o 図解兔許は内国島に渡航することに必要がない文書なので これはむしろ日本が鬱陵島・独島を日本の領土で認識していなかったという事実を立証するのだ.
o 17世紀中葉の日本古文書である 『ウンズシチォングハブギ(隠州視聴合記)』(1667年)は ‘日本の西北の方限界をOki島にする''と記録して日本人たち自ら独島を自国の領土から除いている./FONT>
【反駁の反駁】
原文は隠岐島ではなく「此州」である。「州」を穏州とするか島とするかで解釈が異なる。なお、(鬱稜島から)見高麗如自雲州望隠州と書かれており竹島を朝鮮領としては認識していないことがわかる。
o 1877年日本国家最高機関である大政官は 17世紀末日韓間ギョソブギョルとを土台で “…稟議した主旨の竹刀(竹島, 鬱陵島)外一刀(一島, 独島)の件に対して日本は関係がないということを肝に銘ずること”と言いながら独島が日本の領土ではないことを公式的に認めた.
【反駁の反駁】
少なくとも、17世紀末日韓政府間の紛争において「竹島」が問題となったことはない。外一島の解釈として、島根の地図にあるマノ島(竹嶼)と鬱稜島(当時の内務省の認識は松島が鬱稜島で竹 島がアルゴノート島)がある。
o 一方日本外務省も 『造船国付き合い始末内偵で(朝鮮国交際始末内探書)』(1870年)から ‘竹刀(鬱陵島)と松都(独島)が朝鮮部属になっている始末’という報告書を作成したので松都(独島)が韓国の地なのを自認こんにちはだった.
【反駁の反駁】
当時の内務省の認識は松島が鬱稜島で竹 島がアルゴノート島である。
o 17世紀末日本幕府政権が鬱陵島渡航を禁止する時, ‘竹刀(鬱陵島) 外ドットリボンに附属した島があるか’という江戸幕府の質問に対してドットリボンは ‘竹刀(鬱陵島), 松都(独島)はもちろんその他に附属した島はない’と回答しながら, 鬱陵島と独島がドットリボン所属ではないことを明らかにしている.
【反駁の反駁】
鳥取藩は、竹島は隠岐の島と認識している。当時の隠岐は幕府の直轄領であり、鳥取藩の領土ではない。このため、竹島が鳥取藩の領土でないとする回答は当然である。そして幕府は、鳥取藩から報告のあった鬱稜島の渡海は禁止したが、竹島への渡海は禁止していない。