桜井淳所長から京大原子炉実験所のT先生への手紙-JCO臨界事故被ばく線量の不確実性について-
テーマ:ブログT先生
茨城県那珂郡東海村でJCO臨界事故が発生したのは、1999年9月30日10時35分頃でしたから、今秋で、まる10年になります。
私は、事故直後、新聞社からの情報で、概要を知ることができました。しかし、被ばく線量について、信じがたい数値を耳にし、何度も聞き直しました。桁の違う値に、"ありえない"との直感が働いたためです。最初は、記者に理解力がないために、"おかしなことを言っている"と受け止めていましたが、何度聞き直しても、その数値は、放射線医学総合研究所が公表したものであることが分かり、受け入れらずを得ませんでした。それでも、事故後、わずか約2時間で評価したことに、その手順・方法・不確定要因に、疑問を持ちました。
いちばん多く被ばくした従事者の被ばく線量は、16-20Gy・Eq(等価吸収線量、吸収線量(Gy)に放射線の種類によって決まる荷重係数をかけた値)であり、Gy・Eq=Svであるため、16-20Sv(ひとむかし前の単位では1600-2000rem、なお、放射線従事者の年間被ばく線量は5rem以下です)としてもよく、これまでの、広島・長崎被爆疫学調査から、6Sv(600rem)以上が致死量になっているため、その時、16-20Svの値というのは、ひとりの人間を約3回殺せる値であるということがわかりました。そして、大変なことが発生してしまったと沈痛な思いでした。それでも、重い気持ちをひきずって、私は、その日だけでも、新聞・テレビからの数十件のインタビューに答えました。
放射線従事者は、作業中に、ポケットチェンバーとフィルムバッヂを携帯することが義務づけられていますが、それらは、通常時の比較的少ない被ばく線量の測定はできるものの、臨界事故の時のような、極端に多くの被ばくの場合には、測定上限をはるかに超えてしまい、何の役にも立たなくなってしまいます。原子炉の炉心の中性子やガンマ線のような大線量の測定には、唯一、任意の金属の任意の核反応を利用した"箔放射化法"が利用されます(たとえば、熱中性子に対し、Au197(n,γ)Au198等、1MeV以上の高速中性子に対し、Fe54(n,p)Mn54等)。
JCO臨界事故の被ばく線量は、"人間放射化法"により、"中性子エネルギースペクトル"を考慮した上で、吸収線量(Gy)を評価し、急性放射線症の荷重係数をかけて、最終的な、等価吸収線量(Gy・Eq=Sv)を評価しています。"人間放射化法"とは、血液成分のNa23の存在に着目し、Na23(n,γ)Na24(半減期15時間)反応で生成されるNa24の放射能絶対値から求めます(Na23(n,γ)の中性子断面積は、小さく、臨界事故のようなわずか数msecでは、わずかな放射能しか生成できません)。
しかし、この方法は、単純ではなく、まず、手順として、(1)患者から血液を採取、(2)1cc中の構成元素の個数密度を算出(標準的な人間に対してはすでに用意されています)、(3)Na24から放出される1.369MeVのガンマ線をゲルマニウム検出器で測定することにより1cc中の放射能を測定、(4)患者の全身の"中性子エネルギースペクトル"(標準的な人間に対してはすでに用意されています)を考慮して(3)の結果から全エネルギー範囲にわたる吸収線量を評価、(5)急性放射線症の荷重係数を利用して(4)の結果から等価吸収線量を評価となります。
問題点は、(a)人間の体は、大部分が水であって、高速中性子は、水で減速されるため、"中性子エネルギースペクトル"は、人間の体格によって異なり、JCO臨界事故の時のように被ばく線量を短時間で評価する場合には、個別のものを計算できる時間がないため、標準的なものを利用せざるを得ず、そのことに起因する不確定、(b)Na24の放射能は、主に、臨界事故の短時間(数msec)、熱中性子と熱外中性子によって生成され(A(E,t)=∫σ(E)Φ(E)dE(1-exp(-λt)))、それによって評価される中性子束から、"中性子エネルギースペクトル"を考慮し、全エネルギー範囲の中性子に対する中性子束を評価しなければならないが、個別の人間を考慮した"中性子エネルギースペクトル"が評価されていないために、ここで大きな誤差が発生しやすく、放射能測定と"中性子エネルギースペクトル"から吸収線量を評価するのは、たとえるならば、像の尻尾の大きさから、像全体を推定するような暴論です。
(c)急性放射線症の荷重係数として1.7を利用していますが、それは、放射線医学総合研究所が蓄積した知識・経験とノウハウによるものでしょうが、1.7というのは、小さ過ぎます、(d)"人間放射化法"では、中性子被ばく線量しか評価できませんが、公表値には、ガンマ線被ばく線量も含まれているとされていますが、事故後、短時間では、核分裂の時に発生する中性子とガンマ線の割合から、ガンマ線による被ばく線量を推定し、加算しているものと推察されますが、そこでも、中性子の場合と同様、"ガンマ線エネルギースペクトル"の不確実性が伴うために、誤差要因になります。
JCO臨界事故の被ばく評価法は、現象を物理で考えた場合、受け入れがたいこともありますが、現場で、短時間に、即刻対応できる方法としては、唯一、実用的なものと推察します。しかし、厳密な誤差評価をしたならば、意外と大きな誤差が推定されるでしょう(公表値は誤差が小さ過ぎます)。私は、核医学が専門でないため、核医学分野のノウハウに通じていませんので、今回は、このくらいの問題提起に留めます。
桜井淳