二十年前の本日未明、昭和天皇が崩御された。 そして、昭和が終わり、平成が始まった。 その前年の暮れ、母とともに、仁徳天皇陵正面に設けられた記帳台を訪れて、平癒の記帳をした。 その数年前、天皇が植樹祭で仁徳天皇陵前の公園に行幸されたとき、幼い息子の手を引き、娘を抱いて道端でお迎えした。前を通過されて行く天皇の周りにある、淡々とした真空のような不思議な空間を忘れることができない。 まことに、昭和は、我が国未曾有の時代だった。 本日改めて、昭和天皇のご威徳を思い、今上陛下のご健勝とご皇室の弥栄を祈り申し上げる。
本日午前六時過ぎにNHKのラジオ放送を聞いていた。その時、「今日はなんの日」という放送をしていた。まず「昭和四十五年の今日、喜劇役者の榎本健一さんが亡くなりました。六十五歳でした」とアナウンサーが述べ始めたので、てっきり、「二十年前の今日、昭和天皇が崩御されました」という放送があるものと襟を正す思いで待っていた。しかし、喜劇役者の榎本健一さんの死亡は伝えても、二十年前の今日のまさに放送時刻の昭和天皇崩御は伝えなかった。 「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」(憲法第一条)ならば、この日本国民から受信料を徴収して放送事業をしているNHKは、本日の「なんの日」で、日本国民にもっとも伝えねばならない「日本国民統合の象徴」のことを無視したのだ。これは明らかに、意図した不作為・サボタージュである。巧妙な一種の反日宣伝と言ってもよい。ここに、NHK受信料の支払いを拒否する国民が増えていく理由がある。
さて、年末から年始の現在にかけて、イスラエル軍とガザ地区のイスラム過激派ハマスの戦いが続いている。イスラエル軍は、空からの砲爆撃に加えて、本年に入りガザ地区に地上侵攻して、既にガザ地区住民の死者は六百名を越えているらしい。 そして、日本は政府も含めて遠い中東のことと思っている。 日本政府は、ガザ地区住民の死者が増えていることに人道上の憂慮を表明した。 しかし、私は、イスラエルの立場になって、また、イスラエルを日本に置き換えて、この度の事態を観てみたい。 その前にまず、日本政府よ、と言いたい。 遠く離れたガザ地区住民の数百名の死者を憂慮する人道上の配慮を国際社会に示すならば、我が日本の数百名の自国民が北朝鮮に拉致されたままになっている事態に、何故かくも鈍感なのか!
さて、イスラエルの立場を我が国に置き換えてみたい。 過激派組織が、例えば東京や大阪や名古屋に組織的継続的にミサイルを撃ち込んでくれば、我が国政府はどうするのか。この想定は、現実にあり得ることである。 イスラエルは、現在軍事作戦によりその過激派組織の潰滅を図っている。しかし、我が国は、ミサイルを撃ち込まれるに任せて、国民の死者が徐々に増えていくのを見て見ぬふりをするのか。拉致被害者を放置してきたように。
イスラエルは、何故、当然のようにハマスに対する軍事行動を開始したのか。それは、一発のミサイル攻撃を放置することが、即、イスラエル国家崩壊につながると判断しているからである。 イスラエル政府は、一人のユダヤ人が理不尽に殺されるのを放置することは、全ユダヤ人が再び抹殺の対象になると考えて行動している。 かつて国家のないユダヤ人は、長年虐げられ絶滅の対象にされた。従って、ユダヤ人を守るためのイスラエル国家を断じて守り抜かねばならない。その為には、例え一発のミサイルもイスラエルに落下させてはならない。 ユダヤ人の歴史とイスラエルの位置する中東の情況を眺めれば、イスラエルがこのように考え行動するのは当然のことである。 従って、ハマスと関係のないガザ地区住民が巻き添えを食って死亡することを人道上憂慮してもイスラエルに届かない。 イスラエルもハマスも、どちらも非情である。しかし、ガザ地区住民を殺しているのは、イスラエルだけか。イスラエルの考え方をを知りながら、住民の間に隠れて攻撃するハマスは、かつてサダム・フセインがしたように住民を盾にしているのである。非情に加えて卑劣である。
以上の通り、何故イスラエルの立場になって考えてみたのか。 それは、我が国とイスラエルは、置かれている周辺情況が似ていると思うからである。周辺情況が似てきているのに、我が国とイスラエルは、考え方が正反対である。 イスラエルは一人のユダヤ人の拉致も許さない。何故なら、それを許すと、全ユダヤ人が危ないからである。反対に我が国は、数百名の国民が北朝鮮に拉致されても、北朝鮮に金や米を渡してきた。昨日の衆議院本会議でも、拉致された被害者と家族の生活のことは全く無視して、「生活第一」とやっていた。衆議院本会議で日比谷に集まった失業者たちのことを言うのであれば、拉致被害者についても言及すべきであろう。何故なら北朝鮮による日本人拉致は、人道的見地からに留まらず我が国主権にも関わる重大な問題である。更に付言すれば、拉致被害者とその家族の数は、日比谷公園に集まった失業者の数より遙かに多いとも考えられる。
私は、日本国と日本国民の置かれた東アジアの情況のイスラエルとの相似性を踏まえたうえで、我が国は、イスラエルの国家と国民を守る基本姿勢と国防戦略を学ばねばならないと思う。 その時、当然、イスラエルと我が国の違いも考慮しなければならない。イスラエルはガザ地区と地続きである。従って、戦車部隊でガザ地区に侵攻できる。しかし、我が国は島国である。よって、我が国が国家と国民を守るために早急に充実させなければならないのは、海軍力と空軍力である。
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