博物館建設で浮上した 「慰安婦は抗日英雄か日帝協力者か」論争=黒田勝弘
2009年1月6日 SAPIO
韓国で「慰安婦博物館」の建設計画が進められている。正式には「戦争と女性人権博物館」というのだそうだが、例の慰安婦問題を永遠に記録、展示として残し、内外に広め後世に伝えるというのだ。慰安婦問題をネタにした反日はとどまるところを知らない。「慰安婦博物館」みたいなものはすでに存在している。たとえばソウル近郊にある、民間の支援団体による元慰安婦の老女たちの居住施設「ナヌム(分かち合いの意)の家」がそうだ。施設内に資料室があって、関連写真などの展示のほか「こんなところでセックスを強制させられていた」と、刑務所の独房に似た慰安所の模型(?)みたいなモノも展示されている。
そういえば、さらにソウル南方の天安市に位置する壮大な準政府施設「独立記念館」にも関連の展示があったように思う。
「独立記念館」の全体の展示思想は「わが民族は日本支配に対しいかに立派に戦ったか」という「がんばった史観」だが、それでも日本統治時代に日本の官憲が独立運動家を捕まえ拷問するシーンなどとともに、慰安婦の事例も「日帝の蛮行」として一画を占めている。
ところが今回の「慰安婦博物館」は、こうした展示にあきたらず、慰安婦問題だけで独立した記念館にしようというのだ。
慰安婦問題を追及、支援してきた代表的な反日団体である「挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会、韓国では慰安婦のことを"挺身隊"といっている)」などが中心になり、長年にわたって募金活動や政府などへ支援を訴えてきた。
「挺対協」の反日執念はすごい。日本政府がいくら「おわび」や反省をしても、あるいは元慰安婦に対する日本の民間基金による慰労資金計画や、韓国政府の手厚い(?)生活支援が行なわれても納得しない。毎週水曜日、元慰安婦の老女を連れ出しての日本大使館前での反日デモは、もう10年以上も続けられている。
ところがこの「慰安婦博物館」をめぐって、他の反日民族団体との間で紛争が起きている。「挺対協」など建設推進グループが、博物館の敷地をソウル市が管理する「西大門独立公園」に決めたことに対し、「光復会」や「殉国先烈遺族会」などいわゆる抗日独立運動関係団体が猛烈に反対しているのだ。
「西大門独立公園」というのはソウルの中心部にある。昔、西大門刑務所があったところで、日本支配時代、この刑務所で多くの独立運動家が犠牲になったとして、今や独立運動記念施設の"名所"の一つになっている。
「慰安婦博物館」は3階建てで敷地は約1230平方メートル。民族団体の反対理由は「独立運動家を顕彰する記念公園に慰安婦博物館はおかしい。性格が違うではないか」ということだ。彼らは「慰安婦博物館」そのものには反対していない。「慰安婦がなぜ独立運動家と一緒なんだ?」「建てるのなら別の場所にしてほしい」というのだ。
この対立は、韓国における日本支配時代をめぐる歴史認識の問題として興味深い。
つまりこれは「挺対協」など慰安婦関係の反日グループが、慰安婦問題を世論にアピールするため、彼女らを無理やり(?)日本軍との対立関係に位置付け、その結果、彼女らがまるで抗日独立運動家であったかのようなイメージを作りあげてきた結果というわけだ。
元慰安婦のなかには、彼女らを支援する反日活動家たちの影響で、自らの過去を独立運動に関連させて物語る例まである。これに対し民族団体側には「日本軍の従軍慰安婦は基本的には日帝協力者だった」とする見解も存在する。
時代の流れから「女性の人権」という名分には誰も反対できない。慰安婦支援団体はこの大義名分を振りかざし、慰安婦問題を「抗日独立運動」の領域にまで格上げしようとした。しかし今回の対立で、慰安婦問題をめぐる彼らの"無理(歴史歪曲?)"がはからずも表面化したかたちだ。(産経新聞ソウル支局長)
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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