escape from Cafe Lindbergh

 カフェ・リンドバーグは、基本的には繁盛してる店だ。行列はできないまでも、絶えず注文の声が響き、ランチの時間に三原さんがてんてこ舞いしてることはしょっちゅうだ。
 でもごくたまに、ふっとお客がとぎれる時がある。
 今がちょうどそんな瞬間で、そういう時はみんなで少しだけ雑談をしたりする。なぜか話題は、夢の話になった。
「この店に閉じ込められる? 一ノ瀬が?」
 僕の声は少し裏返っていた。相当思いがけなかったのかもしれない。
「……うん」
 一ノ瀬はこくんと頷いた。
「入り口も開いてないし、裏の鍵も見つからなくて」
「で、進哉はどうすんだよ」
 仕込みをしていた三原さんが首をかしげた。
「どうも……こうも、ないです」
「そのまま目が覚めるの?」
 高見沢さんが洗い物の手を止めて尋ねた。一ノ瀬はまたこくんと頷く。
「それは、夢判断的に考えてもあまり穏やかではないですね」
 桐野さんが静かに言った。
「何か仕事でのストレスでもありますか」
「え、いや……別に、そんな」
 一ノ瀬はきょとんとする。まったくそういう覚えはないと言いたげな表情。僕にだって、今の一ノ瀬にそこまでのストレスがあるとは、とても思えない。
 桐野さんの部屋を出て、僕とふたりで暮らし始めて。自慢じゃないが、僕の部屋はそこそこ広いし、個々のプライバシーだってちゃんと確保できてるはず。っていうか、僕としては、一ノ瀬との暮らしは恋人同士の楽しい同棲生活だと思ってるし、一ノ瀬だってそうだと思う。
 なのに、一ノ瀬は閉じ込められる夢を見るらしい。
「仕事場から出られない夢というのは、仕事上のストレスが原因なんですか?」
 高見沢さんが桐野さんに訊いた。
「そう、物の本で読んだことがあります。職場が出てくるなら、そこでの問題に起因することが多いと」
「ぼく……店の夢ならけっこう見るかもしれないな。閉じ込められるのではないけれど、探しているのに、店が見つからないというのはよくあるね。気がつくと全然知らない街並みになっていて、読めない言葉の張り紙が貼ってある」
「そこまでいくと、ある種幻想的ですね」
 桐野さんが微笑する。
「司はよく本を読むからなあ。夢もなんつーか、物語っぽいな。影響されてるんじゃねえか?」
 三原さんに言われて、高見沢さんは苦笑した。
「でも別に、朝起きたら虫になっていたりしないし、背中に背負った子どもがいきなり重くなったりもしないよ」
 ……わかる人にしかまったくわからないようなリアクションだ。
「一ノ瀬くん。何かあるなら、遠慮なく言ってくださいね」
「あ、いえ……は、はい」
 桐野さんにやさしく言われて、一ノ瀬は困ったように曖昧に返事をした。桐野さんに拾ってもらうような形でこの店でアルバイトを始めて以来、一ノ瀬は桐野さんには心服している。働かせてもらえるだけで感謝に堪えないのに、不満やらストレスやら、そんなのを訴える理由があるはずがない。
(でも……)
 恋人としては、非常に気になる。なまじ仕事の方面では理由が思い当たらないだけに、僕がプライベートで何か悪影響を与えてるんじゃないかっていう気分にさえなる。
 僕の横で、そんな悪夢(だろう、多分)を見ているかと思うと、おちおちゆっくり寝ていられない。
 何とか――できないかな?

* * * * *

(あれ……)
 気がついたら、俺は店にいた。店のど真ん中に、ぽつんと立ってる。
 すごく静かで、どう考えてもほかに誰もいない静けさだ。窓のロールカーテンが閉まってて、薄ぼんやりと明るい。
(カーテン……開けないと)
 多分、開店前の準備時間だろう。三原さんが朝の仕込みをしてない時は、俺がたいてい一番早い。みんなまだ来てないだけだ。
 ロールカーテンを、全部上にあげて。
「ん……?」
 何でだろう。店の入り口の鍵をはずしても、開かない。
 それどころか、窓も全然開かない。鍵がびくともしない。
(っ……)
 いやな予感がして、裏口に回ってみる。……やっぱり、どこも開かない。
(閉じ込められた……)
 夢かな。
 俺は思う。最近よく見る、閉じ込められる夢。きっとそうだ。夢の中で、これは夢かもしれないって思うことは、わりとある。
(どうしよう……)
 ということは、俺が一番乗りで店に来てるわけじゃない。夢の中で、俺はずっとひとりぼっちで。
 誰も来ない。ずっと、この沈黙の中にいないといけない。
「…………」
 いやだ。
 俺はこの店は大好きだ。マスターに雇ってもらってからずっと、大好きだ。店のみんなも大好きだ。
 でも。
 誰もいない、まるで死んだようなこの店は嘘だ。本当じゃない。だって夢なんだから。
 だから……出ないといけないんだ。ここにいちゃ、だめだ。
(ちぃ)
 俺は思う。
 マスターや三原さんや高見沢さんがいないのは、すごくいやだ。でも、ちぃがいないのが、一番やだ。
 ちぃに、会いたい。
 だけど、どうしたら出られるだろう。
(鍵……)
 ふっと、思い当たった。裏口のドアの鍵さえ見つかれば、出られるかもしれない。
 店の入り口の方は、鍵穴も何にもない。普通なら中からはずせるはずなのに、どこをいじっていいのかわからない。窓もおんなじだ。外からロックされてるのか、ちっとも開く気配がない。
「……うん。やっぱりだ」
 俺はもう一度裏口に行って、確信した。ドアノブの鍵穴。これは、開く可能性があるってことだ。
 鍵が店の中にあるかどうかは、俺にはわからない。でも、探すしか方法がない。
 ともかく、店の中をあちこち見てみよう。
「……?」
 カウンターの中に入って、ちょっとびっくりした。ぽつんと、ケーキが置いてある。
 お皿に載ったケーキは、三原さんオリジナルのチーズ・マリアージュの、クリスマスバージョンだ。クリスマスだけ、上に粉雪みたいに砂糖をかけて、小さなひいらぎの葉っぱをかたどったチョコレートとジンジャーマンのクッキーがついてる。
 ぐぅぅ。
 いきなりお腹が鳴った。三原さんのケーキはうまいから、見てるだけですごくお腹が空くんだけど……何だかがまんができそうにない。
 しかも、そばにフォークまで添えられてる。
「い……いただきます」
 後で三原さんが来て、食べちゃだめなものだったら謝ろう。今は食べないといけない、そんな気がして、俺はぱくぱくとケーキを食べた。あっという間に食べきった。
「あれ……?」
 ケーキの下に敷いてある銀紙を畳んだら、文字が書いてあった。

 4289

(……?)
 何だろう、この数字。緑色のインクで書かれてる。よくわからないけど、気になるから取っておくことにした。
 食べたお皿とフォークを洗う。と、水切りカゴにそれを入れようとして、洗ったカップが並んだままになっていることに気がついた。
 ヘンな模様だ。
「V字……」
 全部で7つ。ちょうどアルファベットのVみたいに、こう、斜めに並んでる。
 よくわからない。ヘンだってことだけは、わかるけど。
 カップはそのままにして、俺はカウンターを出た。フロアも、もう少し細かく見てみないといけない。ヘンなところがあるかもしれない。
 案の定、見つけた。
「……汚れてる」
 3番のテーブルの、端っこに何かがべっとりついてる。普段、絶対こういうことはあり得ない。誰かが気がついて、きれいにしておくはずだ。
 ダスターを取ってきて拭いてみる。でも、落ちない。頑固な汚れらしい。
「洗剤……」
 掃除道具が入ってるロッカーに行ってみた。
「あれ」
 いつもなら、ここにあるのに。洗剤とぞうきんとかモップとか、掃除に使う一式がちゃんと置いてあって。
 なのに、洗剤だけない。
「…………」
 どこだろう。
 あちこち探してみる。ふっと、窓の外が気になった。
(テラスだったら困るな……)
 店の外には出られない。誰かが使って外に出しっぱなしだったら、取りに行けないし。
 念のため、窓から覗いてみた。テラスには普通にテーブルと椅子しか置いてない。その向こうに茂ってる木の陰とかはわからないけど……。
「ん」
 何で、木の茂みにくぼみがあるんだろう。
「L……?」
 カギ型かな。茂みが一カ所だけ、くり抜かれてる。誰があんなことしたんだろう? 昨日まではなかったのに。
 首をかしげながら、視線を中に戻す。外に、洗剤はない。少なくとも、見えるところには。
「……あ?」
 テラスとの境の、大きな窓の一番下に、何か書いてある。

 6384

 数字だ。
(さっきも……ケーキの銀紙に、なんか数字があったな)
 ポケットから銀紙を出す。四桁の数字は一緒だけど、こっちは色が違った。銀紙の方は緑。窓の文字は黄色だ。
(へんなの……)
 何だか、妙だ。うちの店なのに、うちの店じゃないみたいなところが、あちこちにある。
「そうだ。洗剤」
 探し物の途中だった。
「……あった」
 トイレの前の、観葉植物の鉢の土に、なぜだか刺さってた。
(なんで…………刺さってるんだろ)
 土を軽く払って、ダスターに洗剤をつける。
「落ちた……」
 汚れが落ちて、ほっとする。
「??」
 アルファベット……?

 C → S

(???)
 俺は首をひねるしかない。何が何やらまったくわからないけど、店の中に数字とかアルファベットとか記号とか、普段ないものがごろごろしてる。
(へんな夢……)
 いつも見てたの、こんな夢だったかな……?
 夢なら、出られないうちに目が覚めちゃうんだけれど。何だか、こんなわけのわからないままで起きちゃったら悔しいかもしれない。
 ふっと、クリスマスツリーに目がいった。
 大きめの観葉植物が置いてあるところに、今は時期だからツリーがある。飾りつけをしたのは、高見沢さんとちぃと、俺だ。ちぃと高見沢さんで、飾りとかいろいろ選んで、俺は手伝っただけだったけど。
「あ……」
 てっぺんの星に、何か書いてある……。

 3319

 ちっちゃい字だったけど、黄色の星に赤い文字だったから目立つっていうか、何かあるな? っていうのがすぐわかる。
(飾りつけた時には、こんなのなかった……)
 一番上で高いところだから、背の高いちぃが、脚立に乗ってとりつけてくれた。でも、その時は普通にきれいな黄色い星のオーナメントだった。
(みんな……ちょっとずつ、違ってるんだったりして)
 気になって、クリスマスツリーをもう少し見てみることにした。
 でも、きらきら光るボールも、ジンジャーマンとかトナカイのオーナメントも、そのままだ。
(違ってないよな……)
 でも……何だか違ってる気もする……。ぱっと見た感じ、ちょっと違和感あるかなっていうか……。
(どこだろう……)
 全部のオーナメントをひと通り見て。
「あ」
 雪だるま。
 雪だるまのかぶってるバケツ……青かった。でも、いっこだけ赤いのがある。
「ん?」
 掴んでみたら、ぽこんとバケツの帽子がはずれた。
「…………」
 でも、だるまは普通に真っ白の雪だるまで。
「…………?」
 ひっくり返したりしてるうちに、ようやく思いついた。
 帽子の方?
「あった……!」
 帽子の内側に、文字がある。

 O

(ゼロ? アルファベットの……オー?)
 わかりづらいな……。
 今まで、一文字ずつのは全部アルファベットだったから、これもそうみたいな気もするけど……。
 これで……全部かな。いろいろ見たけど。でも、全部だったらどうなるんだろう? ちっともわからない。
「はぁ」
 ちょっと疲れて、ソファ席に座った。また、お腹がすいてきた。三原さんのケーキはおいしかったけど……ランチのサンドが食べたいって思う。毎日毎日食べてるけど、全然飽きないし、もっと食べたくなるからすごい。
 それに、高見沢さんの紅茶も、マスターのコーヒーも。どっちもいい香りで、ほっとする味だ。
(みんな……)
 何でここに、俺だけしかいないんだろう?
(ちぃ……)
 ちぃなら、俺よりずっと頭がいいから、こんなわけのわからないことも、絶対もう解いてるし、わかってるはずだ。
「ちぃ……」
 何だかさみしくなって、テーブルに突っ伏そうとした時。
「あ」
 すごく、うっすらと。
 このテーブルの上に……大きな字で何か書いてある。近くで見なくちゃ、わからないような薄さだ。セロハンテープを貼り付けたみたいな感じ、っていうか。
(ええと……)
 指でなぞる。
「E……かな」
 テーブルいっぱいに書いてある文字に気がつかないなんて、俺はやっぱり鈍くさいのかもしれない。
「よっ……と」
 座っててもしょうがないし、立ち上がった。もう一度、裏口の方を見に行ってみようかって思った。
 少なくとも、店の方には鍵は落ちてなかったし。
「あ……洗剤、片づけないと」
 俺は洗剤の容器を持って、掃除用具入れのロッカーに行った。
 いつも置いてある場所に、ちゃんとしまって……と。
「ん?」
 今。
 がたん、って音がした。
 事務所だ。
 急いでドアを開ける。
「……………………」
 俺はしばらく、その場にぽかんと立ちつくしていた。
 だって。
 事務所の机の上に、おっきな。
 リボンがかかった、箱が置いてあった。緑色に金色で筆記体の文字が書いてある包装紙で包んであって、真っ赤なリボンの結び目に鈴がついてる。
 どう見てもクリスマスのプレゼントだ。
 でも。
 最初に見た時は、絶対これはなかったから。さっき、がたんって鳴った時に出てきたってことになる……と思う。どこから出てきたのかは全然想像がつかないけど。
 俺は悩んだ。箱の前で、しばらく悩んだ。
 あやしい。
 この箱、あやしすぎる。
 開けたらとんでもないことになったら困る。あり得ないとは思うけど万が一にも爆弾とか入ってて、開けた瞬間にこの店が噴き飛んだりしちゃったら、俺はどんなに謝っても許されない。
(だけど……)
 多分。
 開けないことには、何も変わらない気がする。
(マスター。社長。もし爆弾だったら……ごめんなさい。店を建て直すお金が返せるまでずっと、ただで働きます)
 俺はそう心の中で言って、爆弾じゃないことを祈りながら、おそるおそる包みを開けた。
「…………」
 よかった。
 少なくとも、爆弾じゃない。というか、開けた途端に爆発はしなかった。
 でも……これが何かと言われると、俺は何なのかわからない。
 箱。
 しかも、いくつか四角くへこんでるっていうか、蓋に三段の枠がある。
 一番上は四文字。真ん中が二文字。下が四文字。
(……?)
 真ん中の段の、ふたつの枠のその間に「→」の記号がある。
(さっき……見た)
 俺はフロアの方に、テーブルを確認しに行った。
(うん、これだ)
 汚れたところを拭いたら出てきた文字。CとSだ。
「あ」
 何気なく枠の中をさわったら、文字が浮かび上がった。Aだ。
「あれ」
 もう一回押したら、Bになった。
(ってことは……)
 もう一回押して、Cにする。
(じゃあ……)
 右側の枠を、何回か押していってSにする。
「できた……」
 これで、さっき書いてあった通りになった。
「ん」
 かちっ、とどこかで音がした。それから、かさっという音。何か、紙が落ちたみたいな……。
 きょろきょろと見回すと、紙は俺の足元にあった。拾い上げてみる。

 

 一番最初の●が緑、次が黄色、最後が赤。
(緑……黄色、赤)
 信号? でも、信号だとどうなるんだろう。信号の三つの色を足したり引いたりして、何かできるんだろうか。
(足したり……引いたり)
 普通それは、数字の計算だ。
「……あ」
 数字。
「あ……!」
 ポケットから銀紙を出す。緑の数字、4289。
(フロアに……数字が、あった)
 俺はペンとメモを持って、店の方に回った。窓とそれから……そうだ、クリスマスツリー。
「ええと……」
 紙に全部書いて、計算する。暗算は得意じゃない。
「1224……」
 四桁の数字。
 俺は箱を見る。枠が四つのが、二カ所ある。
 すうっと息を吸い込んで、一番上の枠を押した。
「あ……」
 数字の1が、浮かんだ。慎重に、1、2、2、4と並べる。
「よし……」
 今度は何の音もしなかった。合ってるのかよくわからなくて、少し不安になる。
(でも……ここが残ってる)
 空いてる三段目を見る。
(あとは……ここだけ)
 改めて、考えてみる。
 数字もアルファベットも、普段なら店にないものがいっぱい店に書いてあって。それを入れたら、物事が進んだっていうか、何か変化があった。
 だったらこの三段目も、店の中にあるものに関係がある……はずだよな、きっと。あんまりこういうふうに、順序立てて考えるのは得意じゃないけど。
「ええと……」
 もういっぺん、フロアに行ってみる。
「……あ」
 カウンターに入って、水切りカゴの中のV字に気がついた。
「……そうだ」
 ひとつひとつ、思い出して見に行く。茂みにくり抜かれたL字。テーブルのEの文字。それから、雪だるまの帽子……。
 戻って、メモに書いてみた。

 V L E O

「…………」
 順番があるのかな。
 何度かひっくり返し、入れ替えて……ようやく意味のある文字を思いついた。

 L O V E

「ラブって……」
 英語はよく知らないから、これくらいしか思いつかないんだけど。
 ともかく、入れてみよう。
 指で枠の中をさわる。Aの字が浮かぶ。アルファベットで合ってるんだなと思うと、ちょっとほっとする。
 LOVEの四文字を入れ終わった瞬間だった。

 かちり。

「あ……」
 驚く間もなく、俺が持っていた箱の蓋がぱかりと開いた。
「あ……!」
 鍵だ。これ、裏口の鍵だ……!
「出られる……!」
 俺は夢中でそれを掴んで、裏口の鍵穴にさし込んだ。かちゃっという手応え。開くぞ。ドアが開く。出られるんだ――!

* * * * *

「うわ……!」
 一ノ瀬が目をまん丸にした。一ノ瀬がドアを開けた瞬間、ぱあっと画面が白くなり、大きな文字が浮き上がる。

 Merry Christmas & Congratulations!

「え……ええと、ちぃ」
「うん、おめでとう。無事脱出できたみたいだね」
 僕は一ノ瀬の髪をくしゃっと撫でた。一ノ瀬が座ってる後ろから、パソコンの画面を覗き込む。
「けっこう簡単にしてもらったからね。そう詰まることもなくて、よかったよかった」
「あ、あの……これ、その」
 一ノ瀬はものすごくとまどった顔をしていた。
「僕の友だちに、Flash得意なやつがいてね。脱出ゲームも作ってサイトにアップしてるっていうから、頼んでみたんだよ」
「頼んだ……って」
「決まってるだろ?」
 僕は口を尖らせる。
「一ノ瀬が妙な夢を見てるらしいからさ、気になって。夢に入ることはできないから、その場じゃどうにもしてあげられないでしょ。その代わりだよ」
「代わり……」
「現実に脱出できたら、夢も見なくなるかもしれないだろ。夢じゃ、全然出られないみたいだったから」
 そんな方法が効くかどうか僕にはわからない。けど、何かやらずにはいられなかった。一ノ瀬が――心配だったから。
「あ……」
 一ノ瀬はようやく、少し得心がいったという顔になった。
「ちぃ……ありがと」
 見上げてくる瞳が嬉しそうで、僕まで嬉しくなる。
「どういたしまして。ほら、ちゃんと僕からのメッセージも入れたんだから」
「え……」
 一ノ瀬はきょとんとした。やっぱり、気づいてない。
「ここ。見て」
 さっき一ノ瀬が箱に入力した文字を、エンディングで再表示してもらうように頼んでおいてよかったよ。

 1224
 C → S
 LOVE

「今日の、イヴの日付。それに僕から一ノ瀬へ。愛してるよ、ってさ」
「…………」
 一ノ瀬はぽかんとしてる。
「あ……」
 理解したのかな。一ノ瀬は、ちょっとあせった顔で僕を見上げた。
「まったく。入力してる途中で気づいてほしかったけどね」
「ご……ごめん。俺、必死で」
「わかってるって」
 ひとつのことに一生懸命なのが、一ノ瀬のいいところだ。
「とりあえず、これが僕のクリスマスプレゼントその1」
「その1……?」
「ほかにもあるに決まってるだろ?」
 クリスマスプレゼントにFlashゲームだけなんて、僕のプライドが許さない。
「さ、まずは食べようよ。三原さんのケーキ」
「あ……うん」
 クリスマスは毎年、三原さんが自作のケーキを分けてくれる。それに、けっこういろいろなごちそうも買い込んだし。もちろん、酒も。一ノ瀬の好きなカクテルも、山ほど用意して。
「メリークリスマス。一ノ瀬」
 頬にキスをすると、一ノ瀬がにこっと笑った。
「メリー……クリスマス。ちぃ」
 一ノ瀬は、ぎゅっと僕の手を握る。
「一ノ瀬……?」
「……ありがと。すごく、嬉しかった。俺の夢なのに……気にして、くれて。何て言っていいか……わからない」
「何も言わなくていいよ」
 僕はもう一度、ゆっくりとキスをする。今度は唇に。
「僕がやりたくてやってるんだから。一ノ瀬は、それを受け取る権利がある。それだけのことさ」
「……ありがとう」
 何も言う必要はないと言ったのに、一ノ瀬はお礼の言葉を繰り返す。ものすごく真摯な、想いのこもった声で。
 まったく――。
 僕に一番何が必要なのか、多分一ノ瀬はわかってる。お金や物ではなく、何よりもまっすぐに僕に向かってきて、僕の奥まで届く想い。言葉。それだけだ。
 こっちがお礼を言いたいところだけど。
 しんみりしてたら、せっかくのイヴがそのまま終わってしまいそうで。
「ほら、シャンパンあけるよ。一ノ瀬、グラス用意して」
「あ……うん」
 キッチンに駆け込む一ノ瀬を、僕は微笑んで見送る。
 うん。
 今年もありがとう、一ノ瀬。
 来年も――ずっとずっと、大好きだよ。



end.           



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