知を探求する者へ。

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そして、感じよ。


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どうして人を殺しちゃいけないの?

2007-06-20 09:38:21
テーマ:その他哲学

どうして人を殺しちゃいけないのか。

まず、このあいまいな質問の意味を意味を確定させるところから始めよう。


「なぜ私は他の人間を直接殺してはいけないのか」


直接、という言葉に引っかかる人もいるかもしれない。

間接的にだってダメだろう、と。

それは尤もだが、「間接的に」は範囲が広すぎる。

我々の何気ない言動ひとつひとつが、世の中に確実に影響を与えているということにはお気づきだろうか。

我々は、たとえば募金をしないことで、たとえば人の陰口を叩くことで、「間接的に」他人を殺しているのである。

この問題はこの問題で話すと長くなるので、ここでは省略させていただく。


さて、なぜ私は他の人間を直接殺してはいけないのか。


私自身が人を殺さない理由を挙げるとするなら、①そもそも殺したいと思うような人物がいない、②殺してしまったら法により罰せられ、物理的・精神的ダメージを被り、社会的に非常に不利な立場になる、といったところだろうか。

もう少しマクロに考えれば、養老さんのように、③人間は作り直せないから、壊したらもったいない、という視点も生まれるだろう。

①、②に比べ、③の方が一般性があるように聞こえるが、実際最も人々を規制しているのが②であることは誰でも納得してくれることと思う。


ここで問題が生ずる。

そもそもなぜ法律によって殺人が罰せられることになっているのかという問題である。

これもマクロに、素直に考えれば当たり前のことで、「そうしたほうがみんなが安心して(楽しく)暮らせる」からである。

「そうしたほうが社会がうまく回る」と表現したほうが、スポーツとの類似性が見えてきて理解しやすいかもしれない。

どんなスポーツにも様々なルールがあるのが普通だが、それはなんのためにあるのかを考えてみてほしい。

ゲーム(試合)を面白くするためである。

みんなの人生を面白くするために、法律はある。


これくらい説明すれば納得できるだろうか。

とは言っても、君が根っからの哲学者ならば、答えは一生かかっても出ないだろう。

「なぜ」は何重にも重ねられるからである。

例えば上の説明に対し、「じゃあなんでみんなが安心して暮らす必要があるんだよ」などの疑問をぶつけることは可能である。

もし私がそう質問されたとしたら、「安心したくない人はいないでしょう」と答えるであろうが。

「わからないじゃん、いるかもしれないじゃん!」と言われた日には、もうお手上げである。

私は回答責任を放棄するだろう。




「じゃあお前が探してきてくれ。」

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理解度≒実感度 ~理解の螺旋階段~

2007-06-20 08:47:43
テーマ:その他哲学

ネガティブ脱却記念に、

今日はすばらしい知をプレゼントしよう。


それは、タイトル通り、「理解度≒実感度」ということ。

「理解」にも様々なタイプがあると思うが、ここで指す「理解」は、主に「感情」や、「世の中の道理」に対する理解のことである。

人には誰でも、何らかの感情体験や思考体験を経て、「あ、分かった」と(口に出さずとも心の中で)もらす瞬間がある。

それを通常、「理解」と呼ぶ。


ところが、これはある種の「思考停止」である。

なぜ、「思考停止」と呼べるのかと言えば、それは、「理解」に果てなどないからである。

それは読者も経験上、実感されていることと思う。

「理解」することを、「身に染みる」と表現することがある。

この表現は、まさに「理解」に際限などないことをうまく言い表している。


なぜ「理解」に際限がないのかを考えると、それは理解というものが単なる実感、「ああ、本当にそういうもんなんだなぁ」

というような実感に過ぎないからである。

古語で言えば助動詞「けり」などが適当だろう。


以上のことを、「理解の螺旋階段」を使って再び説明しよう。

上に果てしなく続く、螺旋階段を想像していただきたい。

あとは、その螺旋階段中に、ある間隔で踊り場があるという設定を付け加えれば準備完了だ。

まず、全く体験・思考したことのないものに関する理解度は0。

このとき君は、螺旋階段の一番下にいる。

体験・思考を積むことは、螺旋階段を上っていくこと。

それは、精神的・肉体的ストレスをともなうものだ。

もう精根尽き果てたそのとき、踊り場にたどり着く。

君は安堵し、自分が辿ってきた道のりを上から見下ろす。

これが、「理解」である。

君はしばらく休憩するであろう。

これが、「思考停止」である。

そして君は再び、歩き出す。

以上の繰り返しが、ものを理解していくということ。


果てがないと言ったが、私がそう言った理由は、私が果てを見ていないからである。

果てがないことは誰にも証明できない。

だからこそ、我々は、果てを目指して日々階段を駆け上がっていくのである。

最近ネガティブなんで

2007-06-13 10:51:26
テーマ:お知らせ

知を発信する気になりませんが悪しからず。

人に教えるってのは相当エネルギーいるんだぜ?

たいせつなひと

2007-06-08 19:08:08
テーマ:
どれほどがんばっても

きみのことだけはおもいだせない

ほかのことなら

いくらでもおもいだせるのに



こころにぽっかり

あながあいたようなんだ

そのあなをうめるために

ぼくらはまた

であうんだね



さようなら

ひさしぶり

またね

アライグマ

2007-06-06 07:14:12
テーマ:その他

アライグマに似ていると言われたことがあります。


ラスカル???

読書の基礎

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テーマ:読書

まずは、筆者に敬意を払うことからはじめましょう。

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