2006年03月06日 16:32 [Edit]

この記事をクリップ! newsing it! Buzzurlにブックマーク b.hatena.ne.jp/entry 法は私を資するために存在する

カエルの子を変えるには」には想定以上の反響があった。

「想定の範囲内」だったのは、賛否両論のありよう。特に反論のほとんど全てが、「春日部共栄中は私立であり、『受け入れざるを得ない者』は公立へ」というものだった。

申し訳ないが、諸君は法が何たるかを全く理解していない。


法の下では、私的存在は最大限尊重されるものではあるが、治外法権では全くないのだ。

私的存在が幸福や利益の追求が許されるのは、あくまで法が許す範囲内においてなのだ。

高校教師の補講ブログ: 私立だから
一般企業が客がいないと何にもならないのと同じで、私立学校だって生徒が集まらないと、やっていけないのだ。

さすれば一般企業は客のためには何をしても許されるということになる。これを認めれば、「信者のため」にサリンを撒いたオウム真理教も当然免責されねばなるまい。

それが極論だというの諸君のために、もう少し穏やかな設問も用意しよう。

  • タイガー・ウッズは黒人なので、カントリークラブに入れるべきではない
  • ロシア人は素行が荒いので、北海道の銭湯では「外国人お断り」の張り紙で彼らを排除すべきである
  • 中国人には窃盗犯が多いので、アパートに入居させるべきではない

リストはいくらでも続ける事ができるが、三つもあれば充分だろう。

春日部共栄中学校のやったことは、むしろ私立校だからこそ許されないのだ。

日本国憲法
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

同校がこれに違反していることは明らかだろう。この国では、いつから私的存在が無条件に幸福と利益を追求されることを許されるようになったのか。私が知らない間に憲法って改正されたのか?

ここまではcomment/TBへの返事。ここからが本題。

それでは、なんでこんな「うざい」法を我々は定め、そしてほとんどの場合において遵守しているのだろう。

その方が、私を資するからだ。

面白いことに、「無法」状態よりも、「遵法状態」の方が、私の幸福と利益が大きくなるのだ。法という建前を立てることで、私という本音の取り分が増えるのだ。我々が法を守るのは、実は利益を期待して企業に投資するのに似ている。

法を破るという行為は、よって「株主のもの」であるはずの企業の金庫から勝手に金を持ち出すのと同じなのだ。当然他の出資者はこれを「罰する」だろう。

問題は、大多数の「株主」が特定少数の「株主」を快く思わない場合だ。この少数は排除されるべきだろうか?

ここは一見、排除するのが正しいように思われる。しかし、そうではない。それを認めると、今度は残った大多数の中の少数が排除される。そうして「大多数」はどんどん減って行き、ついには一人になってしまう。赤軍はかつてそうやって自らを「総括」し自滅していった。

だから、「会社」は「株主」が守るべき「法」を定め、「株主」がそれを遵守している限り、それを排除しないという風に法は進化して来た。およそ法治国家と呼ばれる国において、少数派の権益保護が必ず盛り込まれているのは、実は大多数を自滅から救うためなのだ。少数派を保護しない法は、よって自滅する。

もちろん、法は万能ではない。施行した結果、私の幸福と利益の合計が減ってしまったという例だっていくらでもある。だから常に「手入れ」しなければならない。

この国において、最近は特に、本音がすぐに飛び出すのは、建前をないがしろにしてきたことの裏返しかもしれない。その結果、実は一番困るのは本音なのである。

それを察したからこそ、partygirlことkumiさんも、

partygirlの日記 - やっぱり私が間違ってるかも
浅はかな記事あげてしまいました。

と自戒されたのだと思う。実は「過ちを認める」、あるいは「無謬性の否定」というのは「少数派の保護」と劣らないぐらい大事な法でもある。なぜかこちらの方は明記されていないのだけど、あまりに重要ゆえ暗黙のままにおかれているのだろうか。

今ひとつの重要な未解決問題がある。法は確かに私利私欲を最大化するために進化してきた。しかし法の果実の分配は、実のところ公平でも公正とも言えない。どうしても得する者と損するものが出てくるのである。

partygirlの日記 - かえるの子はおたまじゃくしだ♪
『教育はそんな矮小な問題ではない。教育は聖職だ。』 そんな偏見が、むしろ教育問題をややこしくしてると思う。

現時点で法が守られている背景には、教師、警察官、消防士といった、「デフォルトで滅私」な人々の存在が欠かせないようなのである。彼らは決して高給取りではない。彼らの「やってられねえや」という気持ちも確かにわかる、いや、痛みが伝わってくるのである。彼ら自身の痛みの万分の一に過ぎないのかもしれないが。

だから、彼らに対する「手当」をどうするかというのは、法から利益を得ている者たちが必ず配慮しなければならない問題であり、それを考えるのは彼ら、いや我々の義務とも言える。給与を増やせばいいか?しかしそうなったら財政はどうなる?、いや、発展途上国においてはこれらの職業は高給なのだが、だからといって彼らが期待た仕事をしているとは限らないではないか....

実はこれに対する解答は、私ももっていない。ただ、この問題は、現状の法というシステムの中でも最大の未解決問題という感触はもっている。今後も引き続き考えて行きたい。そうする義務がある程度には、私はあきらかにそこから利益を得ているのだから。

Dan the Legally Protected Man


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私学と差別【今日の活力】at 2006年03月06日 17:13
長年思っていたことに、少し解を得た気分がしたので、弾さんの「法は私を資するために存在する」にトラックバック。ただし、内容は全く関係ない。 私の頭にとりついたのは「法という建前を立てることで、」という言葉。 「長年思っていたこと」の中身をうまく言葉で説....
建前【形成、干渉、観測】at 2006年03月06日 21:04
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この記事へのコメント
こんにちは。
まったく同感です。
Posted by 喜八 at 2006年03月06日 17:07
とりあえず「前振り」の部分にレスです。
“憲法”とは権力者を律するためのものであって、
一般民間人や私企業に対して云々するものではない
という説に私は賛成する。
もちろん「そうではない」という立場に立っての
意見なんだろうけど、それならそれで憲法という物は
日本国民が同じに考えている物ではないけど、という
点を書いておくべきでしょう。

・タイガー・ウッズは黒人なので、カントリークラブに入れるべきではない
以下のことは誰の指摘か忘れましたけど、
つ夏季オリンピックの水泳競技に黒人選手を見たことがありますか?
という意見を読んだことがあります。
私は水泳について詳しくないので、(言われてみれば、見た覚えがないなぁ)
と思うのですが、いかがでしょう。
Posted by てんてけ at 2006年03月06日 17:31
本題も読んだ。
なんだ、単に現実(日常生活ともいう)を知らないだけか。

・ロシア人は素行が荒いので、北海道の銭湯では「外国人お断り」の張り紙で彼らを排除すべきである
・中国人には窃盗犯が多いので、アパートに入居させるべきではない

これを言わざるを得ない側の内面を一切知らなければ、
そりゃ理想しか語れないわな。
全部が全部とは言わないけど、
>>それを認めると、今度は残った大多数の中の少数が排除される。
これが間違い。
世間を赤軍派のような狭い世界と同一視している。
責任を負ってくれる人、保証人とか世話人がいれば受け入れる人だっている。

はっきり言えば、あなたは
銭湯の主人とかアパートの大家に「損をかぶれ」と言うのですか?
それぞれの経営者に、面と向かって言えるのなら大したもんだ。
ネットとかテレビとか、メディアを介してでないと言えないでしょう。
Posted by てんてけ at 2006年03月06日 17:48
先ほどTBさせてもらいました。
もう一度同じことを書くのもタルいのでコメントで返させていただきます。
理想としては賛成です。大変重要なことだと思います。

しかし、一方でてんてけさんが上で述べてるように、
一度大きな失敗を犯したならばどこかでそれらを償ったり
危険がないと第三者にわかるような担保しなければいけないという
現実的側面を落としてしまっては、普通に生活をするために
生活している人までもが一緒に不利益を被る事態が起きてしまいます。
Posted by kokona at 2006年03月06日 19:00
続きです。

確かに子供に責任は無いでしょう。
しかし、誰かがそこに危険がないことを担保しなければ当事者が
納得しないということに対する理解は必要だと思います。

この件で一番問題なのは、未だだれもそれを担保できていないところに
問題があるのだと思います。一族の血とか民族の意識を重んじる
国に住んでいるからこそ、そこに理解を示さないことに対する反発があるのだと思います。

この一件は理想と現実と背景のバランスを著しく欠いてると思うのです。
Posted by kokona at 2006年03月06日 19:01
私学だからといって私的存在つー論理はどうも納得できん。
公立だろが私立だろがこんなの普通に違法なだけだろ。
Posted by 佐藤秀 at 2006年03月06日 19:02
私も今回の私立の学校の取り決めは断然違法と思います。

私は、法というのはさまざまな変数をもった私達の生活で、最大の利益をもたらすようにセッティングされているやつという風に思っていて(二次関数のテッペンみたいな。勿論どんどん変化していくとは思いますが。)弾さんと同意見だと思います。

ただ、同じ学校に入学させる親がオウムの子の入学を嫌だと表明するのは、それほど駄目なことだと思わないのです。やっぱり心配だし。変な事覚えさせられないかなぁ?とか。

あーでもじゃあ差別ってなくならないのかな?うーん。きっとこういう意見の出し合いがゆっくりと差別をなくしていくという風に期待します。
Posted by アブ at 2006年03月06日 19:38
 まあ各論でも言いたいことは山ほどあるんですが、はっきりいって、自分と意見が違うからといって、こんな言い方はないでしょう。

 >諸君は法が何たるかを全く理解していない。

 自分はどうなんですか?憲法12条という一般規定で自説に説得力を持たせようとするのは、法(法学)をよく分かっている人のすることですか?一般規定は説得力が落ちるからなるべく用いるな、ということは法学部で誰でも学ぶことですが、なにか?

 また、

 >あくまで法が許す範囲内において

 って時代錯誤の「法律の留保」だと思うんですけど。もちろんdanさんがいいたいことは「人権は法律の留保による制限を受ける」ってことではないでしょうが、少なくとも法についてよく理解している人の言い方ではないです。
Posted by すべりしらず at 2006年03月06日 21:02
 と、いうわけで、私が法を理解しているとは言いませんが、danさんも似たり寄ったりだと思いますよ。少なくとも人のことを言えるほどではない。

 まああえて過激に書いたのかもしれませんが、自分とは違う意見をただ切って捨てるのでは、「人」が「意見」に代わっただけで、「意見」は人に属することを考えれば、差別とあまり変わらないと思います。

 自戒も含めてですが、もう少し謙虚になる必要があるでしょう。

 ちなみに、いわないと同意したことになりそうなので断っておきますが、
>さすれば一般企業は客のためには何をしても許されるということになる
 
 別にならないですよ。どうしてなるというのか分かりませんが。
Posted by すべりしらず at 2006年03月06日 21:03
>“憲法”とは権力者を律するためのものであって
憲法は国に対してのもので民事には適用されないといわれていますね。
民事に憲法を持ち出すのは変です。
おれが変なのか?
Posted by sima at 2006年03月06日 22:44
「善良な市民の恐ろしさ」ですよ。 松本の子供は自分達と「正義の階級」が違うのだから、迫害されて当然だという考えなのでしょう。 迫害された者たちが結集して、反社会的な活動を始めようとも、「犯罪者の子供はやはり罪を犯すのだ」と言って、社会の責任を認めようともしないのでしょう。 憲法についても、守られるのは自分達であって、松本の子供は自分達とは違うのだから、庇護を受ける資格は無いと考えているのでしょう。 怖い怖い。
Posted by ニュースの研究所 at 2006年03月07日 14:06
この問題は理論的には、おっしゃるように子供を拒否することは違法でしょうね。しかし、裁判で結論がでるまでは学校側は拒否する権利もあるのではないでしょうか。

今回の問題は、オウム真理教の残党に子供達を養育させた行政に一番問題があると考えています。(罪のない)子供を人質に布教をはかる可能性を考えなかったようです。
超法規的措置として、多数を救うために人質を犠牲にする選択はありだと思います。
Posted by 半日庵 at 2006年03月10日 22:56