偽ユダヤ人 No.4

 

「タルムード」はユダヤ人は特別な選民であると強調する。そして自分達だけが人間で、他の民族ははるかに下等の者であると繰り返し述べている。「タルムード」は他の民族すなわち異邦人を「ゴイム」と言っているが、それは単なる動物という意味ではなく、彼らの軽蔑する「豚」という響きを持っているのである。イエスはこのバビロン宗教の影響を受けたユダヤ人達、中でもその指導者達を徹底的に糾弾した。新約聖書にその様子が記録されている。パリサイ人、律法学者とはその当時のユダヤ人の指導者をさした言葉であった。糾弾されたパリサイ人や律法学者達は、イエスを憎みかつ妬み、やがて十字架刑に追いやったのである。新約聖書とは旧約聖書そのものの立場にたつイエスと、タルムード的発想になってしまったユダヤの指導者達との対決の記録とも言えるだろうか。

それから約四○年後の紀元七○年、ローマ帝国によってユダヤの国は完全に崩壊した。先ほども述べたようにユダヤ人達は全世界に散らされたが、パリサイ人や律法学者と言われるユダヤの指導者達は再ぴバビロンの地へと帰っていった。そして約五○○年の歳月が流れて、そのバビロンで「タルムード」は書物の形をとるようになった。中央アジアにいたカザール人達がユダヤ教に接触したのはそれ以後のことである。したがって彼らは旧約聖書を知ったのではなく、タルムードに接した。「タルムード」という色眼鏡をかけて後、旧約聖書を読むようになったのである。アシュケナージ・ユダヤ人は、自分達にとって何よりも大切な経典は「タルムード」だと言ってはばかることはない。
 

自分達だけが人間であり他の艮族は動物であるとする彼らを、後にマルチン・ルターは批判して次のように言っている。「彼らの『タルムード』は、ユダヤ人が異邦人を殺しても殺人罪にはならないが、ユダヤの同胞を殺すなら罪になると書いてある。彼らが異邦人との誓いを守らなくても罪にはならない。それゆえに彼らが高利貸しをしてうまくやっているように、異邦人から盗んだり奪ったりすることは神への奉仕であると考えている。ということは、彼らは高貴な血の割礼を受けた特別な民族であると思い込んでいるのだ」なぜユダヤ人達はヨーロッパで迫害を受け、ユダヤ間題はタプーとなったのか。このマルチン・ルタ−の言葉によって明白ではないか。

宗教集団が自らが絶対であり、他の民族が劣等であると考え出したなら、当然摩擦が起こるだろう。しかしその摩擦は現在においても、ョーロッパさらにはアメリカにおいて厳然として存在する。特に第二次世界大戦中、アシュケナージ,ユダヤ人達はドイッから激しい追害を受け、虐殺もされた。それゆえ戦後、彼らは自分達は哀れな民族であり、迫害され続けた民族だということをキャッチフレーズにするようになった。なぜ追害されるようになったのかを彼らは隠した。しかし、欧米人達はその理由を知っている。知っていても、それに触れるなら反ユダヤとしてマスコミで非難され叩かれるために、彼らは口に出さない。それゆえに、ユダヤ問題はタプーなのである。宗教集団がその信条を世界の片隅で守っているなら何の間題もない。しかしユダヤ人の場合は、マスコミは言うに及ばず、金融、政治経済に至るまで甚大な力を世界的な規模で持つようになったのである。そしてその波はすでに日本にまで及んでいる。