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社説:天皇陛下即位20年 「国民とともに」を実践した

 天皇陛下は7日、即位20年を迎えた。1989年のこの日からの「平成の皇室」の歩みに並行して日本社会は大きく変化し、世界の構造も転換した。その中で陛下は、憲法に従い国民とともにある「象徴天皇」像を誠実に実践し、そのあり方は定着したといえよう。

 即位の礼(90年)に際し私たちは<昭和天皇も新憲法下では「象徴」であったことは当然だが、最初から「象徴」として即位したのは、天皇陛下が初めてなのだ。その意味では、憲法の予定した象徴天皇制が本格的に機能を始めたことになる>とその意義を挙げた。

 陛下は既に即位直後に「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません」と述べており、その意思や決意は固かったとみられる。皇后さまとともに実践した。

 天皇として初めての全都道府県訪問は2003年に達成し、さまざまな場で直接国民に接した。阪神大震災や新潟県中越地震など大災害地でひざを突き合わせるように被災者に語りかけ、耳を傾けた。訪問が復旧作業などの支障とならないよう配慮も細やかだった。皇太子時代から友好親善の外国訪問を重ね、即位後では30カ国を超えた。

 そして、戦争の傷跡を深く残す地への「慰霊の旅」では、沖縄など国内のみならず「玉砕の島」サイパン島にも赴いた。92年親善訪問した中国では「中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました」と戦争における日本の加害の歴史に言及した。

 こうして陛下は「国民統合の象徴」として具体的になすべきことを自らに課すように行ってきた。それは現在・将来だけでなく、戦争という過去にも向き合うようであり、その歴史から目をそらさない真摯(しんし)さが内外の人々の心をとらえているともいえよう。

 一方、健康が心配だ。

 75歳の陛下は03年に前立腺がんの手術を受け、昨年末は不整脈、胃の炎症などで体調異変があった。公務多忙のほか、羽毛田信吾宮内庁長官は「皇統(皇位継承)問題など」で心労があったとの見方を示した。

 これも長い懸案だ。男系男子の継承に限る現行皇室典範のままでは、将来皇位継承資格者を欠く事態さえ憂慮される。05年、首相の私的諮問を受けた有識者会議は、継承安定のため女性・女系天皇を容認する意見をまとめたが、翌年、秋篠宮ご夫妻に悠仁さまが誕生し、改正への動きは事実上凍結されてしまった。

 しかし、それは問題の先送りで、将来にわたっての懸念は未解決のままだ。

 この節目に、負担をかける公務の軽減や簡素化とともに、皇位継承問題についてもオープンで多様な論議を広げたい。

毎日新聞 2009年1月7日 東京朝刊

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