国家の肥大防止、失業防止、格差の防止はトリレンマであるという指摘もありますからね。おそらく、左翼なマスコミのおかげで、どんどんと肥大化していくことでしょう。いまの政治は社会保障費は増加するものだとして、削減は禁忌になっています。(せいぜい「抑制」までです。)このままじゃ、ねずみ講が破綻してしまいますね。 トリレンマの参考は、Torben Iversen and Anne Wren (1998) "Equality, Employment, and Budgetary Restraint: The Trilemma of the Service Economy"
「派遣歴は職歴にカウントしない」
「職歴のない者は採用しない」
といった、派遣⇒正社員の道を閉ざす制限が問題なんじゃないでしょうか。
一度職にあぶれたものにチャンスを渡さないことで、正社員の資格を持つ人たちにもうまみはありますが、
制度面でも労働者の転職のインセンティブ的にも雇用の硬直化を招いていると思います。
就活してて思うのですが
事務系総合職なんて、誰でもできそうな仕事の割に、雇用の束縛は厳しい気がします。一生正社員でいなければならないとか。同質化気質と従業員のつなぎ留めコストの低減が一致してそうなっているんでしょうか。
正社員⇒育児のため派遣⇒正社員といったキャリアプランも考えているんですが、現在だと難しいんじゃないかなと感じています。
柔軟性があれば、現在の興味と生活環境の変化に応じた仕事をより選べるようになり、結果より良いジョブマッチングが実現できる気がするんですけど。
>一度職にあぶれたものにチャンスを渡さない
こういう過去の失業の経験が将来の失業につながることを、経済学ではヒステリシスというみたいですね。過去に職を失った労働者が、その期間スキルを育成する機会を喪失したり、その他の労働者、社会との接点を失うことで結局来期も失業したままという風になるという状況を言うようです。
日本の雇用制度や派遣社員に対する社会的な偏った認識がヒステリシスを生んでいるという結果をだした実証分析があれば、それをもとに説得力のある政策、制度改革提言につながるかもしれませんね。すくなくともそういう改革は財政出動より永続的な効果を持つのではないかと思います。
その通りです。誰にでも出来そうな仕事だからこそどうせ雇うなら素性の信用出来る人間を雇おうと考えるのです。コネが有効なのは「親を知っている」「親類を知っている」等素性が判っているからです。そして「職歴のない者は採用しない」のはその間何をしていたか判らない人物は職歴が切れていない人物と比べて信用に欠けるからです。(無職の時期に反社会的集団に所属していたかも知れない等)。
特殊な技能や才能を持つ人間はその技能・才能に値段が付きます。反対に誰にでも出来る仕事しか出来ない人間はその信用性に値段が付くのです。
これでますますハケンが変な目で見られる
派遣の代表者みたいな面してあんまり勝手なことしないでほしい
肉体労働のような仕事は労働としてわかりやすく定義しやすいけど、デスクワークは労働としてわかりにくい。
僕の知人は、完全にただの食事なのに、仕事の打ち合わせだと称して、給料泥棒しておりました。
またまったく正社員と同じ仕事をしているのに、業務委託と称して、労働法に保護されてない人を知っています。
日本の失業率は下ブレしているようですから、国際比較の上では、もうちょっと順位は上(つまり失業数大)なのでしょう。
この指摘の参考文献としては谷沢弘毅(1999)『経済統計論争の潮流―経済データをめぐる10大争点』でレビューされているそうです。
国家の肥大防止、失業防止、格差の防止はトリレンマであるという指摘もありますからね。おそらく、左翼なマスコミのおかげで、どんどんと肥大化していくことでしょう。いまの政治は社会保障費は増加するものだとして、削減は禁忌になっています。(せいぜい「抑制」までです。)このままじゃ、ねずみ講が破綻してしまいますね。
トリレンマの参考は、Torben Iversen and Anne Wren (1998) "Equality, Employment, and Budgetary Restraint: The Trilemma of the Service Economy"
http://www.people.fas.harvard.edu/~iversen/PDFfiles/Iversen&Wren1998.html
いつでも社員を解雇していいよとなれば企業は即解雇するでしょうが、その手軽さと同じくらい人員雇用をするものでしょうか?
日本型の書類選考、一次面接、二次面接といったプロセスは当面続くでしょうから、雇用のタイミングは相対的にずれて(通常企業が一人を雇用するまでに要する時間は一ヶ月程度)結果として所得の再分配が進まず被雇用者の不満だけが募るような気がします。
また、流動性が生まれることにより、企業が経験者のみを雇用し、人材育成に力を入れなくなり、結果として流動性は限定的なものに終わったりしないのでしょうか。
実力主義な仕事をしているので、雇用の流動性は歓迎したいところではありますが…
企業の人事を決めるのは正社員です。当然ながら、自分で自分の首を切るような事はしません。その意味では、「受験生が合格定員を決める」と揶揄される国会議員と同じです。
企業にあまりにも優秀な人が入ってきて、将来立場が逆転し「君達もう必要無いから」と解雇されては困ります。この危険は誰でも出来る職業ほど高くなります。ですから「信用度」などと称して、新卒で無垢、忠誠心が高く独立志向の低い人間を採用するのです。
ちなみに、このような企業は当然ながらパフォーマンスは落ち競争力が低いので、淘汰されるはずですが、過去の遺産やら参入規制やら一部の従業員の過酷な負担によって何とか維持されています。
だから、トコトン景気が悪くなって現体制が維持できなくなったら、旧体質の企業が淘汰され能力のある人が力を発揮できる社会になるのではないか?というのが年始のご挨拶というか、このブログのテーマではないですかね。
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