアを利用することには賛成だ。しかし、利用するに当たっての平等が保障され
なければならないと考える、この平等を保障するということが無ければ、アクセスの平等もない し、言論の平等もなくなる。平等を保障するためには法律による最低の基本的なルールを確 立する必要があると考える。公平を保障するためには、ルールを監視する中立公平な機関に よる運営が必要だ。政府や国会が管理すると言うことには反対である。イタリアでの平等法で は緻密につくられている。これを参考にするといい。
平等を保障するルールと中立の機関を独立してつくっておけば、あとは運動でやっていける。
メディアによる自主ルールでいいではないかと言う意見については、天野祐吉さんは、国会で 金の問題が大問題だ。何億もの金がかかる。有料意見広告が全く自由だと言うことでは金の あるものが世論形成に圧倒的に優位となると指摘している。彼も憲法を扱うにはルールが必 要だと言っている。国会議論では、ルールが必要だと言うことは自民党も主張していた。ところ が提案された法律の中にはどこにもルールが定められていない。メディアの代表は、自主的ル ールをつくって対応すると言ってきたが、未だに何もルールをつくっていない。お金の取り扱い については誰も何も言っていない。
メディアにとってもこんな形でこの法律が成立することは二重の不幸だ。改憲の道具にメディ
アが使われたらメディアは国民の信頼を失うことになる。メディアは権力に対して裸になる。
CMの自由によって憲法は滅び、言論・表現の自由も滅ぶ。それでいいのか、と言いたい。
改憲手続き法については、国民の衆知を集めた議論が全くされていない。あわててこの法律
を作る必要はないと考える。多少の意見の違いがあっても問題点の多いこの法案を廃案にす ることについては圧倒的多数が同意できると考えている。
◆岩崎さんの発言の要旨は、次のような内容である。
法案についての全体的な部分は双方共有していると考えている。最後の1%か2%の部分
の意見の違いについて今日は議論しようということではないかと思う。私も意見広告に絞って 意見を述べたい。私からの問題提起としては、放送の意見広告の是非だけをとりあげるやり 方がいいのかどうかということだ。
イタリアの場合はCMだけでなく番組の作り方も詳しく公正さをチェックしている。そのチェック
体制も定められている。広告と番組と同じように扱っている。日本ではテレビのCMだけを問題 にしている。そうなっている背景には、メディア不信があってのことではあるが・・・。
私も広告について何らかのルールが必要であると考えている。このままルールのないまま野
放しにすると言うことについては反対である。問題は、ルールを誰が決めて、どこで担保するの かと言うことである。これを法律で決めると言うことになると、広告が憲法改正になるCMなの かどうかについて一つ一つチェックしなければいけない。これを法律や行政がいちいち出てき てチェックすることになれば、それはまさに憲法21条違反ということになる。事実上検閲をやっ てくださいと言っていることになる。そうなる事態を私は避けたいと考える。どこまで行ってもメ ディアの自主性が発揮できると言うことが必要である。
今放送している民主党のCMなどについて、このCMを受けるに当たってなんのルールもな
い状態だ。憲法の意見広告のルール化を議論するときには、こうした政党CMのルール化を 同時に検討すべきだ。
有料広告の問題と同じレベルで無料意見広告についてもチェックが必要だ。広告協議会が
面倒をみると言う仕組みになっているが、広告協議会が改憲CMを税金を使って行うと言うこと について考えると、広告協議会の存在自体が憲法21条違反ではないか。広報協議会がつくっ たCMを放送局が何らチェックできないという仕組みになっているが、まさに憲法違反でどうし ても条文は削除させなければならない。広報協議会は、政党主義で組み立てられていて市民 の意見が取り入れられない仕組みになっている。これは、憲法の国民主権から逸脱している。
民主党案は国会発議の時点から有料CMは禁止と主張しているが、国会発議まではCM放
送が可能であって、放送可能期間などについてどうするのか、中立的な監視機関をどうするの かについては法律では全く考えられていない。メディアの自主ルールの確立がどうしても必要 ではないかと考える。
メディアによる自主ルール化という意見に対して今のメディアにそんなことが出来るわけがな
いという批判が出される。広告についても番組についても自主ルールをつくれという世論づくり が私は重要だと考える。イタリアでは事前に料金を公表している。日本の放送経営者もそうし た覚悟が必要である。今、BPOが機能強化の方針を打ち出しているが、BPOを第三者機関と して機能させ、放送局もBPOの言うことは守ると言うことであれば、自主ルールについて踏み 込んだ議論も出来るのではないか。
今、総務省は逆の方向で、放送内容に次々と介入してこようとしている。こうしたときだからこ
そ、広報協議会でなく第三者機関による運営に力を注ぐ必要があると考える。
◆広報協議会について、岩崎さんは、国会議員で広報協議会をつくることについては、全面的
に反対である。最低限第3者機関とすべきである。と主張。これについて坂本さんからも、10 0%岩崎さんの考えと同じ。法律では広報協議会は20人で構成することになっている。衆・参 各10人で20名。ドント方式で選ぶと改憲派が20人を締めて、共産党・社民党はゼロとなる。 法律では、ゼロになる場合は各1名出せるよう配慮することになっている。実際上は改憲派1 8、改憲反対派2となる。そんな構成で公正な広報活動など期待できるものではない。発議す るのは国会であるが決めるのは国民である。この原則を逸脱している。と見解が述べられた
◆討論会の締めくくりで岩崎さんからは、メディアが信用されないのは当然である。なぜならメ
ディアは、どうするかと言うことについて何も言っていない。意見広告を考えるときにその中心 部分は電通が押さえている。電通がどう関与してくるのかを白日の下にさらしたうえで議論しな いと実態としてかみ合わないことになる。と新しい問題を提起。
坂本さんからは、法の下での平等に反する国民投票法案である。今、私たちの目の前でつ
ぶせる条件がつくり出されている中で、全力を挙げて廃案を求めて運動を起こしていこう、と呼 びかけられた。
(民放九条の会「会報」35号より)
●07.4.28
品川正治さん講演要旨
日本国憲法の聖地・ヒロシマに招かれたこと、まことに光栄です。私は正真正銘の"戦中派"
です。その私を戦後支えてきたものは何であったか、話して見ます。
戦争が国家の理性として許されるのか、解答のないまま軍隊にとられ、戦争に参加すること
になりました。自分の命もせいぜいあと2年と思ったとき、読んでおかねばならない本のことな
どを真剣に考えました。国家が起こした戦争の時代に、どう生き、どう死ぬのか、そのことが頭
から離れたことはありませんでした。
戦争を起こすのも、許さないのも・・
戦時下では「国家が起こした戦争」と一貫して考えていましたが、戦後、戦争は天災ではな
い。それを起こすのも人間、許さないのも人間、戦争を将校の目ではなく、国民の目で見るべ
きだ、「戦争を起こすのは人間!」、この考えが、私の一生の座標軸となりました。
戦争の前線の実態については、上官のビンタなど残酷なイジメなどが伝えられていますが、
私は別の体験をしています。60人ほどの新入隊の兵士が集められたとき、上官が訓示したの
は「この60人は、死にに行くのだ、決して殴ったりしてはならない」という言葉だった。「死にに
行く」と宣言された若い兵士は、それから2週間後中国へ派遣されていきました。
戦争を考えるとき、「正義の戦争」という難しい問題があります。フランスのレジスタンス。中
国を解放した抗日の戦いなど、歴史的な正当性があるとされる戦いが確かにありました。真剣
な評価が求められるところですが、21世紀の世界の指針となるのはこの9条の理念以外には
ないと思います。
価値観の違い認めること
最近の政治の方向、マスコミの視点で、一番の大きな間違いは、「日米の価値観は一緒で
ある」という認識です。絶えず「敵」を作り、世界制覇を目指すアメリカと日本が、果たして価値
観が同じで、運命共同体なのでしょうか。「価値観が違う」と言えば、説明がつくものを、言わな
いから矛盾が噴出します。小泉首相は、市場原理主義の竹中さんに経済はマル投げしまし
た。日本経済のDNDは「信頼」でした。しかしいま、利益は資本家の独り占めです。アメリカの
「アングロサクソンと日本は違う」の一言でいいのです。
改革なくして成長なし、と「規制緩和」が進められました。規制緩和とは「権力からの自由」だ
ったはずですが、「大企業の更なる自由」のための規制緩和となっています。すべては効率が
物差しです。「小さな政府へ、官から民へ」とも言われます。しかし公務員が多いのではありま
せん。その数は先進国では最低、特に福祉関係ではアメリカと最低を争っている状態です。問
題は借金です。
誰が誰のために誰から借りているのでしょうか。国民から直接借金はしないが、国民が金を
預ける郵便局や銀行に国債を買わせているのです。
大企業は「法人税を下げろ」「累進課税を改善しろ」と圧力をかける一方、リストラ優先の「ア
メリカに近づくのがベター」と言う。そんなすり替えが許されるのでしょうか。現に雇用のシステ
ムはメチャメチャになろうとしています。
孫に伝える「これが戦争」
個人的なことで恐縮ですが、私は早く親を失った孫娘を育ててきました。彼女に私の戦争
体験はなかなか伝えられなかったのですが、やっと大学に進学したのを機会に、「これが戦争
なんだ」と次の三点を語っています。
まず第一、戦争になれば、自由・人権とか大変な苦労で勝ち取った価値観や、生命すら一歩
下がらざるをえない。「勝つため」がすべてとなり、あらゆる要求は「それは勝ってから」と、価
値観は転倒する。
第二に、戦争は勝つためにすべてを動員する。物質だけでなく、労働や学問、歴史観なども
ひとつの方向に動員される。ドイツは知性の国だが、国民はナチに加担しホロコーストが出現
した。それが戦争だった。
第三は、司法・行政・立法の三権分立は崩され、戦争指導者が権力の中核に座る。
それでも戦争を許せるか。そのことをいま孫娘に話しています。いまアメリカは戦争をしていま
す。イラクで本気で戦ったのは、主に米・英です。では日・米はどうでしょう。アメリカの欲求は、
自衛隊と米軍が一体となれる「日米軍事同盟」でしょうが、それは憲法9条がある限りできませ
ん。はやくその旗竿を国民から奪いたいのです。私たちの本当の相手はアメリカでもあります。
「グローバリゼーション」と言われます。これはアメリカの戦略用語でしょう。アメリカが自分に
不利になることをやってくれる訳はありません。
安倍内閣は全員成長論者です。すべてを経済成長に依存していますが、どの国が好きかと
問われてGNPが高いから、という人はいません。いまはこれ以上に何を求めるのでしょうか。
世界から貧困をどう防ぐのか、21世紀の課題、その解決は覇権主義では出来ません。
東京の論理に立ち向かうヒロシマを
国民投票法案が成立したとしても、憲法9条の旗は降ろさない、「改憲ノー」を今こそ!それ
が示されれば、政権の一つや二つ倒れるどころではありません。ベルリンの壁どころの変化で
はありません。
戦争国家アメリカをも、戦争をしない国に導けます。世界史を書き換える大きな出番が来まし
た。「政治ができなかったことが、国民の手でできた。長生きしてよかった」と思いたいのです。
人類の聖地、ヒロシマ・ナガサキ・オキナワのみなさん、どうか東京の論理に立ち向かってくだ
さい。
「被爆者の苦しみが忘れられたら、また戦争が起きます」――ある被爆者のことばです。
広島・長崎の原爆被爆者は、あの日の“地獄”と、今なおつづく心と体の苦しみの体験から、
平和は武力や核兵器では実現できないことを知っています。戦争は殺戮と破壊以外の何もの
でもありません。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること」を決意した日本国
憲法、とりわけ「戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認」を定めた9条は、「ヒロシマ・ナガ
サキをくり返すな」の願いから生まれました。被爆者にとって、生きる希望となりました。
その9条がいま、変えられようとしています。戦争への反省と多くの人々の命を忘れ去り、日
本はふたたび「戦争する国」になろうとしています。
「ノーモア・ヒバクシャ」を願う私たちは、心から訴えます。
憲法9条は、絶対に変えてはなりません。
憲法9条を守り、活かしてこそ、わたしたちの「願い」は実現できます。
― 人びとに戦争の犠牲を受忍(がまん)させることのない社会を
― 核兵器も戦争もない日本と世界を
― 「にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを」(峠三吉)
ノーモア・ヒバクシャ9条の会は、ふたたび被爆者をつくらないために、被爆者とともに、戦争
と原爆の実相を知り、9条と日本国憲法を学びあい、語り広めます。一人でも多くの方々がこ
のアピールに賛同されるよう呼びかけます。
2007年3月23日
ノーモア・ヒバクシャ9条の会 呼びかけ人
池田 眞規 (弁護士)
木村 緋紗子 (宮城県原爆被害者の会事務局長、広島被爆、宮城)
阪口 善次郎 (日本被団協代表理事、広島被爆、大阪)
嶋岡 静男 (三重県原爆被災者の会会長、広島被爆、三重)
藤平 典 (日本被団協代表委員、広島被爆、東京)
直野 章子 (九州大学大学院准教授)
中澤 正夫 (精神科医)
中村 雄子 (神奈川県原爆被災者の会事務局長、広島被爆、神奈川)
坪井 直 (日本被団協代表委員、広島被爆、広島)
濱谷 正晴 (一橋大学大学院教授)
肥田 舜太郎 ((社)日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長、広島被爆、埼玉)
前座 良明 (長野県原爆被害者の会会長、広島被爆、長野)
美帆 シボ (フランス ヒロシマ・ナガサキ研究所)
山口 仙二 (日本被団協代表委員、長崎被爆、長崎)
横山 照子 ((社)日本被団協原爆被爆者中央相談所理事、長崎被爆、長崎)
●会がめざすこと
子や孫はもちろん、世界の誰をも被爆者にさせまい。いま、憲法9条を変えてはならない。
日本をふたたび戦争する国、アメリカの核戦争に加担する国にしてはならない。――ノーモ
ア・ヒバクシャ9条の会は、その運動の先頭に立たねば、という原爆被爆者たちの強い使命
感から生まれました。
会は、戦争と原爆の惨禍を身をもって体験した被爆者のねがい(ノーモア・ヒバクシャ)と日
本国憲法(前文・9条)は密接不可分のものであることを多くの人びとに知らせながら、9条変
えるな、9条活かせ、の世論と運動をひろげます。
被爆者が先頭に立ちながら、ねがいを共有する人びととともに、戦争と原爆の実相を伝え
合い、9条と日本国憲法を学び合い、手を取り合って活動することを大切にします。
被爆者が若い世代に受け継いでほしいこと、若い世代が被爆者運動から学び、それを受
け継ぐことを、憲法に託して共有できる場になることをめざします。
●こんな活動をします(予定)
○「アピール」を広め、賛同を募ります。
⇒署名・メッセージ・賛同金を集めます。
○被爆者のねがいと憲法について、学び、語り合います。
⇒学習会、語り合う会などを開きます。
そのための参考資料を作成・提供します。
○ノーモア・ヒバクシャのねがいと憲法への思いをことばにして知らせます。
⇒語る会、聞きとり、賛同者からのメッセージ、ホー
ムページなど。
○各地のとりくみや活動のもようを持ち寄り、全国的に交流を深めます。
⇒ニュースの発行、交流会など。
○各地での行動に役立つチラシやポスター、横断幕などを作成します。
○各都道府県内の、あるいは各分野の「9条の会」とも交流しながら、会の趣旨をアピールし
ていきます。
○会の「アピール」や寄せられたメッセージを翻訳し、海外にも発信します。
○その他、みなさんからアイディアを寄せていただき、会の目的に必要な活動をおこないま
す。
●07.4.25
広島県9条の会ネットワーク アピール
私たちは、憲法9条を守るという趣旨で結成された広島県内各地の九条の会や、その他の
憲法を守る会とともに、本日、「広島県9条の会ネットワーク」を結成しました。これは、昨年11 月3日に協力して開催した憲法9条1万人集会を契機として、お互いの活動の独自性を尊重し つつ、より広い活動の連携をめざし協力しあうネットワークの必要なことを確認したからでし た。
今年に入ってからは、これまで以上に各九条の会の活動は活発となり、様々な学習会、講演
会を開催し、さらには幾つかの会が共同して取り組む集会も生まれました。今後、まだまだ十 分には知られていない憲法9条の真価を学び会う活動をさらに広げ、憲法9条を変えることが 平和憲法を根底からくつがえすことになること、それゆえに憲法9条を変えさせないための活 動をそれぞれの会が創意工夫をこらして行っていくことを決意しました。
そして、本日、ネットワークとしての最初の活動として、憲法9条改悪への道を開く改憲手続
き法案の衆議院における強行採決に対して強く抗議の意思を表明するとともに、参議院での 廃案を求める行動を訴えます。
与党は、同法案について、4月12日の衆院憲法調査特別委員会での強行採決に続き、13
日には衆院本会議で採決を強行して参議院に送りました。憲法という最高法規に関わる重要 な法案であり、わずかな審議の間でも多くの問題点が指摘されていたにもかかわらず、慎重審 議を求める世論の声を無視して拙速に審議をうち切った与党の責任は重大です。同法案は、 最低投票率の定めもなく、有効投票数の過半数という少数の賛成での改正ができること、公 務員や教員の意見表明が規制され、有料の意見広告は野放しのため憲法をお金で買うことな どの問題点は何ら解決されないままであり、何のためにこれだけ急ぐのかについても納得の いく説明もなされませんでした。
私たちは、これまで広島県内各地で、改憲手続法案の危険性を学習し抗議の声を上げ、街
頭での市民投票やデモなどで市民に訴えてきました。今後は、参議院での廃案を求めて、議 員へのFAX要請、抗議の集会や街頭宣伝などにより市民に訴えるなど、広島県内でともに力 を合わせ、改憲手続き法案に反対、9条改憲に反対の大きな動きを作っていくことをここに宣 言します。
2007年4月14日
広島県9条の会ネットワーク
●07.4.16
現在国会で審議中の憲法改正手続法案は、報道によれば、4月中頃までに衆議院を通過
し、今国会中に成立する見通しとされている。私たちは、法学を専門に研究する者として、現在 の法案には看過できない重大な問題点があり、これらの解消なしに同法が成立することは、大 きな禍根を今後に残すものと考える。
国の最高法規である憲法の改正につき、主権者の国民による直接投票によってそれを決す
るという重要な手続を定めるこの法律が、憲法の諸原理に則ったものにふさわしいものとなる よう慎重な審議を国会に要請するとともに、広く国民に対し討議を呼びかけるために、この声 明を発表する。
1.憲法改正手続の性格
憲法改正手続の制度は、憲法が定める国民主権、基本的人権の保障などの基本原理にし
っかりと基づき、かつ日本国憲法第96条の憲法改正手続の趣旨を正確に踏まえたものでな ければならない。
第96条によれば、憲法改正案の発議は、国会の各議院の総議員の3分の2以上の賛成に
かかるものとされ、国民が自ら改正案を提案することは想定されていない。また、憲法改正と は、憲法という規範を定立する作用であり、しかも、国民の投票で問われるのは、地方自治体 などでの住民投票におけるような個別施策ではなく、国の最高の法規たる憲法の改変の是非 である。
2.法律案の基本的な問題点
現在、国会には、自民党・公明党所属の議員提出の法律案(以下、自民・公明案)と民主党
所属の議員提出の法律案(以下、民主案)が提出されている。これらには、次の基本的な点 で、重大な問題がある。
(1)最低投票率制度の欠如
自民・公明案、民主案とも、投票の成立に必要な最低投票率の制度がない。これは、主権者
たる国民の真正な意思の表明としての実質をもたねばならない国民投票の制度として根本的 な不備である。
(2)公務員等、教育者の国民投票運動の制限
自民・公明案、民主案とも、公務員等および教育者に対して、「地位利用による国民投票運
動」を禁止している。これは、現行の公職選挙法にならった規定であるが、議員候補者や政党 の名簿を選ぶ公職選挙の場合と、最高法規たる憲法の改正の場合とで、この種の運動規制 を同じようにしてよいか、厳密に検討しなければならない。この規定に対応する罰則は定めな いとされているが、懲戒処分などのおそれがある以上、その「萎縮効果」はなくならない。また、 自民・公明案では、公務員の政治的行為の制限を定める国家公務員法、地方公務員法の規 定の適用除外がはずされた。これらによる国民投票運動への「萎縮効果」も重大である。
(3)発議から投票までの期間の短さ
自民・公明案、民主案とも、国会による憲法改正の発議から国民の投票までの期間を「60
日以後180日以内」としているが、これは国民に対する改正案の周知と熟慮・討議の期間とし ては短すぎる。この期間における活字および放送のメディアを通じた報道や広告も、そうした 熟慮・討議に資するものでなければならないが、それが確保されるかは両法案の制度ではな お定かでない。
以上から、自民・公明案、民主案ともに、国民による自由で民主的な意思の表明を保障する
憲法改正手続の制度と言うことができない。国会に対しては、拙速を避け、慎重な審議を強く 求めるものである。
2007年4月11日
賛同者(*は呼びかけ人)
愛敬浩二(名古屋大学) 麻生多聞(鳴門教育大学) 足立英郎(大阪電気通信大学) 足立
昌勝(関東学院大学) 新垣進(琉球大学名誉教授) 飯田泰雄(鹿児島大学) 生田勝義(立 命館大学) *井口秀作(大東文化大学) 石川裕一郎 ( 聖学院大学 ) 伊藤雅康(札幌学院 大学) 池端忠司(神奈川大学) 石埼学(亜細亜大学) 井端正幸(沖縄国際大学) 岩佐卓 也(神戸大学) 上田勝美(龍谷大学名誉教授) 植野妙実子(中央大学) 植松健一(島根大 学) 植村勝慶(國學院大學) 右崎正博(獨協大学) 宇佐見大司(愛知学院大学) *浦田 一郎(明治大学) 浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 大河内美紀(新潟大学) 大久保史郎 (立命館大学) 大島和夫(神戸外国語大学) 大津浩(成城大学) 大藤紀子 ( 獨協大学 ) 岡田章宏(神戸大学) 岡田正則(早稲田大学) 奥野恒久(室蘭工業大学) 奥田喜道(東京 農工大学) 小栗実(鹿児島大学) *小沢隆一(東京慈恵会医科大学) 小田中聰樹(東北 大学名誉教授) 戒能通厚(早稲田大学) 片桐善衛(名城大学) 加藤一彦(東京経済大学) 金子勝(立正大学) *上脇博之(神戸学院大学) 川崎英明(関西学院大学) 神戸秀彦 (新潟大学) 北川善英(横浜国立大学) 北野弘久(日本大学名誉教授) 木下智史(関西大 学) 君島東彦(立命館大学) 清田雄治(愛知教育大学) 久保田穣(東京農工大学) 倉田 原志(立命館大学) 倉持孝司(甲南大学) 小林武(愛知大学) 小松浩(神戸学院大学) 近 藤充代(日本福祉大学) 斉藤一久(東京学芸大学) 斉藤豊治(大阪経済大学) 阪口正二 郎(一橋大学) 笹川紀勝(明治大学) 笹沼弘志(静岡大学) 清水雅彦(明治大学) 白藤博 行(専修大学) 新屋達之(大宮法科大学院大学) 杉原泰雄(一橋大学名誉教授) 鈴木真 澄(龍谷大学) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 高橋利安(広島修道大学) 高橋洋(愛知学 院大学) 高橋眞( 大阪市 立大学) 高瀬雅男(福島大学) 竹森正孝(岐阜大学) 田島泰彦 (上智大学) *只野雅人(一橋大学) 玉樹智文(島根大学) 田村武夫(茨城大学) 田村和 之(龍谷大学) 塚田哲之(神戸学院大学) 寺川史朗(三重大学) 豊崎七絵(九州大学) 富 井利安(広島修道大学) 内藤光博(専修大学) 中里見博(福島大学) 中島茂樹(立命館大 学) 中村浩爾(元大阪経済法科大学) 長岡徹(関西学院大学) 名古道功(金沢大学) 成 澤孝人(三重短期大学) 新倉修(青山学院大学) 西谷敏(近畿大学) 丹羽徹(大阪経済法 科大学) 根森健(東洋大学) 長谷河亜希子(弘前大学) 平地秀哉(國學院大學) 広渡清 吾(東京大学) 渕野貴生(立命館大学) 本多滝夫(龍谷大学) 前原清隆(日本福祉大学) 水島朝穂(早稲田大学) 宮地基(明治学院大学) 宮本弘典(関東学院大学) 三輪隆(埼玉 大学) 村上博(香川大学) 村田尚紀(関西大学) 本秀紀(名古屋大学) 元山健(龍谷大 学) *森英樹(龍谷大学) 諸根貞夫(龍谷大学) 山本晃正(鹿児島国際大学) 横田力(都 留文科大学) 吉田省三(長崎大学) 米津孝司(中央大学) 脇田吉隆(神戸学院大学) 渡 辺治(一橋大学) 渡辺洋(神戸学院大学) 亘理格(北海道大学) 以上 111名
●07.4.12
2007年4月2日
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
日本ジャーナリスト会議(JCJ)
マスコミ関連九条の会連絡会
自由法曹団
1 強行採決を狙う与党
支持率が急落する安倍晋三首相は、今国会において改憲手続法案を何としても成立させ
ようと狙っており、そのためには与党単独採決も辞さない構えである。自民党・公明党の与党
は、民主党や共産党・社民党の反対を押し切り、22日には衆議院で中央公聴会を開催し、2
8日には大阪と新潟の2箇所で地方公聴会を開催した。今後は、4月5日に中央公聴会を開
催することを予定している。
3月27日、自民党と公明党の与党は、改憲手続法案の修正案を提出した。メディアでは、
安倍首相は4月中旬にも衆議院を通過させるよう指示していると報道されている。
しかしながら、国民の意思を正確に反映しない危険な本質は修正案においても何ら変わっ
ていない。法案の成立は憲法改正に直結するものであり、このまま修正案が成立するならば、
現在及び将来の国民にとって重大な影響を与えることとなる。
私たち4団体は、この間、メディアに携わる立場、法律家の立場から改憲手続法案の問題
点について検討し、3月10日には「国民投票法の『カラクリ』〜カネで変えられていいの?」と
題してシンポジウムを開催した。このような検討を踏まえ、4団体として、法案の有する問題の
緊急性、重大性に鑑み、改憲手続法案の問題点を指摘するとともに、重大な問題点を残した
ままの欠陥法案を絶対に廃案にすべきことを求め、以下の意見を表明するものである。
2 ねらいは海外で戦争ができる国
改憲手続法案は、憲法原理を破壊する改憲を目的とするものであり、既にその目的におい
て違憲立法であり、容認できないものである。
安倍首相は任期中の憲法改正を明言しており、改憲手続法案の成立を急ぐ安倍首相の対
応をみれば、この法案が単なる国民投票のシステムを定めるだけの手続法などではなく、改
憲を促進するための法案であることがいよいよ明白となっている。しかも、その目指す改憲の
内容は、自民党が先に発表した「新憲法草案」をみれば、憲法の基本原理、とりわけ非戦、非
武装の絶対平和主義を放棄し、日本をアメリカとともに戦争のできる国にすること、そしてその
ために立憲主義を破壊し、憲法を国民を縛るものに変えてしまうことにあるのは明らかであ
る。改憲手続法案は、憲法破壊のための法案にほかならない。
3 憲法96条を蹂躙する不公正な法案
これまで国会であれこれの修正論議が行われ、与党修正案はその論議を踏まえたものと
されている。しかし、修正案には国民の意思を正確に反映しえない不公正で非民主的な多くの
問題点が依然として審議不十分のまま残っており、法案の危険な本質は変わっていない。
内容面の問題点は多岐にわたるが、以下4点に絞って述べる。
第1に、改憲手続法が成立すれば、法案成立後の次期国会から改憲案の発議権を持つ
「憲法審査会」が設置されることとなる。「憲法審査会」を常設されれば、改憲へのレールが敷
かれて、改憲への手続きが開始されることとなる。改憲手続法が成立すれば、そのまま国民
投票の実施まで突き進むことになりかねないのである。
第2に、改憲のためのハードルをもっとも低く設定している点である。最低投票率の定めを
設けることについては、与党と民主党は一致してこれを拒否している。その上、与党案は、「過
半数」の意味を有効投票の過半数としており、民主党は、賛成票と反対票を足した「投票総
数」の過半数としており、結局は与党案と大差がない。このように有効投票の過半数という基
準を採用し、最低投票率の定めもなければ、例えば、50%前後の投票率だとすると全有権者
の2割台の賛成しかなくても憲法改正が成立してしまう。これでは、本来の国民の意思と投票
の結果に大きな乖離が生じる危険が極めて高い。
第3に、公務員・教育者に対する運動規制が盛り込まれており、全国で約500万人にもの
ぼる公務員等の自由な意見表明が制限されている点である。修正案では罰則は設けないこと
となったが、地位を利用した運動は原則として禁止されたままである。このため、公務員・教育
者の国民投票運動は行政処分の対象になる。東京都が「日の丸・君が代」で教職員の処分を
乱発したような事態も想定されかねない。また、昨年暮には「適用しない」とされていた公務員
の政治活動禁止の適用除外が見送られるなど、修正案は再び規制強化の方向に進もうとして
いる。
憲法改正にあたってはできる限り多くの国民が自由に意見表明をなし、国民的議論を喚起
すべきである。それは公務員、教育者といえども例外ではなく、禁止規定を設けること自体が
重大な問題である。
第4に、改憲賛成派と改憲反対派に公正で中立な意見表明の機会が保障されておらず、メ
ディアが改憲の道具として利用されようとしている点である。
新聞や放送に無料の意見広告を出せる主体は「政党等」やその推薦する団体に限定され
ている。これは、国民のあらゆる層、とくに少数意見を表明する権利を奪うことになる。テレビ、
ラジオによる有料広告の公正・公平な取り扱いについては、法案の修正審議の中でも十分な
議論がまったく尽くされていない。これでは、資金力のある改憲派が「カネで改憲を買う」危険
は甚大である。さらに、修正案では、改憲派政党が主導する広報協議会がテレビ、ラジオや新
聞で改憲案の広報広告を行うことになっており、メディアを通じた改憲キャンペーンがいっそう
容易になる。
メディアを改憲の道具として利用しようとするこのような法案を、断じて許すことはできない。
以上述べたとおり、改憲手続法案には重大な問題点が多々存在し、修正案でもまったく解
決していない。
本来、国民主権と民主主義の原理に立つならば、一人一人の国民が、平等に情報を得
て、自由にその意思を決定し、権力によって縛られることなく行動して一票を投ずること、こうし
て改憲賛成の投票が有権者の過半数以上あることが国民投票制度の不可欠な内容である。
「憲法改正の承認には、国民投票における国民の過半数の賛成が必要」とした憲法96条の
趣旨はここにある。改憲を通しやすくする不公正・非民主的なカラクリが仕込まれた改憲手続
法案は、96条の趣旨を蹂躙するものであり、その内容においても不公正、反民主的であり違
憲立法であると言わざるを得ない。
4 改憲手続法案は許されない
昨今の改憲手続法案に関する報道をみると、このような法案の問題点について十分な報道
がなされておらず、法案の問題点が国民に十分に知らされないままとなっている。岡山大学の
野田教授を中心にして行われたシール投票において、法案の内容を示して賛否を問うたとこ
ろ、法案に賛成が13%、反対が69%という結果になっている。シール投票の結果は、法案の
問題点が国民に明らかになれば、法案に対する国民の批判が高まることは必至であることを
示している。
法案の審議に際しては、本意見書に摘示した問題点について、国民が議論を尽くすために
必要な情報が提供され、国民に開かれた審議が、十分な期間をもってなされることが重要であ
る。このような議論のないまま、先に述べたような重大な欠陥を有したままの法案を成立させ
ることは、日本の国民主権と民主主義に重大な禍根を残すものであり、到底、容認できるもの
ではない。
このような改憲手続法案は、徹底審議の上、絶対に廃案にすべきである。
●07.4.5
国民投票法案:与党修正案、放送規制色強まる メディア側は反発
『毎日新聞』2007年3月26日
自民・公明の与党が昨年5月に国会提出した日本国憲法の改正手続きを定める国民投票法案の修正案づくりが
最終局面を迎えている。メディアにかかわる修正では、テレビCMの放送禁止期間が7日間から14日間に延長され る見通しのほか、放送法の自主規制規定に放送局が留意する条文を盛り込む案が浮上。当初の与党案よりもメディ ア規制色が濃くなっている。法規制でなく自主規制で対応すべきだと主張するメディア側と、与党修正案との隔たり はなお大きい。【臺宏士】
◇自民党内の懸念に配慮
「放送局を対象に放送法を準用した規定を盛り込みたい」。23日夕、衆院第一議員会館(東京・永田町)で開かれ
た自公両党の実務者による修正協議。船田元氏=衆院憲法調査特別委員会理事(自民)=は終了後、そう説明し た。最終局面で浮上した新たなメディア規制条項だ。
船田氏によると、放送法には、政治的公平や、報道は事実をまげないですることなどを定めた規定(3条の2)があ
ることに着目。国民投票法案でも、この規定を準用し、放送局に対して、国民投票問題に関して放送するにあたって は「(放送法の規定に)留意することとする」との文言を盛り込む方針だという。23日の公明党との協議で示して了承 された。
与党が昨年12月に公表した修正案では、放送局や新聞社がCMや広告を掲載する際には、憲法改正案に対する
賛否の取り扱いは同等とすることを求める配慮規定を新設した。しかし、同条項はCMについての料金や放送時間 帯などを平等に取り扱うことを形式的に求めたものだ。
一方、放送法3条の2は番組内容に踏み込んで規定したもので、これまで総務省が行政指導を通じた放送介入の
根拠規定として運用してきた過去がある。
CMにとどまらないメディア規制条項が浮上したのは、最近になり自民党内から「改憲に反対する番組を作られたら
どうするのか」などの懸念が出てきたためだ。放送局に対する規制強化は、こうした党内の意見に配慮して、「(CM 以外にも)少し(規制を)広げた」(船田氏)ものとみられる。
◇野党にCM全面禁止案
各政党や民間団体が出す有料のテレビやラジオCMの投票日前の禁止期間について、与党修正案は、当初案の
投票日前7日間を期日前投票に合わせ、14日間に延長することにした。日本民間放送連盟やNHK関係者は06年 11月の参考人聴取で規制に反対する考えを表明していたが退けられた。
テレビCMをめぐっては、▽有権者の感情に訴え、扇情的な批判内容が流された場合、反論できないまま投票日を
迎えかねない▽多額の料金がかかるため資金量の多寡によって出稿できるCM量に大きな差が出て賛否平等の考 えに反する??などの意見がある。
民主党の枝野幸男・憲法調査会長は「放送局には、賛否のCMの公正な取り扱いを期待できない。個人的には全
面禁止にすべきだと思う」と主張。社民党の辻元清美・政審会長代理も「賛否の公平性を保つことや、CM内容に干 渉しないなどの方針を放送局が示さない限り全面禁止を求めざるを得ない」との考えだ。
CMの問題点を認識しながらも、法規制については法案自体に反対する共産、社民両党間にも温度差がある。共
産党の笠井亮・国際局次長は「法規制ではなく、放送事業者自身や広告主が自主ルールを決めるなど結果的に賛 否平等になるような知恵を出し合えばどうか」と話す。公明党の赤松正雄・憲法調査会座長は、広告主による自主規 制で対応する案について「有力な案だ」との認識を示していたが実現しなかった。
◇公費広告で新聞が復活
「制度改正や創設を判断する国民投票では、繰り返し確認ができる活字による情報提供の大切さがより高まるの
ではないか。(公費負担の新聞広告は)あってもいいと思う」。衆院憲法調査特別委員会が22日、国会内で開いた 中央公聴会で、浅野大三郎・中央選挙管理会委員長はそう述べた。
与党、民主党の当初案ではともに政党は公費負担(無料枠)で、テレビ・ラジオや新聞に意見広告を出すことがで
きることになっていた。
これに対して、枝野氏は「政党を優遇する無料枠については批判がある。活字による広報は、国民投票公報で十
分だと考えた」とし、民主党が昨年12月に出した修正案では新聞広告を削除した。3党での話し合いで、与党もこの 考え方に傾いていたが、船田氏は浅野氏の意見を受ける形で、「(新聞広告は)もう一度考え直し、復活させてもい い」と述べた。その後、公明党とも合意した。
◇政党に情報統制の思惑??山田健太・専修大教授(メディア論)
与党案、民主案ともに政党が自分たちの意図通りに情報をコントロールさせようとする仕組みがちりばめられてい
る。
その一つがCM禁止規定だ。政党にのみ認められた公費負担によるCMは禁止期間中の例外として全期間放送
できる。しかし、禁止されるCMは、政治的な意見であり、営業目的の広告とは異なる純粋な表現行為だ。法規制は おかしい。むしろ禁止の期間が長いほど政党が情報コントロールできる状況になることを警戒すべきだ。政党が正しく て、公正、中立な発想をすると考えるのは幻想だ。
テレビCMを禁止したとしても、同時期の新聞広告や電車内の中づり、駅張りポスターの掲示などは自由である。
政党機関紙も含めた報道に対する特別な法規制はない。つまり、資金量の多寡による情報格差を是正するという現 在の広告規制案はそれ自体では目的を失うことになる。
一方、広告を出す側である政党自身は自主規制について消極的だ。資金量の多い特定政党がメディア支配をしな
いよう自主ルールをまずつくるべきだ。例えば、▽他者を中傷するようなネガティブキャンペーンはしない▽感覚に訴 えるような短いスポットCMはしない▽一人一人の有権者が受け取る情報量が平等になるよう全メディアに同量出稿 する??などだ。メディア側も割安レートの設定などを工夫すべきだ。
全国あまねく新聞が配達され、テレビを見ることができる日本は、国際的にみて恵まれたメディア環境にある。自由
な言論空間の担い手である新聞や放送を通じて、さまざまな情報が社会に流れることで、社会的な議論の共通の場 になり、国民は最善の選択をしうる。そこに政党が横から割り込んであえて否定する意図を考えるべきだ。
==============
◇放送法3条の2
放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
1 公安及び善良な風俗を害しないこと。
2 政治的に公平であること。
3 報道は事実をまげないですること。
4 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
2006年11月3日 9条のピースフェスタ i n ヒロシマ
小田実さん講演
「九条の会」のパンフレットにある「憲法九条はいまこそ旬」は、私が言い出したことです。今、
土井たか子さんと同じ西宮市に住んでおり、阪神淡路大震災もそこで受けました。2年ほど前
に西宮の市民が主催し、土井さんたちと一緒に憲法の集会を開きました。たくさんの市民が参
加してよい集会だったのですが、会場に掲げてある横断幕を見たら、「憲法は今でも旬」と書い
てありました。「今でも旬」とは、「古いけれど、今でもいけまっせ」ということです。これはおかし
い、憲法は「今こそが旬だ」という話をしたのです。憲法は古くはなく、「今こそ旬だ」という話を
します。
「9.11」事件後、アメリカは世界制覇を目指し、アフガニスタンをやっつけ、イラクをやっつ
け、あちこちに手を伸ばしていました。初め武力による制圧を狙ったのですが、それがだんだ
ん行き詰り、ここにきて平和的交渉でしか動かないことがだんだん分かってきました。
日本国憲法は、問題を武力で解決しようとするのはやめようじゃないか。武力を使わず、粘り
強い交渉、平和的手段しかないと言っています。
私たちは殺し、焼き、奪ってきた歴史を持っています。そして最後は殺され、焼かれ、奪われ
ました。大阪生まれの私は戦時中、空襲を経験しました。そして、この戦争の最後は原爆でし
た。殺され、焼かれ、奪われたあとで、戦争したらダメだということを知ったのです。われわれ
は侵略戦争をし、アメリカのように「正義の戦争」を振り回すほうも、原爆を落としたのです。そ
の結果、「正義の戦争」なんてないという認識を持ったのです。戦争のための軍備がない国を
つくる、世界をそのように変えようではないかという基本的な立場で作られたのが憲法で、過去
の歴史、過ちの歴史に終止符を打とうとしたのです。
最後に戦争をしていたのはアメリカと日本です。最後の戦争をしたわれわれだからと、究極
のところで考えたのが、「戦争をしたらおしまいだ」ということです。戦争のない世の中を作ると いうことが基本にあるのです。
今の状況を見ると、アメリカがゴリ押しで、戦争をして回っている。その結果、ニッチもサッチ
も行かなくなっています。2年前に西宮で話した「今こそ旬だ」は、憲法について、そういう考え
方を持とうではないかということだったのです。2年が経ちましたが、今はもっとそれがぴったり
の状況になっています。イラクでは何も解決していません。ベトナム戦争の末期と同じようにな
ってきました。アメリカの中間選挙で民主党が復活するのではないかと報道されています。恐ら
くそうなるでしょう。強圧的にイラク政府を打倒したが、そのあとはどうなりましたか。何も解決し
ていません。アフガニスタンもイラクも騒乱の巷になっています。アメリカはどうしていいか分か
らないところに来ているのです。
アメリカはベトナム戦争の最中も、「トンネルの出口が見えてきた」と何度も繰り返していまし
た。「泥沼から出るんだ」と。しかし、ベトナム戦争でも、出口から出られませんでした。最後に
はすごすごとベトナムから引き上げました。イラクはそういう状況です。アメリカは今、われわれ
の憲法の道をたどらざるを得ないところに来ています。その意味で、アメリカにとっても世界に
とっても、これしかないという広がりを持っているのが私たちの憲法です。
日本は、アメリカの尻馬に乗ってこれを変えようとしています。小泉政権に続き、安倍政権が
やろうとしていることは本当に愚かなことです。間違っているという以上に、愚かです。国の将
来だけでなく、世界全体の将来を誤る。大変なことになるでしょう。アメリカの将来にも影響しま
す。だから、今日の、この集会は、非常に大事な一歩ではないかと思うのです。
愚かなことは、悲惨なことを招くのだということを忘れてはいけません。戦争に正義はありま
せん。私たちは正義の戦争はないことを痛感しました。そのことを繰り返し考えないといけない のです。だから、「今こそ旬」なのです。
日本の憲法は大きな特色を持っています。戦争を始める人は、政府や財界の大立者です。
しかし、実際に戦争をするのはわれわれです。狩り出されるのは、あなたのような、私のような
「小さな人間」であり、小さな人間がいない限り、戦争はできません。
ベトナム戦争はアメリカの、まさに「小さな人間」を狩り出しました。私はこの戦争のなかでア
メリカ軍の脱走兵を助ける活動をしました。否応なく大勢の米兵と付き合いました。米軍の中
に反戦兵士の会ができ、岩国の海兵隊基地では大きな動きがありました。最大の基地の中で
反戦兵士の運動が起こったのです。私たちは、兵士の運動とつながりながら、脱走兵を助ける
運動を展開しました。小さな人間が動かない限り、戦争はうまくいきません。小さな人間が「ノ
ー」と言ったら、戦争はできないということがよく分かりました。最終段階で兵士たちは「ノー」と
言いました。反戦運動の世界的な広がりとともに、兵隊たちのやる気がなくなりました。これで
は戦争はできません。結局、アメリカは戦争をやめることになりました。イラクは今、そういう状
態に差し掛かっています。
アメリカはベトナムのような戦争に懲りて、精鋭部隊を作るため志願兵の制度を作りました。
徴兵した連中は何をするか分からないというわけです。しかし、それでは兵士が足りないので
す。イラク戦争で死んでいるのは、正規の軍隊ではなく大部分は州兵です。州兵は各州がそれ
ぞれ持っている兵士で、広島県が持っている兵士のようなものです。これらの兵士は普通の人
に近い人で、「まさかこうなる」と思っていない人たちです。正規の軍隊である志願兵を置いて、
州兵を使い出したのはベトナムと全く同じです。
イラク戦争に反対する動きがもっと出てくるでしょう。マスメディアは深く分析していませんが、
この戦争は何のためにやっているか、分からなくなってきています。仕方がないから、ブッシュ も和平工作をしていますが、追い込まれています。これはベトナムの再来です。
当局者にとっては嫌なことですが、ベトナム戦争はアメリカ人にとってマイナスのイメージがあ
ります。日本人はのんきで、ベトナム戦争は勝ったか負けたか分からないような世論が強いの
ですが、アメリカでは「すべきでなかった戦争」「間違った戦争」ということになっています。推進
役のマクナマラ元国防長官の名前を取って、ベトナム戦争は「マクナマラ戦争」と呼ばれました
が、彼の回顧録で「間違った戦争、すべきでなかった戦争」と言っています。また、ブッシュ政権
の国務長官だったコリン・パウエルをご存知でしょう。自分でも余り信じていない顔をして、イラ
クに大量破壊兵器があると言った人です。彼もかつて「ベトナム戦争は間違っていた」といった
一人です。 アメリカ人は「すべきでなかった戦争」だとしているのです。同じようなことが今、イ
ラクですすんでいる。
輝きを増してくるのは、問題解決を平和交渉でやるということです。安倍さんはポチみたいな
人ですが、日米同盟を言うなら、もっとアメリカに主張すべきです。世界情勢を見たとき、この
憲法は大事だということを、みなさんは目を見開いて見てほしい。日本にとってだけでなく、世
界にとってもアメリカにとっても大事なのだということを、もう一度考えてほしい。
もう一つ大事なことは、小さな人間のことを考えて作ったのが、この憲法です。その意味で世
界に冠たる憲法です。この憲法は、世界全体の平和を考えると同時に、小さな人間を考えてい
ます。政治の権力者ではなく、財界の大立者ではなく、金儲けする人でもない、私のような、皆
さんのような、戦争に狩り出され、戦争で被害を受ける人のことです。
この憲法は3つの特徴を持っています。
一つは前文です。前文は日本の未来だけでない。世界を変えようと宣言しています。見事で
す。この前の戦争で最後に残ったのは日本だ。世界を相手に戦い、悪いことをした国が、堂々
と宣言したのです。「われわれは前非を悔いる。間違ったことをした。しかし、世界全体はおか
しいじゃないか。これを変えよう」と高らかに宣言した。そして、これを実行しようじゃないかと力
説している。広く、大きなことを言っているのです。
にもかかわらず、小さな人間の立場を出している憲法です。それを立証しているのが24条と
25条です。ここに集まっているみなさんのような小さな人間の立場に立って考えようとしている
のがこの憲法であり、非常に特異な憲法です。世界の憲法には、基本的人権尊重するとか、
言論の自由などを書いていますが、こと細かに書いているのはこの憲法しかありません。
25条では、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。こんなに
具体的に書かれているほかに憲法ありません。
25条第2項では、「国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の
向上及び増進に努めなければならない」とあります。国がすべきだといっている。憲法は権力 者に守らせるためにある。総理大臣以下、天皇もこれを守れと書いてある。国民が守れとは書 いてない。権力者はこの憲法を守れといっている。これが大事なのです。25条は、国はやらな ければいけない。「国民がやれ」ではないのです。
26条は国民の教育です。「すべて国民は法律の定めるところにより、その能力に応じてひと
しく教育を受ける権利を有する」。「権利」ですから、私は義務教育という言葉をやめて、権利教
育という言葉を使っています。
私たちは明日、芦屋で市民集会を開きます。われわれの立場から、教育の問題を徹底的に
論議しようではないかというものです。われわれにとって、どういう教育が望ましいかを議論す
る集会です。
ところが、26条の2項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に
普通教育を受けさせる義務を負う」とある。1項で権利があるといいながら、2項では義務に転
化しています。権利だから国はその手立てを取らなければならないのに、義務に転化していま
す。これはおかしい。このカラクリに、もっと注意を向ける必要があります。
24条は婚姻の自由、家庭の問題です。「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が
同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」。
第2項では、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関す
るその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定され
なければならい」とあります。これも、国がやらなければやらないといっています。
24条と25条は際立っています。ところがいつのまにか、26条では国民の義務に転化してい
る。このことは、考えなければならないところです。
24条では、両性が性を維持することを国がやらなければならないのに、国はやっていない。
ごまかしていることがはっきりしています。このように小さな人間の権利を見事に書いている憲
法は全世界にありません。
24条を作ったのはアメリカの若い女性で、ベアテ・シロタ・ゴードンです。この人のお父さんは
有名なピアニストで、戦争中日本に住んでいました。娘のベアテさんは日本語ができて、日本
語を良く知っている人です。この人が、24条に小さな人間の権利を入れたのです。小さな人間
がこれからどうやって生きていったらいいか、ということを書いている。憲法は遥かかなたの問
題ではなく、自分たちのことなのです。
大事なことは戦争が起これば、大きな人間は逃げていくが、小さな人間は殺される側、殺す
側に回る。そういう関係に立つ限り、小さな人間の人生はダメになる。だから、24条、25条は
9条に「接続」するのです。憲法9条を守れば、この国はすばらしい憲法を守ることになる。前
文は、世界の変革に寄与しようと訴えている。世界の変革までつながるのです。
バカな政権はこれを変えようとしている。われわれは今、大事なところに立っています。小さ
な人間から出発して、憲法9条になる。さらに、9条と結びついて前文になる。先ほど松元ヒロさ
んが高らかに宣言したように、前文は、世界の問題として考えようではないかと言っているので
す。
前文だけ見ると抽象的ですが、24条、25条から出発し、連結して考えている憲法は世界に
ありません。私たちはすごい憲法を持っている。その立場から考えていただきたい。小さな人
間の人生から、大きな問題まで行くんだということ。大きな問題までいかないと、世界は救われ
ないこと。そのことを考えてほしい。世界が救われないから、ロクでもないことが今、起こってい
るのです。今の憲法の重要性はお分かりかと思います。
次に今、起こっている状況について話してみます。
今年の5月3日、NHKラジオに引っ張りだされました。憲法討論会です。ラジオで静かにしゃ
べるということで引き受けました。討論の相手は寺島実郎と松本健一という人です。二人とも改
憲論者です。松本さんは「現実はこうだ。だから変えないといけない」と言う。「現実には、世界
が戦争しているではないか、北朝鮮のこともある。だから、対応しなければならない」ということ
です。寺島さんも同じ意見であり、NHKの司会者も同じような意見でした。「9条の戦争否定の
第1項は置いておく。侵略戦争はしないということだ。第2項は、戦争全体を否定するのではな
く、自衛のための戦争はあり得る。交戦権はあるのだ。どこかが攻めてきたらどうするかを考
えないといかん」と、二人は言っていました。
自民党の憲法草案を見ても、第1項はそのままにして、第2項を変えろといっている。「自衛
隊を自衛軍にし、憲法の枠組みを定め、今のようにイラクに派兵するようなめちゃくちゃなこと
はできないようにする。そのためには憲法の枠組みをちゃんとはめるんだ。第2項を変えるん
だ」という主張が今、強力に出てきています。
2項を変えたら戦争をすることになります。自衛の戦争は否定していないのです。北朝鮮がど
れくらい恐ろしいか、恐ろしくないかというような議論はやめて、どこの国が来ようが戦争してい
いのかという問題を話してほしい。
私は戦争中の人間で空襲体験を持っています。松本さんや寺島さんは夢想家で、夢を見て
いると思います。戦争中の体験から言うと、近代的な兵器を持っていても、ガソリンがないと戦
争はできません。飛行機は飛ばないし、戦車は動かない。戦争中、飛行機は飛ばなかった。空
襲を受けても戦闘機は飛ばなかった。松根油では飛ぶはずがないのです。
もう一つ大事なことは食料がなかった。私も飢えた子どもだった。配給切符はもらったが、配
給切符に見合う食料はありませんでした。あの戦争がもう6ヵ月続いたら、多くの人が餓死して いたでしょう。少なくとも大都会の人はそうです。今、日本の食料の自給率は40パーセント。あ の時よりも、もっと低くなっています。食料自給率が40%の国が戦争できますか。アメリカも、 ドイツもフランスも持っている。日本にはないのです。
石油も食料もない国が、どう生きていくか。平和憲法を作って、これが一番いいのだというこ
とになった。戦争のない、軍備がない世界を作っていこうと書いてあるのが憲法前文です。き
わめて現実的です。
これを変えるのは幻想で、おとぎばなしです。もっとリアリストに徹してほしい。理想を追求す
ることだ。理想を追求することが一番の現実的なのです。いろんなことに幻惑されないようにし
たい。「平和憲法なんか夢想だ」という人こそが夢想なのです。リアリズムに徹してほしい。その
ことを忘れてはいけません。
防衛庁の幕僚長をしていた竹岡勝美さんという人が個人的に一生懸命キャンペーンをしてい
ることがあります。彼は、日本海沿岸にずらりと並ぶ原子力発電所をやめればいい、と言って
います。原子力発電所がミサイルの一番の対象になり、ミサイルが打ち込まれれば、凄い惨
禍が起こる、と。
こういった根本的な意見を誰も言わない。そういう意見を言う人はテレビに出て来ない。竹岡
さんは防衛庁の高級官僚だった人です。「本当に脅威を感じるなら、原子力発電所をやめなけ
ればいけない。原発をやめないと防衛できない」といっているのです。そういうことをカッと目を
見開いて考えないといけない。集まって「憲法九条を守れ」というだけではなく、一人ひとりが勉
強し、研究し、そして自由な発想をしていくことが大事ではないでしょうか。
べ平連の運動などをしてくる中で、「小田さんたちは虫瞰図だ」とよく言われました。地上を這
っている虫の目でモノを見ている、と。鳥瞰図は空から見る見方であり、対照的な見方です。虫
瞰図で見ることは、リアリズムでモノを見ることです。「この国は戦争できない国だ」というリアリ
ズムが必要なのです。
虫は空を見ます。空は自由です。安倍さんなど鳥瞰図の人は上から見ている。鳥は永遠に
は飛べない。だから、地上を見ないといけない。どこに下りるかをいつも探し回っているので
す。虫のほうが自由な発想ができる。虫に徹していくこと、そういう発想の転換が今、必要にな
っています。
われわれに必要なのは認識と思考です。認識は「虫瞰」に徹し、思考は自由にする。虫の発
想で大きく見る。世界の変革まで考えることです。もう、そこまできていると思う。小さな人間の
視点で見ることです。
その意味で、この集会がすばらしい出発点になることを期待しています。 (文責 羽原)
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池田香代子さん講演
「世界がもし100人の村だったら」(以下「100人村」)を作ったのは、今から5年前のちょうど
今頃です。1日に二度は書き直し、約一ヵ月間、編集者と長文のやり取りをして出来上がった
ものです。132万8000部が出ました。初め、印税が100万円くらい入ったらいいなと思って
いました。100万円の印税が入れば、これはクリーンヒットになります。
5年前といえば「9.11」があり、大変だった時期です。印税はアフガニスタンで井戸を掘るボ
ランティアをしている中村哲さんに寄付できればいいなと思っていました。ところが、そのあと、
所得税は来るわ、住民税も増える、国民健康保険は天井に張り付いてしまいました。
この本、1冊あたり29円の印税なのですが、結局、税金を除いた合計は3506万円となりま
した。これで「100人村基金」を作り、中村さんに100万円を送ったほか、難民にも100万円を
送りました。これらのことで、「私たちは微力ではあるが、無力ではない」ことが分かりました。
今日は主に教育基本法の話をするつもりですが、もう少しお金の話をさせてください。
私たち本を出すことを仕事にしている者は、ベストセラーを出すと最高税率を経験します。井
上ひさしさんは「吉里吉里人」を出したとき、70%の税金を払いました。「100人村」は50%で
す。この違いはどこから来るのでしょうか。99年の、不況対策のための3つの減税が関係して
います。つまり、企業減税、所得税の金持ち減税、そして定率減税です。その後、不況が回復
したとして、定率減税がなくなりました。他の二つ、企業減税と金持ちの減税も元に戻るのかと
思ったら、残しました。これは不公平ではないでしょうか。二つの減税は続いているのです。消
費税を上げる前に、定率減税を元に戻してほしいと思っています。あとで話しますが、このこと
は、教育基本法をなぜ変えようとしているかということとも関わってきます。
「100人村」を読んでくださった方が、いろんな気持ちを寄せてくださいました。そのなかで、こ
の本を音楽で表したいという人がありました。その時、コンピレーションCDというものがあると
いうことを知ったのですが、音楽によって、「100人村」を表現しようというCDです。私も、対訳
の歌詞カードを翻訳することで、この作業に参加しました。1曲目が大好きなジョンレノンの「イ
マジン」だったからです。
私が翻訳すると、どうしても「100人村」っぽくなってしまうのですが、「100人村」語訳の「イマ
ジン」を読んだ若い人が、「そうか、『イマジン』は日本国憲法だ。憲法もこういうノリで読めれば
いいのに」と言っていました。また、80代の男性が「私は『100人村』を憲法関連の本棚に並
べている」というメールを送って下さいました。憲法の成立当時生きていた方と、その憲法のも
とに生まれ育った方が同じように、「100人村」から憲法を連想したのです。
若者はなぜ「イマジン」を憲法だと言ったのか。思い当たるところの歌詞を読みます。「さあ想
像してごらん 国家はないと 難しくはないはず 殺しあう理由がなく 宗教の対立もないという
ことなのだから さあ想像して すべての人が平和のうちに生きてあるさまを」
若者は「イマジン」に憲法の平和主義を読み取ったのです。
憲法には英語に訳されたものもあります。これも正式な憲法です。英語で読んだらどうかとい
うことで翻訳してみました。いろんな発見がありました。
日本語による正文憲法の前文は、「日本国民は・・」で始まります。英文は、WEで始まりま
す。「We Japanese people・・・」で始まるのです。「私たち日本の人びとは・・・」です。松元ヒロさ
んの暗誦にもありましたが、前文には、「われらは」という印象的な言葉が何度か出てきます。
最初も「われら日本国民は・・」でやってほしかった。そうすれば、最初から最後まで、私たちの
せりふだということが、もっとはっきりしたと思うのです。
では、憲法の中で、私たちは誰に向かって、何を言っているかというと、この国の主人公は私
たちです。私たちにはこういう権利があります。国は何をするにも、この私たちの権利をしっか
り尊重しないといけないと、結構、厳しい口調で国に言い渡しているのです。ちょっと驚きまし
た。憲法というと、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」のように、何か偉い人が上からいいこと
を言っているのだと思っていました。そうではないのですね。憲法を聖徳太子の時代に戻してし
まう動きが感じられてなりません。
今の国会にかかっているのが「憲法の娘」、「準憲法」といわれる教育基本法です。教育基本
法には、道徳の教科書のようなものをいっぱい入れようとしています。改正案では、道徳の指
導要領にあるものを入れているようです。
私は今、ドイツの哲学者カントの「永久の平和のために」という本を作っています。その中にこ
んな一文がありました。「道徳心のある政治家は、国家にとって何が一番いいかを道徳心とと
もに考える。道徳心を説く政治家は、己の政治のために道徳を利用しようとする」。これは今の
日本の状況ですね。道徳を説く政治家を信用してはいけないと、カントは言っています。
私は憲法を変えてはいけないとは思ってはいません。私が胸に着けているリボンは東京地方
でつけている赤と青のリボンです。北朝鮮がテポドンを日本海に打ち込んだ7月5日の騒ぎか
ら、東京の朝鮮系の民族学校の生徒が電車の中で、おじさんに殴られました。学校に嫌がら
せや脅かしの電話がかかりました。このリボンは、「そういうのはよくないと思う」と、埼玉県の
主婦が作ったものです。チマチョゴリの制服を着られない生徒たちは緊張して通学していま
す。このリボンをつけたおばさんが車内にいることで、ほっとするのではないかと思うからつけ
ています。
日本では外国人の人権、難民の人権も守られていません。憲法の原案には外国人の人権
擁護の条項がありました。これがうやむやのうちに消えてしまった。ぜひ復活すべきだと思いま
す。そういうことで私は改憲論者です。では、変えるとしたらどこを変えるのがいいかと思い、改
憲論者の本をいろいろ読みました。
そのうちの一つ、改憲論者が言っている「憲法のでき方が気に食わない」という批判を取り上
げてみます。
「憲法は戦後人びとが茫然自失としていたとき、否応なく押し付けられたものである」。これは
数年前の国会本会議での与党議員の発言です。また、憲法のたたき台は「GHQの民政局の
人たちが、外国の憲法をつぎはぎして1週間で作ったもの。マッカーサーが横柄にも突きつけ
た、3つの条件を満たすものだとして作ったものだ」というのもあります。戦後60年もたった。こ
こで私たちの憲法をつくろうではないか、という意見です。
憲法は私たちのせりふです。私のせりふでもあります。だから、これらの批判の一つ一つを
自分の素人頭で考えていきました。
まず、戦後、人びとはいつまでも呆然としてはいませんでした。都市部では餓死者が出るほ
どでした。家族のためにみんな働いていたのです。「茫然自失」などというのは、当時の人に失
礼です。
この国では、夏になると「皇居前」の映像が映ります。これを見た若い人はそうだったのかな
と思うでしょう。人々は呆然としていた、と。何度も見ているうちに、そう思ってしまいます。しか
し、これは情報操作です。気をつけないといけません。
実際はそうではありませんでした。60年前、この憲法が公布された頃には、いっぱいデモが
あり、社会的に元気でした。20万、30万のデモがあったといいます。イラク戦争開戦時のデモ
でもせいぜい4万人です。人口や、集まるための交通網を考えると、ずっと、社会的には元気
でした。自由にものが言える世の中になったということです。
押し付けられたというのは、誰がそう感じたかが大切です。押し付けと感じたのは、当時の政
府の人です。政府の人はこの憲法案を、悔しいが飲まなければ昭和天皇が裁判にかかるとい
うことで飲みました。しかし、人びとは「戦争放棄は当たり前」「戦争はこりごり」と思っていたの
が最大公約数でした。
GHQが1週間で作ったというのは本当です。1週間でつくるのは手品です。ですから、これに
はタネがありました。
憲法のたたき台のたたき台は、昭和20年12月26日、憲法研究会が出した憲法案です。日
本政府はこれを、放置したままにしていましたが、GHQが目をつけ、翌日から翻訳にかかりま
した。翌年の1月11日には、これを評価せよと言われた弁護士、ラウエルさんのレポートが出
ます。レポートは「優れて自由主義的で、いい憲法案だ」と評価しました。そして、この人たちを
中心にした憲法作成グループができました。憲法がなぜ早くできたかというと、手元には英訳さ
れた日本人の憲法案があり、できたばかりの国連憲章があったからなのです。
研究会の中心の人が鈴木安蔵さんで、彼は「色んな国々の憲法を参考にした」と言っていま
す。どの国の憲法も外国の憲法を参考にして作られています。だから、日本の憲法も外国の
影響を受けています。それは、憲法だからです。「つぎはぎだらけだ」と批判する人たちは、何
も知らないか、知っているのにわざとそう言っているのです。
憲法研究会は、明治時代のものまで含めてさまざまな憲法案を参考にしました。全国で70、
80とも言われる憲法案がありました。とくに高知の植木枝盛の憲法案を参考にしたと言われ
ています。ここに、植木枝盛の憲法案と、明治憲法、そして私たちの憲法を比較したものがあ
ります。高知市が作ったものですが、国民の権利の項では植木の案は現行憲法とほとんどそ
のままです。言葉の並べ方もそっくりです。
インターネットで国立国会図書館のサイトの「日本国憲法の誕生」のページを見てください。
そこには第一次資料が時間に沿って並べてあります。素直に読めば、今、申し上げたことが読
み取れるはずです。
つまり憲法は、私たちの民主主義の思想と歴史の本流に位置していることを示しています。
それに口をつぐんで、「借り物だ」「押し付けだ」と言うのはやめてほしい。いやしくも憲法のこと
です。正々堂々とした立論をしてほしいと思います。
教育基本法についてですが、去年、この国は大きな曲がり角を曲がりました。
一つは、人口が減少に向かったことです。おととしの12月、日本の人口が一番多かったので
す。私たちはその時代に立ち会ったことになります。人口は今年1月から減り始めています。
もう一つは、去年、貿易収支よりも海外投資による利子収入が上回ったことです。私たちは、
この国は資源が少なく、額に汗してモノを作り、それを外国に売っていく貿易立国だ、と考えて
きました。しかし、去年、お金を海外に直接投資することによって得た利子のほうが多くなった
のです。利子収入が11兆円、貿易収入は10兆円台になリました。これは何を意味しているの
でしょうか。投資するお金は金持ちのお金であり、金融のディーラー、経済パワーエリートのも
のです。ほんのひと握りのエリートが富の半分を稼ぎ出すということになったのです。これは、
ずいぶん前から見通されていました。それに見合った国づくりをしないといけないと考えてきた
人々が、準備を進めてきました。そして、この国会に出されているのが教育基本法改正です。
以前に出た「ゆとり教育」を提唱した文部省の役人の論文を読んだことがあります。これはす
ばらしいものでした。「子どもたちが学ぶのは学ぶ喜びだ」と書いています。しかし、全国一律、
一斉にやらそうとして失敗しました。
良い意図の裏にはある魂胆がありました。「ゆとり教育」を入れたときの教育課程審議会の
会長だった三浦朱門さんは、こう言っています。「学力低下は予測しうる不安というか、覚悟し
ながらやっておりました。いや逆に、平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうに
もならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺
を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。100人
に一人でもいい。やがて、彼らが国を引っ張っていきます」。
この言葉を、経済パワーエリートが国の富の半分を稼いでいくことと結び合わせて考えてみ
てください。こういう発言はおびただしくあります。
それに見合うように、私たち普通のものは切り捨てて、教育にお金を使わないということで
す。教育基本法の改正案の義務教育の項では、現行の「9年」を消しています。中学校は義務 教育でなくするという議論で、エリート教育に金を振り向けるというわけです。こういう風にしてで きた社会を、私たちが良いと思うかどうかです。とてもどんよりとした、いやな感じの社会になる のではないでしょうか。
この国の子どもたちは危機的ではありません。数年前、イギリスで開かれたある国際会議
で、「日本の若者はなぜ犯罪に走らないか」という議論がありました。政府の「犯罪白書」で見る
と、少年犯罪の発生率は日本を1とすると、米仏は2倍、英は3倍、独は5倍。少年による殺人
は、英仏で5倍、独が6倍、アメリカでは13倍です。強盗は米英仏で20倍、ドイツは35倍で
す。
日本でむしろ深刻なのは、中高年の犯罪率が高いことです。しかし、「キレる中年」や「キレる
熟年」のことは余り言われません。子どもは、いじりやすいからです。デマゴーグに乗せられな
いようにしましょう。
この国会で教育基本法を通さないことを実現していかないと大変なことになります。私は教育
基本法特別委員会の45人の委員のうち、1日に誰か一人にファックスを送ることにしていま
す。皆さんもやってください。
(文責 羽原)
●06.11.13
憲法改悪の扉をあける「合い鍵」
国民投票法案とは?
憲法を改正する要件を定める憲法96条は、
@衆議院と参議院の両院で総議員の2/3以上の賛成が得られること、
A国会が「改正」案を発議し、国民投票を行って、その過半数の賛成を得ることが必要である
と定めています。
そこで、憲法を「改正」したいと思った場合には、国民投票のやり方を定める法律が必要にな
ります。 国民投票法案は、このような憲法「改正」のための国民投票のやり方を定める法律 のことです。
なぜ、今、国民投票法案なの?
2005年12月、自民党、公明党、民主党の3党は、通常国会へ国民投票法案を共同して提
出することに合意しました。そして、今年4月12日、自民党憲法調査会は、日本国憲法の改正 手続に関する法律(国民投票法案)の骨子素案を発表し、同月18日には公明党とも合意した 案が公表されています。国民投票法案が、今国会に提出される可能性がたいへん高まってい ます。
国民投票法案を制定しようとするねらいは、あくまで憲法「改正」にあります。
日本を「戦争する国」にするための「改憲」案、
その「改憲」案を実現するための国民投票法案
自民党は昨年11月、結党50周年の大会を開催し、「新憲法草案」を発表しました。「草案」
は、戦力不保持を規定した9条2項を削除し、自衛軍を創設することを明言しました。日本を 「戦争する国」とするものにほかなりません。さらに「草案」は、基本的人権の公益と公の秩序 による大幅な制限、スピーディーで機動的な国家機構の構築・内閣総理大臣の権限強化、愛 国心の強調などを盛り込んでいます。憲法の基本原理を根底から破壊し、日本を戦争する 国、弱肉強食の競争国家につくりかえようとするものです。国民投票法案は、このような「戦争 する国」づくりを目指す「改憲」案を実現するための重大法案です。
憲法改悪のための国民投票法案はいらない、そのために国民投票法案の国会提出を許さ
ないという世論を早急に大きくしなければなりません。
「改憲」はアメリカの要求 これを丸飲みする小泉内閣
小泉内閣は、アメリカに追随し、イラク戦争に自衛隊を派兵しました。アメリカは、憲法9条が
日米軍事同盟の障害になっていると言って9条を投げ捨てることを日本に求めています。アメ リカの世界支配のために、日本にイラク戦争でのイギリス軍と同じような役割を担わせようとい うのです。単独行動主義と先制攻撃論にたつアメリカはいま世界の中で孤立を深めています。 日本が憲法9条を投げ捨て、アメリカとの軍事行動を強めるとすれば、アジアの中で孤立する ことになります。
大多数の日本の国民は、日本が再び海外で戦争をする国になることを望んでいません。自
民党も当然このことを知っています。ですから、自民党が9条を変えようとすれば、国民の意思 を歪めて、国民投票を行わざるを得ないのです。国民の目と耳をふさぎ、口を封じ、「改憲」を 実現することが国民投票法案のねらいです。
国民の目と耳をふさぎ、口を封じる国民投票法案
国民から「改憲案賛成」をかすめとる国民投票法案
【教授と学生の会話】〜大学構内の喫茶店で 学習資料としてお使い下さい
●教授:連休明けに、国民投票法案について報告してもらうことになってるね。勉強は進んで
いるかな。
◇学生:はい、一応は。自民党の憲法調査会が2006年4月12日に発表した「骨子素案」と1
8日の公明党との合意案を読んでみました。
●教授:ほう。それは感心だね。何か問題点はあったかな。
◇学生:一言で言ってひどい法案だと思います。今の平和憲法をなんとしてでも変えてしまえと
いう「改憲」派の悪意に満ちています。
●教授:それは手厳しいね。説明してもらえるかな。
国民投票運動の禁止・制限
◇学生: まず、国民投票の運動について幅広い規制をしているのが問題だと思います。公務
員や教員は、その地位を利用して国民投票運動をしてはならないとなっています。「地位を利 用して」という限定がついていますが、実際には公務員や教員の職務と関連のない私的な行 為なのかどうか、その区別はそれほど容易ではありません。国民投票運動を規制しようとする 者によって濫用されるおそれもあり、国民投票運動が萎縮してしまいます。これでは全面的に 規制するのと同じです。
●教授: 本当にひどい法案だ。君は僕の授業でよく質問をするけれども、「先生は改憲に反
対ですか、賛成ですか、その理由は何ですか」なんてことを君に質問されても、答えられなくな る。君の質問に答えて、「9条は守るべきだ」と言って、その理由を述べたりすれば、犯罪として 刑罰を科せられるんだ。
◇学生: 先生が犯罪者になるって訳ですね。お子さんまだ、高校生でしたよね。教授の職を
失うわけにはいきませんね。
●教授: そうさ。憲法の学者が憲法の話ができなくなるんだ。まったく腹が立つ話だよ。
メディアは自主規制で萎縮
◇学生: また、報道について報道機関の自主規制を求める規定を盛り込んでいるのも問題
です。自主規制を法律で強制するなんておかしなことです。このようなことが法律に明記されれ ば、公権力による介入に根拠を与えることになると思います。
●教授: 自民党の骨子素案には、自主規制の内容として、報道の基準を策定したり、第三者
機関を設置することなどが書かれていたよね。報道内容がチェックされるようになれば、自由 な報道はできなくなってしまう。また、こういう法律ができると政府による「行政指導」による干渉 も、今よりもっとやりやすくなるだろうね。
改憲派の宣伝が氾濫
●教授: では、政党などが発議された改正案に対して賛成・反対などの意見を公表すること
については、どう規定されていたかな。
◇学生: 骨子素案では、憲法改正案広報協議会を設置するとなっています。政党などはテレ
ビや新聞に無料の意見広告ができるとされていますが、その基準をこの憲法改正案広報協議 会が定めるとなっているところが問題です。
広報協議会は、各会派の所属議員数をふまえて選任するとされていますから、国会での多数
派が意見放送や広告の基準を決めることになります。今の国会の構成では、改憲派が多数で すから、改憲派の放送広告が圧倒的な量となるおそれがあります。
●教授: これでは公正な報道の保障はできないね。広報協議会は、憲法改正案の周知広報
の権限ももっているんだよ。周知広報といいながら改憲案の宣伝をすることが目的なのは明ら かだね。さらに有償の意見広告についても、資金力のある改憲派に事実上独占される危険も あるよね。諸外国では、賛成派・反対派に均等の放送時間が割り当てられるようになっている 例が多いんだよ。
ワンパッケージ方式
●教授: 投票の方式についてはどうなっているのかな?自民党は個別投票方式を採用したと
いうような報道もなされているようだが。
◇学生: はい。でもよく調べて見ると、今の法案骨子素案は、個別投票方式にはなっていま
せん。骨子素案では、投票用紙を国会の発議にかかる議案ごとに調整するものとし、投票人 は「改正案」に賛成するときは○、反対するときは×を記入するとなっています。そして、国会 法を「改正」して、憲法改正案の提出について、「内容的に関連する事項ごとに区分して提出す るよう努めなければならない」との規定を盛り込むものとしています。これでは、例えば、自民 党の新憲法草案のようなものは、前文から最後まですべてが内容的に一体のものとして、一 括して、つまりワンパッケージにして賛否を問うことができることになります。
そうなると、例えば、新憲法草案のうち9条改憲には反対だが、環境権やプライバシー権に
は賛成という人は困ってしまいます。悩んだ末に、投票用紙に○をつけると、9条を変えること にも賛成したということになってしまいます。
これでは、国民の意思は大きく歪められてしまいます。
●教授: よく気がついたね。自民党は、9条を変えるために、誰にでも受け入れられやすい
「環境権」や「プライバシー権」を新憲法草案にくっつけたわけだ。そのうえで、実際の発議や投 票の方法についても、できるだけ「新憲法」そのものをひとつの「改正案」として提出して、一括 して賛否を問う形をとろうとしているんだね。なんとしても9条を変えたいという姑息なやり方だ ね。
投票数の過半数
◇学生: 本当にひどいですね。
●教授: では、「国民投票の過半数」の要件についてはどうだい?
◇学生: 憲法を「改正」するには、「改正」案が国民投票で過半数の承認を受けなければなら
ないのですが、その要件を「有効投票数の過半数」としています。
国民の「過半数」ならば、「投票権を有する者の過半数」とか、少なくとも「総投票数の過半
数」ということでなければならないと思います。「有効投票数の過半数」は、「改憲」案の承認に とって最も低いハードルです。
ワンパッケージ方式とセットでさらにおかしなことに
●教授: 君が先ほど指摘したワンパッケージ(一括)方式と「有効投票数の過半数」方式が結
びつくと、本当におかしなことになるんだ。
先ほど君が挙げた例で説明するとね、9条を変えることには反対だが、環境権を新たに設け
ることには賛成だという人が投票所に行って、「新憲法改正案」全体に一括して賛否をきめな ければならないと知ったら悩むだろうね。悩んだ末に、○も×もつけられないと考えて、白票を 投じた場合どうなるか。白票は無効票になるから、有効投票数からはずされて、過半数を計算 する「分母」からはずされてしまうことになる。その結果「改憲」へのハードルはさらに低くなるん だ。
◇学生: そうすると、投票率が低く、しかも多くの無効票が出てしまった場合には、わずかな
賛成票で「改憲」が容認されてしまう危険があるんですね。
●教授: そうだよ。しかも、最低投票率の規制もないから、実際には、国民のごく一部の賛成
で改憲されてしまうおそれもあるんだ。例えば、投票率が40%だった場合、無効票が10%あ ったと仮定すると、有権者のわずか15%強の賛成があれば憲法「改正」が成立することにな る。改憲派の意図は露骨だといえるね。
できることを
◇学生: 国民投票法案は国会に提出させてはいけませんね。私も明日からできることをやろ
う思います。とりあえず、友達と一緒に署名に取り組んでみます。
●教授: できることはたくさんある。僕の友人の弁護士が署名活動に取り組むと言っている。
協力してもらえるとありがたいな。学内で学習会をやってもいいだろう。国会要請にも行ったら いい。国会に提出される前にね。衆議院議員控室の窓口に行って申込書に氏名等を書けば、 入れてくれるから。勉強の成果をもって議論してくるといいよ。デモもやったらいい。最近は、パ レードとかウォークっていうのかな。警察に行ってデモ申請をすればできる。政党や議員に要 請葉書を出すのもいいだろう。若い人の知恵でどんどんやってみたらいいよ。
@3氏へ質問
沖縄の40〜50歳代の意識は?
▽諸見里さんへ
現在40代、50代の担う役割は大変重要だと思いますが、広島で自分の周囲を見回しても
ワールドカップに熱を上げる人たちは多くいても、歴史認識を深めたり、現在の政府の動きに 問題を感じ自ら学び、情報が不足していればメディアへも働きかけようという姿勢を見かけるこ とは余りありません。戦争を実際に経験していない沖縄の40代、50代の問題意識がどのよう なものか教えてください。またそれはメディアや県政を動かす力となり得ていますか?
アジアとの友好どう築く?
▽小野さんへ
「平和憲法を維持する」ということは同時に「軍隊以上に平和を守るための大きな力」を持つ
必要があると思います。それは、特に周辺諸国との友好関係だと思いますが、中国新聞はア ジア諸国との関係についての報道に関してどのような展望をお持ちでしょうか? 5月に友好都 市である重慶から市長をはじめ100人ほどの学生を含めた300人近い訪問団がありましたが、 それが大きく報道されることはなかったように思います。私の見落としであれば申し訳ありませ ん。改憲も、米軍への依存関係も、しっかりした日本の対外政策、国民一人ひとりの国際関係 への意識向上が不可欠ではないでしょうか?
改憲論議に何が欠けている?
▽岡本さんへ
改憲論議を健全なものとするために、あえてひとつ挙げるとすれば、最も重要なものは何で
しょうか?
(40代・女性)
A「下請け自衛隊」の企みでは?
米軍再編とは、米日一体というより下請化なのではないでしょうか? 自衛隊とは、武力行使
が許されない特殊に武装した実力を持った組織。このような特殊軍事組織にしている力は9条 による規範力の強さ。この規範力の強さは、戦後61年にわたる国民の平和運動の力と、アジ ア諸国民の警戒心(によるところが大きい)。自衛隊が米軍再編によって下請け軍事組織にさ れようとしている。そのための『自衛軍』化と見るべきではないか?
(NGO会員・男性)
B『囚人のジレンマ』?
浅井さんの『北朝鮮は脅威ではない』という発言は、見解・分析であり、100%保障すること
が出来るのでしょうか? 政府は安全保障の最終責任から逃れられないから『囚人のジレンマ』 が生まれるのでは? その現実からどう抜け出すかを考えないと、理想論だと思います。イラク では一人も死ななかったといいますが、5人自殺者が出たことは、らち外なのでしょうか?
(20代・男性)
C市民の「思い」を知って…
それでも九条を守らねば、孫が戦争に引き立てられます。どうすればいいでしょう。言い続け
ること、訴え続けるべきだと思っています。呉基地の問題も、見ている人は見て、怒っています が、マスメディアを持っていないので、そこで止まっています。残念です。あまり遠くない先日、N HKの人が放送に当たって、「9条が改悪されてはならないという表現を禁止された」という話を 聞いて驚いています。表現規制をやめてほしいのです。(呉・年金者)
D解釈改憲の続行許すのか?
解釈改憲で憲法空洞化の事態(自衛隊発足と増強)は進んできたが、一方では「集団的自衛
権」を認めず専守防衛の枠の中にあるといわれる自衛隊を90%の国民が認知している。「憲法 を変えずに事実上の軍隊(自衛隊)を持つ』という意見がありますが、どう考えますか。
(出版・50代男性)
E読者像に枠をはめてないか?
小野さんが言われた『理想と現実との乖離をばねに努力してきた』という趣旨の発言は、そ
の後の原爆報道等の発言と併せて拝聴していけば疑問がわいてきました。むしろ読者の姿を 枠付けて発想されているのかとも思われます。最も今日の場は、読者との距離を縮め、ジャー ナリズムと読者の協力で何が築けるのかを考える場だと期待しているので、もっと前向きな話 が出来ればいい−と思っています。(福山・M)
F「岩国」もう少し燃えて…
中国新聞は、いまひとつ面白くないと多くの老年の人たちが言っています。もう少し広島とし
て責任のある(原爆・平和について)しっかりとした、一般の人たちにも分かるように方向性を示 してほしいです。可もなく、不可もなくでは飽きられてしまいますよ。もう少し燃えてください。岩 国の問題が持ち上がっています。日本が不沈空母になってしまいます。(安佐南区・主婦)
G読売キャンペーンどう考える?
読売新聞の“戦争責任”のキャンペーンについて、他のメディアはどう捉えているのか?
(質問者不詳)
H『大和報道』現状でいいの?
一連の『大和-戦艦-』記事、報道については現状でよいのですか?
I「九条の会」なぜ報道しない?
「九条の会」についての報道は、朝日を読む限りほとんどないのはなぜか? メディアに「真実
の報道がされない」といわれる原因の一つだと考えるが…。(福山南九条の会)
J「ヒロシマ継承」の手法は?
私は今、大学生や高校生、中学生に『ヒロシマ』についてどう伝えていくのか一緒に勉強して
いる。NIEや開発教育の手法を使っていこうと思っています。方法について助言をお願いしま す。(NGOひろしま・女性)
K「九条2項」紙面で論じたか?
小野さんは「九条2項改正もやむなし』とのご意見を持っていたとのことですが、そのような視
点からの記事・報道は中国新聞紙上で行えたのですか? 「やりたくても出来ない」といった社内 的また広島という土地柄的なカベ(壁)はあるのかと思い、お尋ねします。(30代・男性)
L冷静な報道に期待
浅井先生が話されたように、今こそ憲法9条が大切であり、それに基づく外交を続けるべき
だと思います。そのためには、靖国問題を解決する必要があるし、与党に圧力をかける野党 の躍進と冷静なマスコミの報道(偏らない)が重要だと考える。その点で来年の選挙までの有効 な取り組みや住民としての運動はあるのでしょうか。(全教広島・男性組合員)
M「3S政策」今も続く?
本会の案内は中国で見つけました。朝日には載っていません。せっかく『マスコミ九条の会』
というならTVも含めた横断的な会にならいものでしょうか。以前、某作家が「戦後、日本人を考 えない国民にしようとしてGHQが「3S政策 (セックス・スポーツ・スクリーン)を採った」と聞いたこ とがある。昭和15年生まれの私など全くその申し子です。今日、TVも含めて新聞も、サッカー W杯を一面トップに載せます。少しクオリティペイパーとしての意地を見せてほしいと思います。 (熊野町・60代男性)
Nテレビのあるべき姿は?
国民に最も大きな影響力を及ぼすTVの制作者側の考え方が聞きたかった。企業をスポンサ
ーとして成立しているテレビ局は、あまり過激な主張をすることは難しいのだろうが (NHKは論 外として) 、比較的個性を出しやすい新聞、雑誌にもまして、今後はTVジャーナリズムの担う役 割がますます大きくなると思う。身近な存在である「テレビの今後あるべき姿」を知りたい。大新 聞社とキー局トップは、政治家と強いつながりがあり、既に言論統制に近い体制が出来上がっ ていると聞いたことがある。パネリストはどうお考えか? (質問者不詳)
OTVが「世論作り」先導
北朝鮮のミサイル問題は拉致事件も絡み、日本の世論に軍事同盟強化を促す「呼び水」とも
言えるものですが、世論を大きくしているのは残念ながらテレビ報道だと思います。テレビはど のチャンネルを回しても同じ様な報道、改めて新聞の力で民主的世論作りが進むように期待し ます。(建交労組合員・男性)
Pメディア現場の意識は?
地元マスメディアの主軸として、被爆体験の継承という点では、中国新聞は頑張っていると思
います。それは小野さんの言葉『ヒロシマの地にある新聞社として遺伝子になっている』ことは うなずけます。ただ現実の報道は、“千羽鶴を折りました”“平和の集いが開かれました”といっ たまさにハッピーな記事に止まっている。要因はどこにあると思いますか。
地元広島のマスメディアとして新聞と並んで大きな役割を持っているテレビについては、「ヒロ
シマ」を訴える働きは全くといっていいほど果たしていない。自主制作の番組はかなり増えてい るのにラジオを持っているRCCを筆頭に本当にお粗末な中身だ。「広島マスコミ九条の会」に 結集できているのか、そうした意識は持たれているのだろうか。(はつかいち九条の会・男性)
QTV関係者なぜ呼ばぬ?
本日のシンポになぜテレビ関係者が出席しないのか?いま最も影響を持っているTV関係者
のいない会は『新聞マスコミ九条の会』ではないか?(質問者不詳)
R「世を映すマスコミ」で良いの?
イラクから自衛隊の撤退は始まりましたが、空自は残ります。憲法違反(拡大解釈)の派兵を
した日本の責任は大きいと思います。なぜもう少し追及しないのですか? 憲法改悪、教育基本 法改悪が言われている中で大人の責任は大きいと思います。私の知っている新聞記者は「マ スコミは、人の『知りたい』と思うことの入り口にしかなれない。良くも悪くも新聞は、今の世の中 を映すもので、それ以上の存在にはなれない。なろうとするのもまた危険じゃないかな?」と言い ました。そういう意見についてはどう思われますか? 私はマスコミに対しては、それ以上のもの を期待していますが…。(九条の会おのみち・女性)
S感想:赤裸々な議論よかった
とても素晴らしい集いでした。現役マスコミ関係者の方も恐らく沢山来られていたことと思いま
す。職場での今後の議論に期待します。浅井さんは、マスコミの方々の集いということを意識し てか強い期待を込めてあえて厳しく提言をされたと思いながらお話を拝聴しました。
パネリストとして登壇された小野さんの発言にも感動しました。お話は、誠実な人柄が感じら
れ、現場で悩みながらも、被爆地の新聞としての問題意識を持って努力されておられることが よく分かりました。読者の一人として、そうした作り手の思いを聴くことができてよかったと思い ます。ご自身の「9条2項」に関する考えの変化を赤裸々に語られたところにも感銘しました。 (政党役員・男性)
●06.7.18
6・10「九条の会」全国交流集会
「アピール」呼びかけ人6氏の発言(要旨)
【三木睦子さん】
九条を守る集まりにこんなに大勢の皆さんが来て下さった。本当に励みになる。2年前に
「九条の会」を始めたのは年寄りだった。若い人に私たちの経験を味あわせたくない、明るくて
いい国でありたいという思いがあった。戦争のない、平和で穏やかな国にしたいという願いに
賛同を得て嬉しい。世界では今も残虐な事件が起きている。民族間の紛争はやめられないの
かと思う。世界に向かって、説いて回らないといけない。若い人に力を発揮してもらいたい。私
たちはそろそろ力尽きかけているが・・・・そうでもないかな(笑)。90歳になる年寄りが申し上げ
ている。優しい、楽しい世界にしよう。世界中が立ち上がれば、静かで楽しい世の中になる。
【鶴見俊輔さん】
私は日々、もうろくしている。文明から取り残されている。昭和の初めに政府は「戦争は文
明の母」という小冊子を出した。その判断は当たっていると思う。かつて米軍は文明の名で日
本を裁き、イラクに戦争を仕掛けている。二つの文明に取り残された一人のもうろくの個人とし
て戦争に反対する。戦争に反対することを選ぶ。世界に先駆けて文明の先端国から2個の原
爆を落とされた日本人として、この文明に組する必要はない。記憶を大切にし、戦争を起こす
文明に対し、もうろく人として反対する。
【澤地久枝さん】
一冊の本の引用したい。鶴見俊輔さんと岡部伊都子さんの対談だ。岡部さんの「どないした
らまともな政治をするようになるのかな・・・」の問いに、鶴見さんは「・・・・・難しいね。参ったな」
と言っておられる。私はこれは、とても正直でいいと思った。「こうすれば政治は良くなるんだ」と
かっこいい人が出てきてやるようになると怖い。
希望を高く掲げて市民が集まり、地域や職域で平和への努力を掲げている。このことが岡部
さんの問いに対する答えだと思う。希望は、市民の力、気持ちの結び合いの中から生まれる。
鶴見さんはベトナム戦争のとき、米軍の脱走兵を助ける行動をしたすごい人だが、そんな風に
言っておられることに感動した。今、私たちは、新しい曙(あけぼの)にいるのかも知れない。多
くの人が、「戦争は仕方がない、殺しあいも仕方がないがないということにはならない」と立ち上
がっている。
マスコミを見ていると、志がある人はマスコミに出てこない。出さないのだ。大阪や北海道な
ど地方に行って話すと、地元の新聞は大きく書いてくれるが、東京の新聞を見ると何も書いて いない。報道を担当する人は犯罪的だ。論評はしなくてもいいが、どの町で何人集まったくらい は報道すべきだ。一般の読者にとっては、報道されないことは「なかった」ことと同じではないだ ろうか。
この会をつぶさないようにやっていこう。緩やかなつながりをつくっていきたい。
【加藤周一さん】
私たちは、分かれ道に差しかかっている。戦争は国全体を巻き込む事業だから言論の自由
や人権は押さえつけられる。自衛隊法の改正、靖国問題などあるが、9条はそれらの問題の
中心である。9条に関しては議会と市民の意見の違いがある
政府、与党の弱点は国民の支持がないことだ。一方、市民運動は盛んだが、改憲を支持し
ていない人たちの横のつながりがない。中央集権的なものになれているから難しいのだが、連
絡を横に作る。勢いも出てきたし会の数も多くなっって来た。みんなが何をすべきか、想像力を
働かせてやろう。お互いが強くなることが大事だ。事務局は皆さんに何をやってくれとは言わな
い例外的に珍しい組織だ。今、上り坂にあるのだから乗ってください。勝てるかも知れない。皆
さん一緒にやろう。
【小田 実さん】
理想的であることは、最も現実的だ。先日NHKラジオの憲法談義に出た。松本健一、寺島実
郎、そしてNHKの人が出席した。最近の改憲派はかつてのように、「あの戦争は良かった」など
と侵略戦争を肯定して改憲しようというのではない。自民党案のように、9条の第1項をそのま
まにして、第2項を変えるというものだ。松本さんもそうだが、自衛隊を自衛軍として認める。そ
の上で、歯止めをかけるというのだ。民主党の一部もそうだと思うが、これは夢想的だ。現在
の憲法下でも自衛隊は認められないことをどんどんやっている。2項が変えられたらどうなる
か。考えれば分かることだ。原理、原則に立ってやっていくしかない。
私は戦時中、大阪で空襲にあった。空襲と飢えの苦しさを味わった。そのときのことを考え
る。今の日本は石油も食料も外国に頼っている。戦争をする国にしようとしても、戦争はできな
い。石油はあるのかないのか、食料はどうか。そのような議論なく、戦争を語るのは夢物語
だ。冷静に考えるときにきている。非暴力の世界に向けて一歩進めることが、日本を守ること
になる。
【大江健三郎さん】
憲法や教育基本法を読み返してみると、マッカーサーや日本の旧支配層の思惑はあった
が、それを受け入れた日本人には倫理的な想像力があった。教育基本法には「この憲法の理
想は、根本において教育の力にまつべき」という言葉がある。ここには、戦後の子どもたちへ
の怖れと祈りが込められている。
きょうは、独立した、多様な声の重なりを感じる。私は悲観的な人間だが、倫理的な想像力
のことを考え、憲法九条をいかに守るかを考え続けたい。皆さんの運動にあわせて、声を発し
「九条の会」アピールに賛同する県北高校退職教職員の会(県北高退教「九条の会」・会員
72人、賛同者22人)は5月20日、三次市のロイヤルホテルで、発足記念の「憲法九条を考え る集い」を開いた。集いには、県北のほか広島市・福山市・府中市などからの出席もあり、およ そ100人が参加、盛り上がりをみせた。
初めに、中間忠海代表が「私は国に命を捧げようと予科練に進んだ。私は生き延びたが、多
くの二十歳前後の仲間は、生きて終戦を迎えることはなかった。二度と軍国少年を作ってはな らないと誓った。長い道のりの今日は第一歩です」と決意を述べた。
集いの<第一部>は講演で、島根大学法文学部の植松健一助教授(憲法学)が「改憲論の
背景」について解説。
植松氏はこのなかで、
◆自衛隊が違憲か・合憲かは現時点での対抗軸ではない。「今そこにある改憲論に賛成か、
反対か」が問題だ。「今そこにある・・・」のは、全世界規模で展開する米軍との共同軍事行動 など集団的自衛権行使を可能にする改憲」である。
◆敗戦後の日本は、「憲法九条体制」ともいえる戦後民主主義のもとで、軍事費を相対的に低
く抑え経済成長に貢献してきた。保守派の政治家の中には、ずいぶん汚いこともしながら、 平和への思いの強い層もある。「護憲は保守の運動ではないか」との批判もあるが、単純に 位置づけないほうがいい。
◆「九条の会」の増加が、改憲勢力を躊躇させる。国民投票に持ち込ませないことが目標では
あるが、持ち込まれたとしても、これを過半数以上で否決することが「九条の会」の当面の課 題ではないか。地域、各職場、領域などで構成員の過半数から賛同を得る必要がある。
◆私の足元では「島大9条の会」の設立集会を5月10日に開催。今後「憲法講義出前サービ
ス」などに取り組む予定。
◆60年前のメディアの熱い思いを紹介したい。
「・・・新憲法の根拠する民主主義と平和主義の二大精神は、日本国民はもとより世界の等
しく支持共鳴するところと信じるが、ローマは一日にしてならず、この二大政治理想が真に達 成されるためには、国民の一人々の自覚とたゆみなき努力の継続による外はない。・・・
われ等国民は新憲法前文において”国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目
的を達成すること”を世界に誓っているのである。
これは「新憲法の実施にさいして」と題する、1947年5月3日の読売新聞の社説です。
<第二部>は意見発表で、各組織の次の7人が決意を述べた。
県退職教職員協議会の安藤勝章会長、県退職女性教職員協議会の戸田セツコ三次地区会
長、「九条の会・広島県北」の塚本勝彦共同代表、米軍の低空飛行の即時中止を求める県北 連絡会の藤原清隆会長(元君田村長)、広島マスコミ九条の会の山本喜介運営委員(元RCC 三次支局長)、県高校退職教職員協議会の小寺好会長、県北高退教育「九条の会」の呼びか け人・中山道の7氏。
このうち、米軍の低空飛行中止を求める運動の先頭に立ち続ける藤原氏は、全く被害の認
識の無い外務省など、特に「あんな山奥に人が住んでいるのですか」といった屈辱的な対応か らスタートして、すでに10年の運動を報告、住民の暮らしを守り抜くための自治体の使命を 淡々と訴えた。
このほか、それぞれの体験などに基づく強い危機感が表明され、「広島マスコミ九条の
会・・・」の山本喜介運営委員は、孫が書いたという設定の「バーチャル作文」を朗読、集いに 彩りを添えた。
<第三部>は、講師への一問一答。教職員OBなどから教育基本法改定の問題点について
の質問や主張が相次ぎ、改憲と一体の教基法改悪への怒りが広がっていた。
(Y)
●06.5.22
「九条の会・福山」が憲法九条のつどい
5月3日の憲法記念日に、「九条の会・福山」(賛同人約250人)が、市民参画センターで午
後1時半から90人が参加者して「憲法九条のつどい」を開いた。
「九条の会」が製作したDVD「9条は訴える!」を鑑賞のあと、参加者がディスカッションした。
会場には、9条の条文や大林宣彦氏による平和へのメッセージ、「私のかかげる小さな旗」と
題した澤地久枝さんの手紙を書にしたものなど、展示もおこなわれた。「九条の会・おのみち」 からは、これらの書を福屋で展示した経験が報告された。「参加者から、100枚を超えるメッ セージが集まった。その中には「父親が大和で死んだ、愛する人をなくすことは許されない」と いう心に残るメッセージもあった。今、必要なことは発言・行動すること、戦争はいやだと言い 続けることだ。自分の得意な分野で意思表示しよう」と訴えた。
続いて、福山市内の3つの九条の会から、活動報告があった。
「ふくやま南・九条の会」は、「九条の会アピールへの賛同者を募って一軒一軒訪ねた結果、
小学校区世帯の1割の賛同を集めた」。「念仏者九条の会」は、勉強会、講演会を広げる活動 に取り組んでいる。「福山医療生協・九条の会」は、昨年7月に戦争展を開いた。
「退職教員・九条の会」の結成準備をしている元教員は、「わたしは戦前の軍国主義教育を
受け、間違った道を歩んできた。戦後、自分で思い、自分で考え、自分で行動するこどもを育 てたいという思いで40年間教壇に立ってきた。憲法・教育基本法を守るためにがんばりたい」 と述べた。中学校の教師をしている男性は、教育基本法にもふれて、「日の丸・君が代の押し 付けなど、教育の管理統制が強まっている」と指摘した。
「うたおうよ、ラブ&ピース・プロジェクト」をたった一人で立ち上げて、各地の駅前でピース
コンサートを開き、8年間歌っているという男性は、「黙っていてはだめ、自分のできることをや っていきたい」と発言した。
メディアに対する批判も出た。
3日付の朝日新聞は憲法に対する世論調査の記事で、「憲法9条『変える』43%、『変えぬ』
42%」という見出しで、あたかも憲法9条をめぐっての賛否が以前よりも拮抗しているような印 象を与えた。朝日は憲法9条の1項と2項について、改正の是非をたずね、その結果、1項、2 項とも「変えない」が42%。 「変える」は、「1項、2項とも」18%、「1項だけ」9%、「2項だけ」 16%を合わせて43%だった。
この記事について、「まるで、1項と2項のどちらを変えたいかと訊ねる誘導尋問だ。なぜ戦
争準備のための9条改正に賛成か否かを問わないのか」と、世論調査ならぬ世論操作を恣意 的に行うメディアの在り方を痛烈に批判する声だった。
一方で、同じ3日付の朝日新聞に載った、「キムタクの『目』と憲法」という記事で感銘を受け
た女性からは、「公権力に対する僕たちの無防備な信頼が『簡単に人を殺す』ことを正当化し てしまう、憲法の価値を護るためには、無邪気に『正義の味方』と信じている公権力の権力観 を『改める』ことだ」というせりふをとりあげて、「憲法は自分と関係ないんだという人たちにこ そ、公権力は人を殺す力を持っているということをできるだけわかりやすく伝えたい」と決意を 述べた。
事前に発言を求める準備をしていなかったにもかかわらず、午後4時の閉会まで、積極的
な意見が相次いだ。
広島で被爆者した80歳の女性は、「今日の皆さんの話を聞いて恥ずかしく思った。被爆者
の会合が月に一度ある。会合で9条を守ろうと叫べども、『わしらは死ぬばあじゃけ』と、悲しい 声が返ってくる。被爆者として、これからも命の尊さを話していきたい」と発言した。
「九条の会・福山」呼びかけ人の村田民雄さんらは、「ドイツの友人からメールが届いた。ド
イツの基本法には9条の中身がない、是非9条の中身を基本法の中に入れたいと書いてあっ た。9条の重要性を世界に広げていきたい。さまざまな立場があると思うが、9条を守るという 1点で結びつき、大きな運動にしていきたい。まず地域や職場など、周囲の人たちに語り、仲 間を広げていくことが大切だ」と訴えた。(藤井) ●06.5.18 2006年4月
●呼びかけ人 (アイウエオ順)
赤木弘子(広島YWCA会長) 秋田智佳子(弁護士) 秋保喜美子(全国障害者問題研究会・
廿日市サークル) 網本えり子(廿日市・自然を考える会) 石川秀子(広島市立保育園元園 長) 石川幸枝(なかよし保育園園長) 井戸陽子(弁護士) 井野敏子(看護をよくする会・代 表委員) 今中保子(女性史研究家) 植木八重子(着物コンサルタント) 上原千寿子(広島 YMCA福祉専門学校校長) 岡田黎子(大久野島・動員学徒) 久保美津子(被爆者) 柴田幸 子(よい本をすすめる母の会) 下中奈美(弁護士) 世戸寛子(医師) 千葉佳子(広島オペラ アンサンブル代表・被爆者) 都留民子(県立広島大学教授) 冨樫恵(いのちを守る会代表 (子ども病院)) 沼田鈴子(被爆者) 藤井照子(被爆者・元電車運転士) 三浦精子(児童文 学者) 村上須賀子(県立広島大学教授) 森瀧春子(核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同 代表) 門橋政子(広島県地域女性団体連絡協議会会長) 温泉川梅代(医師) 若尾典子 (県立広島大学教授)
●呼びかけ
2004年6月、9人の有識者が呼びかけた「九条の会」のアピールを多くの女性に賛同を広
げようと、昨年2月、16人の女性有識者の呼びかけで「女性9条の会」が中央で発足しまし た。こうした中で、ぜひ、被爆地広島でも「女性9条の会」を立ち上げてほしいとの声があがり、 準備を進めてきました。
去る4月21日、呼びかけ人・賛同者が集まり、この会の正式名称を「女性9条の会・ひろし
ま」と決定し、多くの賛同者を募って5月27日に結成総会を開催することになりました。
昨年11月、自民党が「新憲法草案」を発表して、「憲法改悪」がより鮮明に具体的になり、「憲
法改定」に向けて教育基本法改悪、国民投票法案を通常会国会に提出する動きも強まってい ます。
「日本を再び戦争をする国にしてはならない」と願う皆さん、「九条の会アピール」に賛同し、
日本国憲法を守るという一点で力を合わせようではありませんか。
女性9条の会・ひろしま
広島市中区大手町5-16-18パルビル3F
пEファクス082−243−1565
みずみずしい感性、とりもどし 運動を拡げよう ! !
マスコミ関連九条の会連絡会 「文学と音楽の夕べ」ひらく
「音楽」で開幕
マスコミ関連九条の会連絡会が主催する初めてのイベント「文学と音楽の夕べ」が4月4日、
東京・千代田区の星陵会館で開催され、400人が参加した。民放九条の会からはのべ57名
が参加した。
会場は満杯で、宮崎絢子アナ(元テレビ東京・マスコミ九条の会)の司会で進行された。午後
6時30分に幕が開きいきなり音楽の夕べのプログラムとなった。村上弦一郎さんのピアノ演奏
で「トルコ行進曲」に始まり、リヴィウ・クシリアーヌさん(ルーマニア)のバイオリン演奏、村上さ
んのピアノ伴奏でクライスラーの愛の喜び他6曲、最後に村上さんのピアノ独奏でショパンのピ
アノ・ソナタ「革命」で締めくくった。
続いて「新聞OB九条の会」事務局長、戸塚章介さんが主催者挨拶に立ち、「新聞OB九条の
会の前事務局長だった小倉さんが昨年暮れに亡くなった。その小倉さんがどうしても4月4日
の、この『夕べ』を成功させたいと言い残して逝った。その遺志を受けて準備してきた。
今回なぜ「文学と音楽の夕べ」なのか。最近、国民投票法、共謀罪、教科書問題、イラク問
題などいやなことが相次いでいる。われわれの心もがさつになっている。そこでみずみずしい
感性を取り戻して運動を拡げたい、と願った。これからのマスコミ関連の九条の会の運動を考
えると、新聞も出版もOBが多いが、マスコミで、現役で仕事をしている人たちとの接点を拡げ、
現場から九条を守る運動を拡げることが大切だ。そのことを運動の核に据えながら、さらなる
運動を拡げていきたい。」と述べた。
「文学」は辻井喬(堤清二)さん
「文学の夕べ」のコーナーでは、「九条、そして思うこと」と題して辻井喬さんの講演が行われ
た。辻井さんは、本名・堤清二さんで、経営者であるとともに詩人であり、文学者として多くの肩
書きを持つ。日本文芸家協会常務理事、言論表現問題委員会・委員長も務めている。
辻井さんは、講演の冒頭で「憲法改正は防げないという人がいるが、それは事実ではないと
考える。潜在的には今の憲法がいいと思っている人たちが圧倒的に多い。にもかかわらず、
「改革」を唱える人たちが選挙では勝っている。その原因は、マスコミにあると思う」と前置きし
て講演され、「私はこう思うと言うことをしっかり発言することが憲法を守るためには必要なこと
である。集団主義でなく、自分の頭で考えていかなければならない。そうしないと劇場政治に足
を取られてしまう。マスメディアの役割は非常に大きくて、日常的に接しているからいつの間に
か麻痺してしまう場合がある。歴史感覚、国際感覚を磨き集団主義に意見が左右されないよう
にしていきたい」と結んだ。
締めくくりのコーナーでは、9つの九条の会のうち4つの九条の会が近況を報告した。出版O
B九条の会、民放九条の会、憲法九条にノーベル平和賞を!の会、マスコミ文化九条の会所
沢の順で報告があり、民放九条の会からは磯崎事務局長が報告した。
閉会の挨拶は、映画人九条の会の山田和夫さんが行い、20時45分に閉会した。
このつどいを主催したマスコミ九条の会連絡会は、新聞OB九条の会、出版OB九条の会、
映画人九条の会、憲法を守る有志の会、民放九条の会、憲法九条にノーベル平和賞を!の
会(印刷)、音楽人九条の会、マスコミ文化九条の会・所沢、マスコミ九条の会の9組織で構成
している。 (報告:民放九条の会)
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【辻井喬さん講演要旨】
九条、そして思うこと
違ったことを書くことの怖さ
あちこちの九条の会の講演会に呼ばれてお話をしているが、今の憲法を守ろうという人たち
が、どう考えても多数派なのではないかと思う。
憲法改正は防げないという人がいるが、それは事実でないと考える。潜在的には今の憲法
がいいと思っている人たちが圧倒的に多い。にもかかわらず、「改革」を唱える人たちが選挙
では勝っている。その原因は、マスコミだと思う。
独裁的な国では、マスコミは政府公報である。言論が自由だといわれている国ではどうか。
日本では6つくらい全国紙があるが、書評が各紙違うくらいでそれ以外はみな同じである。ヨー
ロッパのメディアは、それぞれキャラクターがはっきりしている。
ところが日本のメディアは、大阪方面に拠点を持つ全国紙の一紙を除いては、だいたい同じ
である。その意味では集団主義ではないかと思う。記者クラブを見てみると、各紙の記者がい
て情報交換していて、違ったことを書くことの怖さにお互いが縛られているように思う。これは
一種の集団主義といえる。自分ではいい紙面を作っていると思っていても、そうなっていない場
合が多い。メディアの実態について私たちは知る必要がある。
かつて軍閥が支配していた時代は、英雄美談が取り上げられた。国のために一命を投げ出
した。それを英雄として取り上げた。マスコミはその道具に使われた。今は、変わったといわれ
るが、今は手続き民主主義だと言える。手続きさえ違反してなければそれでいいとされる。こ
れは本当の民主主義とはかなり違う。今は、美談と言っても「一杯のかけそば」くらいしか思い
つかない。少し前までは「清く正しく美しく」とか、「清く貧しく美しく」だった。
市場経済原理主義の徘徊
手続き民主主義だと言っているうちに、日本にグローバリズムが浸透してきた。それは市場
経済原理主義、あるいは自由競争原理主義と呼ばれた。私は原理主義というのは疑ってかか
るのがいいと考えている。いろいろ変わった若い経営者が出てきて、何にもしないで沢山儲け
ようとする。そういった経営活動の元をたどっていくと改革を叫んでいる人のところに行く。
ホリエモンのような人が生まれるのは当然といえる。200年ぐらい前であれば、市場経済原
理主義という「怪物が、徘徊している・・・」ということになる。憲法改悪に反対している言論の中 にも、そういった考えがいつの間にか浸透してくる気配がある。
文化論としてのマスメディア論を考える場合に、危険だと思うのは、記事の書き方が私たちの
思考を単純化する方向へ、単純化する方向へと書かれるように思える。たとえば、あなたは、
官営に賛成ですか、民営に賛成ですかと聞かれる。大きい政府がいいか、小さい政府がいい
かと聞かれる。大きいか小さいかわからないが、これ以上税金が取られないようにと思って小
さい方がいいと答える。あれかこれかで、だんだんだんだんデジタルで物事を判断していく。一
種の脅迫である。だから民営でいく、ということになる。
競争原理で事実が歪む
憲法改悪賛成か反対かと言うことでも二者択一で聞かれる。私を取材される場合がある。私
は改正に賛成だというと、記者は、「いつから変わったのか」と聞く。私は、憲法の前文の翻訳
が正確ではない。日本語として美しくない。衆議院と訳するところを国会としているために参議
院の役割が曖昧になっている。だから正確に直すべきだ。九条はもっとはっきり、徴兵制はひ
かない。核武装はしない。海外には派兵しない、とはっきり書くべきだ。そう改正すべきだと答
える。これは記者にとっては分類からはみ出ていることになる。メディアとしてはけしからん意
見となる。だから私の意見は記事にならない。
ものの考え方が類型化されてしまうと、思考力が落ちてくる。思考力が落ちることは支配する
側に取っては絶好のチャンスとなる。気がつかないうちに外堀を埋められる。いま大変危ない
ところに来ている。メディアがそれを手助けしているように思える。それが不安である。メディア
がそうなるのは、競争原理のもとでのセンセーショナリズム、センチメンタリズムが事実を不正
確なものにしてしまう。
国際感覚と伝統文化の知識
日本の文化の宿命的な欠点として、国際感覚が欠如している。もう一つは伝統的な文化に対
する知識が乏しい。アメリカへ行った場合でも。キューバヘ行った場合でも、ロシアへ行った場
合でもできるだけ中に入って、その国を知る必要がある。メディアは文化の大きな部分だから
日本の文化について的確な認識を持っていてもらいたい。
日本の文学には思想がないとよく言われる。しかし日本の文学ほど堂々と思想を述べている
ものはない。古今集や古事記を読んでも荘だ。芸術の力は、人間性に触れることによって世の
中を平和にするという思想がある。ヨーロッパの文学の歴史よりも、遙かに早い時代に日本で
文学論が発表されている。演劇論の場合でもそうだ。世阿弥のフランス語訳のなかで、あんな
にすばらしい演劇論がある国がどうして芝居がつまらないのかと書かれている。外国の友人か
ら聞かれて、苦し紛れに、日本では演劇論はスタニフスキーしか読まない。世阿弥は読まな
い、と答えた。世阿弥は15世紀の初めに書いた。源氏物語は11世紀ぐらいだから、これは大
変なことである。世界に冠たる歴史を持っている。菅原道真は日本で初めての国際文化人で
ある。日本の文学を中国に、中国の文化を日本に紹介した人である。
集団主義でなく、自分の頭で考える
集団主義とは絶縁しなければならない。私の考えはこうだ、と言うことをはっきり言えないと憲
法を守ることは危うい。潜在的には多数の人が現憲法がいいと思っているのに集団主義で引
っ張って行かれる。
集団主義の例で言うと、マッカーサーが退任するときのことである。日本中がびっくりした。マ
ッカーサーは天皇陛下より偉いと思われていた時代に、そんな人を首にする力がどこかにある
んだということを知らされた。1951年4月11日それが起こった。
ある中央紙が、「日本を混迷と飢餓から救ってくれた元帥。今年の実りは元帥の5年8ヵ月の
賜(たまもの)である」と讃えた。他の中央紙もほぼ同じだった。マッカーサーが辞めさされたの
は、朝鮮戦争に「原爆を使え」と主張したため、国際的に孤立するということで大統領から申し
渡されたためだ。新聞ばかりでなく衆議院でも元帥に感謝決議を出した。一人共産党の議員
だけが反対した。反対した共産党議員を除名しようとした。終戦直後だったから軍国主義の名
残があったといえるが、今だったらどうだろうか。
私はこう思う、と言うことをしっかり発言することが憲法を守るためには必要なことだ。集団主
義でなく、自分の頭で考えていかなければならない。そうしないと「劇場政治」に足を取られてし
まう。マスメディアの役割は非常に大きく、私たちが日常的に接しているからいつの間にか麻
痺してしまう場合がある。
歴史感覚、国際感覚を磨き集団主義に意見が左右されないようにしていきたい。
(報告:民放九条の会)
●06.4.6
「湯豆腐」や「冷や奴」のささやかな楽しみを孫子の代まで伝えるために
すべてのおとっつぁんに「九条の会」への参加を訴えます
「とうふ連九条の会」結成アピール
日本国憲法の平和的民主的諸原則は、悲惨な戦争への痛烈な反省から生まれました。当
時は、「政府の行為によって」国民の食糧事情も誠に悲惨な状況に追い込まれました。こども もおとなも夕餉の団らんを楽しむことは許されず、まして酒を飲んで酩酊するなどは「非国民」 のそしりを免れなかったのであります。
今、自民党の進める「構造改革」によって深刻な社会的格差が広がり、われわれ勤労庶民
のくらしは九条、もとい、窮状を呈しています。しかし、そのもとでも世界に誇るべき日本の食文 化であるトーフの偉大さは燦然と輝いています。「安い、ウマい、早い」の居酒屋三原則に加え て、滋養豊富であり、酒、ビール、焼酎のいずれとも相性は抜群。さらに冬は湯豆腐、夏は冷 や奴、煮てよし、焼いてよし、枕草子もビックリ、トーフなくしてオヤジの人生を語るなかれ状態 といっても過言ではありません。
私たちは、お迎えがやってくるその日まで、毎晩の食卓にトーフがあるささやかな楽しみを再
び戦争の惨禍によって奪われることを拒否します。このことは、「ひとしく欠乏から免かれ、平 和のうちに生存する権利を有する」ことを高らかに確認した憲法の精神に見事に合致するもの です。
「もめんのように味わい深く、絹こしのようにしなやかに」お互いの人生を軽やかに乗り切ろう
と結成されたとうふ連は、かかる崇高な理想から、平和憲法をダイズにし、その改悪に断固反 対するものです。そして、遺伝子組み換えでない国産原料によるトーフに紀州の醤油または土 佐の柚子ポン、おろし生姜もしくは京都清水寺門前の一味唐辛子、そして願わくば九条ネギの みじん切りと新鮮なかつおパックがある暮らしを心から愛し、これさえあれば「ワシはだいじょー ぶじゃ」というすべてのおとっつぁんに心から訴えます。
こどもたちにトーフの福利を享受するシアワセを伝えましょう。
固豆腐(かたどうふ)製造過程を除いては圧迫と偏狭を地上から除去しましょう。
オヤジ相互の関係を支配する崇高な理想の肴を守りましょう。
私たちは、これらに全力でとりくむために「とうふ連九条の会」を結成し、奮闘するものです。
2006年3月14日
兵庫の闘う父親連絡会(とうふ連)
自民党「新憲法草案」のねらいと本質
昨日、小泉首相が与党の会議において、今国会で国民投票法案を上程すると述べました。
憲法を変えるには衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票で過 半数の賛成が必要です。自民党は、国民投票法案成立の地ならしのため、民主党案に譲歩し
ようとしています。
昨年10月28日に、自民党が新憲法草案を発表して、新聞やテレビで大きく報道されまし
た。ちょうどこの日、アメリカは横須賀基地に原子力空母を配備すると通告、日本がそれをうけ
いれたということが、神奈川新聞の一面に取り上げられました。小泉首相の地元である横須賀
は、アメリカの世界戦略の一級の基地に様変わりしようとしています。空母配備を、国会の協
議もなしに受け入れるというところに、改憲の本質が象徴的に表れています。
憲法第2章の「戦争の放棄」は、自民党の「新憲法草案」では「安全保障」となっています。
「新憲法草案」は戦争の放棄を放棄する草案なのです。
草案では現行憲法9条の第2項を削除し、代わりに、2項の1で自衛軍の保持をうたっていま
す。この草案が発表されたときに、「朝日」、「毎日」は「平和主義は堅持」と載せました。9条の
1項はそのまま残ったし、自衛隊を自衛軍に変えただけで、さほど大きな変化がないという考
えのようですが、自衛隊と自衛軍では大きな違いがあります。
草案の第3項を見ると、国および国民の安全を守る活動のほか、「国際社会の平和と安全を
確保するために国際的に協調して行われる活動および緊急事態における公の秩序を維持し
……」と書いてあります。
ここでいう「国際協調」とは、国連憲章違反のイラク戦争に賛成し、自衛隊をイラクに派遣して
アメリカの言いなりになることを指しています。「緊急事態における公の秩序を維持し」とは、国
民に銃をつきつける、軍事裁判所をつけるという意味にほかなりません。
9条は国民主権が前提となっている
日本をアメリカと一緒に戦争する国にするために、国民の基本的人権がどうなるかということ
が、自民党の草案には組み込まれています。現行憲法第13条では、公共の福祉に反しない
限り、すべて国民の自由や権利は保障されるとうたっています。個人の自由や権利を、何もの
にも勝って保障しているのです。それに対して、自民党の草案では「公益および公の秩序に反
しない限り」最大限の尊重を必要とすると、180度の転換をしています。戦時体制になったら、
国民の自由や権利が奪われると、憲法上明記しているのです。現行憲法が国家をしばる憲法
であるのに対して、自民党草案は、国家が国民の心をしばる、憲法上のクーデターの草案に
ほかなりません。
2月11日に、自民党新憲法起草委員会の「権利」小委員会、船田元委員長が、草案に対
する自民党内の反発をもとに、総選挙における自民党の圧勝を背景にして、次のような第2次
草案の試案を提示しました。
1.アメリカと一緒に戦争ができることを明記。
2.国民の責務を大幅に導入する。
3.愛国心の復活。
国民を主権者でなくそうとするのが、自民党の目的なのです。
現行憲法は1946年11月3日に「制定」されましたが、その前文には、「この憲法を確定す
る」と、述語が「確定」となっています。三木睦子さんの講演から借用すれば、「わたくしどもが
陛下からいただいた憲法」ということになります。日本国憲法は天皇ヒロヒトが「制定」し、「制
定」した瞬間から国民が「確定」する。憲法の前文には、天皇の統治から、主権が国民にうつ
る瞬間の緊張感が盛り込まれています。主権が国民にあることを宣言しているのです。
そして個人としての国民が主権者であるという前提が、憲法9条なのです。なぜかというと、
国家として戦争の発動が許されるなら、国民主権とは言えないからです。世界において国民が
100% 主権をもっているのは、コスタリカと日本だけです。自由が全面的に保障された世界に
誇るべき憲法なのです。
憲法第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、
これを保持しなければならない」とうたっています。だから、自由と権利を保障した憲法を、不
断の努力によって保持しようとしない人は、憲法違反ですね。(笑)
9条の「戦争の放棄」は、個人が国家権力にしばりをかける真髄なのです。
9条2項改憲はアメリカの押し付け
かつて改憲論者は現行憲法のことを「アメリカの押し付け憲法だ」などと言っていましたが、
実は自民党の新憲法草案こそが、アメリカの言いなりになってできたものです。
「九条の会」が発足した2004年の7月、アーミテージ米国務副長官は、訪米中だった当時
の自民党国対委員長の中川秀直氏に対して、「憲法9条は日米同盟の妨げだ」と述べ、ヨーロ
ッパでイギリスの果たしている役割と同じように、集団的自衛権の行使を許していない憲法9条
を見直すように促しました。
アーミテージ氏は国務副長官就任前、日米関係に関する超党派の研究会の座長を務め20
00年10月に、「日本側による集団的自衛権の禁止は、日米同盟協力の制約となっている。こ
の禁止事項を撤回することで、より緊密で有効な安全保障協力が可能になるだろう」という「ア
ーミテージ報告」を発表しています。
明らかに内政干渉です。憲法は国の最高法規であり、よその国が憲法を変えろというのは、
国際法規違反です。さすがにまずいと思ったのか、アーミテージ氏はのちに発言を撤回するの
ですが、8月11日にはパウエル国務長官が、「日本が国連の常任理事国になるためには、9
条を変えなければならないと述べています。日本の常任理事国入りは当のアメリカに裏切られ
てだめになりましたが……。
「自衛隊」が「自衛軍」になる。一文字の違いで騙されてはいけません。一字違いで決定的に
違うのです。一文字一語を大切にしなければなりません。
国連憲章第51条に基づく「自衛」
アメリカがなぜ9条を変えろと要求するのか、国連憲章と9条のかかわりで見ていきたいと思
います。
大江健三郎さんは、「憲法9条と教育基本法には『希求』という耳慣れない言葉が、あえて使
われていることを我々は重く受けとめなければならない。『希求』ということばには、戦争で生き
残った者たちの死者に対する態度の取り方、倫理観が込められている」と述べています。さす
がにノーベル賞作家はいいことを言います。
9条の「誠実に希求し…」の前、「正義と秩序を基調とする国際平和」という文言は国連憲章
の精神そのものです。
9条第1項は「国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止
及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並び
に平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争または事態の調整または解決を平和的手段
によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現する」という国連憲章第1条に該当します。
自民党新憲法草案も9条1項は変えられないのです。国連憲章に反しますから。
多くの犠牲を出した第二次世界大戦の後、平和の願いをこめてつくられた国連憲章第1条を
要約してまとめたのが憲法9条1項でした。
国連憲章の第2条では、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の
平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。すべての加盟国は、
その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全または
政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるも
のも慎まなければならない」とあります。憲法9条が、「武力による威嚇または武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とはっきりしているのに対し、国連
憲章のほうは「慎まなければならない」とやや腰砕けに、先制攻撃の禁止をうたっています。さ
らに国連憲章第51条は、先制攻撃を禁止するが、武力行使が発生したときの「個別的または
集団的自衛の権利は認めているのです。世界のすべての国の軍隊は、この国連憲章第51条
に基づく自衛軍です。戦後もたびたびこの自衛という名の紛争を繰り返してきました。
日本国憲法は、この国連憲章第51条にずっと警告を発しつづけてきたのです。
「ウォー」でなく「ディフェンス」になるわけ
日本は第二次世界大戦で、自ら侵略戦争をやめることができすに多くの犠牲を出しました。
天皇制の護持にこだわってポツダム宣言の不受諾をぐずぐずと続けて、無差別殺戮である原
爆投下を受けてやっとポツダム宣言を受け入れたのです。その結果、アメリカに戦争終結のた
めにやむをえなかったと原爆投下を正当化させることになりました。
その第二次世界大戦の教訓をもとにつくられたのが憲法9条でした。9条は国際平和を希求
するためには戦力をもたないことだと、世界にメッセージを発し続けてきたのです。
戦後の戦争はすべて「自衛」のための戦争でした。アメリカの起こした戦争は、 ウォーではな
く、ディフェンスでした。ウォーを始めるには連邦議会の決議が必要ですが、ディフェンスという
名の戦争なら大統領だけでできるのです。
戦力を捨てない限り戦争はなくなりませんよ、という9条の警告は不幸にも的中しました。
アメリカはベトナム戦争のときも、トンキン湾事件を口実に自衛のための戦争だとしてきたベト
ナムを爆撃しました。後にトンキン湾事件はアメリカの自作自演であることが明らかになりまし
た。
朝鮮戦争は、北朝鮮軍が38度線を越えて攻撃してきたのが始まりだといっていますが、本
当のことはまだわかっていません。米軍は国連軍として北朝鮮を攻撃しました。空になった日
本の基地を守るために、警察予備隊がつくられました。日本を社会主義から守る砦にするた
めに、米軍に都合のよい提案に賛成する国だけでサンフランシスコ講和条約を結び、日米安
保条約で日本に再軍備を求めました。中国が参戦し戦争拡大の危機が高まったことで、休戦
協定が結ばれました。あくまで休戦協定であって朝鮮戦争はまだ終わっていないのです。戦争
を終わらせ、平和条約を結ばないでおいて、アメリカは危機を煽っているのです。
警察予備隊はやがて自衛隊になります。ところが困った問題が起きました。防衛庁・自衛隊
は憲法と合致しないのです。そこで1955年、改憲をするために、自由党と民主党が合体し
て、自由民主党となりました。自民党は9条を変える目的でつくられた政党でした。
しかし、憲法99条には、国家機関や公務員には憲法を擁護、尊重する責務があると書いて
あります。そのため、歴代の首相は憲法を守ると言ってきました。防衛庁と自衛隊を憲法違反
だと言えなくなってしまったために、日本語をねじまげて、憲法解釈をし続けてきました。自衛
隊は軍隊ではなく、「自衛のための最低限の実力」だといい続けてきたのです。
タカ派といわれた自民党の政治家、簑輪登氏が、サマワへの自衛隊派遣は集団的自衛権
の行使であって違憲だと裁判をおこしましたが、現行憲法下の自衛隊は、個別的自衛権しか
使えないというのが、これまでの自民党の公式見解でした。
アメリカからイージス艦をはじめとする I Tハイテク兵器をしこたま買わされて、世界で第2位
になった軍事力を、演習でしか使えないように封印したのは、9条第2項が抑止力として働いた
からにほかなりません。だから、アメリカは9条第2項を変えて日本の軍事力が集団的自衛権
を使えるようにさせたいのです。
自民党は民主党に譲歩して国民投票法案を成立させようとしています。改憲を国会議員の
3分の2以上の賛成で発議しても、国民投票で否決されたら、国会議員はもう終わりですよ。
20世紀の戦争と21世紀の戦争
アメリカはもう20世紀型の戦争をやれなくなってしまいました。第二次世界大戦後、アメリカ
は、自分の言いなりになる傀儡政権を作って、そこがやられたことにして、「ディフェンス」の攻
撃をしかけてきました。アメリカ軍が世界のどこにでも軍事的に介入できる仕掛けの中で、中
東戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争といった20世紀型の戦争を行ってきたのです。
ソ連が同じやりかたでアフガニスタンに侵攻したとき、レーガン大統領は「ソ連は悪魔の国
だ」と言いました。ベトナム戦争では韓国軍にひどい殺戮をやらせました。アジア人の手でアジ
ア軍を殺させたのです。
その韓国で自由と民主主義を求める運動が広がっていきます。韓国の民衆は体を張り、血
を流して民主化運動を進めました。1993年に北朝鮮の核開発疑惑が起こったとき、韓国の
民衆はもうアメリカのいいなりにはなりませんでした。
かつてKC I Aに拉致され、殺されかかった金大中が大統領になり、2000年、南北首脳会
談が実現しました。韓国と北朝鮮は事実上の戦争終結宣言をしたのです。2002年にはノ・ム
ヒョン政権が誕生。韓国政府はアメリカの言いなりにならず、北朝鮮との和解と交流を進めて
います。
小泉首相もこの年ピョンヤンを訪れて日朝首脳会談を行い、早期に国交正常化を実現させ
ることを盛り込んだピョンヤン宣言を出しました。
するとアメリカは、北朝鮮が核開発を認めたと発表しました。日本のテレビでは連日、拉致家
族報道が流されます。アメリカがテレビ報道をあやつって、日本に反北朝鮮の恐怖を巻き起こ
しました。北朝鮮が怖いから、ノドンやテポドンがいつ飛んでくるかわからないから軍備が必要
だという雰囲気をどんどん高めていきます。ノドンやテポドンは通常ミサイルです。そこそこ飛
んでも近海にとどく程度です。大陸間弾道ミサイルはアメリカとロシアしか撃てません。どうあが
いても北朝鮮のミサイルはアメリカには届かないのです。
ここに21世紀の戦争のからくり、イラク戦争のからくりが隠されているのです。
イラク戦争のからくり
2003年3月30日、国連の査察団がイラクの通常ミサイルを調べて、イラクは核開発の能力
をもっていないと発表しました。これに対してアメリカとイギリスは、核兵器がなくても、イラクは
生物学兵器、化学兵器はもっていると主張してイラク攻撃をはじめました。
アメリカとイラクは大西洋をへだてています。イラクの通常ミサイルはアメリカにまでは届きま
せん。そこでアメリカは、「武力攻撃が発生した場合」に、「個別的または集団的自衛の固有の
権利」を認めた国連憲章第51条の拡大解釈をおこないます。
イラクの通常ミサイルはアメリカには届きませんが、イギリスには届く範囲にあります。そこで
イギリスを巻き込んで、「イギリスがイラクから大量破壊兵器で攻撃されることが予測される事
態」を国連憲章第51条の「武力攻撃が発生した場合」と同じとみなす、という理由づけで、アメ
リカとイギリスとの間の2国間軍事同盟に基づく集団的自衛権の行使と称して、イラクに対して
「ディフェンス」の攻撃をしかけたのです。
アメリカが日本に9条2項を変えさせて、「自衛隊」を「自衛軍」にした場合、北朝鮮のノドンや
テポドンが日本に向けられたとアメリカが見なしたら、日米安保条約という2国間軍事同盟によ
る集団的自衛権を行使して、いつでも北朝鮮の攻撃をしてもいいということになります。
21世紀の世界と日本国憲法第9条
2005年にはエネルギーの供給が不安定になりました。そこでアメリカは中東のオイルピー
クを抑えるためにイギリスを利用しました。旧ソ連領カスピ海沿岸の地域は天然ガスと石油の
宝庫です。アメリカはこのカスピ海周辺のエネルギーの利権を獲得するために、アフガニスタ
ンにパイプラインを敷く計画を立てていました。その事業を担っていたのが米企業の「ユノカル
社」でしたが、アメリカとタリバンとの関係悪化により事業は中断していました。現在のアフガニ
スタン暫定政府のカルザイ大統領はユノカル社のコンサルタントでした。
エネルギー問題をめぐって、アメリカと中国・ロシアが対立しています。アメリカ軍の司令部を
座間キャンプに移転して、日米の軍事力の頭脳を一体化。おさえたいのは中国とロシアです。
アメリカの軍需産業が世界を食いつぶすために、憲法9条を変えようとしているのです。
9条を守ることは世界平和の要です。「九条の会」の9人は、9条を守ることに身体を張り、命
をかけています。9条を守るために連帯する運動を作っていってください。周りの人に自分の言
葉で語りかけていってほしいと思います。
本稿は、坂本修弁護士が、「憲法改悪のための国民投票法案学習決起集会」(06年2月2日憲法改悪反対共同
センター主催)で講演した記録の要約です。
私はこの1年ちょっとで、約5〜6,000の人に憲法問題で話をしました。私たちのように戦争を
知っている世代が、ずっと若い人、とりわけ20代の人たちにどう話したらよいのか、迷うところ もあります。でも自分の思っていることを率直に語らなければいけないという思いで語ってきま した。そういう気持ちでこの壇上に立っています。
国会議席と世論調査のずれ、「9条改悪反対」は多数
改憲勢力は、具体的な政治日程を定めて動いています。昨年11月には自民党が50周年記
念大会で条文化した新憲法草案を確認し、これに公明党が実際上ぴったり寄り添い、民主党 が急速にすり寄るというのが現状です。
国会の議席だけ見たら、改憲派が圧倒的状況だと思います。でも、国会議席と国民世論との
間にはものすごいずれがある。この国民世論を分析してみると、憲法改正していいんじゃない かというのは、年々増えて6割、世論調査によっては7割に近い。けれども、「9条を変える」 に、賛成か反対かというと、去年の5月段階の各紙では、朝日も読売も「改憲反対は6、賛成 は4」です。
9月のあの突風的な小泉選挙の嵐の中で行われた世論調査で、10月発表になった毎日新
聞では「9条改憲反対は2、賛成は1」です。世代的に20代の改憲反対が非常に多かった。確 か70%前後と思います。国民は9条の改悪には反対で、しかも増えている。私たちが「九条の 会」に結集し、共同センターを作り、たたかい抜いてきたのが、じわりと効いてきている。つま り、押し返しつつあると思っています。
1月のNHKスペシャル「徹底討論 どうする憲法9条」という番組。たまたま見ていて最初は
腹立ったんです。例えば「アメリカに対して日本はあまりにも引き回され、言われるままになっ ている。これは改めなければいけない」という視聴者の発言があり、良いことを言ってるなと思 ったら、その人の結論は、「だから、憲法9条を改正して、軍隊を持つべきである。自国の軍隊 を持ってないから、アメリカに引っ張られる」というのです。
テレビに向かってコップをぶつけたくなるような思いで聞いたんです。
でも、その番組直前のアンケート結果がテロップで出た。自衛隊のあり方について「アメリカ
軍や多国籍軍と一緒に武力を行使する」という調査項目に、賛成は4%しかない。9条改憲の 中心がアメリカ軍と一緒になって、外国で不正な先制戦争をやるためという、「改憲の本質」が 国民に伝われば、私たちは圧勝できることを示しています。
番組の最後に各政党の代表に一言が割当てられ、日本共産党参議院議員の小池晃さん
は、わずか1〜2分で何を言ったか。
「私は今日のこの討論に参加して、本当に安心しました。今日の集まった人たちの圧倒的多
数は侵略戦争はしたくない。平和の道を行きたい。そう言ってることに確信を持ちました。その 声を広げれば、必ず改悪を阻止することができます」と話したのです。
いろんな議論が乱れる中で、国民の本当に言いたいこと、言っていることは何かを的確にま
とめた話であり、それが結局、番組の締めになったような気がします。
自民案は”壊憲” 戦争する国への大転換
自民党「新憲法草案」は、こうした国民の本当の願いに全く背くものです。自民党改憲案は、
憲法9条の2項を取り去って、戦争ができない歯止めを除くための改憲、私もそう言ってきまし た。でも、今、「憲法 その真実 ― 光をどこに見るか(仮題)」を書くに当たって、詳しく自民党案 を調べていると、それだけでないことに気付きました。
確かに、軍備は持たない、交戦権は持たない、だから、集団的自衛権も使いようがない。だ
から戦闘地域に兵隊は出せないという憲法9条2項は、世界に輝く先進の規定であり、戦争参 加をストップしてきた貴重な歯止めです。
今度の自民党の改憲案はそれを取り払って、「自衛軍を保持する」と書いてある。「隊」じゃな
くて、「軍」であれば、先制攻撃はできるし、多国籍軍と一緒になって戦争ができる。軍事裁判 所も設置できる。そこが現憲法と決定的に違う。しかも、それだけではない。
次の問題として、自民党の改憲案「9条の二」の3項に自衛軍の任務として、「自衛の活動以
外」に「国際社会の平和と安全の確保のために国際的に協調して行なわれる活動を行なう」と 明記しました。
これは、「自衛以外」なんですから、守るんじゃなくて他国を攻めるんです。何のためかと言え
ば、国際社会の平和と安全のためという。これは、「ブッシュ語」です。ブッシュは大量破壊兵 器があるといってイラクを攻め、無いとわかった後も、あれは「国際社会の平和と安全のため」 にやったんだと居直っているではありませんか。
つまり、自民案の9条の二の3項は、「ブッシュ語」と「小泉語」を憲法に書き込んで、日本は
アメリカと一緒になって、国連がイエスと言おうが、ノーと言おうが、「国際社会の平和の安全」 「国際協調」のため、日本の若者を戦地に投入することを憲法に明記した、これが自民党改憲 案の本質です。
これは、日本国憲法の原理である「非武装、非戦の平和主義」を根底から破壊する、つまり
「壊憲」です。通常の意味での憲法改正案ではないことを、しっかりつかみ国民と語り合う必要 があると思うわけです。
自・公と民主が急ぐ理由 “壊憲”露払いの国民投票法
自公民3党は、今国会に何が何でも国民投票法案を上程し、制定させたいと去年の12月に
3党合意しています。
これは本当に変な話です。自民党案と民主党案は相当な違いがあるから、簡単にはまとまら
ないはずなのに、民主党を取り込んで、今度の国会に出して成立させるということだけは早々 と確認している。法案成立で合意すると言うなら、中身の一致がなきゃいけないはずなのに、 「早期成立」としている。これはどっかで話がついている。あるいは、多少の違いがあっても、国 民投票法案を何が何でも通す、強力な動きが民主党の中にあると見なければならないと思い ます。
何でそんなに急ぐのか。その1つは、国民投票で過半数を取らなければ、国会議席で圧倒的
多数を占めていても、憲法改定は不可能です。だから、改憲案を自公民3党ですり合わせてま とめなければいけません。それにはちょっと時間がかかる。そこでまずは「露払い」として、手 始めに「国民投票法」で三党合意の「先行実績」を作る。
もう一つには国民に、「もう国民投票法案までできた」「もう流れは決まった」と、改憲を心配し
ている国民の一部を諦めさせ、「改憲止むなし」という方向に引きずり込んでいくことを狙ってい る。
前原代表の危険な暴走
自公民三党間で改憲発議の一本化を展望しつつ、国民投票法の上程・制定について危険な
すり合わせが始まっている。それをリアルに証明しているのは、民主党代表の前原誠司さんの 発言です。
彼は2005年12月4日にワシントンの米戦略国際問題研究所で「民主党の目指す国家像と
外交ビジョン」と題して講演しています。その中で前原さんは、「ペルシャ湾からマラッカ海峡を 経て、日本に至るシーレーン防衛に関し、今までの1,000海里より遠くの海域まで、日本が役割 を果たすことが重要。そのために憲法改正と自衛隊の活動が必要になる。海外での武力行使 を可能にする集団自衛権の行使も、憲法改正で検討すべきだ」と言った。
自民党でも、ここまではっきり言った人は少ない。もちろん前原さんのこの発言に対しては、
民主党の党大会でもいろんな反発はありましす。ただ、1党の代表が公言していますから、こ れを支える党内の勢力や財界などにも支えられた相当な動きだと見なければならない。とすれ ば、「三党でそう簡単にまとまらないだろう」と甘い予測をしているわけにはいかない。私たちは 国民投票法が今国会の、どこかで話をつけて上程される可能性が強いというふうに見なけれ ばならない。だから、緊張感を持って見つめているのです。
国民投票法案の問題点
肝心の国民投票法案とは何か。私たちはなぜ反対するのか、反対の大義がどこにあるか。
憲法改悪には反対だという知識人、弁護士らの中にも「憲法には改正手続きとしての国民投 票が書いてある。中身はともかく手続きの法律を決めること自体がけしからんというわけには いかないのではないか」という意見があったし、今もある。
そのことが国民投票法反対の運動に立ち遅れを作っている原因ではないか。自由法曹団
は、断固反対として意見書を発表しているのです。最も基本的な点は、改憲―正確には「壊 憲」のための立法は憲法が認めないということです。
投票法は本質的には違憲 改憲に導く手段としての悪法
なぜか。1つは、どんな中身であれ、「今の憲法を根底から破壊する国民投票法反対」には
大義があると私は確信しています。改憲派が国民投票法を急ぐのは、憲法改正を過半数で可 決するためです。そんなことを憲法の改正手続き条項は認めているわけではないのです。
そのことを考えて見ましょう。今、国民主権をやめ「天皇は神聖にして侵すべからず」という憲
法に変えるとします。また、「両性が平等で自分たちだけで結婚するなんてわがまま。戦前のよ うに『家制度』を作って、結婚には戸主の同意がいるというふうに憲法を変える」とします。それ が憲法改定案で、そのために国民投票法を作ると言ったら、みんな「そんなばかな」と言うでし ょう。
現憲法に縁もユカリもない憲法にするための手続法は、憲法の生命を奪うための凶器であ
り、「つくること自体に反対」というでしょう。
「憲法改正の限界」
憲法を人間に例えれば、憲法が、自分が殺されるものを、自分の改正手続きでやってくれな
んていうことを認めるわけがない。これは憲法学で言ったら、「憲法改正の限界」ということで す。変えることはできるけれども変えるには限界がある。
人類普遍の原理、その憲法の一番大事とする原理・原則は変えちゃいけない。それを変えな
い範囲でだけ、96条の改正手続きは認めている。
これは、名古屋大学の著名な憲法学者である浦部法穂さんが、もっと緻密な言い方で同じこ
とを要旨つぎのように言っている。
「国会議員は憲法擁護義務を負っている。国会議員が、その憲法を抹殺するような発議をす
るというのはあり得ない。そういう発議をするために、必要な法律を作るということはできない。 力でやることはできるだろう。力でやるということは、これはクーデターみたいなものだ。合法的 にやるという限り、そんなことはできない」と。
私は、この学説に全面的に賛成します。こうした考えを広く伝える必要があると思っていま
す。マスコミでも、今言ったような原理、最も基本に関わることについてはほとんどない。憲法 の全体をひっくり返し、抹殺して、人を殺すための憲法に変えることに対して、憲法改正の手続 き法を認めているわけでは決してないのだということを、まず掴み直して確信とする必要がある と思います。
狙いが悪ければ、中身もひどい
2番目。けしからん目的のためだから、中身も本当にひどい。そのことを多くの人に語ってい
く必要があると考えます。
重要なキーワードは、日弁連の意見書が指摘している「国民主権主義」です。
日弁連には大企業の顧問弁護士さんも、自民党の強い支持者も、それから創価学会の弁護
士さんも入っている。最近では外資系の大法律事務所の人もたくさんいます。そういう人も含 め、全部入っている団体です。
その日弁連が国民投票法案について「国民主権」が問題だとしています。国民投票法を作る
としたら、主権者国民の意思が本当に反映できるような法律でなければならない。与党案はそ の大原則をほとんど考えた形跡がないと厳しく批判しているのです。国民主権に反する恐れの 強い法案を、ろくな討議もしないで、まとめていくということを深く憂慮すると言っています。つま り、内容からも、つくり方からも賛成できない?というのが日弁連の立場でしょう。
日弁連のこのキーワードは、大変大事だと思います。
発議から投票まで最短30日、これでは議論も出来ない
第1に、発議してから投票まで30日〜90日と、期間が短い。日本の国はどうなるのか、それ
を国民が討論するのに、最短30日でどうしてできますか。これは主権者に決めさせない。3党 合意でまとめた改憲案をマスコミなど使って一気に流し込むための、ほとんど謀略的な期間だ と思います。
月間「憲法運動」(2006年1月号)の論文はさすがに鋭い指摘をしています。30日では雑誌
も出せないと言うのです。企画案、原稿書き、印刷、出版、読者に届ける―は、30日では間に 合わないと。もっともです。ちなみに、この論文「国民投票法案の検証」は、基本的な論点を分 析して解明しています。ぜひご一読をお勧めします。
徴兵対象者の投票権を奪う 在日外国人も除外
2番目は、国民投票の投票権を20歳以上にしていることです。諸外国、サミット関係国全部
そうですが、選挙でも18歳以上が世界の流れです。18歳になったら立派な大人です。しかも 憲法が改悪され徴兵制で連れていかれるのは、73歳の私じゃなくて、若い人です。自分の生 命のかかること、何で18歳や19 歳の人が投票できないのか。ここにもインチキがある。
3番目。外国人には投票も運動も禁止しています。日本に長く暮らしている在日外国人はい
っぱいいます。日本の政治や経済的不公正の中で無権利や差別で苦しんでいる外国人にも 投票権を与えた方がいい。投票権は与えないまでも、何で国民運動に関与しちゃいけない の?
今、在日朝鮮人などの在日外国人が、日本の憲法改悪を憂えて、いろんなメディアで語って
います。自らの人権、正義実現のために改憲について意見をなぜ禁止するのでしょうか。これ も道理に反します。
成立要件のハードルが低い
4番目は、国民投票の成立ハードルが低い。有効投票の過半数を取れば成立と言っていま
す。過半数だと、膨大な棄権者が出たらどうします? 投票所まで来たけど、やっぱり賛成に は踏み切れない。しかし、反対にも踏み切れない、で帰ってしまったとする。国民過半数以上 の賛成が憲法96条の基本ですから、過半数ないとおかしいでしょう。
有権者が1000人いて、500人が投票し、有効投票率50%とします。この過半数の26%、
260人が賛成すればいいというのが与党案です。賛否を決めきれない白票が10%あれば、 これは母数から除外されますから40%の過半数、つまり有権者の20%強で改憲が実現する ことになる。もっと極端に、白票が20%を越えれば、15%強で改憲が実現する・・・。
国民投票制度には、
a) 投票総数の過半数、
b) 有効投票の過半数、
c) 有権者の過半数
があり得る。有権者の過半数が、一番高いハードルです。外国では有効投票の過半数で、な
おかつ全有権者の40%以上(デンマーク)という国もある。投票率が下がった時に、少数の賛 成で国の憲法が変わる危険を避けるためです。
諸外国は、憲法改正というのは大問題だから、二重三重にハードルを構えて、主権者国民
の固まった意思に基づいて過半数の時だけ変えられるとしている。
与党案が、有効投票の過半数に下げたのは、主権者である国民の意思を尊重するのでは
なく、どんな方法を採っても、国民投票を通したならば、過半数の取れる仕組みを検討している からとしか考えられない。
国民投票の方法は一括?
5番目は、一括投票か、分割投票なのかです。大きな問題です。例えば、「新しい人権」は欲
しいが、9条改悪には反対だと迷いながら投票所に行く人。そこで、国民が本当に憲法につい て意思を表示するならば、「新しい人権」について賛成、9条改悪には反対と、主権者としてき っちり言えるのが原則です。まとめて1本という仕組みは間違っている。
ただし、与党案は一括投票とは決めていません。一括投票か、分割投票かは、今度の国民
投票法では決めずに政令か何かで決める、としています。これは民主党が、現時点では分割 投票説を採っていますし、国民も、やっぱり一括投票がおかしいっていう人が結構います。そこ でこの重要問題は先送りし、国民投票法を作っておいて、投票直前に法律を作ってドンと始末 をつける手の込んだやり方です。
言論の自由と活動の自由を制限
6番目。新聞、雑誌の「報道の自由」にさまざまな制限がある。与党案には、「何人も国民投
票の結果に影響を及ぼす目的を持って、新聞または雑誌に対する編集その他、経営上の特 殊な地位を利用し、当該新聞紙、または雑誌に国民投票に関する報道および評論を掲載し、 または掲載させることができないものとする」。放送事業については、「虚偽の事項を放送し、 または事実を歪めて報道するなど、表現の自由を乱用して、国民投票の公正を害してはなら ないものとする」となっています。
権力を握っているのは改憲勢力ですから警察をどう使うか、報道の公正に反した、虚偽の事
項を流布したなど、どうにでも認定できる。
一つの例をあげておきましょう。
自民党の改憲案には、直接、徴兵制というのは書いていませんけど、自民党の改憲案のよう
に、国際平和と安全のために他国と協調して海外で戦争をすることまで決めてしまったら、「徴 兵制は改憲の後に来る危険な選択肢だ」と、あるマスコミが書いたとします。そうすれば、虚偽 の風説を流布した、国民投票の結果に影響を与える目的を持って、言論の自由を乱用した― と、弾圧できるのです。記者や、編集者を投獄するまでもなく、1つか2つ仕組んでやれば、改 憲反対の論説や報道はビシッと止まると思います。
諸外国には、こんな報道の自由に対する制限はありません。あるのは、賛成派と反対派の
報道を同じ時間、同じ項目で発表させなければならないという規制です。
それから、国民の運動についても、国家公務員、地方公務員が「その地位を利用」して、国
民投票運動に参加することはだめ、教育者についても同様です。
「九条の会」の小森陽一さんや渡辺治さんは、今のような運動はできない。口がふさがれてし
まい、私たちは2人のお話は聞けなくなる。学校の先生は私学を含めて全部だめです。「地位 を利用して」というのは、権力側にとってはどうでも使えるもので「歯止め」はないのです。
通ってからでは遅い
言論の自由、運動の自由が奪われることは、まともな国民投票には到底ならないことです。
こんな仕組みで行なわれて「壊憲」されたら、その被害回復はまずは不可能です。
起訴されて、裁判で私たち弁護士が必死に頑張って、何年か後に無罪を勝ち取る可能性は
あるかもしれないが、完全に手遅れです。人を殺す国の憲法ができる後ですから。
かつて、有事法制問題が浮上した時、朝日歌壇に石井百代さんという方の歌が載りました。
「徴兵は命をかけても拒むべし、祖母、妻、おみな、牢に満つるとも」という歌だったと思いま す。いい歌です。
マスコミを規制し、国家公務員と地方公務員を規制し、一般の人については、マンションの住
居侵入だとか、ビラ配りは道交法違反だとか、そういうのをセットにした時に、この法律の下で 我々はフェアに本当に主権者の国民としての権利を行使してたたかうことは困難になる。つま り、改憲勢力は主権者の権利を奪って、「安心して勝てる手続き法」を手に入れようとしている のです。
たたかいの「光をどこに見るか」
最後に、「光をどこに見るか」。目先だけ見ると、この間の選挙で小泉自民党は突風的勝利
をしました。いろいろ調べました。規制緩和、構造改革で一番ひどい目に遭っている人が結構 投票している。やっぱり人間が本当に苦しくなってくると、現状を変え、幸せが手に入るという宣 伝に多くの人々が引きずり込まれる。
戦前のナチスドイツが権力を取った時や、日本が満州の「王道楽土」を建設しようということ
で走った時も、そうだった。特攻警察に追われて嫌々行ったのではない。国民レベルでそれを 支持した。日の丸を振って、兵士を送った。そうならないためには、私たちは今、本当のことを 本気に語って、草の根から運動を起こしていかなきゃいけない。
情勢の変化を世界史的に捉える
語るべきことの一つとして、私は、今、世界が誰の力でどの方向に動いているかを語ることだ
と考えています。
南米の人口の77%の人が住む6カ国が基本的には革新政権に変わった。アメリカがどんな
に怒鳴っても、イラクには行かない。かつては、国連でアメリカの投票マシンだと言われ、アメリ カの裏庭だと言われたあの巨大な南米で、音を立てて政治が、経済が変わっていっている。平 和のための機構ができている。10年前には想像もできませんでした。
アジアにおいても、共同体を作るという合意がどんどん進んでいる。ベトナム戦争では、アメリ
カの要求で出兵し、アジア人がアジア人を殺しました。悲しい流血の戦争をしたのです。インド とパキスタンも戦争をした。もうできない。そんな時代は去ったんです。これもまた、60年代安 保闘争の時に、私たちが全然持っていなかった世界史的な状況の変化です。
世界の流れが大きく平和の方向に動いている。ベトナム戦争の時には何のチェックもできな
かった国連が、今度のイラク侵略戦争にはきっぱりノーと言っている。しかも、民衆運動の大き な流れが、イラク戦争反対と1500万人のデモが起きた。
スペインの歴史的経験に学ぶ
一例をスペインでの激変に見ます。2004年3月11日スペインのマドリードで列車爆破テロ
が起き、200人以上が死にました。スペインの人たちはテロには絶対反対と同時に、アメリカ の言うままにイラクに派兵した1400人の兵隊をすぐ帰せと立ち上がっている。1日で首都マド リードで200万人。スペイン全土で1000万人です。日本の3分の1以下の人口ですから、人 口比で言うと、日本で3000万のデモが起きたという計算です。まさに全国民的な決起でした。
直後の選挙で、派兵した保守政権を倒して革新的な政権を実現し、スペイン政府は、国民の
意思だと言って、全軍隊を引き上げた。
実は70年前に、スペインは労働者や国民の力で合法的に革新政権を作った。これに対して
ヒットラーのドイツとムッソリーニのイタリーが内乱を組織し、フランコというファシストにこの政 府を倒させた。約3年近い内戦で50万人の人が殺されている。
スペインの人たちは、「ノーパサラン、奴らを通すな」を合い言葉に、マドリードの防衛に立っ
たが、負けた。その後、長い間ファシスト政権に苦しんだ。今、その同じマドリードを200万の 群衆が埋めて、政権を倒し、自らの政権を合法的に取り、世界の超大国アメリカがどんなにプ レッシャーかけても、自国の兵隊を全部引き返させている。そこにかつてない平和の歴史の大 きな流れを見ることができる。
闘いの場は私たちの日本
「九条の会」は今や4000を越え、共同センターの活動は、職場や地域でどんどん広がって
いる。これは、改憲勢力が、初めは気付かなかったことです。それが憲法改悪反対でつながっ てきた。
もう一つ、9条改悪反対と連動するさまざまなたたかいが若い人たちのなかでも生まれ、基地
反対闘争が新しいうねりを起こしています。
教育基本法反対の運動も長い間、教育基本法改悪反対の1点であって、9条改悪反対は入
っていませんでした。今は入っています。
マイドリーム
最後に、ちょっと「夢」を。品川正治さんという財界の幹部で、今、9条改悪反対を訴え続けて
いる方がいます。「商工新聞」のインタビューで彼は、「憲法9条を守るということは、防御のた たかいではありません。今、この時代に憲法変えようとする動きをはねのけて、阻止しきれれ ば、それはベルリンの壁が崩壊した以上に世界史的な事件になるでしょう。平和を築く世界史 的な事件になるでしょう。その意味でこれは攻めのたたかい、世界を変えるたたかいだ」と語っ ています。品川さんの「夢」とロマンに感心します。
中米のコスタリカで、軍備を廃止した大統領の夫人カレンさんが、3年ぐらい前に日本に来
て、こう言っています。
「平和はたたかい取らなければいけない。一人ひとりの心の中に一片の真実がある。この平
和を求める真実の心を合わせれば、平和は実現する」。
こう書いた上で、私が一番気に入ったのは、「行動を起こすために、まずその前に夢を持た
なければなりません」という言葉です。
「九条の会」の有明コロシアムでの講演会で、大江健三郎さんは、次のように言っています。
「9条改悪は阻止できると思います。でも、まだ安保条約が残っている。自民党の政治支配が ある。それを考えると、なかなか大変だ」と。
彼は続いて、「自分がそう言ったら、親しい外国の詩人が、心配するな。その時にはあなたが
今は考えられない、気付かないところから救いがやってくるだろう―と、言われた」と紹介しまし た。そこに新しい展望が開けるということだと言いました。
確かに山はいっぱいある。マイドリームとして持っているのは、党派を超えて、新しい共同を
作って、憲法9条改悪を阻止した時に、私たち一人一人、それぞれの関係が大きく変わり、い まをはるかに越えて、自分の力に確信と誇りを持って生きることになるに違いない。
私たちの一人ひとりが歴史の主人公になっていくだろう。私は、それを私の「夢」として、いま
を生きたいと思うのです。 ●06.3.1
各地の大学で「九条の会」結成
(「憲法改悪反対共同センターニュース」より)
■学園からLOVE9――【関東学院大学発】――
関東学院大学の「学生9条の会」は12月18日、学内で小森陽一東京大学教授を招いた講
演会をおこない、150人が参加しました。小森さんは米海軍横須賀基地への原子力空母配備 やキャンプ座間への米陸軍司令部の移転など在日米軍再編に触れ、「小泉首相の選挙区の 住民が戦争の標的になる危険がある。日米安保のもと米国追従の流れが加速し、現行憲法 の9条さえなくなれば、戦争が可能になると米国は考えている」と指摘、「体を張ってでも9条を 守らなければ」とううったえました。このとりくみを通じて、「学生9条の会」は5人の仲間をふや すことができました。
メンバーの1人、五十嵐雄さんは、「世界の平和の宝である九条は絶対にかえさせてはいけな
い。こうした思いを多くの同世代の若者たちに伝え、『憲法九条を守れ!』の声を青年の多数 派にしていきたい」と決意を語っています。
■「表現すること、生きることについて真剣に考えた」
学園祭で無言館館長が講演――京都芸術大学
京都市立芸術大学で11月6日、学園祭企画として、長野にある戦没画学生慰霊美術館「無
言館」館主であり、作家の窪島誠一郎さんをまねいた講演会がひらかれ(主催は同実行委員 会)、約100人が参加しました。窪島さんは「絵のこと生きること」をテーマに無言館に展示され ている絵画にまつわる話にふれながら、平和であることの大事さをていねいにうったえました。 こうした講演に、会場では涙を流しながら聞き入る参加者の姿もありました。参加した学生から は「表現すること、生きることがどういうことなのかを真剣に考えさせられる話だった」「これから の自分の芸術活動にとって、とても参考になりました」などの感想がだされました。
このとりくみを受けて、実行委員会では「平和の思いを大切にするためにも、憲法を守ること
が大事。大学のなかに9条の会をつくりたい」などの意欲もだされ、窪島さんからも「応援した い」というメッセージをもらいました。
■【東京工業大学発】―学園祭で「9条の会」結成
「東工大科学の目実行委員会」は10月22、23日におこなわれた東京工業大学の学園祭で
「Peaceラボ」(ラボは実験室の意味)をひらき、この企画をつうじて「東工大学生9条の会」が発 足しました。
「Peaceラボ」ではNPT再検討会議にむけたニューヨークツアーや原水爆禁止世界大会のよ
うす、中国の留学生といっしょにおこなった靖国神社のフィールドワークなどを紹介し、23日に は日本科学者会議平和問題研究委員会委員長の河井智康さん(海洋サイエンティスト)が講 演をおこないました。講演会には「自分は改憲派だけど、話を聞いてみたかった」という学生も ふくめて30人が参加し、「話を聞けてよかった。写真とかもすごい」などの感想がだされまし た。
「9条の会」をつくったのは東工大の学生8人。企画を準備した竹山正明さん(仮名、2年生)
は「9条は日本人だけのものじゃない。9条をもつからこそ、世界の紛争をとめることができる んじゃないかと思います。まわりの人にもよびかけてもっと学んでいきたい」と話します。
■【早大九条の会'article9】
―2006年いまこそ9条――一歩ふみだせば未来動かす力
東京・早稲田大学の学生7人からはじまった「早大九条の会'article9'」が、11月に700人の
講演会を成功させ話題をよんでいます。この日は会のミーティング。2006年はどんな年に? (文中は一部仮名、NAN記者)
◆ドアをあけたら…200人の列!
「ドアをあけたら、もう200人くらいならんでるんですよ。びっくりしました。資料を渡すのが大
変で…」(笑)──11月30日、「九条の会」よびかけ人の一人である加藤周一さんを招いた講 演会で受付を担当した横田美菜さん(法学部4年)はこうふり返ります。前回の企画は160 人。それが今回、700人にふくれあがりました。司会をつとめた相川和真さん(社会学部1年) も、「舞台のソデから見たら人がいっぱい。キンチョーした」と笑います。
講演会の準備にかかわったスタッフは十数人。丸山七菜子さん(法学部4年)は、「みんなで
自民党の改憲案を学習したんです。9条をかえて自衛軍をもつ≠ニあって、本気だなと。でも 憲法は国民過半数の賛成がないとかえられない。過半数の反対で止めるぞとやる気になりま した」といいます。「サークルやゼミで紹介したり、ゼミの先生に『この日、休講にしてください』っ てお願いしたり(笑)。休講にはならなかったけど『参加しても欠席扱いにしない』といってくれ て、友だちが参加してくれました」。当日に向けて、4つの立て看板を立て、7500枚のチラシを まき、学内だけでなく早稲田と中野の商店街、神田の古本屋街もまわってポスター300枚を張 り出すなど、思いつくことはすべてやってきました。
青龍美和子さん(法学部4年)は、「参加者の7〜8割は学生だけど、顔を見ても知らない人
がほとんど。講演会を知った人が友だちと声をかけあったりして、口コミでどんどんひろがって いたんです」。参加者のアンケートでは、3分の1の人が「知人から聞いて参加」。個人のHPで 紹介する人が何人もうまれるなど、メンバーも知らないところで講演会が話題になっていたの です。
◆7人からスタート いま70人に
会のスタートは2004年秋。知識人・文化人9人が「九条の会」をたちあげたことを知ったメン
バーが、「普通の学生が、9条を守ろうと主張できる場を」「9条について考えたい、学びたい」 と結成。「憲法なんていっても振り向いてもらえないんじゃないか」と不安まじりでとりくんだ最初 の講演会に30人ほどが参加。そこで賛同したメンバーを中心に、講演会やミニ学習会にとりく んできました。6月の講演会には120人、11月の早稲田祭の企画には160人が参加。そし て、加藤周一さんの講演会で「九条の会」の知名度はさらにUP。学生の賛同は70人になりま した。
◆「9条守りたい」人がたくさんいる
加藤さんの講演は大好評。大学職員も「学生だけでこれだけ集めるのは最近なかったこと。
よく集めたね」と感心。ポスターをはらせてくれた商店街の方も「いっぱい来たみたいでよかっ たね。またいつでもおいで」と声をかけてくれました。
参加者が残したアンケート用紙には、「いまの日本と戦前の日本の状況がリンクする部分が
多いと気付いた」「いままでは単に『戦争で人が死ぬのが嫌だから』と思っていたが、まわりの 国から孤立するという恐ろしさもあると知った」などの感想がよせられました。「予備校の先生 から聞いて参加した」という高校生は、「自分も大学生になったら行動したい」と書きました。
村井翠さん(法学部4年)は、「アンケートのがんばって≠ノ勇気づけられた。早稲田では
これまで改憲派の企画が多くて、普通の学生が9条守りたい≠ニ主張できる場所をつくりた かった。今回、力をあわせて9条を守る力を大きくできると実感しました」。丸山さんも、「7人か らスタートして1年。ゼミでよびかけると、『9条は守りたいけど(賛同人として)名前を公表しよう という気にはなれない」といわれたりして、 『うまくいかないな』と思うこともあるけど、今回のと りくみで、9条を守りたいと思ってる人がじつは多いことに気付きました。マスコミは改憲論ばか りでも、憲法は注目されているし、打てばひびく。ホントに9条を守れるかもしれないと思えるよ うになりました」といいます。
◆学生が日本と世界に影響をあたえる
「以前は、学生が何かやっても社会的に影響力なんてないと思ってた。でもいまは、日本の
進路や世界の流れにかかわる問題に自分の全力でとりくんでる…誇りです」この春に卒業する 丸山さんの思いです。
丸山さんに誘われ「会」に出会った相川さんは「ちょっと前のぼくみたいに、こういう場をもとめ
ている人がたくさんいる。だから700人も来たと思うんです。声をあげる人がいるから、ちょ っとやってみたい≠ニいう人も行動をはじめることができる。苦労はあるけど、こっちからくじけ ていったらダメ。学生を信頼して、憲法のことを話していきたい」
いま、全国で40以上の大学に「九条の会」がつくられています。「『九条の会』が全国の大学
にひろがったらいいな」(青龍さん)。
◆すべての学生にたのみたい
加藤周一さんは「2つの学生時代〜戦争または平和のために」をテーマに講演。1931年の満
州事変からの国内外のうごきをふり返り、「国際世論は圧倒的に日本の政策を批判。完全な る孤立です」「国内ではだんだん戦争のほうへ世論を操作しながら、批判的な議論をつぶして 中国侵略戦争に深入りした」と、戦争にすすんだ経過を説明しました。また現在の情勢にふ れ、「イラクでも自衛隊はだれも殺してないし殺されてない。9条がいかに戦争するのに不便か がわかる。それをかえれば戦争しやすくなる。どちらかを選ぶか。選ぶのは主権のある国民」 と語りました。
加藤さんは、人生のなかで中学校までは家族の影響がつよく、就職後は会社など組織の影
響を受けるようになると指摘。「集団の圧力が比較的少ないところで<CODE NUM=0324>個人< CODE NUM=0326>はうまれる」「学生時代が自由な時代」と話しました。そして、「学生がもつ自 由の使い方のひとつは、戦争か平和かの選択」「すべての学生に9条を守ろうとたのみたい」と よびかけました。
憲法は理想だから意味がある
<伊藤真氏講演要旨>
自衛軍と「信教の自由」条項
私は、どんな理由があろうとも人命を故意に奪うことには同意できない。「甘い」といわれるか
も知れないが、少なくとも暴力のない世界をめざしたい。
昨年決定した自民党の「新憲法草案」は「自衛軍」を明記している。自衛軍になれば、税金で
「人殺しを職業とする人」を養うことになる。そういうことを許してはならない。私たちは米軍への 「思いやり予算」を通じて、今も戦争に加担していることを忘れてはならない。
この近くに広島護国神社がある。靖国神社や各地の護国神社は、「戦死」という本来は悲しい
出来事を「幸せ」に転化する役割を持った神社だ。戦後の政教分離は、宗教が政治を利用す ることをやめ、誤りを繰り返さないことを誓ったものだ。これを定めた現憲法20条3項を、自民 党草案では「社会的儀礼の範囲内」で可能に変えている。これは九条改悪と一体不可分の関 係にあるものだ。
軍隊は国民を守らない
司馬遼太郎の「街道をゆく」の中に「軍隊は軍隊そのものを守る」という言葉がある。沖縄戦
で住民が日本軍に殺されたことはご存知の通りだが、軍隊は「国民を守る」のではなく「国体を 守る」ものだった。沖縄も広島も国を守るため、すなわち天皇を守るためということで犠牲とな った。中公新書に「常識としての軍事学」という本がある。軍事専門家の著者は「軍隊の目的 は、国家として至上の価値=国体を守ることであり、国民を守るものではない」と書いている。
戦後60年が経ち、ドイツでもナチスやホロコーストのことは「もういい加減にして」という声もあ
る。しかし、ベルンにはサッカー場が二面もとれる土地に「ホロコースト記念館」が作られ、271 1本の石柱が立てられた。「私たちは虐殺を忘れない」ということだ。シュレーダー首相は「忘却 とたたかう」「忘却への警鐘として役立てる」と述べている。
憲法の本質を知ろう
国家権力の正当性は、国民の多数が支持したらすべて正しい、とはいえない。ヒトラーは「わ
が闘争」の中で「言葉は短く。断定と繰り返し」を唱えている。どこかの政治家がやっているよう に、こうした手法で国民の熱狂を作り出し、「国民の支持を得た」として誤りを犯す場合もある。 そうしたことがないように、冷静なときに国のあり方を列挙したものが憲法である。イギリス憲 法は国王の横暴に歯止めをかけるために生まれた。現代政治はこの立憲主義と民主主義の バランスを取らなければならない。
憲法99条には、天皇や国務大臣をはじめ、公務員の憲法尊重・擁護義務が書かれている。
擁護義務には「国民」の文字はなく、憲法が国家権力を縛るものであることを示している。これ が憲法の本質だが、学校教育の中では教えられていない。憲法は国家の側に近い強者に歯 止めをかけ、少数者・弱者を守るものだ。
憲法13条には「すべて国民は個人として尊重される」とある。個人は人間として生きる価値を
持っており、国家のために生きるのではない。憲法はまた、「権利(人権)としての平和」を規定 しており、国民は「平和のうちに生きる権利」、平和的生存権を持っている。
積極的非暴力主義の道
アメリカでは銃による殺人が年間24000件あり、そのうち「口論が高じて」射殺したという事件
は29%に達している。「軍を持つことと、実際に戦争をすることは別のこと」という人もいるが、 「自衛」という名の戦争がベトナムでもアフガンでも行われた。「軍隊を持っていても戦争はしな い」ことができるなら憲法はいらない。権力は信頼できないから憲法で決めようということだ。 「人道のための戦争」という言葉もあるが、そもそも人命を戦争の道具として使うこと自体がお かしいことだ。
改憲の必要性はない
現憲法では「新憲法」を制定する権限は誰にもない。自民党の「新憲法草案」は現憲法を否
定している。これを許すのかどうか、マスコミにはもっと追及してもらいたい。
憲法改正の理由としている「知る権利」や「環境権」についてだが、自民党草案には「知る権
利」はないし、25条の2に「環境の保全」で「国の努力」はあるが「権利」とは書いてないことに 注意するべきだ。
自衛隊をめぐって「理想と現実の乖離」ということがよく言われる。例えば第14条に定めた男
女平等において、「現実」との乖離はないのか。これひとつとってみても「9条」問題のウソは明 らかだ。憲法は理想だから意味がある。米英の憲法は200年、300年の歴史があるが、それ は途上にあるというのが憲法の現実である。
憲法の本質については余り教育されていないために、今まで「知らなかった」という人もいる
かと思う。ただ、皆さんは今日それを知ってしまったのだから、知ったものの責任を果たしてい ただきたい。 (H)
国際民主主義の先駆
の知る権利」をベースにするメディアやジャーナリズムが今こそ機能しなければならないことを 痛感させられたシンポだった。 (O)
■ 「平和」の世界史に貢献するたたかい
講演のテーマが「いまと未来をつなぐ日本国憲法」となっているが、改憲の動きが急速に強
まっている現在、憲法と未来をどうつなげるかは、実は大変なテーマだ。自民党が総選挙で圧 勝し、「新憲法草案」を発表した。日本国憲法は戦後60年で最大の危機を迎えている。
経済同友会終身幹事の品川正治がこう発言している。「もしも今進められようとしている改憲
の動きを阻止できたなら、世界の歴史にとって、東西ドイツの統一以上の大きな役割を果たす ことになる」と。 私も全く同感だ。大変な時代だが、憲法を守るかどうかは、日本だけでなく、 世界の平和に大きな影響を及ぼすことになるだろう。 今、憲法改悪の流れは勢いがいいよう に見えるが、改憲勢力の側もおっかなびっくりの仕事をしている。
私は憲法調査会を全部傍聴してきたが、彼らも本当に改憲できるかどうか自信がないはず
だ。衆議院の会長である中山太郎氏が、5年半にわたる調査会を区切りに、今年の5月、幹 事の保岡興治氏とともに、フランスへ渡った。フランスのEU憲法条約批准の国民投票を見に 行ったのだ。ところが投票の結果、議会で圧倒的多数だったはずの政府案が否決された。中 山氏は「直接民主主義のすさまじさを身をもって知った。はっきり言ってこわい。気をつけない と我々もシラクの二の舞になる」と言ったという。憲法を改悪するには、発議に国会議席の3分 の2以上の賛成が必要で、もし国会を通過しても、国民投票を経なければならない。国民が直 接憲法を選ぶことになる。わたしたちはまだ一度も国民投票を経験したことがない。
■ 「変えない方がよい」が60%
9・11の総選挙で自民党は大きく議席を伸ばしたが、得票率はそんなに高くなかった。毎日
新聞が9月初めに実施した世論調査結果では、憲法九条を「変えない方がよい」と答えた人が 62%で「変えた方がよい」の30%の二倍に達している。平和集会などに参加するのは年輩の 人が多い。「ワールド・ピース・ナウ」には5万人の若者が集まった。しかし若者がいない集会を 嘆くのはよくない。戦争経験者が立ち上がるのが、いま大事なことだ。毎日新聞の世論調査を 見ると、20代では70%が憲法九条を「変えない方がよい」と答えている。 逆に「変えた方がよ い」が多かったのは40代男性で、この世代は会社人間が多いのだろう。
改憲派の読売の世論調査でさえも、「変えない方がよい」と答えた人の数が多い。が、現実に
は国会で憲法九条を守る立場にいる議員の数は圧倒的に少ない。今までの経験主義ではな く、解決できる状況を作っていく必要がある。50の力を60出しても憲法は守れない。
■ ブッシュの先制攻撃論につながる
自民党は「新憲法草案」を11月22日の結党50周年大会で正式に採択をめざす。この草案
が「改憲」でなく「新憲法」となっていることに注意してほしい。
戦後、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わった。これは憲法の基本精神を変えるひとつ
の社会革命だった。自民党の「草案」も、現行憲法の基本精神を否定する一種の「革命の方 針」であり、政治的クーデターの方針だ。政府や自民党に憲法の基本精神を変える権限を与 えたことはない。自民党が多数を背景にそのような案を出してくるのは大問題だ。
「草案」の前文では、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支
える義務を共有し」とある。「愛国心」をもって国を支える責任があるとうたっているのだ。さら に、「国際社会において、価値観の多様化を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶するため、不 断の努力を行う」とあるが、九条2項に明記した「自衛軍」と、「国際社会の平和と安全を確保 するために国際的に協調して行われる活動」を行うことができるという条文とを結びつけると、 ブッシュの先制攻撃論につながっていく。つまりアメリカがイラクでやったように、人権抑圧、圧 政を外国の軍隊で排除することを明確にしている。
■ 「戦争放棄」から「安全保障」へ
第二章の見出しは、現行憲法の「戦争放棄」から、「安全保障」に変わっている。「自衛軍」は
「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」だけでなく、「緊 急事態における公の秩序を維持」する活動を行うことができるとして、外国だけでなく、国内の 秩序を乱す者にも銃を向けると書いている。
ビラをまいたり、米軍を監視した仲間が逮捕されるという現在、「秩序を乱す者が誰か」とい
う判断は、政治権力が行っている。マスコミはこの不当性をもっと書かなければならない。マス コミには、「草案」は現実に自衛隊があることを追認するだけで、大したことはない――という風 潮がある。しかし、これは天と地ほども違う大変なことだ。今の自衛隊は、サマワに行っても水 道工事をやっているが、「軍」となると、攻撃に参加できる。ベトナム戦争では、韓国軍は米軍 と一緒になって戦った。自衛隊は直接「軍」を出せなかった。朝鮮戦争でもアメリカが警察予備 隊を出せと言ったが、吉田首相は、それはできないと断った。
お人好しになってはいけない。「軍」と書くか書かないかは180度も違う大問題だ。
「集団的自衛権」とは、NATO(北大西洋軍事条約)のような、攻められたら協力し合う権利
だと思っている人がいるが、そうではない。「集団的自衛権」とは、日米同盟だけを指している。 アメリカの敵は日本の敵、日本の敵はアメリカの敵、アメリカの戦争は日本の戦争、日本の戦 争はアメリカの戦争ということだ。アメリカがサダム・フセインを敵と考えれば、日本も戦わなけ ればならなくなる。
■ 憲法とは何か?
大日本帝国憲法は天皇が国民に守らせる憲法だった。それに対して、近代憲法は、権力を
制限する、権力からわたしたち国民を守る憲法である。アメリカの独立宣言を起草したトーマ ス・ジェファーソンは、「憲法は権力への猜疑によって成り立つ」と言っている。自民党の「草案」 は、国民の権利と義務を逆にした「国民に守らせる憲法」だ。よく自民党好きのおっちゃんたち が、「憲法は権利ばかりで、義務が少ない」というが、憲法とは本来、国民の権利を守るために ある。
第九章の「改正」では、現行憲法が「総議員の3分の2以上の賛成」でなければ発議できない
のに対して、「草案」は過半数でも発議できるとしている。過半数を制すれば、これからどのよう にでも改憲が可能という訳だ。自民党案が大変な「草案」であることをご理解いただきたい。
小泉自民党がめざす社会は、年金や福祉を切り捨てる社会だ。消費税率を15%に上げると
も言っている。そのため、社会全体が行き詰まっている。「草案」は、この行き詰まりを自民党 の側から突破しようとするものだ。上には厚く、下には厳しくする政治。その政治に反対する者 が出ないように管理・監視を強める。街には監視カメラが並び、盗聴法で市民の通信を盗聴 し、その発言を共謀罪で処罰する。日本を管理・監視社会につくりあげようとするものだ。
■ 流れを止めるために
それでは、憲法改悪の流れをどうやったら止めることができるだろうか。永田町にいる憲法
擁護派の議員はわずか8%、その得票率は13%に過ぎない。澤地久枝さんは、「世界に行き たい国はないので、この国で一歩も引かずに立ち向かう」と言っている。永田町と民意との間 にはギャップがある。「九条の会」には今もたくさんの人が集まっている。その中には昔の左派 も、右派もいるかもしれない。「九条の会」の九人の考えはそれぞれ異なるが、憲法九条は譲 れないという思いは一緒だ。
三木睦子さんにとって、三木武夫という自民党の政治家と共に生きてきたことと、憲法九条を
守ることは全く同じだ。梅原猛さんは、「私は社会主義には反対だが、憲法改悪にも反対だ。 社会主義が崩壊していくと同時に、憲法を守る声もだんだん小さくなった。だから私は保守の 立場から憲法を守っていきたい」と述べている。憲法を守る運動は文字どおり思想信条を超え ている。
私も市民運動をしてきた人間として、有名な人を代表に置いて運動を進めるということをして
きたが、「九条の会」は九人の方が自分のできることを先頭に立ってやっている。それが「九条 の会」の強さだ。 自分の「身内」だけで作る「九条の会」はやめてほしい。広さをもった運動が 大事だ。「この指とまれ」で作るのでは、作る意味がない。急がなければならないが、焦る必要 はない。じっくり準備をしてほしい。憲法改悪を食い止めることは並大抵のことではない。総選 挙でも多くの人が力を尽くしてあの結果だった。
■ 外国からも尊敬される国に
私の記憶の片隅に六〇年安保闘争がある。子どもたちまでが「アンポ反対」とスクラムを組
んだ。あのときは党派を超えた安保改定阻止国民会議が2000できて、岸内閣を打倒した。憲 法改悪を阻止できるかどうかは、それ以上のネットワークを作れるかどうかにかかっている。 「九条の会」は全国で3500ぐらいできたが、それでもまだ足りない。じっくり作った「九条の会」 が1万箇所できると、安保闘争以上の運動ができる。
ビラや演説だけではなく、顔の見える運動を展開してほしい。町内会のレベルまで運動がで
きれば、改憲の流れは変わるだろう。党派を超えて作った「九条の会」もあれば、旧態依然の 「九条の会」もある。そういうところは、今後変わってほしい。来年は「九条の会」の全国交流集 会を開く予定だ。
国民投票というものを日本人が初めて体験することになるかもしれない。国民が直接主権者
として初めて意思表示できる。多くの人が憲法について発言するようになり、フランスのように 勝ったら、一種の世直しとなる。
自民党の「新憲法草案」がそのままの形で国会に提出されるとは思えないが、手直しされて
何年か後には国会で通るかもしれない。そのときは国民投票で阻止しよう。それは並大抵のこ とではないが、勝ったらどうなるかということを考えながら、夢を持ちながら一緒にやっていきた い。焦らず、急がす、毅然として運動をやっていこう。わたしたちが東西ドイツの統一以上に世 界史的な大きな役割を果たすこと、わたしたちの国が外国から尊敬される国になることは決し て不可能ではない。
<講演後の質疑応答>
質問:外国から侵略されたらどうするのか、という問いに対してどう答えればいいのか。
高田:大変重要な質問だ。地震は止めることができないが、被害を少なくすることはできる。戦
争は地震のように、ある日突然起こる訳ではない。戦争に先立つ外交があり、政治があ る。戦争が起きる政治をやめさせることが重要だ。戦争が起きないようにするにはどう すればいいかを考えねばならない。弾道ミサイルを迎撃する防衛庁のミサイル防衛計 画で、地対空誘導弾パトリオットミサイルを航空自衛隊に配備するにあたって、首相官 邸、皇居などを防護上の「最重要対象」にし、7大都市圏を「重要対象」に指定している が、もっとマスコミは叩かなければならない。福山ならミサイルが落とされても構わないと いうことか。ミサイルを撃ち落とすことを考えるよりも、ミサイルを撃つことのないような国 際関係を築かなければならない。こんなことを言えば、改憲勢力の側は非現実的だと言 うが、非現実的なのはどちらだろうか。日本にいくつの原発があるのだろうか。原発をひ とつ攻撃されればヒロシマ・ナガサキ以上の被害を受けるのだ。
質問:憲法の問題と教育基本法の問題は車の両輪だと思うが、どのように結びつけて運動を
展開すればよいだろうか。
高田:改憲と教育基本法改悪の動きは密接につながっている。だが、教育基本法と憲法は車
の両輪と気張らなくても、憲法九条を守れば、いつのまにか他のことも着いてくる。大き く連携してこじあければ、すべてが連なり、元気になっていく可能性がある。そういう運動 が作れそうだと思う。
戦後60年に語る
「11・3憲法のつどい」加藤周一さん講演(要旨)
■ 「解釈改憲」の根源
話を二つに分けたい。第一は、「なぜ九条か、なぜ憲法か」ということ。第二は、憲法を守った
方がいいなら、「われわれは何ができるか」だ。 去年、「九条の会」を作った。目的は、いろい ろあるが、バラバラの運動を互いに協力できるよう、手助けしたい。こうしなさいと言うつもりは ない。何をするかは皆さんの自由だ。
第一に「なぜ九条か」。戦後60年の流れは、武器を「持たない、用いない」平和憲法の精神
と、もう一つは軍事同盟たる「安保条約」だ。9条を文字通り読むと、軍事放棄だから、どうして も矛盾する。だから「憲法を変える」ということは突然やって来たわけではない。解釈改憲を続 ける限り、起こりうる事態だった。
■戦前と戦後の連続性
もうひとつ、日本の「戦後政府」は、「戦前の政府」と持続性が強い。戦争中の指導者だった
人が、かなりの戦後に復活した。現に両方の内閣に入った人がいる。この持続性が大きな理 由となり、解釈改憲の背景にあった。ドイツの政治的指導者に関する限り、戦前と戦後は切れ ている。
日本は戦争が終わったとき「一億総懺悔」があるように、個人が全責任を負うよりも、集団と
して行動する。誰が責任を取るかというと、「みんなが…」ということになる。日本文化の長い伝 統だ。権力の持続性、政治的指導者の持続性を伴う「総懺悔」が「戦争犯罪人」というのをた めらわせる理由だ。
■「押し付け憲法」論
憲法で問題になっている一つは「押し付け」問題。もう一つは安全保障問題。軍隊がなけれ
ば守れないではないかという。三番目は国際協力だ。
第一の「押し付け」。いつ誰が何を誰に押し付けたのか。例えば、人権を、平等を、平和を押
し付けたのか。当時、圧倒的多数は悲惨な目にあって戦争にうんざりしていた。家族を殺さ れ、家も焼かれた。広島では原爆があった。そこで、もう一度戦争をということになると大変な ことになる。だから「押し付け」といっても、日本人は積極的に歓迎した。人権や、男女平等に ついてはどうか。はっきりしている。半分を占める女性は男女平等を「押し付けられた」と思う かどうか。
■安全保障と国際協力の問題
第二の安全保障問題。具体的には一体どこから攻撃されるのかということだ。候補に挙がっ
ているのは北朝鮮と中国だが、小さい国が、圧倒的に強大な国を攻撃することは余りない。北 朝鮮が自殺する気にならない限り、いきなり攻撃することはあり得ない。こちらが挑発して、ど うしても他に手がないということ以外ありえない。中国は将来、あるかも知れないが、今は頼ん でもしないと思う。今は忙しいのだから(笑)。こう見ると、根拠はちょっと弱いと思う。
第三の国際協力問題。国際協力は軍事協力に限らない。「国際協力といえば軍事力」という
のは条件反射の「パブロフの犬」であり、「ひざをたたくと足があがる」というような感じになって いる。現実はどうなっているか。ほとんどの国際協力は軍事力と全く関係ない。背景にあるの は人口問題、南北問題。国連総会が決議した「先進国がGDPの1%を南北問題の解決のた めに拠出する」案を実行しているのは数える国しかない。日本、アメリカ、ドイツなどは1%に達 していない。国際協力するなら、やることは幾らでもある。
■権力を批判的に見る
われわれは何をすべきか。運動は、地域、職域によって違う。何を専門にしているかも関わ
ってくる。広島と長崎は他の地域とは違ってくる。もう一つは沖縄だ。米国の軍事基地が集中し ている。だから米軍基地が生み出す問題は沖縄に最も集中的に現れる。
憲法問題は法律だから法律の専門家が要る。民主主義なんだから大きな役割を果たすの
は大衆運動。市民に理解され、支持してもらわないといけない。そのため専門家と素人・市民 との関係は大事な問題だ。民主主義が成り立つには市民が発言することが重要。素人の言葉 でしゃべるということにならないと民主主義は成り立たない。
もうひとつの問題は、「政府の政策はみんな素晴らしい」と、どの政府もいう。そういう政府を
批判しなくてはいけない。批判の装置、それを表す社会的組織のひとつは労働組合だが、そ の戦闘力は衰えた。議会の反対党も非常に小さくなった。民主党が言っていることは自民党と 大筋について違いがはっきりしない。批判勢力というにはためらわざるを得ない。
メディアも批判的な意見を表現する機関としては、全体として弱まっている。裁判所は首相の
靖国神社参拝を違憲だとした判決を二回出しているが、非常に慎重。公式参拝「合憲」は出し ていない。大部分は、憲法判断を保留している。大学の先生たちも一時期に比べれば批判勢 力としての力は弱まっている。結局、批判勢力がない。
■市民運動の長所と弱点
そうなると、どこに「生きた批判勢力」があるのか。民主主義は国民が、政府のすることを見
て批判し、いい点があると思えば投票するし、悪い点が多ければ投票しないということで、政権 交代が起こる。批判しなければ、民主主義は機能しないということになる。
だから市民運動は非常に大事が、市民運動は、横の連絡がない。孤立しながら小さな市民
運動が活発に動いているのが今の日本状況だ。
バラバラで横の連絡がないというのは良くて悪い。良いのは、もっと状況が悪くなったときに
弾圧しようと思っても弾圧しきれない。中心がないからだ。中心に圧力をかけて運動全体の方 角を変えることができない。その意味では抵抗力の強いのが市民運動だと思う。しかし、同時 にそれは弱いことだ。バラバラである限り政治的影響力は非常に限られる。極端に言えば一 回のテレビ番組にも敵わないというほどだ。弱くて強い。
それを強くするにはどうしたらいいか。いくらか役立てればと思って「九条の会」を作った。横
の連絡を願った。全国統一的な組織をつくると別な弱点が出てくる。真ん中をたたけば済むこ とになる。それを避けるためには真ん中を避ける組織をつくるしかない。横の連絡だけで進ん でいこうというのが「九条の会」だ。
■「素人」と専門家と
私たちは、いろんなことが出来る。一つ例をあげると、信州の軽井沢のそばに追分という村
があり、そこに喫茶店がある。女主人がこの問題に熱心で、村の住人と周りの人で「九条の 会」を作った。私自身、最初の集まりに参加した。全くの素人、法律の専門家もいなくて、ただ 「戦争はもういやだ」といい、直感的に「九条を改めていくのは危ない」ということだ。喫茶店の 主人が、月に1回、定休日にして会場をタダにする。小さな集まりには大いに助かる。そういう こともできることの一つだと思う。
もう一つは8割くらいは憲法を専門にする大学教授や法律家の小さな集まりが東京にある。
通常は10人から15人くらい集まる一種の勉強会で、誰かが報告して議論する。追分村には 専門家はいない。片方は主として専門家だけ。
どうして私が両方に出席するかというと、両方とも大事で、直接経験していた方がいいと思う
からだ。そこから多くのことを学ぶことが出来る。
■一人ひとりを説得
大衆に呼びかけなければ何も動かないが、呼びかけるだけではダメで、呼びかける内容を考
えないといけない。中心になる部分と、周辺の大きな支持者が要る。例えば、中心部になる人 をもっと増やす必要がある。3人で始めたら5人にする。その2人をどう獲得するかは、大勢の 人に一度に呼びかけてもできない。一対一で一晩話し合う。一晩で足りなければ二晩で。とに かく人間対人間、個人対個人で、徹底的に話し合わなければ、相手の意見を変えることはでき ない。顔対顔の話し合いが必要。それがひとつだ。
吉田松陰を命がけで崇拝する弟子たちが、何十人か出てきたのはなぜだろうか。やはり一
人対一人の二つの人格の出会いから生み出されたと思う。人格に魅力があったから、命がけ で死守するという人物が出てきたのだと思う。
■メディア、宗教家、芸術家
その正反対が「いきなり大勢」だ。千人、万人、十万単位でいくか百万単位か、場合によって
は千万人単位を考える。それはマスメディアで働いている人たちができる。大衆にアクセス(到 達)できるような言葉を話す専門家は、メディアで働いている人だ。テレビであり、インターネッ ト、日刊新聞、よく売れる週刊誌だ。普通なら一生に影響与えられるのは多くて十数人だが、メ ディアは何千万人に、ある影響を与える。非常に浅薄だが、それでもゼロではない。
いろんな職業の人に、できれば九条を守ることに協力していただきたい。お坊さん、牧師さ
ん、神父さんなどの職業的な宗教家、芸術家、人を説得することができる。芸術の影響力も無 視できない。スペインでゴヤは平和のために反戦の版画を作った。ゴヤの戦争反対というメッ セージの影響は、19世紀初めから全然消えてない。
音楽家にもそういう人がいる。60年代に私は北米大陸にいたが、ベトナム反戦運動があっ
た。ジョーン・バエズなどの歌に非常に強い影響を受けた。「このばかげた戦争、人殺しの戦 争、弾丸、砲弾は一体いつまで飛び続けるのだろう。誰にも分からない、その答えは吹く風の 中にある」というのがある。「The Answer is blowing in the wind」だ。それを繰り返し歌う。大 変強い印象を受けた。それは確信となっている。
理屈の問題ではなく感情の問題だ。何が大事ということを決める必要はない。想像力を働か
せて、私が言わなかったもっと別の仕事をしている人も、それぞれやり方がある。ほとんど全て の貴重なものは戦争になれば壊れるから…。
■銃剣と少女と赤いバラ
この間、フランス人のフォトグラファーが撮った写真を京都の展覧会で見た。右側に女学生
がおり、左側に兵隊の隊伍、銃剣を持ち少女に向かって構えている。彼女は手に赤いバラを 持っている。連邦軍か州兵か、とにかくアメリカの軍隊が何十人もいる。その写真が印象的な のは、対抗するのはバラの花だ。至近距離だから、彼らは一人の女学生を殺すことはできる。 が、一つのバラが世界に与える影響力を殺すことはできない。ある場合には、バラのひとつが 軍隊より強い。力から言えば問題にならない。
いろんなものを発揮し、いつでもどこでも、後から後から時間を創造して、意思表示をしてくだ
さい。一緒にやりましょう。
(文責・広島ママスコミ九条の会事務局))
「改憲勢力の現状とメディアの責任」
―桂 敬一氏の講演全文―
ヒロシマに生きる「九条の規範力」
私は、1965年、30歳のときだったと思いますが、1カ月ほど新聞協会から中国新聞に研修
に来て、新聞社の仕事を勉強しました。まだ流川の被爆した社屋でした。被爆都市が、どう立 ち直ってきたかを考えると、隔世の感があります。当時、「我々は何を考えたらいいのか」―常 に「ヒロシマ」を胸に刻みながらの研修でした。思い出します。
▼身近だった新憲法
アメリカ式の教育のやり方で、班を作って自主的にクラス運営をさせるとか、そういう教育が
始まりました。直前までは、兄貴のお下がりの教科書をもらっていました。日本の領土は北は 樺太から南は南方の島々まで、赤い色で塗られていました。が、戦後は、その頁を切り取った り、歴史の本に墨を塗ったりしました。天と地ほど違う教育に変わったわけです。その中での憲 法でした。まざまざと思い出されます。
大学に行きますと、当時はどの大学でも前期教養課程の2年間は、憲法と体育が必修の単
位でした。この二つが取れなければ、他の科目が全部取れても3年に進級できません。憲法を ちゃんと勉強するんです。
憲法は「守る」とか「守らない」とかの理屈ではなくて、身近に生きているものでした。それは
教育のあり方と結びついていたわけです。理屈ではない。「ものの考え方」、あるいは「人間と か社会を考える、ひとつの条件」として身につくようなものとして、憲法はありました。
▼天皇もごく自然に
公務員になると、「憲法を守ることを誓約」することが、ずっと続いてきたはずです。
私はまざまざと思い出しますが、1989年、いまの天皇の『即位後朝見の儀』というのがあり
ました。これはテレビでも新聞でも報道されましたが、「自分は日本国憲法および皇室典範の 定めるところにより、ここに皇位を継承する」と言うんです。「憲法を守ります」と天皇は言ってる わけです。
*天皇が即位後初めて公式に三権の長をはじめ国民を代表する人々に会われる「即位後朝
見の儀」。平成元年1月9日,皇居において国事行為たる儀式として行われた。
そのことは、ごく自然に当たり前のことだと受け止めましたし、彼は私よりふたつ上の昭和8
年生まれですから、こういう形で憲法が身についていた、天皇なりにそうなんだなと思いまし た。
例えば、園遊会で米長邦雄が、「最近何してますか」と問われて、「あちこちに行って、全国の
学校に日の丸を掲げさせ、君が代を歌わせるようにする仕事をしています」と答えると、天皇が すかさず「強制にならないようにね」と言いました。あれは、よく考えて言ったのではなくて、ごく 自然に反射的に出たのだと思います。
こうした感覚からすると、「憲法を守る」ことが、すごく古臭くてゴリゴリの護憲派だとか、何の
発展性もないといった議論は、私はむしろそっちの方が、変に意図的に仕掛けてきて、いわば 改憲が必然であるかのようにやっているんじゃないか、と思います。
こういう風に「憲法の下で生きてきている人間」は、たくさんいると思います。私の世代の数年
下ぐらいまでは、そういう感覚が身についているんじゃないでしょうか。そのことは集団的に考 えると、この国の国民のかなりの部分は、心の習慣・規範として、憲法が身についていると思 います。そういう人たちを読者・視聴者としてメディアは仕事をし、戦後の民主主義は守られ、 成熟し発展してきたんだ、と考えます。
▼メディアが先導?
ところが、いつの間にか意図的に、平地に波乱を起こすように改憲を持ち込み、とくに九条の
問題を中心にして、この新憲法(私は新憲法と思っています)を亡きものにしようとする動き が、いま起こりつつあります。
先ほど平岡さんは、「メディアが鈍い」と言われましたが、一方で、ここ10年くらいを見てみる
と、「鈍い」のではなくて、むしろ「一部メディアが先頭を切ってやっている」との観があり、それ が見逃せない大きさになっていると思います。
国民の大きな規範力があるにも拘らず、それを覆して、無理にも新しい規範を作ろうとしてい
る。そういう状況が今あります。
その兆候について、資料に沿って具体的に話してみます。
《資料1》です。これは、読売新聞のことを調べているある研究会の中でまとめられたもので、
雑誌『世界』7月号の座談会で紹介され、私も一員として発言しています。
*雑誌『世界』7月号の座談会「改憲潮流の中のメディア」。出席は、桂敬一・田島泰彦・原寿雄・藤森研。
これは、元新聞労連委員長でもある朝日新聞の藤森記者が、昨年に続いて今年も5月3日
前後の全国主要新聞の社説を比べて、「護憲の言説」と「改憲の言説」の力関係を調べたもの です。
資料を2カ所訂正してください。[1]、九条を中心に「護憲」:16社・19紙。これを、16社・18
紙に。《資料1》の最後、総計:43社・45紙の合計部数が空白ですが、4382万部です。これ だけの新聞社と部数について、護憲派と改憲派を分けてみます。
▼「護憲の流れ」6割
[1]では、ほぼ「護憲」といえる新聞が、16社・18紙あって、合計部数は1800万部。総部数
の41.1%です。 [2]のところに、「△九条を中心に護憲的論憲」というのがあります。これが、 15社・15紙。毎日新聞はここに入っていますが、あとは地方紙で、合計部数は約777万部、 全体の17.7%。両者を合計すれば、58.8%が「護憲の流れ」に組するとみていいでしょう。
次に[3]、「△九条を中心に「改憲的論憲」ですが、数は少なく地方紙4社・4紙です。合計10
4万部で、2.4%。問題なのは、共同通信の配信をそのまま使っている点です。
共同通信は、昨年は「改憲的論憲」的な社説しか配信していませんでしたが、どういうわけか
今年は、「護憲的論憲」と「改憲的論憲」の、A・Bの2本を配信しています。したがって、護憲 的論憲で共同通信の配信を使っている社もあります。ある意味では、共同通信の役割が非常 に大事だということが分かります。
▼改憲論調は4割弱
確信犯的な改憲論がでてくるのが、資料の[4]です。ここでは、読売新聞が1000万部を擁
して断然トップ。そのあと日本経済新聞の論調は、一種のユーフェミズム(euphemism)、緩和 語法を使ってはいますが、はっきり言って読売とあまり変わりません。ほとんど同じです。もっと はっきり言うのが産経新聞で、この3紙の存在が大きかった。
地方紙では北国新聞が、確信犯的にかねてから改憲論です。実はここの社長さんは、森喜
朗さんのお仲間です。静岡新聞は昨年は、若干「改憲的論憲」でしたが、今年ははっきりと改 憲論になりました。
合計部数は1630万部ですが、中身を見るとほぼ3分の2近くは読売です。そして全体の部
数の比率では37.2%です。
以上を見ると、「改憲ムード」とはいうものの、意外と新聞全体を見れば、まだ護憲という流れ
の中で、いろいろものを考えようとしている。そういう力がしっかりある、ということが分かりま す。とくに地方紙がよくがんばっている。
少なくとも客観的には、国民の戦後の民主主義の中で規範になってきたものを大事にしなが
ら考えている護憲的な流れは、日本のメディアにかなり強く残っているし、そこには、ただ保守 的に残っているだけではなくて、これからの日本を考える上で、とても大事なもの、ある種のカ ギがあるのではないかと、私は思います。
改憲では読売新聞が非常にがんばっているわけですが、では、それがどれだけの効果をあ
げたのか、《資料2》で考えてみましょう。
▼九条2項の規範性
これは、読売・日経・毎日・朝日の、昨年と今年のほぼ同じ種類の世論調査に、北海道新聞
と共同通信の今年の調査を加えて、比較検討したものです。
憲法旬間に近いところで、読売が一番初めに全国世論調査をしますが、「改正した方がいい」
が、60.6%です。面白いことに昨年は65.0%で、ことしは下がっています。「改正しない」 は、26.6%。昨年が22.7%で、改正しない派が少し増えている。「答えない」はほとんど動 かない。
それでも「改正する」は60.6%で多いわけですが、九条について聞いています。
読売新聞は2年続きで「第九条を改正するが、40%台でトップ」と書きます。
確かに、昨年44.4%。ことし43.6%で、ここも1ポイントほど下がっています。それから昨
年もそうでしたが、よく見ると「a、これまでどおり解釈や運用で対処する」と「c、第九条を厳密 に守り、解釈・運用の対応をしない」の、明文改正はしないというこの二つを合わせると、昨年 が46.7%、今年も45.7%で、いずれもトップです。
読売はがんばって改憲論を唱え、とくに九条を変えようと主張していますが、意外と読者・世
論はそうは動いていないことが分かります。
日経のケースでも同じことが言えます。「改正すべきだ」が54%で一番多い。しかしその理由
の1位は「新しい考え方を盛り込む必要がある」というもので48%。このなかには、プライバシ ー権とか環境権を入れろ、といったものが混じっています。これで多くなっています。純粋に九 条の問題で現行憲法を改正というのがそんなに多いかというと、そうではない。これはほかの ところでも随所で言えます。
毎日の場合も、「改正すべき」が60%で多いんですが、改正すべきだと答えた人に、さらに
九条について聞くと、「変更すべきだ」は37%、「変更すべきでない」が60%で、非常に多い。
さらに改正派の人でも、九条1項「戦争放棄」については、60%が「変更すべきではない」と
言っています。これを、もともと憲法全体を改正すべきではないという意見に加えると、非常に 大きな数字になります。似たようなことは、九条2項についても言えます。
北海道新聞の調査でも同じです。部分的であれ全面的であれ、「改めろ」というのは77%にも
なりますが、しかし「戦争放棄」については、変更して自衛の戦争も含めすべての戦争の放棄 を明記する、というのが1位で39%です。
だから中身をよく見ていくと、憲法の一番の特色である九条について、その規範性が心の中
にしっかり生きている、と言えると思います。これは、どの調査をみても言えます。
▼成熟する民主主義
これらのことを考えると、新聞の中に護憲派の力がしっかり残っているだけではなくて、読者・
国民の心の中の問題、時代を考える気持ち、こちらの方にもっともっと強く、そういうものが残 っているといえるのではないか。私一人が、ガキのころの思いを抱いているわけではなくて、そ こから育って、戦後民主主義の成熟とともに自分も成長してきているわけですが、その中に憲 法が生きている、と言えるように思います。
それだけにメディアの責任が重いと、私は思います。こういう状況の中でメディアがなぜそう
いうものが残っているか、という意味を深めて、その意味を大事にするような報道をする、ある いは論議を続ける、ということであれば、もっともっとこの憲法は成熟し、条文は変わらなくて も、私たちの心とか生活とか、あるいは政治の中に、もっと憲法が生きていくと思います。
実はメディアには、そうする責任がある。メディアの姿勢いかんでいかようにも、国民世論も変
わっていくし、政治も良くなっていく可能性がある。しかしそれを無視してあるいはそういう状況 をむしろ敵視して、改正を唱えるメディアが出現している。
当然こうした論調の背景に政治勢力があるわけで、それと呼応するような態度をとっていると
いうのが、実は改憲派メディアが憲法問題に関わる本当の姿なのではないか、そんな風に私 は思っています。
当然、新しい憲法の改正を目指すのは自民党です。自民党は55年以降、自主憲法制定とい
う党是を持っていますから、それにチャレンジしようとしてきた。
▼米の押し付け多い
自民党はアメリカの押し付け憲法だとよく言います。自民党の先日の起草委員会の要綱案
の中でも、日本国民が初めて自分で憲法を書くんだ。ここが一番大事だから、そのことも前文 に書く、なんてことを言っています。そこにあるのは、アメリカの憲法押し付け論です。
しかし考えてみると、アメリカが押し付けたものは、憲法も確かにそういう面もなくはないが、朝
鮮戦争が始まると、再軍備を押し付け、日米安保で次第に日本の負担を重く押し付けたのも、 アメリカです。
それから、周辺事態法など、安保の構造をガラッと変えてしまうようなこともやる。湾岸戦争
のときのPKOを日本に出させるとか、アフガン戦争が始まると、特措法でアメリカ艦船への給 油を自衛隊にさせる。「イラクの復興人道支援」といって、自衛隊を実際に戦地に出動させる。 小泉さん流に言うと非戦闘地域だそうですが…。
全部これはアメリカの押し付けです。この流れこそが改憲を必要としているわけですが、こうい
う部分については自民党は、アメリカの押し付けを言わない。「憲法改正」は、とにかく改正だ からいいだろう、いつまでも守旧派的に古い憲法を持っているのは、時代にそぐわない―、と いったことを言い出すようなメディアの働きを期待する。そして、それに応えるようなメディアが 出てくる。そんな状況がいま、メディアを非常におかしくしているのだと思います。
そして、そのメディアの改憲派の役割は、なかなか油断できない、無視できない大きさになっ
ていると思います。
▼改正論議の不思議
ところで、憲法改正とは一体何でしょうか。昨年5月6日、東大法学部の長谷部恭男さんが朝
日新聞に「憲法改正論議の不思議」ということを書いて、なぜ改正する必要があるのか、と言っ ています。私はこれに全く同感です。
要するに憲法は、改正する必要があれば、改正できます。現行憲法のなかでも改正条項は
あります。96条です。例えば憲法のここが不都合だとか、ここはこう変えた方がいい、といった 理由があれば、その部分は憲法改正の手続きに沿ってやればいい。というのが長谷部さんの 主張です。
しかしいまの憲法改正論議は、そういうものではありません。とにかく憲法を変えよう、憲法を
変えよう、自分たちで作ろう―ということだけを言っています。
湾岸戦争以降の、ここ10年くらいを見ると、周辺事態法、盗聴法、「日の丸・君が代」法とか、
もろもろの外堀が埋められ、憲法調査会も設置されました。そして「9・11」以降のイラクに至 る流れの中で、改憲論が勢いを増してくる。「ここでやれ!」という形で、自民党が動き出すわ けです。
▼自民案の言葉遊び
その正体はなにか。《資料3》をご覧ください。
保岡興治氏が会長を務めていた自民党の憲法調査会が、昨年11月に、憲法改正草案大綱
をまとめました。これがこのまま自民党の方針通りでいけば、党大会で自民党案になるはずで した。しかし実際には、参議院に相談がないとかいろいろな動きがあって日の目を見ませんで した。
しかし読売新聞は、これは十分にたたき台になるという社説を書きました。これを見ますと、
「はじめに〜基本的な考え方」というのがある。これが自民党の憲法改正案のいわば前文に当 たるらしいが、そこで言っていることが大変面白い。
国民主権、基本的人権、平和主義の三つは、現行憲法の柱であり、これを変えるということ
は言わない。それを言うと国民が反発する。その微妙なとこに触ってはいけない。
しかも、復古的であってはいけない。復古的というような印象を与えるのもいけない。憲法を
改正するときには、常に現行憲法を発展させるということを言うべきだ、徹底的に未来志向で 変える、という言い方をしろと言うわけです。
三つの原理については、守ると言わねばいけないが、この基本的原理を今後とも堅持すると
厳密に言うと、平和主義の条項はいじれなくなるから、この部分については、堅持するとは言 わないで、「発展・維持」という表現とする―そんなことを言っています。
▼神宿る自然を愛せ?
そして、新しい国家像(憲法像)については、次のように言っている。
「わが国のこれまでの歴史、伝統、及び文化に根ざした固有の価値、すなわち人の和を大切
にし、相互に助け合い、平和を愛し、命を慈しむとともに、美しい国土を含めた自然との共生を 大事にする国民性(ひと言でいえば、それらすべてを包含するという意味での「国柄」)を踏まえ たものでなければならない」と。
こういう種類の「国柄」というものを憲法に謳え、という考え方です。何か司馬遼太郎さんの小
説みたいな、非常に文学的な感じです。
「平和主義」も変えられてきます。「戦争のない世界」であり、「戦争をしない世界」、とは言わ
ない。何かあらかじめあって、何もしないでも戦争のない、そんな平和な世界をイメージさせる のです。
「安心して暮らせる自然・地球環境の保全を含む、平和主義の原理」「平和を愛し、命を慈し
むとともに、草木一本にも神が宿る。自然との共生も大事にする、これが平和愛好国家という ものだ」―。九条の「戦争を放棄し、戦力を保持しない」という原理ではない形で、平和主義を 一生懸命考えようとしている。平和という考え方をこういう形で出そうとするわけです。
そして歴史の区切りですが、とにかく、戦後民主主義という「戦後」を、その悪い部分は直せ、
しかも、それ以前の良い日本の歴史を延長する形での発展を追求する、という考え方を示しま す。
▼個人より国を優先
そして最後には、家庭や共同体が公共の基本だ、とする。ここには、国民主権とその単位と
しての基本的人権など「個人」は棚上げにする考えが、強く打ち出されています。
誤った個人偏重主義を正すために、公共の正しい意味を再確認させ、品位ある国家を目指す
のがこれからの憲法だ、というわけです。
ここでの公共とは、国家や社会とはっきり言っています。市民的公共ではありません。
こういう憲法になったとき、長谷部さんが言うように、必要なところを部分的に改正できるでし
ょうか。そんなことはできません。憲法の考え方も哲学も基本構造も、すっかり変わります。
▼読売提唱は「新憲法」
そこで次の《資料4》です。
昨年5月3日の読売新聞の社説ですが、「新憲法」を政治日程に乗せよ、と書いています。
「新憲法」はカギカッコに入っています。私は初めに、「新憲法世代」だと言いました。私の言
ってる新憲法と、読売の社説の「新憲法」は違うんです。今までの憲法を丸ごとなくして、丸ごと 新しい憲法を作るのが「新憲法」だと、読売は言う。その考え方は、自民党の幻の草案が、決 して幻でないことを示しています。
保岡氏の自民党憲法調査会は、読売新聞の試案が大変参考になって、われわれはそれか
ら学んだ、と何度も言っています。要するに、読売が知恵をつけたのは、こういう「新憲法」で す。これはある種のクーデターではないかと、私は思います。
こういう考え方を、最大政党の自民党が、自分たちの憲法改正の理念にしてきている。無視
できない状況だと思います。
これに対して、全国紙の中で護憲派の雄であって欲しい朝日ですが、その昨年の憲法記念日
社説を見てみましょう。
▼まだら模様の朝日
「成長した自衛隊があるから、そのままでは憲法はごまかしが過ぎる。そんな声も強まってき
た。9・11のあとは、インド洋へ、イラクへと、大きな議論の末、PKOの枠を超えた自衛隊の海 外派遣も続いた。それが改憲論にもつながるのだが、目を引くのはここでも、護憲的改憲論の 台頭だ。憲法に自衛隊の存在を明記しつつ、役割に歯止めをはっきりかけよう、といった発想 である。これも一つの考え方に違いない」「増えた九条改正論も、中身は幅が広がった。護憲と 改憲はまだら模様になっている」と書いている。
では、この「まだら模様」をどう整理するのか、朝日新聞の立場はどうなのか、見えてこない。
読売が最初に憲法改正試案を作ったのは、94年です。そのとき朝日は大変危機感を持っ
た。もともと朝日も、「自衛権はある」という憲法解釈ですが、九条の明文改正を含めた行き方 には反対という立場でした。しかしここまで来ると、「明文改正に反対」を維持しているのか、そ れを無くしたのか、朝日の立場は分からなくなりました。
社説の全文を読むと、一応護憲の立場かな、平和ブランドはまだ生きているのかな、と思え
るが、しかしそれは、じりじりと後退しているような状況があります。
こうした中、中央政治、全国紙の論陣対決の面では、残念ながら改憲派の力・存在がしだい
に強くなっている感じです。
今年四月、衆議院の憲法調査会の報告書が出ました。そこには揺れが出ています。憲法調
査会は、ある方向を出すものではなくて、憲法にはどんな問題があるか、客観的に整理するの が本来の役割です。しかし多数派は、改憲論が強いという方向を出そうとします。そんな中でも 簡単に一致するわけはなく、ありありと九条改正の方向が出たとは、言いがたいのです。
この報告書に対して朝日は、「九条改正、方向示さず 議論の場、各党へ」と書く。この「方向
示さず」の表現は、かなり主観的です。朝日のある種の願望が込められている、と思います。
▼報道より扇動?怖い
一方読売は、過剰に跳び過ぎます。「改憲の方向明確化、集団的自衛権 行使容認三分の
二」と、非常に大きく書いている。これは明らかに願望です。意図的に流している。こうなると、 客観的な報道というより、プロパガンダの色が強い。
読売の場合、憲法に絡んだ報道は、常にプロパガンダ的になる。これがメディアの伝え方、
論じ方かと非常に疑問です。こうしたプロパガンダ的な改憲論が、大手メディアの一角で次第 に強くなってきています。
これでは市民社会に対する法の支配、つまり立憲主義の行方が心配です。民主政治では統
治者も法に支配されるという考えですが、自民党の草案のように、国柄、家族、社会、公共、 人の和などが強調されると、国というものを道徳的に捉えて、そこに価値があるからみんなそ の国を大事にする―、法の支配ではなくて道徳で支配する、そうした政治に変えていこうという 考え方が、じりじりと出てきている。
このような憲法の改定が2年間ぐらいで出来るとは思いません。しかしその動きは意外に根
強い。非常に長い射程の中で、しぶとく続くでしょう。さし当たりはやり易いところで、改正の実 績を作るでしょうが、足掛かりを作ったら、読売のいう「新憲法」を作るような力が、急速に頭を もたげてくるのではないか、そんな危険を感じています。
▼論憲に留まる毎日
こういう状況の中で、メディアはどんな対応や変化を見せているのか、《資料6》です。
各紙の論調や世論調査を見ても、05年はよく踏みとどまっていると思います。ある部分では
護憲的な考え方が、より成熟して盛り返しが出たと思います。
にもかかわらず朝日は、昨年よりもっと後退します。憲法記念日の社説を昨年と比べてみま
す。「平和ブランドは生きている」のは、昨年は朝日だけでしたが、それが今年は「平和ブランド をどうするか」に変わっています。
憲法問題を考えるときには、複雑な視点が必要だという、論考の水準は高いかも知れません
が、朝日が何を言いたいのか分かりません。各紙の比較調査をした藤森さんも「護憲派という 風に入れたけど、ちょっと苦しい」と言ってました。私もそう思います。
それから毎日新聞。評論家的に朝日や読売の論調を分析していますが、「護憲派であるべ
き朝日が改正に前向きな姿勢を見せるのではないか」と皮肉っています。改正を社是とする読 売新聞については、衆議院の最終報告書発表後の社説で、「時代は新憲法へ動いている」と 認定したことについて、「それは希望であって現状分析ではないのではないか」と言っていま す。それは先ほど私が言ったように、跳び過ぎです。
では毎日新聞はどうか。護憲の色彩は強いけど、論憲にとどまっている、というのが実態で
す。こうした比較で全国紙を見ると、やはり改憲派の方が強いと言わざるを得ない。
▼次は国民投票法案
読売新聞の05年の憲法記念日社説は、「新憲法へと向かう歴史の流れ」というあっさりとし
たもので、昨年のように「新憲法を政治日程に乗せろ」というような、総合的な大きな社説は書 いていません。
しかし、「新憲法」へ向かうのだという一つの展望を示して、実に事務的に淡々と既定路線で
状況整理をしています。5月20日には、もっと踏み込んだ確信犯的な社説が出る。
読売はかねてから、国会法を改正して、憲法調査会を審議機関に組織変更し、憲法改正案
を議論できるようにしろと主張していました。しかしこれは約束違反です。
さらに読売は、審議機関とした調査会で、国民投票法案を作れと主張、その路線を追究して
いましたが、ちょっとそれは出すぎますから、言えなくなります。しかし、憲法調査会に替わる憲 法改正のための常任委員会を作るべきだということを、すぐに提起します。こうした主張を、5 月20日の社説で書きました。実にしぶとい動きです。
国民投票法案については、6月になってもまだ主張しています。6月27日の社説でけしかけ
ます。読売の淡々とした態度は、ある意味では恐ろしいと、私は思います。プログラムは決まっ ている、と言えるのではないでしょうか。読売の改憲作業は、非常に息の長い大変な努力を重 ねて、こういう路線をたどってきています。
産経新聞はもっとバレバレです。「不磨の大典」に風穴を、というすごい社説です。全国紙は
こういう状況です。
▼がんばる地方紙
これに対して地方紙は非常によくがんばっています。
東京新聞は今年5月3日の社説で「見過ごせぬ"戦後"否定」と題して、「戦後全体を否定し、
戦後民主主義そのものを否定しようとするのが、今の改憲派であり、とくに九条を変えてしまお うとするのが、本当の狙いなのだ」と指摘、それに強力に反対しています。
北海道新聞の社説は3回続きです。「読売の主張に乗じて、自民党は新憲法制定推進本部
を作りましたが、彼らが言う新憲法とは何ものなのか、基本である立憲主義の理念そのものを 変えようとしている。それは問題である」と述べて、九条の問題についてもそうした流れの中 で、「平和主義の重みをますます大事にすべきだ」と、書いています。
それから現行憲法、私の言う新憲法についても、「これはまさに個人の権利を、国民主権と
基本的人権の中に集約したわけだが、いまそれを全部国民の義務に切り替えようとしている。 道徳的に正しい国家があると、その国家を国民みんなで守っていく必要があると。最終的には それは国防の義務にも繋がっていく。そういう義務の問題を提起するのは、全くベクトルが違 う」と、基本的な考え方を述べていて非常に分かりやすい。原理的な考え方を分かりやすく示し ています。
▼原点書く広島・沖縄
次に中国新聞です。いまの全体の新聞の流れで見ると、やはり中国新聞は、広島で平和を
考えるという原点に立って、基本点を読者に分かりやすく伝えている。
最初に九条ですが、「そんなに不都合なのか」というやさしい問題の提起の仕方で、九条の
持つ今日的な意味を明らかにしているし、北海道新聞と同じように、権利・義務の問題も、明確 に原点を突いています。
そして特に大事な点ですが、「国民の意識は、メディアが作り出したり、政治家が進める改憲
運動のムードに、簡単に流されるはずはない。そういうものに流されまい」という考えを述べ て、大変分かりやすい主張です。
沖縄の2紙、琉球新報と沖縄タイムズは、まさに自分たちの経験から、平和はどんな条件で
守られるのか―というところから具体的に九条のもつ有効性を説きます。地元の人たちの身に しみた戦争と平和の、両方の体験があるわけで、そこに沖縄の憲法があります。
沖縄の人たちに言わせますと、憲法が届くまでに大変時間がかかりました。復帰するまで憲
法はありませんでした。そして今でも、「まだ沖縄には憲法は完全に普及しているとは言いがた い」と新崎盛暉さんなどは言います。そういう経験の中から、いまの憲法がもっともっと欲しい、 大事なんだ。この憲法を血肉化したい―という考え方がよく出ている社説です。
こういう状況の中で、いまメディアが対峙している。
護憲派は、骨董品を抱くように、いまの憲法が大事だと言っているのではなくて、今日、自分
が生きていくうえで、これからもっともっと活き活きと生きようとしている中で、この憲法を大事 にしようとしているわけです。
しかし改憲派は、日本はもうそんな状況ではない。大変なところにきているんだ。自らを守る
ために危険とどう闘うかだ、などと迫ります。
▼テロリストが潜伏?
そこに踏み込んで読売がやったひどい例があります。《資料8》です。昨年5月、読売新聞に
とんでもない記事が出ます。4、5年前の話として「アル・カーイダ系の仏人幹部が新潟に潜 伏、組織作り狙う?」という記事です。これは、ドイツから事情がバレて明らかになった、という もので各紙報じましたが、扱いは読売が断然トップでした。
「組織作りを狙っていたのではないか」―すでに9・11の段階で日本にもアル・カーイダ系の
人たちが出入りしていた、こういう話です。
そして読売は、翌日の朝刊の社説で「アル・カーイダ、露呈したテロリスト対策の欠陥」と書き
ます。日本のテロ対策は欠陥だらけではないか、というわけです。
5月21日には、有事法制の問題で国民保護法をどうするか議論があった段階で、民主党が
修正提案をしています。政府・与党提案は武力攻撃に対する国民保護法しか考えていない。し かしこれからはテロも問題であり、「国家緊急事態基本法」といったものを作って、テロにも対 応できるようにして国民保護法も全部適用するようにする―という修正提案です。
こうした国会審議を利用して読売は、日本にもアル・カーイダがいるんだ、テロリスト対策が
必要なんだ、ということを大きく扱います。
さらに、北朝鮮の船に対する特定船舶禁止の問題などでも、テロリスト対策と結びつける。
こうした一貫した報道の中で、在日のバングラディシュ人でイスラム教徒のヒムという人が容
疑者として登場してきます。彼は、横須賀の米軍基地の前に事務所を構えて、横須賀基地を ずっと見ていたとか、年数回マレーシアに渡航したが、資金を過激派に提供したのではない か、といったことを報道します。
この間、読売は入管の取り締まりを大きく扱う一方、不法滞在の中国人がキューピーの子会
社で、不法就労していたといったことも書く。こうした記事が並ぶと、いかにも日本がもうテロリ ストだらけみたいな雰囲気になります。その中でヒム容疑者については、新潟に潜伏していた とされる仏人ともコンタクトがあったのではないか、などと精力的に報道します。
▼人権制限も当然視?
ところが7月7日になると、アル・カーイダとの関係は断定できず、「ヒム容疑者、略式起訴、
即日罰金30万円納付して釈放」と報道します。これは本当にひどいと思います。このあとヒム さんは、営々として築いた日本の仕事も、何もかも失って、日弁連に人権侵害の救済を申請し ます。
本当にひどい一連の報道ですが、日本は大変なんだ、テロリストを含めて有事のことを考え
なければ、どうしようもないじゃないか、といったプロパガンダの効果は大変あったと思います。 こういう状況の中で人権を制限するのは当たり前であるかのような、在日外国人を見たら敵と 思えと言わんばかりの、そういう者がいたら社会の不安だ、ということを読売は書いてきた。
こうなると、今の憲法の条文をどう改正するかではなくて、憲法を元から変えなければいけな
いんだという風潮を、つくり出すこともできる。それをメディアがやっている。とんでもない話で す。
戦後民主主義、われわれがごく当たり前だと思うものも、変えなければならないとでもいうよう
に、読売新聞は「望ましい日本の国家像・国民像」を作ろうと一生懸命になります。
▼男の責任、女の役割
昨年は、4月19日の社説で、「ジェンダー、誤った認識の是正は当然だ」として、最近の行政
の「ジェンダーフリー」退治に賛意を表明し、先頭になって闘い≠ワす。荒川区のジェンダー 問題についても、非常に過剰に介入して、行政の是正は当然だと言ったりします。養護学校な どの性教育の問題についても、ジェンダーフリー論と結びつけて、過激な性教育をやるのはけ しからん、と言う。
それから5月5日には、「こどもの日、お父さんあなたの出番です」といった社説を書きます。
「子供に社会的な問題などを教える役割は、父親に期待されることが多い。父親が自分の価 値観を示すことが大切だ。それなしでは子供は、アイデンティティーも規範意識も形成できない ままになる。・・・父親の出番になる。勤務先の消防署や自衛隊の基地に、子供たちを案内し、 消防車やヘリコプターに乗せた人もいる」―こういう風に、社会規範を男親の責任にする。
少子化対策では「子育てを官民挙げて応援しよう」という社説がでる。戦時中の「産めよ、殖
やせよ」を思い出させますが、こうした主張の問題点は、なかなか理解されていない。
女性に子供を産んでもらうことが少子化対策の一番、ということになっています。
若い人たちが結婚しないのは、男も女も今の世の中に希望が持てないからです。その根本
を変えないとダメなんです―と言っても分からない。
女性の皆さんに聞いてみたい。いくら善意からとはいえ、女を見たら子供を産んでもらうんだ、
という風に考えられたら堪まらんだろうと思います。
しかし読売は、そこを一生懸命主張します。この国を作り変えなければいけない―と。
▼そして第3次改正案
読売新聞は昨年5月3日の朝刊で、第三次の憲法改正試案を発表しました《資料9》です。
この試案で、全く新しい考え方が出てきます。「生命倫理条項」というものを入れてきました。
命は大事だと言う。それはその通りです。しかしなぜこれを憲法に入れて、国民の規範にして、 それを守れという風に言わなければいけないのか。
それから、「家庭は社会の基礎」という考え方が入ってくる。これらが自民党調査会の改正草
案に取り込まれていきます。この意味は大変大きいと思います。要するに、現行憲法の基本的 な骨格を変えて、「道徳が大事だ」と、一種の徳治主義みたいなものを出してくる。それに国民 を従わせていこうという考え方が、非常に強く出てきます。
そうなると、教育の問題が、憲法改正と切っても切れないものとなります。そこで、教育基本
法改正も、ワンセットになります。
▼教基法改正セットに
《資料10》は、教育基本法改正原案を伝える読売の記事です。OECDの国別の子供の学力
水準比較を受けて、「学力低下を考慮」と書いている。日本の子供の学力について、親たちの 不安が広がっているとき、タイミングよくこんな記事が出てきます。
そして「真摯に学習、明記」―こんなことは言うまでもないことですが、わざわざ言葉にして入
れている。また愛国心も当然盛り込むわけです。まさに憲法とワンセットです。教育基本法は 学校教育のための規範、いわば「教育の憲法」ですが、学校教育だけでなく、家庭教育の条文 も新設して「子育てに第一義的な責任を有する」と定め、家庭での教育の義務を明記してい る。
まるで「教育勅語」。復古主義はやらないと言っていますが、何かスカートはいた下から、下駄
が見えるといった感じです。何を言っているのか!と思いますが、メディアがそれをもっともらし く書くと、相当な効き目が出てくる。そんな面もあるでしょう。
▼歴史教科書も対立
こういう状況のなか、いろいろな面でメディア間の対立が尖鋭化します。まず、「歴史認識の
問題」です。鋭く現れるのが、教科書問題です。
「新しい歴史教科書をつくる会」の扶桑社版歴史教科書のことは、ご存知と思います。朝日新
聞は、「こんな教科書でいいのか」と、初めてこの「つくる会」の教科書を具体的に社説で取り上 げました。
すると産経新聞が、「驚かされた朝日新聞社説」と、社説で批判を書きます。すると朝日は、
「こちらこそ驚いた」と応酬します。ある意味では、これもいいことかと思いますが、こんな空中 戦をするのではなくて、教科書の製作過程とか、関係者の話、父兄の声、歴史学者や教育学 者の意見など取り入れて、もっと重厚にやるべきではないでしょうか。 もっと読者を信じて、味 方にすべきです。朝日の財産は読者です。そういう点では腰の引けているところが朝日の弱い 部分です。
教科書論争には、当然読売も加わって「検定・採択は日本の国内問題だ」と社説で書きま
す。産経ほど拙劣ではないが、日本の主体性について、右顧左眄しないことが必要だと主張し ます。
▼NHK問題も矮小化
NHK問題についても、同じようなことが言えます。
朝日新聞は1月12日、スクープという形で、4年前の従軍慰安婦「戦時性暴力」を取り上げた
NHK番組「国際女性戦犯法廷」に、政治家が関与して内容が改ざんされた―と報道しました。
読売や産経は、これをNHK対朝日≠フ問題として、矮小化します。その方が都合がいい
んです。大切な視点は、メディアが自らの独立性をどのように確保し、報道の自由を貫くか、政 治家の介入はその抑圧だということなのですが、そうした認識を示すことはありません。
それどころか読売や産経の社説は、昭和天皇を有罪にするというようなことを企画すること
自体が、放送の公正さを欠くものであり、どんな手段を講じてもそれを変えさせることが、公正 な放送のあり方だ―と主張します。とんでもない話です。
政府と利害が一致するわけだから、言論・表現の自由の抑圧とは思わない。政府と一緒にな
って何でも言える、という「自由論」です。
取材倫理に悖る録音テープがあるはず、悪いのは朝日だという疑いをかけて、読売は「今度
は朝日が答える番だ」という社説を書く。そういう次元で、「答えろ」と迫ります。
これに対して朝日が、「テープはあります。しかし出しません」と言えばいいんです。新聞記者
の方たちは分かるでしょう。そんなこと当たり前の話です。
それが言えないのは、慈恵大学医学部の研究費不正流用報道で朝日記者の取材テープが
問題とされていたからです。これは、英国のハットン委員会で問題となったケリー博士の自殺 問題とも繋がってきます。情報源を守れなかったという点です。しかし、倫理上の責任はある が、テープの無断録音がすべていけないということはないはずです。そんなことを言ったら、調 査報道の取材なんかできません。
しかし、その慈恵大事件のとき朝日は、記者倫理・報道倫理に悖るとして、袋叩きに会い、そ
して下らないことに、「今後は一切、黙って録音はしない」という内規を作りました。馬鹿げた話 です。そんなわけで、NHKの問題でも朝日は、何かモチャモチャしているわけです。
▼メディア状況深刻
こうなると、そこをつついて、"NHK対朝日"の中で、朝日が胡散臭いと、読売や産経は攻め
る。これに対しては、クリンチしないで、スタンディング・ボクシングで応じればいいのです。
相手を倒すためなら手段は選ばない―というやり方は、「メディアの砲列が権力に向かって一
斉に闘う」姿からはおよそ程遠く、足並みの乱れはひどい。それがいまメディア全体の陥った 状況です。
靖国問題でも同様です。これは、中国や韓国が言うから、あるいは貿易とか国益上の問題に
なってくるから、何とかしなければ…という問題でしょうか。私はそう思いません。「あたらしい憲 法のはなし」で育った私の戦後感覚でいえば、靖国神社というものに対して戦後民主主義はケ リをつけたと思います。その歴史認識を維持していくことが日本の将来に有益であって、自分 たちのためにそうした歴史認識を持つべきだと思います。
しかし、そういう論調ではなくて、要するに、中国のご機嫌をとるために、靖国のことでどう妥
協するか、しないのか―そんな議論がメディアから出てくるのです。
▼お粗末な歴史認識
対独戦勝60周年を祝うモスクワでの式典についてふれた読売の社説「参列する小泉首相の
微妙な立場」《資料11の5》も、奇妙なものです。
以前から安倍副幹事長も町村外相も、「ドイツは、ナチひとりに責任を負わせることが出来た
からケリがついた。『ヒットラーがいて悪かった。ごめんなさい』と謝まることができた。日本はそ れが出来ないから、ドイツと同じようなことはできない」という言い方をします。
これにはドイツも怒ると思います。シュピーゲルなんかにも「いったい日本は、何を言っている
のか」「和解のためにドイツ人が何をしてきたのか、知らないのか」といった声が出ています。
モスクワでの記念式典には、旧連合軍の人たちとシュレーダーも出席する。謝罪と和解が成
立して、その実績の上に今後の平和をともに築こう、という考え方で集うわけです。小泉首相が どの面さげてその場に行けたのか、不思議でしようがありません。
読売の社説は面白い内容です。「小泉首相が行くのはおかしい」と言っている。しかし私の論
点でそう言うのではない。日本とソ連の関係は違う。日・ソ不可侵条約を一方的に破って、日本 軍のいるところに攻め込んできたのはソ連軍で、しかも、日本軍の捕虜をシベリアに連れて行 き、長くとっ捕まえていた。なんでそんなソ連の祝いの席に行くのか―というのが読売社説で す。
しかしこれは、全く歴史認識をわきまえていません。日・ソ不可侵条約を破ったのはソ連だ
が、日本軍がなぜやられたのか。日本は満州を植民地にしていた。そのことを前提に考えなけ ればいけない。
ドイツは本当に和解のために苦労して、決してナチだけの責任にはしていない。70年にはブ
ラントがワルシャワまで謝罪に行っている。
先ほどの平岡さんの話のように、ワイマール憲法が崩れてナチが出てくる、その歴史全体の
流れの中で、ドイツがいかに誤っていったか、それを全部ふまえたうえで、和解を築く努力をし てきている。
▼軽率な議論は怖い
そういうことを議論すべきなのに、国粋主義的に、俺たちはソ連にやられたのに、なんでそん
な国に祝いに行くのだ、小泉はけしからん―という話で留め置く。日本のメディアの議論の水準 の低さ、この程度のものかと、情けなくなります。
しかしこういう議論が、鬱屈した展望のない世の中では、「そうだ、けしからん奴がいるん
だ」、という風な、そんな「こだま」を作っていく恐ろしさがあると思います。
私は、新憲法の魅力や価値は、自分たちの気持ちの中に、規範としてイキイキと生きている
と思っていますが、最近のメディアの議論は、そうした規範性をなくしてしまうことになりはしない か、心配です。この点は、妥協なく闘う必要があると思います。
▼「規範力」持つ九条
《資料12》は朝日新聞の『憲法総点検』というシリーズ企画ですが、「九条になお規範力」とい
う樋口陽一さん(憲法学者)の話が、大変良かった。朝日は外部の寄稿者のものはいいものが ありますが、こういう内容を自分の社の力で書いてもらいたい。もっともっとはっきりと。何を遠 慮しているのか、と言いたくなることがあります。
樋口さんの発言です。
「東アジアの国際環境を見ると、今まで隠れていた問題点が、一挙に噴き上げてきた。このこ
とだけ考えても、一市民の見地から言えば、いま憲法改正に着手することには賛成できませ ん。…言われつくしてきたことだが、ドイツをお手本として中国や韓国との歴史問題への取り組 みを始めることだ。国内でも日の丸・君が代の問題が典型的だが、一人ひとりの良心の自由 を、強制によって制約する方向を清算すべきだ」「歴史問題や国内の人権問題に取り組みな がら、改憲論を進めるというのならば、私個人はそれでも改憲には賛成しないだろうが、それ は尊重すべき改憲論だと思う。しかし、そういう改憲論がほとんど出てきていない(桂=全くそのと おりだと思います)。今までそういう芽がなかったわけではないが、ことあるごとに潰されてきた。む しろ、環境問題や国内のテロ事件に対して積極的に発言したり、取り組んだことのない政治家 の声が、改憲論の中で大きいのが現実なのです」と言う。
私はこの記事の見出しの「規範力」という言葉を重く受け止めます。いまイラクにいる自衛隊
でさえ、やはり戦闘にかかわらないようにしていなければならない。それだけでも憲法九条の 規範力は大きいといえます。この九条は憲法にとって、まさに原点だと思います。大事に守っ ていく必要があります。
▼「右向け右」の風潮
状況はいま、次第に下らないものになってきています。ノーネクタイ・クールビズ運動など、全
くいやです。子供の目にも映った、お菓子屋からパッとお菓子が消えた、4歳のころの光景を 思い出します。統制一色の時代です。アッという間に砂糖がなくなる、といったことが起こる。近 所の国防婦人会の人たちが街頭に出て、パーマをかけている人を見ると「あなた、やめなさ い。贅沢は敵だ」と呼びかける。そんな昔を連想する。省エネ運動などと言いますが、クールビ ズは、これに似ています。上からの国民運動です。
ミンダナオ島に日本兵がいたと、大騒ぎします。「国民とか国家の物語」というと、すぐ大騒ぎ
する風潮が政治家にあるし、メディアもそれをやる。「旧日本兵二人、比で生存」という記事は、 産経新聞では5月27・28日、二日続き一面トップです。29日にはガセネタらしいと分かって も、まだ大きく「手書きの筆跡発見か」と次から次へ書きます。
しだいに「国家と国民の物語」を作っていくようになる。そうなればなるほど、歴史認識がおか
しくなっていくような気がしてしようがない。
▼不安社会と取締法
そういう状況の中で、国の中がだんだん怪しくなり、社会が不安になってくるから、どうやって
みんなで取り締まっていくか、という話ばかりが出てきます。
ネットの世界では、きっかけは盗聴法です。メディアがコケにされました。結局、「メディアを除
く」という風には法律修正されませんでした。実務で対応すると言う。犯罪者らしい奴と話してい る相手が報道関係者だとわかったら、そこで傍受を切るーと言います。現実には切るわけがな いでしょう。しかし法律は通りました。
これに対して読売は「報道活動は犯罪活動とは違うのだから、メディアはひとつも恐れる必要
はない」という社説を書きました。おかしな話です。
怖いのは、例えばマイクロソフトなどでも、インチキをやり出す。「中国のブログについては検
閲をやります」と言う。あの自由の国のマイクロソフトがです。さらにサイバー犯罪については、 警察庁と協力して取り締まりをすると言う。警察は、自殺を誘う有害ネットなどは捜査当局が常 時見ていて、危ないとなったら遮断できる法律も作ると言う。
▼ついに共謀罪まで
最後は共謀罪です。近代刑法の骨格は、すでに犯罪を犯した者を捕まえて、どうやって司法
手続きにかけるか、というのが基本です。しかし、「相談している段階から捕まえよう」というの が共謀罪です。衆議院の法務委員会で審議入りしました。放っておけません。
監視カメラについては、だいたい地域住民が賛成です。
先日、小泉首相のメールマガジンにこんな記述がありました。
「歌舞伎町の人たちが先頭に立って努力している新宿区の話を聞きました。
住民や商店街の人たちが、自分たちの街は自分たちで魅力ある街にしていこうと、警察や行
政、それに不法滞在の外国人を取り締まる入国管理局などと協力して、安心して楽しめる街づ くりに立ち上がっている。
歌舞伎町の経験は、ほかの街にも生かすことが出来ると思います。札幌の薄野・名古屋の
栄周辺・大阪のミナミ・広島の流川や薬研堀・福岡の中州など日本全国で、こうした動きが起 きることを期待しています」と言っています。
この期待に応える人たちが出てくるかもしれません。メディアは黙ってみていていいのかと、
つくづく思います。
▼行き着くと愛国法?
国民保護法は、これが発動されるときは、武力攻撃事態です。NHKを含めた20局が指定
公共機関にされて、国が流す情報をそのまま流せ、となります。そうなると、独自取材は事実 上禁止です。政府の発表しか報道できない、独自取材による政府発表のチェックなどは不可 能です。現状は、民放で反対の声も多少ありますが、ちょっと弱い。
私は、テレビ朝日の番組審議会の委員です。先日地方の番審の人から大変心配な話を聞き
ました。
敵が攻めてくる場合、日本全土を一気に攻めるわけではなくて、どこかに上陸する。そうなる
と、地方指定公共機関を自治体が指定します。
中央レベルでの20局指定とは事情が違います。福井で、原発にテロリストが侵入ということ
を想定して、11月には1500人を動員する大掛かりな実動訓練の実施が決まっています。地 方放送局がそれに参加することが当たり前となっていきます。
こうして、憲法の議論以前に、憲法を変えなければいけないような、客観的な事実が作られ
ていくのが心配です。
ブッシュ政権は9・11のあとに「愛国法(Patriot Act)」という法律を作ります。これは既存の
法律を超えて超法規的にすべてを統括して、一元的に政府が何でも取り締まることが出来る、 という法律です。こうした動きを阻止する取り組みと、改憲阻止の運動が連携することが必要 です。
▼正気の追求はできる
靖国神社参拝の問題では、読売新聞が社説《資料13の1》で、「国立追悼施設の建立を急
げ」と書きました。びっくりしました。
日中間の摩擦が非常にひどく、また自民党の長老たちも小泉首相を諌めたりするので、現
実的に考えたのでしょう。
朝日の「遺族からの重い問いかけ」という社説《資料13の2》も、私はいいと思いました。この
社説が出て、それから遺族会会長の自民党の古賀氏が、遺族会のひとつの考え方という形 で、合祀をやめるということにも触れた。
読者の「うちの父ちゃんもお兄ちゃんも、あの戦争で死んだけど、父ちゃんやお兄ちゃんを死
なせにやった東条たちと一緒にいるのはいやだ」という声はまともです。それが戦後のごく当た り前の声でした。そういう声も出始めてきました。戦争指導者の責任の問題と、戦争の犠牲に なった人との立場は違う。という考え方が出てきたわけです。これが正気の考え方です。
最近の靖国神社についての世論調査では、小泉首相は参拝を「やめたほうが良い」が「続け
たほうがよい」より、逆転して多くなります。各紙全部、読売を含めてそうです。
面白いのは、読売の「追悼施設建立を急げ」という社説に対して、産経は6月7日に「国立追
悼施設に反対する」という社説を書きました。何故そういうことを言うのか、と読売に噛み付い ています。
自分たちの暮らしを良くするために、何が必要か。戦後の民主主義を発展させ実らせていく
には何が必要か。そのことを新聞が強く意識して、いろいろなことを報じていけば、いくらでも正 気の追求はできると思います。
《資料14》を見てください。ことし5月2日の北海道新聞社会面です。5月2日の全国紙で、前
日のメーデーの記事を見かけることはなくなりました。出ていてもせいぜいベタ記事です。今年 は、改憲とか雇用など大事な問題を抱えたメーデーですが、記事はない。
そんな中、北海道新聞が社会面トップに載せているのが、実に新鮮に映りました。ある時期
まで、日本の新聞がメーデーのことを社会的な問題として書くのは当たり前のことでした。こう いうことをもっと考える必要があります。
▼議論要る「投票法案」
さて、国民投票法案が大変だ、ということも《資料16》を読んで理解してください。日弁連の指
摘がよくできているので、抜き書きしておきました。
国民投票で憲法改正をどうするか、という場合、普通の選挙よりももっと議論する時間が必
要です。しかし与党協議会は、議論はあまりさせない、させるとミスリードするから議論はそそく さとすます、という考え方です。
そして、メディアは虚偽の報道をしてはならないと書く。こんなことを法律に書かなくても、メデ
ィアがいくら馬鹿でも、虚偽の報道をしてはならないことぐらい分かっています。それをわざわざ 書かれるというのは、いかにメディアがなめられているか、と思いますが、この問題に対するメ ディアの立ち上がりは非常に弱い。朝日が大きく書いたのも、かなり時間が経ってからでした。
▼選別された取材陣
《資料17》です。普天間のヘリコプターがイラクから帰ってきました。沖縄国際大学に墜落し
たのと同型機も含まれていました。この取材を米軍が認めたのは、日本のメディアでは、共同 通信・産経新聞・読売新聞・NHK・琉球放送の5社だけでした。
墜落事故では、琉球朝日放送は、現場を撮影し、米軍の制止をかい潜ってテープを持ち出
し、放送した唯一の局でした。この琉球朝日放送はもちろん今回の取材は認められませんでし た。こうしたメディアの選別も行われるようになっています。
▼国に集中する権限
《資料18》ですが、個人情報保護法には、非常に問題があります。メディアの取材については
法律の罰則規定から、適用除外となりましたが、では取材・報道が自由かというとそうではあり ません。
JR西日本の列車事故では、負傷者の取材で病院は何も答えてくれません。相手の同意がな
ければ懲罰を受ける、とする保護法が盾です。
この場合、過剰反応の面もあるし、法律に便乗ということもあるかもしれないが、法律の構成
上、何が守られなければならない個人情報か、どこまでがプライバシーの侵害になるか、そん な細部にあたっては法律では書けないから、最終的には厚生労働省の判断になります。そうな ると、何が権利で、何が権利侵害かを、政府が判断することになります。情報を出す場合、わ が身の安全を考えれば、国家にお伺いをたてないと動けない。そんな状況がでてこないか。大 きな問題です。
再提出された人権侵害法案も同じです。何が守られるべき人権か、何が人権侵害か、最終
的には、法務省の判断によらねば分からないのです。ダイナミックに権限が拡大されたわけで はないが、最終的には一切の権限が国家に集中していきます。近代法のあり方とは全く逆行 しています。
これを放任しておけば、取材行動の自由はあるかもしれないが、相手が「何もいえません」と
答えたら、取材の自由はカラ回りします。このように、国家権力の肥大化がものすごい勢いで 進んでいます。
▼米でも対応揺れる
こういう状況は日本だけではなさそうです。今度のアメリカのNYタイムズとタイム誌の取材源
秘匿をめぐる司法との問題に共通します。タイム誌のマシュー・クーパー記者は情報源を明か すと言っちゃった。NYタイムズのビリー記者は、記事を書いていない。ただ情報源に当たった ということだけど、NYタイムズの方は頑張っています。
さらに戦後すぐの核技術のスパイ問題で、ニューヨークタイムズ、ロスタイ(ロサンゼルス・タ
イムズ)、AP通信、CNNの記者4人が、取材源を秘匿しているケースも、連邦高裁は秘匿を 認めなくて、法廷侮辱罪で罪にすると言っています。
こういう時、アメリカでは、以前はメディアが一斉に立ち上がりましたが、そのような慣行も守
られなくなっているような状況です。大変な問題だと思います。
▼職場の復元力信じ
最後に、ことし1月26日の読売新聞夕刊《資料19》をご覧ください。
東京都のチョンさんという在日の女性保健士が、管理職試験を受けようとして、日本国籍が
ないということで断られていました。その彼女の提訴に対する最高裁の判決が下される日の、 夕刊の記事です。「日本国憲法が私たちのところにも届くのだ。その輝きをぜひ手に」というこ とで、非常にいい記事を書いています。
ところが、夕方の判決では、管理職は権力行使だから日本国籍が必要だとして、チョンさん
の主張は認められなかった。これを受けて読売新聞は、翌日の朝刊で、妥当な判断だと大きく 書いて、社説でも最高裁の判決を支持します。
いったい夕刊の記事はなんだったのか、これは恐らく平岡さんの話の文脈で言うと、よく頑張
る現役の若い優秀な記者がいたが、たまたま先輩デスクが見逃したーそんなところではないで しょうか。
必ずしも一枚岩ではないのです。みんなで闘っていく、そういう空気が出来れば、いくらでも復
元できる力をもっています。その可能性を私たちは懲りずに追求する必要がある。そのために は市民との連帯が非常に大切です。
▼広島の「謝罪と和解」
広島は、ヒロシマとしての規範力を持ち続け、それによって、自分たちの平和の考え方を体
系化し、広める基を作った。
たとえば、「謝罪と和解」ということを言いました。その原点は原爆記念碑の『過ちは繰り返し
ませぬから』にあると思います。初め私は、なんで謝らなければいけないのか、分からなかっ た。しかしその意味がしだいに分かってきます。その方向で初めて、報復ではなく、本当の和 解が築けるのだと感じます。
アメリカでは、9・11の廃墟の跡に、フリーダム・タワー(自由の塔)というものを造るそうで
す。テロが襲っても跳ね返せるぐらい丈夫なものを作る、と言っています。なんと話が分からな いんだろうと思います。
そんなことを考えると、私は広島からの声、広島に期待されるものは、ますます大きくなって
いる、と思います。
▼九条2項に真価
憲法の問題にかえりますと、EUの憲法の批准に対して、フランス・オランダの市民がNOと言
ったのは、ものすごく大きい意味があります。EUの憲法はそれぞれの加盟国の憲法を超えよ うとしています。こうした国家を超えるような憲法の考え方は、実は日本国憲法がそうでした。
九条は「不戦の誓い」です。ある意味ではこれはハーグの不戦条約と同じです。しかし2項
は、戦力の放棄です。「おれたち丸腰でいくよ」というんです。これは他国の信頼・同意・協調が なければ成り立ちません。既に一国をはみ出す思想です。私たちはその道を進めばいい。
そういうものが、EU憲法のある意味での条件です。しかし不幸なことに、アメリカの一国支配
主義的なグローバリズムと、新自由主義に非常に毒されていて、EUの支配層は、それに対す る幻想を持っています。これに対して、社会的なヨーロッパを作る必要があるとして、フランス・ オランダの市民はNOを言ったのです。
残念ながら日本の新聞は、そういうことが全然読めていません。しかし、フランス・ヨーロッパ
のNGOの人たちの考え方は、サイトとかメールマガジンなどを見ると、よくわかる。さまざまな 議論が伝わってきます。
私たちはそういうものをよく理解する必要があるし、また、そういうところと結びついていける
という考え方を、広島の地が一番持っていると思います。私も頑張りますが、もっともっと広島 の若い人たちに頑張ってもらいたいと思います。 (了) |