学祖 高楠順次郎
(1866〜1945)
散華乙女の記念樹碑
(昭和53年12月落成)
碑は、昭和19年12月3日、勤労報国隊として中島飛行機工場に動員されていた生徒4名が、米軍の空襲を避けるべく母校校庭の掩蓋壕に避難していたが、そのうち4名が直撃弾を受けて散華。時の校長鷹谷俊之は、その掩蓋壕のあとに土を盛り、供養の記念樹として寒椿の苗を植えた。成長したその記念樹のかたわらに、碑を立て、4名の名と追悼のことばを刻んで、記念樹碑として残すことになったものである。
大学・短大校舎7号館
(平成9年4月竣工)
現代社会学部設置に伴って建設された