おおのはるたか
'78年、埼玉県生まれ。小学1年からサッカーを始め中学2年時に「全国中学生大会」ベスト8、3年時に準優勝を果たした。前橋商高では2年時に全国大会に出場。卒業後、柏レイソルに加入した。'97年には「ワールドユース」に出場し、ベスト8進出に貢献。'00年に初めて日本代表候補に選出された。Jリーグ通算107試合出場17得点。
 

第129回
大野敏隆(サッカー)

 高校時代の監督のひと言がなかったら、大野敏隆は柏レイソルの背番号10番をまとっていなかったかもしれない。
「進路面談の時にサッカー部の監督から「オマエはプロだろ」って軽く言われたんです。大学に進んで教員免許を取ろうかな、とも考えていたんですけど、そのひと言で決まりましたね。高校生にとって監督は怖い存在じゃないですか。だから「はい」としか言えなかった」
 高校生の大野は、プロで必ず成功するという確信を持っていなかった。もちろんサッカーは好きだ。選手でなくてもサッカーに関わっていきたいと考えていた。そんな大野が本格的にプロを意識したのは高校2年の冬。「高校選手権」出場を機に、Jリーグのチームから勧誘されるようになった。大野のパッサーとしての能力に6つものチームが獲得の意思を表明した。広い視野を持ち、リズムよくパスを交換したかと思うと、決定的なスルーパスを繰り出す。プロの道を進む自信は持てなかったものの、パスには自信があった。
「昔から、ボールに触ることが楽しかった。自分がボールを持って、人の動きを見てパスを出す。自分が、自分がというタイプではなくて、人を活かすサッカーをするのが好きなんですよ。意表をつくパスに喜びを感じていました」
 非凡なパスセンスを持つ俊英と言えども、高卒ルーキーがすぐに試合に出られるほどプロは甘くない。
「最初はナメてましたよ。すぐ試合に出れるなと思ってて。でもJリーグはプレッシャーが強いですから、簡単にはいかなかったですね。判断が遅くてまわりが見えなかった。その頃にユース代表に選ばれたんですよ。Jリーグでは圧倒されましたけど、ユースは年が一緒じゃないですか。差はそんなにない。試合に出たくて猛烈に練習しているうちに、判断の早さと、パススピードが向上しました。ゴールを意識するようになったものこの頃です。パスだけじゃ相手に脅威を与えることはできませんからね」
 プレイの幅を広げたことで、得意のパスにも磨きがかかる。今やチームの大黒柱として司令塔を務める大野は今年、ゲームキャプテンを任された。
「自分の調子が悪い時でも落ち込んでいられない。守備をしたり、味方のサポートに回って、何とかチームに貢献しようと心がけています。気がつくのが遅いんですけどね(笑)」
 柏レイソルは、現在首位と勝ち点差7の5位。大野はアシスト5、得点1と、いまひとつ勢いに乗り切れていないチームに勝利をもたらす決定的な仕事を重ねている。
「黄善洪(韓国代表)さん、明神(智和・日本代表)さん、サンパイオ(セザール・元ブラジル代表)と、いいメンバーが揃っていますから、簡単に負けるわけにはいかない。上位とは差がありますが、勝利を積み重ねて、可能性のある限り優勝を狙います。最近はサイドに開いてフリーでボールをもらうことが多いんですよ。サイドだと後ろからディフェンスが来ることもない。視野も確保しやすいので、いいクロスを上げることができています。でも、もっとボールに触って、積極的にプレイしないと。ボールに触れば点も取れると思うし、もっといいゴールをアシストすることができると思うんですよ。常に上を目指してプレイしていきたい」

取材・文:堀秀年(ぴあ)/撮影:星野洋介


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