小泉安部の壊しのDNA?  The.139

 「美しい」国づくりが、「苦しい」政権運営に、最後は「見苦しい」辞任に、自殺をせぬよう病院に入れ監視せざるをえなくなった。どだい、金と利権にどっぷり浸かる自民党が、柄にも無い奇麗事が達成出来るはずがない。安部首相の政権放棄は、国民にどれほどの衝撃と落胆を与えたことだろうか。小泉と安部の七年間は、まさに、日本の政治をとんでもない方向に導いて、国民の不安は募るばかりである。
 何故、このような最悪の事態を発生させたのだろうか、考えてみると、どうも日本人政治家の感覚ではないことである。この劇場的国会の原因には、小泉と安部の共通したものがある、DNAの問題が関係していると言わざるをえない。
 小泉の変人ぶりは何がそうさせるのか、父親は鹿児島県加世田市万世町小松原の朝鮮人部落の出身で、旧姓鮫島純也、日本の伝統ある家系ではない。民政党幹事長の小泉又次郎の長女芳江と結婚し養子入りした。小泉の祖父又次郎の妻の祖母、父純也の妻、小泉の愛人は在日朝鮮人、秘書官の飯島勲も在日朝鮮人と、極めて朝鮮DNAが濃い。
 岸家と阿部家家政婦を四十年以上の間仕えた、久保ウメさん(八十一歳)が告白した。「私は朝鮮だ、朝鮮!」と安部晋太郎元外相が私に言ったと。安部晋太郎の父安部寛は、山口県大津郡日置村(現在の長門市)出身で、代々地主であり醤油醸造業や酒造業などを営んでいた。日置村長などを経て衆議院議員をつとめた。
 次の総理は、誰になっても自民党政治は変わらないだろう、民主党がてぐすねひいて待ち構えている、短命で終わらぬよう頑張ってもらいたい。

コメント[1], トラックバック[0]
登録日:2007年 09月 21日 23:30:00

コメント

わたしは新潟の速水家ゆかりの者です。
小泉純一郎のお父様が「鮫島純也」という事を
ここではじめて読みまして一考させられましたので、
記録させていただきます。

小泉又次郎さんには実のお姉さんがいた事はどこにも記されていませんね。
彼女は又次郎さんのお屋敷で、選挙区を守っていらっしゃったそうです。
彼女の名前は、鮫島の名字を名乗っていたと思います。
又次郎さんのお姉さんは、鮫島さんのお嫁さんになったのでしょうね。

彼女には子がいました。男子2人、女子6人くらいだそうです。
その又次郎のお姉さんの末娘の名前が、鮫島ノブ(信)といいまして、
私共士族であった当時350年の歴史ある名家、速水家 の長男の嫁にに転がり込んできます。ノブさんは、首が90度に曲がった身体障害者で、その長男が家督を継ぐまで、籍に入れてもらえなかったようです。ノブさんは子を7人産みましたが、その子らはなぜか、1人は大阪で葬儀屋をやり、1人は部落民と結婚し、
1人は全身のアトピーで20歳そこそこで亡くなり、1人は大阪で針、あんま、1人は気ままな独身、1人は不明、籍を入れてもらった後にできた末の子が速水姓を名乗っています。小泉純一郎さんの従兄弟です。顔もよく似ています。

なぜ、格式のある速水の家から、ノブさんの子らだけ、身分ちがいの結婚がなされたのかという部分が不明だったのですが、理解できた気がします。
そして、純也さんが、小泉さんの養子に入られたことも理解できます。又次郎さんのお姉さんの意向があったのでしょうね。ご自分の嫁いだ鮫島さんのお家からご自分の子供達の従兄弟を小泉芳江さんに引き合わせたと推測できますね。

新潟の名家、豊臣家15000石の家老だった速水甲斐守守久の三男が初代となった速水家が消滅してしまったのは、速水の屋敷の物、蔵の物がノブさんによって小泉又次郎さんのお屋敷に持ち込まれたから。。。も、その理由だと推察されます。私共の清和天皇までさかのぼれる由緒ある家系が、ノブさんの登場で崩壊没落してしまった史実は、大和の歴史を語る上でも、残念でなりません。 

これもまた、小泉純一郎さんと同じDNAをもつ、ノブさんのぶっ壊しの血なのでしょうか。

速水家のお屋敷は3000坪もある堀で囲まれ八方門の由緒正しい家でした。ノブさんの夫のおじい様・速水柳平は、高島易の祖、高島嘉右衛門の側近でしたので、会計とその実業の経営を任せられていました。伊藤博文ら政財界と親交もあり、新潟の速水家に多額の資金を送金し続けていました。時が流れ、ノブさんが実権を握った後は、切り売りされて、屋敷も取り壊され、池もつぶされ、見るも無残な様相です。これも全て、又次郎さんの選挙資金に消えていったものと推察されます。それか、時折ノブさんが又次郎さんのお屋敷でしばらくのんびり暮らしていたと聞いていますので、その都会での生活費としてお金を工面したのでありましょうか。

私のおばあさんの末妹が、(ノブの夫の年の離れた妹です)
ノブさんに連れられて、小泉家の大先生(又次郎)、(若先生)純也さんの2代に渡る私設秘書をし小泉の家の歴史を見ていましたから、この様な話を聞く事ができました。彼女は老齢となりましたが現在も元気に新潟で暮らしております。小泉さんのお宅は外部の人を家内に入れる事を嫌ったそうです。ですので、使用人は12人くらいいたらしいですが、小泉に由来する人間でお屋敷内を固めていたと聞いています。

鮫島ノブさんの存在は、いくらかは鮫島純也さんの小泉家との関係を推測できる材料となると思います。

純也さんは芳江さんと駆け落ちしたのは事実で、鮫島ノブさんは子供の頃から、芳江さんと姉妹のように又次郎さんのお屋敷でとても仲良く暮らしていたと聞いていますので、純也さんが芳江さんを強姦して小泉家にもぐり込んだというネットで投稿されている説は考えにくいと思います。本当に好き合って恋愛しご結婚なさったのだと思います。

実際、ノブさんの元には新潟からお米を送ったり干し柿を送ったりと、体を大事にして下さいねという純也さんからの礼状が何通もとどいています。

純也さんはノブさんの従兄弟にあたるのかしら?と私は思ったりもします。 口伝であっても、史料は正確に残したいとの思いもあったので、以上の事、責任を持って記録させていただきました。 

小泉・壊しのDNA!!に刺激されて一筆しました。あしからず。

ノア @ 2008年 02月 18日 19:11:36

コメントを追加

Trackback

この記事に対するトラックバックURL: