「文系は論理的思考力がない」「理系はコミュニケーション力がない」という偏見
ネットでもよく見かける、「文系は論理的思考力がない」「理系はコミュニケーション力がない」という意見。さすがにそこまでの偏見を職場で公然と口にする人はいませんが、文系/理系をカテゴリーに分けて、その特徴について語る人は多いです。
よく考えてみると、「ニセ科学」の代表格としておなじみの「血液型性格診断」ですら、人間を4つの類型に分けているのですから、「文系/理系」の2つに分ける感覚が、いかに大雑把かというのがわかりますが、なんとなく当たってる感じがしなくもない点も、血液型性格診断を彷彿とさせます。
今回は、人間を分類するキーとして「文系/理系」を使ってしまう心理は何なのか?というところまで、考察していきたいと思います。
そもそも、人格が変わるほど勉強している人は少ない
まず、文系・理系で、行動様式に差が出るほど、勉強に人生を賭けている人がいたのか、という根本的な疑問があります。総務省の社会生活基本調査によると、大学生の平均的な勉強時間は、小中学生のそれよりも若干少ない程度です。
さすがに高校生のときはそれなりに勉強はしているようですが、それにしても、友達と雑談していたりテレビを見たりしている時間の方が長いし、人格が変わるほど文系科目・理系科目に傾倒しているようには思えません……が、もう少し詳しく考察していきましょう。
国語の大学入試問題の多くが論理的文章の読解力を問うものであるという事実
文系の科目の代表格といえば、国語です。国語というと、小説を想起する人が多いと思いますが、実際のところ、高校で小説を学ぶ機会はさほど多くはありません。なぜなら大学入試で出題される問題の多くは、評論や論説文だからです。なので、国語の入試対策をするということは、たとえば茂木健一郎さんの文を読むことであっても、村上春樹さんの小説を読むことではありません。
古文にしても、古典文法の知識からの解読をするのであって、情緒を理解すると国語と数学の求める論理を単純に比較することはできませんが、少なくとも、国語が、「論理的でない科目」であったことはないでしょう。