どうして人を殺しちゃいけないの?
どうして人を殺しちゃいけないのか。
まず、このあいまいな質問の意味を意味を確定させるところから始めよう。
「なぜ私は他の人間を直接殺してはいけないのか」
直接、という言葉に引っかかる人もいるかもしれない。
間接的にだってダメだろう、と。
それは尤もだが、「間接的に」は範囲が広すぎる。
我々の何気ない言動ひとつひとつが、世の中に確実に影響を与えているということにはお気づきだろうか。
我々は、たとえば募金をしないことで、たとえば人の陰口を叩くことで、「間接的に」他人を殺しているのである。
この問題はこの問題で話すと長くなるので、ここでは省略させていただく。
さて、なぜ私は他の人間を直接殺してはいけないのか。
私自身が人を殺さない理由を挙げるとするなら、①そもそも殺したいと思うような人物がいない、②殺してしまったら法により罰せられ、物理的・精神的ダメージを被り、社会的に非常に不利な立場になる、といったところだろうか。
もう少しマクロに考えれば、養老さんのように、③人間は作り直せないから、壊したらもったいない、という視点も生まれるだろう。
①、②に比べ、③の方が一般性があるように聞こえるが、実際最も人々を規制しているのが②であることは誰でも納得してくれることと思う。
ここで問題が生ずる。
そもそもなぜ法律によって殺人が罰せられることになっているのかという問題である。
これもマクロに、素直に考えれば当たり前のことで、「そうしたほうがみんなが安心して(楽しく)暮らせる」からである。
「そうしたほうが社会がうまく回る」と表現したほうが、スポーツとの類似性が見えてきて理解しやすいかもしれない。
どんなスポーツにも様々なルールがあるのが普通だが、それはなんのためにあるのかを考えてみてほしい。
ゲーム(試合)を面白くするためである。
みんなの人生を面白くするために、法律はある。
これくらい説明すれば納得できるだろうか。
とは言っても、君が根っからの哲学者ならば、答えは一生かかっても出ないだろう。
「なぜ」は何重にも重ねられるからである。
例えば上の説明に対し、「じゃあなんでみんなが安心して暮らす必要があるんだよ」などの疑問をぶつけることは可能である。
もし私がそう質問されたとしたら、「安心したくない人はいないでしょう」と答えるであろうが。
「わからないじゃん、いるかもしれないじゃん!」と言われた日には、もうお手上げである。
私は回答責任を放棄するだろう。
「じゃあお前が探してきてくれ。」
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