o「改訂日本余地路程前も」は賜刈(私撰)指導として 1779年原本には鬱陵島と独島が朝鮮本土とともに彩色されない状態で経緯導線の外に描かれていて日本領域の外の島で認識している.BR>
o なおかつ日本海軍省の「朝鮮東海岸も」(1876年)のような官撰指導たちはむしろ独島を韓国の領土に含ませている.
【反駁の反駁】海図は領土を示すものではない。「朝鮮東海岸も」(1876年)の北側には、ロシア領ウラジオストックが書かれているが、これをもって朝鮮領とできないのは当然のこと。なお、国際法においても地図は「主権主張」の根拠にはならない。The Island of Palmas Case (or Miangas) (1928)
Anyhow, a map affords only an indication – and that a very indirect one – and, except when annexed to a legal instrument, has not the value of such an instrument, involving recognition or abandonment of rights.
o 1696年徳川(徳川) 幕府政権が日本漁民たちの鬱陵島図解を禁止した以後二つの島に対する認識が曇って独島をMatsushima(松島), 李陽してからも(リヤンコ島), ラングコも(ランコ島), 竹島(竹島) などで混乱するように呼んだだけでなく地理的位地図完全に忘却するようになった.
【反駁の反駁】
国際法上、必要なのは明確な「委棄」の意思の表明であり、数世紀程度の記録の欠如は委棄を意味しない。Legal Status of Eastern Greenland (1933)
As regards voluntary abandonment, there is nothing to show any definite renunciation on the part of the kings of Norway or Denmark. During the first two centuries or so after the settlements perished, there seems to have been no intercourse with Greenland, and knowledge of it diminished; but the tradition of the King's rights lived on, and in the early part of the XVIIth century a revival of interest in Greenland on the part both of the King and of his people took place.
o 独島は鬱陵島で肉眼でも眺めることができて鬱陵島に人が居住し始めた時から認識することができた.このような認識の結果世宗実録地理志(1454年), 信証東国輿地勝覧(1530年), 東国文憲比考(1770年), 満期搖りかご(1808年) など韓国の幾多の政府官撰文書に独島が明確に表記している.
【反駁の反駁】
これら文献においてどこから何を見たかは書かれていない。1417年の金麟雨の于山島調査により于山島に86人の住民がいることが報告されており、鬱稜島のことであることがわかる(太宗実録 十七年)。また、その地理認識を図化した当時の地図において、于山島は鬱稜島の「西」に鬱稜島とほぼ同じ大きさ・形状で描かれており、2重写しの鬱稜島にすぎないことが証明される。
このような地図を論拠した地理的認識の特定は国際法においても有効である。
The Island of Palmas Case (or Miangas) (1928)
Thus, a comparison of the maps __submitted to the Arbitrator shows that there is doubt as to the existence or the names of several islands which should be close to Palmas (or Miangas), and in about the same latitude. The St. Joannes Islands, Hunter’s Island and the Isle of Mata are shown, all or some of them, on several maps even of quite recent date, although their existence seems very doubtful. The non-existence of the Island of Mata and the identity of the St. Joannes and Hunter’s Islands with Palmas, though they appear on several maps as distinct and rather distant islands, may, on the evidence laid before the Arbitrator, be considered as fairly certain.
更に言えば、安龍福事件における日本と朝鮮の交渉において、朝鮮は東国輿地勝覧(1530年)の記述を「朝鮮半島から鬱稜島を見た記録」と解釈し、日本に鬱稜島の領有権を主張している。同じ記録を「鬱稜島から竹嶋を見た」と主張することは国際法において禁反言に違反することとなる。
なお、この写真は「500mmレンズ」を使用して撮影されたものであり、「肉眼」で見えることの証明にはならない。
- 特に東国文憲比考(1770年), 満期搖りかご(1808年) などには “鬱陵島と傘島は皆于山国の地であり, 傘島は日本人たちが言う松都(松島)”とはっきりと記録している. 松都は当時日本人たちが呼ぶ独島の名称だ. 傘島が独島というのを明確に知らせてくれている.
【反駁の反駁】
1711年の朝鮮政府による鬱陵島を行った検察使の朴昌錫の地図により于山島は、竹嶼であることが証明される(クリック)。また、備辺司謄録では1735年に「丁丑·戊寅年間朝家送張漢相 看審圖形以來 而聞鬱陵島 廣闊土沃 曾有人居基址 或有往來之痕 其西又有于山島 而亦且廣闊云矣(その(鬱陵島)の西にまた于山島があり、また広闊だという)」と記録され、架空の鬱稜島を于山島とする認識が1735年時点でもあった。1807年の朝鮮政府による鬱陵島の調査報告では「北有于山島周回為二三里許(北に于山島があって周囲は二三里をなしている)」とされている。これら調査によって朝鮮では竹嶼を于山島とする認識が拡がったのは、当時の地図によって証明される(クリック)。故に、朝鮮は竹嶼を「倭の松島」と勘違いしていたにすぎない。また、国際法上も名称による錯誤が地図や調査等に示された地理認識を覆すことはできない。The Island of Palmas Case (or Miangas) (1928)
The identification of the Nanusa with “Meangis” Islands may he explained by the desire to locate somewhere the Meangis Islands, famous since DAMPIER’s voyage. Seeing that up to very recent times an extraordinary inexactitude about the names and the location of the islands in precisely that part of the Celebes Sea is shown to exist by almost all the maps filed by the Parties, including the two maps of MELVILL VAN CARNBEE, an erroneous attribution of the name “Miangas”, even by Dutch cartographers, is easily possible.
o 2005年日本オキソムで発見された安竜福関連調査報告書である「ワンロック9ビョングザニョンゾソンズチァックアンイルグォンジガックで」(元禄九丙子年朝鮮舟着岸一券之覚書)には安竜福が携帯した指導に鬱陵島と独島を朝鮮の江原道に附属した島に銘記している. (下の <資料 5> 参照)
【反駁の反駁】
朝鮮政府は安龍福を「漂風の愚民については、もし作為する所があっても、朝廷が認知したものではない(至於漂風愚民 設有所作爲 亦非朝家所知)
原文」と日本に回答している。更に「呈書のことについては誠に妄作の罪あり」として安を処罰した事を文書にて日本に通知している。このため、国際法において安龍福の証言を根拠にすることは禁反言に違反することになる。
o 今日と違い地図製作技術の不足で古地図の中で独島の位置や大きさを過ち描いたのがあるが, これが独島の存在を認識することができなかったという証拠になるのではない.
【反駁の反駁】
国際法において、地図に表記された地理的特徴をもって島の不存在が証明される。
The Island of Palmas Case (or Miangas) (1928)
Thus, a comparison of the maps __submitted to the Arbitrator shows that there is doubt as to the existence or the names of several islands which should be close to Palmas (or Miangas), and in about the same latitude. The St. Joannes Islands, Hunter’s Island and the Isle of Mata are shown, all or some of them, on several maps even of quite recent date, although their existence seems very doubtful. The non-existence of the Island of Mata and the identity of the St. Joannes and Hunter’s Islands with Palmas, though they appear on several maps as distinct and rather distant islands, may, on the evidence laid before the Arbitrator, be considered as fairly certain.
さらに言えば、具体的な朝鮮政府による公的な現地調査において于山島は鬱稜島若しくは竹嶼であることを証明している。これら現地調査の記録に基づく地理の特定は国際法でも有効である。Legal Status of Eastern Greenland (1933)
Even if no evidence of any landings on the coast have been produced, the ships which hunted whales in the waters to the East of Greenland sighted the land at intervals and gave names to the prominent features which were observed. Indeed, “Greenland” as a geographical term was even more used in connection with the East coast than with the West coast, as the term “Straat Davis” was often used to describe the West coast, or colonized area, of Greenland.