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2002年12月17日

太田述正コラム#0085(2002.12.17)
<佐世保重工業(その3)>

(その1、その2を書いたのは、随分前(7月2日と8日)なので忘れてしまった方や、まだ読んでいない方も多いと思います。ご関心ある方は、私のホームページのコラム欄(http://www.ohtan.net/column/index.html)にアクセスし、その1(コラム#44)、その2(コラム#45)をお読み下さい。なお、SSKは佐世保重工業のことですし、田中均北米局審議官とは、2002年にアジア大洋州局長として、瀋陽事件のハンドリングミスをとがめられて処分を受け、その後、日朝首脳会談を実現させたかと思ったら、拉致問題では被害者家族への冷たい対応でミソをつけ、にもかかわらず12月20付で外務審議官に昇格したあの田中均氏です。)

 ところで、今まで防衛庁長官の話が全然出てきませんでしたが、長官は全く蚊帳の外だったのでしょうか。
 決してそんなことはありません。情報は当時の臼井防衛庁長官にきちんと入れていました。臼井長官は9月2日に我々の経過報告・・本件は本来、外務省ではなくて防衛庁(施設庁)の所管だという説明は入っていません・・を聞き、SSKに批判的な外務・防衛両省庁の論調をたしなめた上で、??ドック使用協定については、このような時勢であるので、もっと民主的なものにしなければならない。??米軍とSSKのどちらの言い分に理があるのかはっきりさせて欲しい。??その上で、わが方の対処方針を作成すべきだ、という三点を指示しています。
 この指示は、村上議員のアバウトな「指示」に比べれば具体的であり、担当者の私としてもうなずけるものがありました。しかし、外務省及び防衛庁は、村上議員の「指示」に基づき、ベローウッド修理問題の政治的決着に向けて動き始めており、臼井長官の指示は殆ど無視されることになります。(「殆ど」というのは、少なくとも私はこの長官の指示を実行しようと努力したからです。)いくら臼井長官に法的に権限があっても、無権限だが政治家としてははるかに格上の村上議員の方を見つめている部下の官僚達を自分の方に振り向かせることはできなかったのです。

翌9月3日、外務省で田中均北米局審議官以下と私が出席して姫野副社長との会談が行われました。
やりとりのさわりの部分は次の通りです。なお、<>内は、私のコメントです。

田中:落しどころを探りたい。
<事務的な論点のつめもしていないのに、政治的決着が図れるはずがないのでは?>
姫野:私にそんな権限はない。社長は妥協点はないと言っている。
<この木で鼻をくくったような答えは、しゃしゃり出てきた外務省に対する怒りの表明か>
田中:何が最大の問題なのか。
<外務省は、何が最大の問題なのかすら分かっていないまま、政治的決着を図ろうとした!>
姫野:・・米軍艦艇の本格的修理は今まで手がけたことがないが、かつて手がけた修理で赤字が出たこともある。
<SSK側のホンネがにじみ出ている。この点こそ、防衛庁とSSKとの間で第三者を交えず、静かに、深く掘り下げて話し合われるべきだった>
田中:米軍は、ドック使用期間はできるだけ短縮し、場合によっては6週間程度にすると言っているし、協定を見直す用意もあるという。しかも、今回第3ドックを使ったら、後8年間は使うことはないとも言っている。
<そんな話は聞いていない!>
姫野:ドック使用期間は、最低三ヶ月は必用だと見込んでいる。八年間は使わないとか二度と使わないと言われても、(そして、協定を見直すと言われても)到底信じられない。
<外部省側の米側受け売り発言はでたらめで、SSK側の認識の方が正しかったことが、後日判明した>
・・とにかく、あの狭い佐世保に米海軍、海上自衛隊、SSKの3者が重畳的にせめぎあっているという状況を何とかしない限り本当の解決にはならない。最低限、3者のすみわけを図るべきだ。<このくだりは、佐世保の状況を放置してきた外務省・防衛庁に対する痛烈かつ正鵠を射た批判>
田中:では、ベローウッドの修理はどうしたら良いのか。
姫野:・・ドック外でできる修理の一部を佐世保でやって、ドック内修理等残りを横須賀でやるほかあるまい。(母港である佐世保在住の)家族と離れるのが問題だと言うが、家族持ちは乗組員中180何名だけだ。
<一私企業にすぎないSSKにそこまでの認識を求めるのは無理な話だが、そんなことになっていたなら、第一に、ベローウッドが、すなわち米海軍が日本に前方展開している(=家族を日本に居住させている)意味がなくなる。直接的な責任を問われて、ハスキンス在日米海軍司令官はクビになっていただろうし、第二に、日本政府が米国との協定を反古にしたということであり、日米安保体制の信頼性は地に堕ちてしまっていただろう。>

この間私は、ベローウッドの修理をしてくれるところがないか、佐世保周辺の造船所に片端からあたってみましたが、ことごとくお断りを食らっていました。
そこに9月5日、飛び込んできたのが、石川島播磨重工(IHI)の横浜の造船所所在の浮きドックを佐世保に回航し、これを使ってベローウッドの修理を行うという方法があるという情報です。私はただちに検討に着手しました。
翌6日には、池田外務大臣と長谷川SSK社長会談が実施され、大臣から、協定は見直す、ドック使用期間は最小限にする、ドック使用料や損失補償も検討する旨SSK側にもちかけられましたが、予想通り会談は決裂しました。
そこで私は、浮きドックオプションの感触をさぐるため、思い切って佐世保にいた姫野氏に電話してみました。氏の感触はよく、港湾管理者である光武佐世保市長に(自分に既に話をしたことは伏せて)電話した方がよいとの氏のアドバイスが得られました。そこで、私の直属の上司である首藤施設庁施設部長に了解をとった上で市長に電話し、前向きの感触を引き出しました。諸冨施設庁長官と村田事務次官には事後了承をとったのですが、諸冨氏の消極的な姿勢が気になりました。
週明けの9日、市長から電話があり、正式に話を聞きたいので、誰か佐世保に寄越してくれとのこと。
話がここまでくれば、浮きドックオプションの既成事実化を図るとともに具体的検討に一刻も早く着手すべきであると考え、海幕経由で米海軍に対し、浮きドックオプションを検討中である旨を伝えるとともに、米海軍にベローウッドの修理スペックの提供を求めました。
午後、外務省飯倉公館で、本件に関する日米会議が行われました。出席者は、米側からは、在日米軍司令部のマレイ参謀長、ハスキンス在日米海軍司令官、デミング米代理大使等、日本側からは、折田北米局長、田中審議官、施設庁長官、私等です。会議に向かう途中、諸冨長官は「浮きドックの話しは、こちらからは決してするなよ」と私に念を押しました。
外務省は、この会議で米側に頭を下げた上でSSKを悪者に仕立てたプレス向けキャンペーンの実施を約束するつもりだったのですが、米側は私の「期待」通り、浮きドックオプションがあるのではないかと言い出しました。これに対し、諸冨長官は慎重な態度をくずさず、とりあえずは横須賀で修理をするという前提で物事を進めて行って欲しいと答えました。米側は、日本は協定を守らないのか、これでは米海軍は日本に前方展開できないと強く反発しました。
最後に、田中審議官が「とにかく、SSKの人と会ったのは、私にとって今までで最も不愉快な経験だった。」と述べ、ハスキンスが「あなたは1時間半<副社長に>会っただけだが、3時間も<社長に>お付き合いした私のことも考えて欲しい。」と応酬し、会議は終わりました。
(続く)



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