−−そうはいっても、パートナーに対して「彼(彼女)は私のもの」という所有や支配の感覚に肯定感を抱き、うれしさを覚えるのも否定できません。
信田:そういう“甘い蜜の味”を否定しませんし、それはそれとしてある期間は存分に味わっていただきたいと思っています。
所有や支配の感覚が蜜の味でなくなるのは、「それは君の役割だろ」と自分の持っているフレームワークを強制したときです。
妻が子どもの世話をしていて、夫が「お茶が飲みたい」と言ったとして、「私も大変だから、あなたがいれてよ」と言ったときに「そうだね」と言えるかどうか。
特に出産し、妻が子ども優先になって、夫に構わなくなることに腹を立てることが多いようです。そう聞いても「そんなことはない」と思っている男性もいるでしょうが、「なんでこんな当たり前のことをわかってくれない」と怒鳴ったり、壁を殴ったりという例が本当に多いのです。
子どもが生まれたら、家族は夫婦二者の意図を超えた関係になります。これまでの関係性を質的に変化させる必要があります。
父親は父親を見て出来上がっていく
−−殴ったり、蹴ったりすることがDVと思われがちですが、現行のDV防止法では怒鳴る、物を壊すなどの威嚇行為もDVと見なされます。威嚇したり、物に当たったりする根底には、「愛情のバロメーターは、夫であり父である自分の意図を妻が汲んでくれるかどうかで計れるものだ」という考えがありそうです。それが甘えや依存からくる支配であるという認識にならないのはなぜでしょうか?
信田:いろんな調査でわかってきたのは、世代連鎖の問題です。アメリカの調査ではDVを振るう男性の75%が、父が母を殴っている光景を目撃しています。
私が理事長をしているNPO法人RRP研究会は「DV加害者プログラム」を実施していますが、そこに参加している男性(加害者)のほぼ100%がDVを目撃しています。
−−反面教師にして、「殴るまい」と思う人も、暴力に走ってしまう傾向があるのですか?
信田:もちろん、同じ光景を見てはいても、長じて殴らない人もいます。けれど、反面教師は容易に逆転することもあるのです。
大好きな母親が殴られているから、「絶対に自分は父親みたいにならないぞ」と人生の一時期で強く思う。問題は思春期以降です。男性性やジェンダー意識が確立される頃、そのモデルになるのは、やはり父親なのです。
憎んでいた父親とあるとき気持ちの中で和解してしまう。その後が恐いのは、「オヤジも辛かったんだよな。その気持ちは今となってはわかる」と言い出し、同じ道を歩きかねないからです。