ここから本文です。現在の位置は トップ > 地域ニュース > 岡山 > 記事です。

岡山

文字サイズ変更
ブックマーク
Yahoo!ブックマークに登録
はてなブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷
印刷

越境人:それぞれの国際貢献/2 松川恭子さん /岡山

 ◇若い世代に経験伝える--「国境なき医師団」に参加する看護師・松川恭子さん(39)

 中学生のころから、「海外で貧しい人たちのために働きたい」と漠然と思っていました。大学で英語を学んだ後、台湾で日本語教師を1年間やりましたが、「これは違う」と。貧しい人のための仕事ではなかった。

 一時帰国中、偶然中学3年の時からの塾の恩師に出会い、「看護師の資格があれば、海外でもへき地でも働ける」の一言で看護専門学校に入学したのです。看護師、保健師、助産師の資格を取った後、97年から岡山赤十字病院の産婦人科で働きました。お産という人生で一番素晴らしい瞬間に立ち会うことを生きがいに6年間働きましたが、「ある程度経験は積めた」と決断して退職し、03年に「国境なき医師団」に助産師として登録しました。

 最初の仕事は04年、アフリカのシエラレオネに派遣されました。現地で一番ショックを受けたのが異常分娩(ぶんべん)の多さです。陣痛が始まった母親が祈とう師にたらい回しにされたり、交通手段がないため診療所まで来ることができず、死産がほとんどだったり。母親や赤ちゃんを助けに来たのに、死んだ赤ちゃんを取り上げてばかりで本当につらかった。

 スーダンにも行きました。紛争地帯のため、傭兵(ようへい)らから性的被害に遭う女性が多かった。まき拾いや水くみに来た女性が無差別に狙われ、中には5歳の女の子も被害に遭い、そのような女性にエイズの予防接種や精神的ケアをしました。紛争で犠牲になるのは、女性や子供たちが多いのです。

 海外での支援活動を通じて感じたのは、日本にいる私たちの生活が紛争に関係しているということです。なぜなら、生活に欠かせない石油や、携帯電話の部品となる鉱物などの獲得を巡り、遠いアフリカの国家間で対立が起こり、紛争が起きているのです。

 1年前、スーダンで一緒に働いたケニア人医師が銃撃戦に巻き込まれて亡くなりました。献身的に働いていたスタッフも、帰宅の途中、流れ弾の犠牲になりました。それでも、また医師団に参加したい。彼らの死や自分が経験したことを、若い世代や後輩の看護学生に伝えていくことが私の使命だと思っています。【坂根真理】

==============

 ■人物略歴

 和気町出身。「国境なき医師団」で4年間の活動後、現在徳島県内で助産師・看護師として勤務する。関西地区の中高生、看護学校生に「紛争地帯での母子保健活動」をテーマに講演も。座右の銘は「Small Steps make difference(小さなことが大きな一歩に)」。

毎日新聞 2009年1月8日 地方版

岡山 アーカイブ一覧

 
郷土料理百選

特集企画

おすすめ情報