−−自伝小説や映画でも、幼少の頃、暴力的な父のせいで辛い思いをしたはずが、「愛情表現が下手だった」という解釈に落ち着く例をよく見ます。
信田:父と握手するかしないかは、思想性の問題です。今の世の中は基本的には、父を許すイデオロギーが主流なのかもしれません。父を否定してまで息子が生きていくのは困難なのでしょう。私は否定するほうが簡単だと思うんですが。
−−父を否定するのであれ肯定するのであれ、身に付けるべき男性像は父によってもたらされる。だとすれば、「蛙の子は蛙」ではありませんが、男性が成熟の過程で身に付けた規範は、彼の将来において夫あるいは父として反映されることになりますね。
信田:規範の質を問うことなく、ただ身に付けて内面化すればいいのなら、成熟とは、すごく簡単なことですね。
DVや児童虐待でわかるのは、規範を破って暴力が生まれているのではなく、家族という規範意識の中で生まれているということです。昨年の殺人事件での死者は約150人で、家族による殺人が100人近い。そのうちの多くが親による子殺しです。家庭内での暴力は遍在しています。
規範にならないような暴力的な父がいるときに息子はどうするか。これは母と娘の関係よりも大変かもしれない。息子の規範意識を突き詰めたらかなりグラグラしていると思います。
暴力的でも仕事だけはしっかりやっていた父ならば、それを規範として、息子も仕事をしっかりやろうということになりがちです。いくつになっても仕事が父の代わりになっているのです。
家族は再生するもの
−−お話をうかがっていますと、家族の形態そのものが暴力を生みかねないストレスの温床になっている気がしてきました。
信田:運用の仕方によります。家族はストレスの温床にも、癒される場にもなりえます。
放っておけば、家族は絶対に利得(メリット)だけを生み出すものではない。「これから結婚していい家庭を築こうと思っているのに嫌なことを言うな」と思う人もいるでしょう。ノイズとして、私の話を頭のどこかに残しているだけでも、自分が暴走しそうになったとき、我に返ることもあるのではないかと思います。
−−先生が関わって、再生した家族の例があれば教えてください。
信田:大学1年生の息子が入学後、ひきこもって大学に行かなくなった。そういう相談で女性が来ました。いろいろ話を聞くうちに、夫の酒の飲み方が過剰なことがわかり、アルコール問題としてアプローチしようと思いました。
けれど、夫は一定量を飲むと記憶がなくなったり、怒鳴ったりして、部屋中のガラスを割ったことを翌日覚えていない。若い頃、妻は息子を抱いて泣いたことも多々あったから、息子は覚えているはずです。
夫は問題があるという自覚がないけれど、息子のためにカウンセリングにやってきて、週に一回飲まない日をつくることに同意しました。