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森の国で生きる:/5 広がるシカ食害 /山梨

 ◇種から育てた樹林ピンチ

 八ケ岳南麓(ろく)に広がるカラマツ林。地元、北杜市の人々が約60年前、種から育てた苗木を一本一本手で植えたものだ。その林が今、ニホンジカによる深刻な被害を受けている。

 このカラマツ林を守り育ててきた小宮山福一さん(87)=同市大泉町西井出=が異変に気づいたのは10年ほど前のことだ。樹皮がかじられたり角で傷つけられたりしたカラマツがあちこちで見つかるようになった。樹皮が傷ついた木は木材として使えなくなるだけでなく、やがて枯死する。作業中に出合うシカの群れは、以前は2~3頭だったのに、そのころから20~30頭の大集団になっていた。

 「何もないところに苦労して植えたんです。ようやく良い木に育ってきたなという時に、シカにやられて枯れてしまう。本当に嫌になってしまいますよ」。小宮山さんは、ため息をついた。

 地元からの入植者だった小宮山さんは1946年1月に中国から復員した。その時、目に飛び込んできたのは一面の焼け野原だった。45年4月に約10日燃え続けた山火事があり、約1000ヘクタールの牧草地と、その中に点在していた林を燃やし尽くしたのだ。

 「このまま放置したら水害が起きて大変なことになる。森を造ろう」と、小宮山さんは造林費用を県に申請。県はすぐに了承し、予算が付いた。造林作業のために県から支払われる現金は、当時食べる物にも困っていた甲府市や近隣都県からの入植者たちの貴重な「日銭」にもなった。

 47年ごろから造林は始まった。男性も女性も一緒になって働いた。秋、焼け野原にわずかに残っていたカラマツから種を採り、畑で苗を育てた。苗が30センチ程度に育つと、1人300~400本ずつ布袋に入れて背負い、60~70人で山に入った。くわで穴を掘り、1本ずつ手で植えた。夏には下草刈りや間引きを欠かさなかった。そうやって、焼失した面積のほとんどの植林が終わったのは、約20年後のことだった。

 種だったカラマツは今や、大きなものは高さ約25メートル、幹の太さ直径40センチを超えるまでになった。小宮山さんは3年ほど前に体調を崩して現役を退いたが、幸い、長男の敏文さん(55)と孫が後を継いでくれている。現在の主な仕事は間伐。切り出した間伐材は製材されて張り合わされ、主に建築用の「集成材」となる。

 しかし、シカの食害は年々ひどくなる。シカが増えたのは明らかだ。オオカミや野犬など天敵がいなくなったこと、狩猟者の減少、温暖化の影響で越冬できる個体が増えたことなど、さまざまな要因が重なり合ったためと考えられている。小宮山さんは「この森は我が子のようなもの。その森を次は息子や孫が守り育てていこうとしているのに……」と残念そうにつぶやく。

 県によると、県内のニホンジカの推定生息数は8400頭。07年度のシカによる林業被害は県全体で1億6234万円に上る。県は樹木がシカに傷つけられないよう、幹にチューブやネットを巻いたり、狩猟による個体数の調整などの対策に乗り出している。

 ただ、対策は始まったばかり。敏文さんは厳しい顔で言った。

 「このまま放っておいたら、本当に森が死んでしまう。手遅れになる前に手を打たないと。森は一度壊れたら、すぐには再生できないんですから」=つづく

毎日新聞 2009年1月8日 地方版

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