このように血縁的に見ると、ユダヤ人の中にまったく混じりあうことのない二つの民族を見ることができるわけである。現在、ユダヤ人と称する人々は全世界に一五○○万人いるとされている。そしてそのうちの九○パーセントをアシュケナージが占めており、残り一○パーセントがスファラディであると言われている。
小生がかつて書いた『ユダヤが解ると世界が見えてくる』『ユダヤが解ると日本が見えてくる』(徳間書店刊)が日本で多く読まれるようになったころ、『ニューョーク・タイムズ』などのユダヤ色の強い新聞がこれを非難した。続いて、アメリカの二議員が当時の日本の政府に対して抗議を申し込むという事態が起きた。日本に反ユダヤの動きありというわけである。当時、ニューョークをはじめョーロッパなどの主だった町々では、この報道は大きな話題になったという。なぜなら、多くの人々は日本人はユダヤ間題とまったくかけ離れた者達だと思っており、特にユダヤ人自身がそのように思っていたからだ。その日本で反ユダヤの動きありという騒ぎであるがゆえに、その衝撃は計りしれないものであったようだ。著者である小生自身、これらの本を反ユダヤとは思っていなかった。なぜならその当時、ユダヤ人と言えばすべて旧約聖書で言うアプラハム、イサク、ヤコプの子孫であると思っており、疑ってはいなかったからである。
旧約聖書の中には、ユダヤ人がローマ帝国によって全世界に散らされて後に必ずもとの地に帰りイスラエルの国を再建すること、そしてなお力を増大させて世界に大きな影響を及ぼしていくこと等が書かれている。小生はそのような目でユダヤ人を見ていた。それゆえいかなる逆境や迫害の中にあっても、ユダヤ人はどれほどたくましく生き続けてきたことか、日本人はそのようなことから多くを学ぶべきだと、それらの本を通して論じてきたのである。ユダヤ人が触れられることを最も嫌うブロトコールをも、ユダヤ人のたくましさの証明として引用したほどであった。
『ニューョークタイムズ』などのマスコミは、詳しく本を読むこともなくただ噂のみによってこれらを取り上げ、反ユダヤとして問題視し、大きな騒ぎを起こした。しかし小生は、欧米的に見るならそう見えても、日本人は誰一人そのようには見ていないと自負していた。そのころヨーロッパを訪れた時、ある国の外交官が一つの本を紹介してくれた。それがこの『第十三支族』であった。その本(本書)では、今日ユダヤ人と言われるほとんどの人々はユダヤ人とはまったく関係なく、似ても似つかないカザール人であることが、カザール人自身の手によって証明されていたのである。だが果たしてそれは真実なのか。小生はその後、ヨーロッパからイスラエルヘ入った。そしてイスラエルでかねてから親しくしていたスファラディの友人に会い、彼にこの疑問をぷつけた。今でもその時のことを鮮明に覚えている。スファラディ・ユダヤ人である友人は、西はョーロッパから北はスカンジナビア半島、東は中央アジア、南はエジプトに至るまでの地図を書いた。そしてまずユダヤのコミュニティーには二つあると話し
始め、一つはアシュケナージ達の東ョーロッパのコミュニティー、もう一つは北アフリカ地方のスファラディのコミュニティーと地図に書き込んだのである。彼は紀元七○年のローマによるイスラエル国家崩壊から始めて、ユダヤ人の離散について述べた。自らの先祖がたどった歴史そのものであったがゆえに、彼の口調には熱気を帯ぴたものがあった。スファラディの歴史の後、アシュケナージの歴史に話は移った。しかし彼はアシュケナージとスファラディとの関係には触れず、すぐにロシアにおける迫害などの話から始めたのである。そこで小生は尋ねた。
「アシュケナージと呼ぱれる人々は全世界のほとんどのユダヤ人を占めており、彼らは政治的にも経済的にもアメリカを中心として強大な力を持っている。このアシュケナージとスファラディとは血縁的に問係があるのか。すなわち、アシュケナージとはかつて中央アジアにいたカザールという民族が改宗した入々ではないのか」その友人は平然として次のように述べた。「それはユダヤ人であるなら誰でも常識として知っていることだ。今から数力月前、エルサレムの至る所にポスターが貼られた。そこには大きな字で『アシュケナージはカザール人だ』と書かれていた。もちろんそのポスターは警察の手でただちに撤去されたが、それは誰も隠すことのできない真実なのだ」その瞬間、ユダヤ問題はいったい何か、その一端をつかんだように思えた。しかも明確にである。ユダヤ人自身にも、他の民族に言うことのできない複雑な問題を抱えているのである。それは水と油のような彼らの関係である。