「分水嶺」左は日本海、右は太平洋に
各地に残る生活の知恵や職人の技、伝統芸能を見直す「
日本再発見塾」が10月4、5の両日、松尾芭蕉の「奥の細道」で知られる水の国、山形県・最上町に約200人が集まって開催された。4回目の開催で、今回のテーマは「清水(すず)とつながってみる2日間」。古老の話しやフィールドワーク、歌・俳句を通じたコミュニケーション「歌垣」などを通じて交流を深め、呼び掛け人代表の俳人・黛まどかさんが「それぞれが体験と感動を持ち帰り、さらに活動を広めてほしい」と最後を締め括った。
日本再発見塾は「和」や「武士道」「日本食」など日本の美が世界的に注目される一方で、当の日本が元気を失いつつある現状を前に、参加者が地元の人々との交流を通じて日本の素晴らしさを再確認するのが狙い。各界を代表する50人が呼掛人となって2005年に
岩手県・葛巻町で初めて開催され、2、3回目は
滋賀県・高島市、
福島県・飯舘村が会場となった。
▼清水(すず)の町
今回の開催地となった最上町は人口約1万800人。奥羽山系に囲まれ、地元の人が清水(すず)と呼ぶ豊富な湧き水に恵まれる。農業のほか温泉、スキー場を中心にした観光が主な産業で、かつては「小国駒」と呼ばれる馬の産地でもあった。境田地区には目の前で水の流れを確認できる分水嶺もある。
東京財団などとともに山形県も後援し、地元公民館で開催された開講式では斉藤弘知事が「水に恵まれ、水に親しむ山形県の体験を通じて日本を再発見してほしい」と歓迎のあいさつをした。
(写真右:茶道を通じ、水体験)
第1部の「地元のお年寄りが語る水と暮らしの変化」では、作家の塩野米松さんがマタギとして30頭を超す熊を捕ったという本間山田さんら地元の4人と“水論議”。「湧き出す清水で米をとぎ、野菜を洗い、その傍らに井戸端会議があった」「清水に恵まれているのに保健所は水道水でなければ駄目という」など、水と親しかった生活が次第に変わりつつある現状が披露され、塩野さんは「ボトルがあれば、そこに清水を入れて飲むのが本来の日本人の暮らし。ガソリンより高い水を飲む都会の暮らしとは違う」と指摘した。
次いで「清水の道探し」と題したフィールドワーク。参加者が地元の達人やボランティアの学生とともに「水と植物・生物」「水と文化」「水と農業」「川と漁」「最上の郷土料理」「森と炭焼き」「山刀伐(なたぎり)峠と芭蕉」の7コースに分かれ、地元のお茶室「観山亭」での茶道体験や、地元の料理自慢のお母さんたちとの郷土料理作りで水との関わりを再確認した。炭焼きコースでは実際の伐採から薪割り、窯(かま)からの炭出しから仕分けまで体験、町を流れる最上川の支流、小国川では清流に棲むカジカ釣りにも挑戦した。
(写真上:釣り体験 写真下:伐採体験)
▼爆笑と拍手の「歌垣」
2日目は万葉時代に男女が想いを交わした「歌垣」を再現。黛さんや、呼び掛け人のひとり増田明美さんら6人による俳句、和歌各3作の「問い句・問い歌」に対する「答句・答歌」を参加者から募集。寄せられた約300首からそれぞれ優秀作を選び、出来栄えの良さとともに、司会を行った黛さんと万葉学者の上野誠・奈良大文学部教授の絶妙な掛け合いもあって会場は爆笑と拍手に包まれた。
さらに小国川河原で最上の郷土料理「芋煮」会。ボランティアが地元実行委員会の指導で大鍋いっぱいの「芋煮」を作り上げ、キノコや野菜など地元の食材を使った豪快な味を楽しんだ。最後は「まじゃれ放談会」。“まじゃれ”は「みんなで一緒にやろう」を意味する最上町の方言。7コースの代表がそれぞれの体験で感じた“よき日本”を披露し、再会を誓い合った。(写真左:清流が流れる河原での芋煮会)
再発見塾の参加者は学生から高齢者まで幅広く、初日は深夜まで大部屋で世代を超えた交流を展開。雑魚寝の後、2日目は早朝から収穫や朝市体験。清流の町が持つ静かなイメージとは逆に、慌ただしくも密度も濃い2日間となった。
(高木恵、枡方瑞恵、宮崎正、樋口裕司)