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{Profile} | ||
高井 龍雄 (たかい たつお) 氏 | |||
■略歴 | 1969年豊橋生まれ。 平成13年2月、(有)プライズメント設立。 ・月刊情報マガジン「はなまる」 ・ブライダル情報誌「はなはな」 ・グルメガイド「遊食工房」 ・メールマガジン「はなチェキ」 |
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■ホームページ アドレス |
http://www.870.ne.jp | ||
■趣味 | ボウリング、野球、ダイビング |
豊橋地区初!無料配布のクーポンマガジンを創刊
―まず、高井社長ご自身の経歴をお教えください。
高井氏
高校を卒業してから、最初は飲食業に興味があったので、東海地区で外食チェーンを展開するフランチャイジー企業に就職しました。それから自分に合う仕事を探していくつかの業種を経験し、起業する前は広告代理店で営業をしていました。その当時から、いつかは独立したいという気持ちと、地元に情報を発信するコミュニティー誌を作りたいという想いが育ってきました。
平成十三年二月にプライズメントはなまる編集部を創業し、始めは静岡で発行されている有料誌の一部を請け負って、東三河の情報ページを制作していました。そこでの経験をベースにして、同年十一月に「笑顔発見!情報マガジンはなまる」を東三河エリア単独で創刊しました。
―「はなまる」を創刊した時の、媒体としての指針はどういう発想だったんですか?
高井氏
一番は食の情報を充実させたいということです。豊橋にはいいお店がたくさんあります。個人で経営されている小規模な飲食店さんでも、気軽に自分の店をPRできるメディアを作りたかった。ですから地元密着のグルメ情報を核に、地域の人たちに役立つ情報をということで、衣・食・住・遊をキーワードに情報を集め、掲載広告には特典付のクーポン券を付けました。
創刊当時、この地域にはクーポン券を付けたフリーペーパーがなかったので、掲載してくださったお店や企業にはレスポンスを、読者の方にはクーポンで特典をと、どちらもプラスになって、両者をつなぐ情報発信がしたいと考えていました。
―フリーペーパー(無料誌)にした理由は何ですか?
高井氏
一人でも多くの方に読んでいただき、役立てていただくために、発行部数にこだわりたかったからです。販売して書店やコンビニで買っていただくという壁を破り、掲載店や協力店へ無料設置することで、読者の手に渡る敷居がずっと低くなり、部数を伸ばせます。その考えで、創刊号から思い切って三万部を発行しまして、印刷所の方から「刷り過ぎだ」と言われました(笑)。
厳しい状況でのスタート
―この地域では前例がないということで、創刊時には様々な苦労があったと思いますが。
高井氏
そうですね。創刊号を作った時には、早く印刷が上がって来ないか、ただただ待ち遠しかったです。ところがいきなり三万部も発行したために、二号目と差し替える時には創刊号が山のように返ってきてしまい、愕然としました。戻って来た本が事務所に並ぶのを見る度にうなだれる思いがして…。無料配布とはいえ、認知されるまでは、なかなか手に取ってはもらえないものですね。創業時のスタッフは、私も含めてみんな情報誌については素人で、何冊作って、どこにどれだけ配ればいいのか、どんな反響があるのか、まったく手探りの状態でしたから。
広告営業でも、「この街でクーポンを付けて、反響があるわけがない」という大勢の見方がありましたから、「三号出してから来い」とか、「絶対に失敗するから今すぐ止めた方がいい」など、行く先々で厳しい言葉を頂戴しました。辛い思いもたくさんありましたが、話を聞いてくれる時間をもらえただけでもありがたいことですし、そういった叱咤激励があったからこそ、諦めることなく続けていく覚悟ができたと思っています。
また、そんな海のものとも山のものとも知れない中で、創刊号から付き合ってくれたお客様には本当に感謝しています。創刊から現在まで、ずっと付き合ってくれているお店もあります。そうした経営者の方々がいなかったら今の「はなまる」はありません。どうなるかも分からない自分たちに理解と期待をかけてくれた、それに感謝して、応えていける会社になりたいという思いが、今も私の支えになっています。
月刊情報マガジン「はなまる」 |
三年続けたら何かが見える
―今では、発行即日にもなくなってしまう程の人気ですが、成功の秘訣は何だと思われますか?
高井氏
まだ四周年ですから、成功したとは言えませんが、ただ自分がこだわってきたのは、どんなに苦しい時でも、発行部数は落とさない、ということです。三万部からスタートして、昨年の三周年号からは八万部に増やしていますが、これまで横ばいはあっても、一度も下げはしませんでした。二号目を出したときには広告収入よりも印刷費の方が高かったくらいですが、それでも三万部出すと決めたからには続けたかった。とにかく三年続ければ何かが見えるだろうと信じていました。その一念です。
これは自分たちが何も知らない素人だったことも、逆に強味だったかもしれません。知らないから、恐れずに行動できたという面が大きかったのかなと思います。イチから自分たちで創ったという愛着も強いですし。どうしたらみんなが手に取ってくれる雑誌になるだろうか、認知度を上げるにはどうしたらいいだろうかと、一つ一つの問題を自分たちなりに考えて、一歩ずつ進んできました。いろいろなノウハウはすべて、やりながら覚えていったという感じです。
―それが時代のニーズにも適っていたんですね。
高井氏
そうだとありがたいですね。私が広告代理店で営業をしていた頃は日本全体が景気良く、今とは状況が違います。よき時代の広告という考え方から、レスポンスを求められる今の時代に合った形へと移行できたのがよかったのかもしれません。かといって、クーポンの特典割引ばかりでお客さんが動く時代でもありませんが。ただ、反響が見えるということは怖いことだけれども、大事な基準になります。その意味でも、部数にこだわり、徹底的に配る、ということに重点を置いてやってきました。
―新しいことを始めるにあたって、大切なことは何でしょう。
高井氏
人との出会い、縁といったものではないしょうか。「はなまる」を創刊した年に、豊橋商工会議所の中小企業支援センターにお世話になりました。そこで出会えた方たちとの縁は、起業の上でとても大きかったですね。同時期に開業したほぼ同世代の方々と付き合いができ、異業種間の交流を通じて、お互いの協力関係を築くことができました。一生懸命頑張っている人たちから刺激を受けて、自分も成長できたように思います。その時の皆さんとは四年が過ぎた今も、さらなる飛躍を目指して親交を深めています。いい縁というのは、長く続くものじゃないでしょうか。自分が本気で頑張っていれば、きっと良い縁がやってきてくれるだろうと信じています。
また編集部で働いてくれるスタッフも現在は十二人に増え、印刷会社さん、デザイナーさん、ライターさんといった外部スタッフの方々も含めて、「一緒に作ろう」という意識で集まってくれるメンバーに恵まれました。出会った人たちのおかげで、ここまでやって来られたという気持ちが常にあります。
有料誌・電子媒体との連動でさらなる飛躍を目指す
―今後、「はなまる」はどんな媒体に育っていくんでしょうか?
高井氏
内容的には編集部を強化して、より一層地元密着型の情報誌としてタウン誌化を目指しています。地域の中のさらに細かいエリアもどんどん掘り下げて、自分たちが暮らす街の魅力あるお店や人物の情報を発信していきたい。四年続けて、読者の方たちから寄せられる「はなまる」が担うべき役割のようなものに、ようやく応えられる状況になってきました。ずっと付いてきてくれた読者の皆さんに、より喜んでもらえる媒体として、常に新しい目標を持ち続けたいと考えています。
その一環として、三周年号の発行と同時に、メールマガジン配信サービス「はなチェキ」を開設しました。これは電子クーポンを利用するとポイントが貯まり、豪華景品と交換できるお得なサービスです。こうした電子媒体との連携で、愛読者の方のサポート役として地域活性化に役立つ存在になっていければと考えています。
―今後の新しい展開については何か計画があるのでしょうか?
高井氏
来年一月には、有料媒体を発行する出版社を立ち上げます。地域情報に特化した専門誌を発行して、これまで広告掲載という形で「はなまる」を支えてくれたお店への感謝の気持ちを、ここで表していけたらと思います。
業務の流れとしては、西三河や静岡県西部など、近隣エリアへの展開を考えるのが自然かもしれませんが、私としてはその前に地元でやるべきことがあると思いました。自分で仕事を始めて分かったことですが、都会に行けばチャンスがあると思いがちなものですが、逆に地元だからこその可能性というものがあります。この街は、受け入れられるまでに時間が掛かるけれど、努力を評価してくれる人情の厚い街でもあります。今は学歴もコネもない自分が、ここでどこまでやれるか試してみたいという気持ちで、新たな挑戦に向かっています。