2009.1.6(火)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
昨日録画しておいて楽しみにしていた吉本隆明さんのテレビ番組を観た。去
年の夏に見に行った「芸術言語論その一」の3時間以上に渡る講演の後半、吉
本さんの声がぼそぼそとなってしまってよく聞き取れなかった部分が、マイク
を通してクリアに録音されていて、あの状態でも吉本さんはまださらに興味深
い話をしようとしていたことが分かった。講演の後半、声はかすれてだんだん
と小さくなっていったけれど、話の内容はもちろんしっかりしたものだったん
だな。講演の最後のほうの、途切れ途切れに聴こえた吉本さんの言葉がかえっ
て、吉本さんの自己表出を表現しているような感じで、まるで舞台かコンサー
トを観たような感動的な部分がちゃんと番組に記録されていて、またさらに感
動した。吉本さんの考えてきたことをあれほど分かりやすく伝えようとした番
組があったかな。
ぼくは19歳でオリジナル・ラヴの前身となるバンドを始めてから、オリジ
ナル・ラヴのやっている音楽は、「ポップス」なんだと言ってきた。その「ポ
ップス」という言葉は、ぼくとしてはなにか舌足らずな感じで、もう少し別の
意味を含ませた「ポップス」なんだけどなあとずっと思ってきていた。それは
もちろんヒットチャートを駆け上がろうとする「ポップス」なのだけれども、
いわゆる売れ線の、ヒットチャートだけの為に作られた「ポップス」ではなく、
時を経ても色あせないと言ったらいいのか、音楽的に深いと言ったらいいのか、
あるジャンルの中だけで成立する良さではなく、ジャンルを取っ払って音楽全
体を見渡してみても面白さが分かるようなと言ったらいいのか、上手く言えな
いのだけれども、なにかそういう意味合い、質感、を含ませた「ポップス」だ
った。今だったら「普遍的な音楽」だとか、「芸術的なポップス」とあからさ
まに言えそうなところなのかもしれないけれど、でもまだやっぱり言いきれな
い感じがあるかな。ましてオリジナル・ラヴを始めた頃の20年前はまだ自信
がなかったし、芸術のことがよく分からなかったし、なにか今よりもさらに
「芸術的な」とはっきり言えないような雰囲気だった。それにぼくの目指す音
楽は、「いかにも芸術やってます」というような、「自分のやっていることは
特別で素晴らしいことなんだと故意にアピールするような音楽」ではなかった。
もっとありふれた、誰もが共感できる、欲を言えば音楽をとくに趣味として聴
いて来なかった人にも「あれっ?」と思ってくれるような音楽だった。具体的
に言うと、ビートルズや、バートバカラックやエルヴィス・プレスリーやセッ
クス・ピストルズのような音楽だった。
今日の吉本さんの番組を見て、芸術とはなにかと言えば、自己表出と自己表
出が出会うことであって、従ってその自己表出は普遍性を持ったものであり、
その価値はお金に換えられるような価値とは違う価値があるのだ、とおっしゃ
っているのを観て、ぼくがずっと言い倦ねてとりあえず使っていた「ポップス」
という言葉の、曖昧ですっきりしない部分、でも触れようとして手をのばして
きた部分を、鮮やかに表現していただいたような気がしたんだな。
|
|
|
|
|
|
2009.1.5(月)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
楽器屋で新しいアイデアを試すためにアコースティックギターとエフェクタ
ーのチェックをしてきた。冬はアコギの音が身体に染みていい感じだな。渋谷
の街を久しぶりに歩いたけれど、その日はまだ正月三ヶ日ということもあって
賑わってたな。みんな最近はお金をどう使わないかばかり考えているようだけ
ど、みんながお金を使わなかったらいっこうに景気は良くならないわけで、お
金が動かなければ仕事も少なくなっていく。みんながお金を使って世の中にお
金が回っていくようになれば仕事は増えてゆくという、当たり前のことが最近
はよく見えてない感じがするんだな。メディアの人たちの暗い顔に対して、賑
やかな渋谷の街に、まるでお賽銭を投げるように、少しでもお金を使っている
人たちの顔が、太陽に照らされて明るく見えたんだけどな。
そして正月早々モトクロス。1月の冷たく澄みきった青空の遠くに、淡い紫
色の富士山が見えた。一緒に行った人たちから豚汁の振る舞いもあってパドッ
クに立てたテントの中は温かくて楽しかった。
こうやってVOICEにバイクのことを書くと、田島は音楽をやってないでバイ
クばっかりやってると思う人もいるみたいだけど、バイクは一週間に一度思い
っきりやっているだけで、あとは音楽を毎日めいっぱいやってますんでよろし
く。そして今日からぼくも仕事始めです。
|
|
|
|
|
|
2009.1.2(金)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
明けましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願いいたします。
今年は、自分に出来ることをさらにしっかりとやっていかねばと思うところで
す。
オレニュースのインド旅行記について、8回以降が会社が正月休みに入って
尻切れとんぼみたいになっちゃったんで、ここに書いておきます。
インドは素敵な国だった。ぼくは、インドの街にこれほど自分の気持ちをが
っちりつかまれるとは、思いもよらなかった。意表を突かれた。ぼくはあまり
読まなかったガイドブックを帰りの飛行機の中で熟読した。
ロックの歴史の中に、ことあるごとに、インド風味みたいなものが登場する
のは、インドがアーティストたちをそれだけいつも惹き付けてきたからだろう。
アートとロックとポップが重なっている部分が好きな人にとって、インドはイ
ンスピレーションをきっと与える国だ。とくに今回ぼくが行ったバラーナシは、
街自体が一つの作品のようだった。インドの街のパワーを見て、いつもは隠さ
れていたり忘れられていたりするけれども本来持っている人間のがむしゃらな
パワーに気付かされたような気がする。
バラーナシの人々は物乞いも含めそれぞれの仕事をしながら必死に生きてい
るようだったけれども、ぼくにはそれがなにかとても芸術的な姿に映った。食
うために芸術的な仕事はあきらめて、食える仕事をする、という言い方をたま
に人はするけれども、それはすこし足りないような表現なのではないか。芸術
は聖なるものだけでも俗なるものだけでもなく、それらの両方なのだ。なにを
してもどんな仕事をしてでも、なんでもいいからとにかく食っていってやると
いうような、意気込み、有様こそが、芸術的ななにものかなのではないかと、
インドから帰ってきたいまはそう思えるんだな。



そして今日、近所の神社にお参りに行ってきた。賽銭を投げ、お祈りをした。
毎年、仕事に関することやその他のことを心の中でお祈りしていたが、今年は
自分と近親者の健康、安全をお祈りするだけにした。仕事のことを神様に頼む
のは、いい気なもののような気がしたので、自分で頑張ることにした。
インド、バラーナシに行った後だからか、日本のお正月の行事っていいもの
だなあと感じる。ぼくは年賀状を出したり、クリスマスらしいことをしたりす
るのはあまりやってこなかったけれど、最近は何々らしいことをするのもいい
ものじゃないかと思うようになった。成人して以来自分から年賀状をほとんど
出さずに生きてきたから、人から年賀状はもらわないけれども、それでも時々
メールやら葉書やらで年賀状をいただくと、嬉しいような気分になって返事を
出す。身から出た錆というけれど、ムカつくこともラッキーなことも、寂しい
ことも楽しいことも、大抵自分に原因があるのだ。去年は音楽という仕事とバ
イクという趣味を通して、なにかそういうことを再確認することができた年だ
ったような気がする。
今年も世の中はいろいろ動きがあるだろう。神様にお祈りする前に、まず自
分にできること、そして頑張ってやってみたいことを、手帳なりパソコンなり
に書き出してみるというのはどうかな。書き初めという行事があるけれども、
新年が始まるにあたって、心の中のモヤッとしたことを書きだしてみると、な
にかすっきりすることがあるかもしれない。そういうこともあって、今年もぼ
くはもうすこしこのVoiceを書き続けてみようと思っています。どうかよろし
くお願いいたします。
|
|
|
|
|
|
2008.12.26(金)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
オレのニュース、第7回。
バラーナシは素晴らしい。バラーナシのなににぼくは感動したのか。バラー
ナシは、ぼくが芸術だと思っているなにものかそのものに極めて近い場所だっ
た。ガンジス川のほとりは芸術そのものなのではないかと思った。
ガンジス川のほとりへぼくたちは2回行った。バラーナシについたその日と
次の日の朝である。ガンジス川のほとりの、みなが沐浴する場所へ着く頃、ぼ
くは冗談を言ってられなくなってしまった。感動し始めたのである。芸術を目
の前にして、高揚してくるような感じに似ていた。川のほとりは、日本で言え
ば、お祭りの風景、大晦日の神社の風景、お葬式の風景、縁日の風景などを足
したものに近いと言えば良いのか。川のほとりに色鮮やかな衣装をまとった老
若男女がごった返している。地面の上になにやら得体の知れないものを並べて
売っている者。花を売っている者。身体を白塗りにした男が壊れた PA システ
ムから流れる音楽に合わせ踊っている。身体の不自由な物乞いの人々がいっぱ
いいる。祈りの言葉を口にしながら、汚れた色をしているガンジスに頭まで浸
かる男と女、子供達は潜ったり泳いだりおどけたりして遊んでいる。神聖と俗
の区別はない。大賑わいの商店街の中、黄色い美しい花に包まれた、火葬場で
焼かれる死体の乗った担架を、4、5人の人々が大きな声で歌を歌いながら担
いで通る。言うことを聞かない子供を叱りながら沐浴をしている家族のそばを、
布袋に入った幼児の死体が浮かんで通り過ぎる。
ぼくたちは沐浴する場所を通り抜け、いくつかある火葬場の一つへ行った。
すぐに煤けたような何人かの物乞いが寄ってきて、火葬場の説明をし始めた。
24時間火葬が行われているそこには、いまぼくたちの目の前にも木で作られ
た櫓のようなものが燃えていて、その中に人間のしゃれこうべいくつか見えて
いる。そこに住んでいる物乞いの人々も火葬場全体の風景も、人間の焼けた灰
と煤で黒く白い。荘厳な青白い死の煙が常に充満している。我々のスタッフは
皆、口に布を当てて黙ってしまったが、ぼくはなにか気分が盛り上がって青白
い煙をいっぱい吸い込んで深呼吸した。絶望的に見える人々が、元気いっぱい
に見える。神聖的な場所が風俗的である。ぼくたちの住む日本の街と違って、
インドの街は神様が至る所に住んでいる。商売をしながら、物乞いをしながら、
なにもせず、ただ祈りの言葉を口にしながら。とても絶望的な状況であろうは
ずなのに、なぜこれほど豊かな感じがするのか。ぼくたちが芸術という名で呼
んでいるものは、ここでは少しも特別なものではない。まして、お金持ちの嗜
みみたいなものではまったくない。きっとここでは芸術が、あらゆる人たちの
現実そのものなのだ。
日本とインドを比較することは無意味なことかも知れないけれど、日本から
きた観光客としてあえて比較してみる。日本では街が近代化、文明化するとき
に隠してしまった、死、神様、祝祭が、インドにはごく当たり前の現実として
街に見られ、息づいている。日本では、代わりに芸術がそういったことを担当
したのかもしれない。ところが時折、街の人々は、芸術がわからない、と口に
して、自分の世界から追い出したりする人さえ居る。芸術は、人間の裸の、む
き出しの感情そのものであり、よくわからないものであり、価値があるのかど
うかもよくわからないものであり、だからといって、芸術を自分の街から、自
分の世界から追い出せば、その人は、人間の裸の、むき出しの感情を、自分自
身から追い出しているのだ。
バラーナシに居ると、次から次へといろいろな考えが飛び出してきてきりが
ない。ぼくは岡本太郎が若い時に書いた「呪術誕生」のなかの、ちょっと青臭
いけれども元気いっぱいのフレーズを思い出す。
生きる瞬間、瞬間に絶望がある。絶望は空しい。しかし絶望のない人生も空
しいのだ。
絶望は、存在を暗くおおうのか。
誰でも絶望をマイナスに考える。だが、逆に猛烈なプラスに転換しなければ
ならない。絶望こそ孤独の中の、人間的祭りである。
わたしは絶望を、新しい色で塗り、きりひらいて行く。絶望を彩ること、そ
れが芸術だ。
絶望するとき、あたりがくろぐろと淀む。その空しさを抱きながら、わたし
はまったく反対の世界をひらくのだ。
絶望のブルー。目の前に、透明なブルーが流れている。そしてその向こうに、
紫のニュアンスがすっと切り抜ける。そして、きらっと真っ赤な線がひらめき、
そのなかを舞うのである。それが絶望の色、リズム。

|
|
|
|
|
|
2008.12.25(木)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
昨日は寒い中フリーライブに来ていただいた皆様、本当にありがとうござい
ました!
自分ではまだまだ芸が足りないと反省することも多かった弾き語りライブでし
たが、皆様のおかげでとても楽しく歌うことができました。感謝、感激です!
アンコールまでいただけるとはまったく思っていませんでした。「夜をぶっと
ばせ」はその場で急遽やることに決めました。
機会を下さればまた弾き語りライブを、そしていつかまたバンドでのライブも
やりたいと思っております。どうぞよろしくお願いします!
昨日やった曲です。
スターター
サンタが街にやってくる
ふられた気持ち
接吻
月に静かの海
のすたるぢや
プライマル
鍵、イリュージョン
アダルト・オンリー
明日の神話
きよしこの夜
ムーンストーン
-En
夜をぶっとばせ
そして昨日時間がなくて書けなかった、Saltish Night の感想です。
塩谷哲さんはいまぼくが一番歌っていて気持ち良くなるピアニストです。ぼ
くには理解できない様々なピアノの鳴らし方を知っていて、いつもすごい演奏
に驚かされます。それでいて歌の邪魔は決してせず、引き立たせるプレイをし
ます。塩谷さんがSaltish Nightというイベントを毎年行っていることは、最近
知りました。以前やったSaltish NightのDVDの、弱冠19歳の歌手、手島葵さ
んやジャズピアニスト小曽根真さんとのセッションを観てすげえなと思い、自
分もこのイベントに出演できることを誇りに思いました。今回参加して、塩谷
さんは、確かなピアノテクニックだけでなく、確かなトークのテクニックも併
せ持っていることを知り、また驚いたとともに、なぜSaltish Night が12回も
続けてこれたかが理解できました。影響されて昨日行われた自分のフリーライ
ブでも、 MC ネタを前の晩に考えて望んだのですが、塩谷さんとは大違いの面
白くもないへたな話をお客さんに披露することになってしまい、へこみました。
お客さんには申し訳なかったと思っています。もっと修行して出直してきます。
柴田淳さんは、繊細で飾り気があるというか、味のある声で、女性らしい歌
を歌う人だなあと思いました。ロングトーンが美しく気持ちよくのびて、人を
惹き付ける響きがあり、彼女のライブに足を運ぶ人が多いのが頷けました。柴
田さんはぼくの「プライマル」を一緒に歌いたいと言ってくださって、本当に
嬉しかったです。音楽を作ってきてこれほど光栄だと思うことはないです。デ
ュエットはキー合わせが難しく、彼女の声には少し低いキーになってしまいま
したが、彼女なりの素晴らしいプライマルを歌ってくださいました。ありがと
う!
玉城千春さんは、みんなが普通の生活の中で感じる何気ないけれども大切に
したい気持ちを歌う方なのだなあと思いました。自然体であることを貫こうと
する彼女の歌がときに強い普遍性を持つのが分かりました。
絢香さんは、弱冠21歳ながらぼくなど到底及ばない黒人的な歌唱法をばっ
ちり身に付けていてとても驚きました。それでいて日本語の歌を歌うと今風の
女の子の歌になり、新しい世代だなと感じました。思わずぼくは、どこで誰に
教わったのかとしつこく彼女に訪ねてしまいましたが、彼女は誰にも教わって
ないですとハキハキ答えました。21歳ならこれから歌も、歌いたい内容も変
化するはずであり、とても楽しみだなあと思いました。
井上陽介さんは、演奏を聴いてすぐに以前ニューヨークでプレイしてたこと
が頷ける、本物のジャズベースプレイヤーだなあと感じました。スリリングな
ベースソロ、かっこ良かったです!
佐藤竹善さんはずっと以前仙台かどこかのライブで一度一緒になったことが
あり、今回初めて少しお話をしました。ブラックコンテンポラリーやスティー
ビー・ワンダーを基調にしたように聞こえる彼の歌は、いつもきれいで、安定
していて乱れがなく、ピッチもグルーヴも正確で、どうしたらあのように安定
して歌が歌えるのか不思議に思いました。親しみのある性格と、いつも安心し
て聴ける確かな歌のテクニックで、なぜお客さんが毎回彼のライブに足を運ぶ
のが分かる気がしました。
そしてオレのニュース、今日で第六回目です。
バラーナシの駅は、カレーのようにごった返していました。そこかしこに、
野生の猿も、ブタも、犬も、牛も、全裸の人間も、衣服をきた人間も、みな必
死に逞しく生きようとしていました。ガンジス川へ向かう車はほとんど進みま
せんでした。デリーの渋滞以上に乱れた渋滞。トラックの荷台にいっぱい乗っ
ている女性たち。満員バスの天井やらドアの外側やら車の後ろの部分に掴まっ
ている男たち。前の車との車間距離が5センチもないのに、その間へでっかい
トラックが脇からバックで入ろうとして2センチくらいのところで止まったり
しました。ここから先は車で進めないので歩いていきますと言われて車を降り
ると、そこは大晦日の川崎大師、鶴岡八幡宮、浅草浅草寺、上野アメ横に牛や
ブタを放し飼いにして、音楽を演奏して、飲みかけ食べかけのものをまき散ら
してみんなで大行進しているような状態でした。血の気の多そうな若者、杖を
ついた老女、おじさん、やんちゃそうな子供、物乞い、あらゆるタイプの人た
ちがいました。人でごった返しているにもかかわらず、その中をバイクや人力
車もふつうに走っていました。この大賑わいに、驚き、盛り上がりながらもぼ
くはまだこの時点では楽しく笑っていられたのです。ところが...。 
|
|
|
|
|
|
2008.12.24(水)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
昨日はオレのニュースは休日ということでお休みでした。一日フライングし
てしまいました。今日が第五回目です。インドについては昨日の日記をお読み
ください。
昨日はSaltish Nightでした。久しぶりのライブで緊張して、柴田さんとのデ
ュエットでは身体に余計な力が入ってしまいました。でも、とても楽しいライ
ブでした。いろいろな人と共演できて、音楽的な刺激を受けました。ライヴに
来てくださった方々、本当にどうもありがとうございました!とても遠方から
いらっしゃった方もいらしたみたいですね。感謝いたします。
そして今日はこれからミッドタウンで弾き語りのフリーライブをやります。
19時頃スタート予定です。屋外でのフリーライブなんで、ご都合よろしかっ
たらみなさまぜひとも気軽な気持ちで遊びに来て下さい。
年末でライブ以外にもいろいろあって目紛しい日々ですが、頑張ります!
|
|
|
|
|
|
2008.12.23(火)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
オレのニュース、5回目。その前に4回目で一つ思い出したことを書き留め
ておく。タージマハルをバックにフォトセッションを30分くらいやったのだ
が、ぼくはその間ノンストップで2秒ごとにアクティブなポーズを決め続けた。
ほぼ日には掲載できないほどのアホ写真を数百枚は撮ったはずだ。けっこうま
わりのインド人が失笑していた。インドの女子高生数人が吹き出しそうになる
口を手で押さえながらぼくのところにやってきてサインをくれとねだった。あ
なたは異国のコメディアンに違いないと...。
そして5回目。以前は観光客にベナレスと呼ばれていた街、バラーナシへ向
かう夜行列車での出来事。この駅構内での我々の体験を、ぜひほぼ日オレのニ
ュースでご覧になってていただきたい。夜のインドの駅は動物園だった。線路
にあれほどネズミがたくさんいるのを見たことがなかったし、ホームの屋根に
あれほどたくさんの鳥の群れが黒々と蠢きひしめいてとまっているのを見たこ
とがなかった。あんなにいっぱい人にメンチをきられたのも久しぶりだった。
驚愕の体験だった。
オレニュース一行がこの夜の駅に到着する前、ガイド運転手さんの運転する
ワンボックスでタージマハルからアグラーの駅に向かったのだが、この道もす
ごかった。オレニュース一行のジャスミートさんとぼく以外のメンバーは、旅
の疲れかインドのインパクトか、ぐっすりと寝入っていた。こんな状況でよく
ぐっすり寝れるもんだと、彼らのことを尊敬した。きっと彼らは寝ている間に
近所に巨大隕石が落下しても目を覚ますことはないだろう。あたりは日も落ち
てすっかり夜になっていて街灯はいっさいなし。時たまヘッドライトに照らさ
れて見える道は舗装されているところとそうでないところがあり、すごい段差
があったり、いたるところに穴があいていたりしている。そんな道を車はおか
まいなしに猛スピードで走るものだから、揺れが半端ではなかった。交通量も
多い。おもに巨大な運送トラックである。相互通行の道路に中央線はなさそう
だった。正面から次から次に恐ろしくでかいトラックがハイビームを出しなが
ら猛スピードでためらうことなく突進してくる。しかしガイド運転手さんはと
くに慌てる様子もなくジャスミートさんとなにやらお話をしながら、巨大トラ
ックともうほんの一瞬で正面衝突するぎりぎりのところで横にひょいとかわし
て、引き続きお話を続けて運転している。その連続。ぼくは後部座席で常に緊
張状態を強いられていたのだった。そしてようやくたどり着いた夜のアグラー
駅の周辺はものすごい群衆の熱気に包まれていた。ワンボックスのドアを開け
た瞬間に物乞いがぞろぞろ寄ってくる。全裸で道端に座っている老人もいる。
インドでは少しもほっとできる時間がない。
ところで、きょうはこれから中野サンプラザホールで塩谷哲さんのイベント
Saltish Night Vol.XII に参加してきます。先日終えたリハーサルは、実力者がそ
ろっているだけあって音楽的にかなり刺激的な楽しい体験でした。これは面白
いライブになるなと思いました。久しぶりのライブで多少緊張しますが、がん
ばります。それでは行ってまいります!



|
|
|
|
|
|
2008.12.22(月)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
オレのニュース、4日目、きょうはタージマハルである。お察しの通り、駄
洒落のためにインド旅行に無理矢理このスケジュールが入れられたといっても
過言ではない。
ぼくはどちらかというと、音楽でも絵画でも古代文明でも、なんというか民
衆の熱い SOUL が感じられる表現が好きだ。タージマハルはとても均整のとれ
た、いびつさのない、左右対称的な、完璧に近いデザインをしている。なにか
即興的な、感情的な、イレギュラーな芸風を好むところのある自分にはいまい
ち物足りない建造物だった。タージマハルはオールドデリーの街や、次の日に
行くことになるベナレスという街が放つ恐るべきパワー、臭い立つほどの美し
さとは対照的な、整然とした、非有機的な建造物に見えた。
巨大建造物で今までなんかいいなと感じたことのあるものをいますぐに思い
出してみれば、横浜から東京の湾岸方面へ首都高速で走るときに渡るレインボ
ウブリッジなどのいくつかの橋、マンハッタンにかかるブルックリンブリッジ、
そしてツーリングで秩父から山梨方面へ抜ける彩甲斐街道を通ったときに、暗
い雨の峠の中に突如出現した巨大ループ橋、大滝大橋、あたりかな。シンプル
で均整のとれたデザイン、例えばスプーンのように、機能を追求することによ
って生まれる機能美というのがあって、巨大な橋には巨大な機能美が宿ってい
て、自分はそこになにか面白みを感じるのだろうか。
もうずいぶんむかしにエジプトのピラミッドを観に行ったことがあるが、な
にかこんなものかというふうに思ってしまった。実のところ北京近くの万里の
長城も整備されすぎていて、建築物としての面白みはあまり感じられなかった。
万里の長城はむしろ遥か彼方にある端っこ、カヨクカンの、なにもない平原に
見捨てられ放置された長城のほうが、何百年もの風や雨のよる浸食も手伝って
か、味のようなものがぼくには感じられた。京都の金閣寺も、正直に言うと、
特に自分の琴線に触れるものはなかったりする。金色のお寺とか、ものすごく
でっかいお墓とかいうのは、権力の臭いがプンプンする。強い権力と結びつい
た巨大な建造物に、美的ななにものかをぼくはあまり感じることができないの
かな。



|
|
|
|
|
|
2008.12.19(金)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
オレニュースの3日目、インド、デリーの小学校から去るとき、校長室でシ
ョウガ入りのチャイと肉の天ぷらみたいな食べ物をいただいた。両方とも抜群
に美味かった。あのチャイの味を日本で再現できないのが口惜しい。スパイス
の配合を訊いてメモっておけば良かった。
ゼロを発見したインドの数学者、アリヤバータの絵は今ぼくの部屋に飾られ
ている。その絵をぼくにと譲ってくれた女性は教頭先生のような役割の先生で、
カメラ片手のぼくたちが学校を歩き回るあいだ、珍しがって興味本位で付いて
くる可愛らしい子供達を厳しい目でにらんで、あっちへ行きなさいと叱ってい
た。その叱り方が、なにかとても気高いようなところがあって、決して隙を見
せないような感じの人なのだが、恐らく本当はとても優しい女性であることが、
時折見せる微笑みだとか、彼女の仕草のそこかしこにうかがえた。味のあると
ても魅力的な、印象的な先生だった。
その後、インド人のパワーが炸裂した街、オールドデリーの楽器屋に行き、
まったく買うつもりのなかったシタールを買ってしまった。1960年代のイ
ンドに来てシタールにはまってシタール奏者に弟子入りまでしたジョージ・ハ
リソンのビートルズの中での役割を、ジョンとポールよりももっと楽器弾き的
な、よりミュージシャン的な志向をしていたんだなあと想像する。
インドは楽器も食べ物も街の造りも衣装もあっさりしたものがない。なにか
すべてがごちゃ混ぜになったような、すべてが装飾的な感じ、すべてがカレー
的だ。シタールもなにか装飾的な、なんとなくカレー的な楽器だ。ボディはお
ろか、ネックも空洞になっているし、ヘッドにお椀のようなものがくっつけて
あったりして、音を響かせる空間がこれでもかというくらいいっぱいある。そ
してすごくいっぱいの弦が張ってある。ふつうのギターのように張られている
弦の下に、細かく何本もいっぱい張ってある弦があるのだが、実際にメロディ
を演奏する弦はほとんど一本、というか一束の弦、だけなのである。その他の
弦はすべて共鳴用の弦だ。一つの音を弾くと他のいっぱいの弦が共鳴し、ジュ
ワーンと倍音を含んだ派手なきらびやかな音色を発する。いかに共鳴音を鳴ら
すかに一生懸命こだわった楽器だ。そしてチョーキングビブラートを多用し、
神に捧げられる複雑な旋律、ラーガを官能的に即興演奏する。インドは神様に
敬虔な態度を取ることと官能的であることが矛盾せず、むしろ一致しているよ
うに思える。



|
|
|
|
|
|
2008.12.18(木)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
オレのニュースインドの旅、二日目。朝からカレーをおなかいっぱい食べて
小学校へ出かけた。
頭にターバンを巻いたシーク教徒の小学校で、みんなさっぱりとした身なり
をしていた。
小学校低学年から高校生くらいまでの数学の授業を見させていただいた。日
本人が珍しいのか大きな瞳をくりくりさせてこっちを見てニコニコ笑う子供た
ち。どこの国でも、子供はいつも可愛らしい。先生は厳しい。
数学の授業は「オレニュース」にある通り、僕たちがむかしやらされた、た
だひたすら数式をそらで覚えるというものではなく、みんなでゲームのような
ことをやりながら、そこに織り交ぜられた公式や定理を体験として覚えてゆく
というものだった。案内係のジャスミート君によれば、5年くらい前に、それ
以前はそらでただひたすら覚えるやり方だったのを、この体験学習方式に変え
たということだ。
中学生くらいのあるクラスで、ぼくが日本からきたシンガーソングライター
だということを聞いた女性の担任の先生が、教室の生徒の前でなにか少し歌っ
てくれないかと強く頼むので、ぼくは「接吻」のサビを日本語のままアカペラ
で披露した。ぼくが歌ったあと、静まり返っていた教室は拍手喝采となった。
生徒も先生も喜んでくれたみたいだ。すごいセクシーな歌詞なんだと言ったら、
生徒達は笑い、先生も笑いながら「まあ、ここは学校なのよ、生徒も先生も日
本語が分からなくてよかったわ」と言った。それまで面倒くさそうにぼくらに
対応していたヒゲモジャの用務員の老人が、おれもむかし歌手だったんだと急
にしきりに話しかけてきて、歌いだした。そのあとぼくらが学校を去るまで彼
はずっと小声でなにかの歌を歌っていた。



|
|
|
|
|
|
2008.12.17(水)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
今日からほぼ日刊イトイ新聞で「オレのニュース」が始まった。たくさんの
人から勘ぐりのメールを頂いた。皆さんの予想された通り、この間行ってた外
国旅行がそれです。そう、インドに行ってきたのです。
「オレのニュース」は今回が最終回なのだけど、毎回行き先ややることなど
はぼくの知らない間に決まっていて、ある日今回はこれこれですと言い渡され、
ぼくはいつも意表を突かれた。しかしぼくの意表をつくのが狙いらしいので、
素直にそれに従ってきた。おかげでいろいろ面白い経験をさせていただき、本
当にありがたいことだった。ほぼにちの方々には感謝している。
インドはそのうち行ってみたいと思っていたが、まさか「オレのニュース」
で行くことになるとは思わなかった。今まで行った外国で、最高のインパクト
だった。
今日の「オレのニュース」はデリーに着くところから始まるが、飛行機の中
で自分ではスマッシュヒットだと思った駄洒落を数十発かましたつもりだった
のだが、全部ボツになっていたのがショックだ。
どんな国なのだろうとうきうきしていたのだが、デリーの空港からホテルに
移動する間、タクシーから見える街の景色を目の当たりにしてとても驚き、う
きうきレジャー気分は消え失せその代わり、新たな興味が沸々と沸き起こって
きた。
凄い。空気が土ぼこりで濁ってオレンジ色の靄がかかったようになっている
街、そこに走る比較的広い車道は自動車とバイクと自転車で全体的に渋滞して
いる。その渋滞は車が整然と並んだ日本の渋滞とは違い、車線はあるのだが意
味はないようで、少しでも隙き間があればここぞとばかりクラクションを鳴ら
して車は入り込んでくる、めちゃくちゃにごった返した渋滞、そのなかを痩せ
た物乞いの子供達が追いかけっこをして遊んでいる、でっかい野牛が突っ立っ
ている、次から次へと物凄い数のバイクがすり抜ける。
ものすごく人通りの多い道沿いには、比較的きれいなレストラン、荒れ放題
に荒れたビル、家屋、建築中の施設、あやしい屋台のような店、落ちているも
ので作られたような難民の寝る場所などがならぶ。車道脇の鉄柵には安ホテル
で使用されている白いバスタオルが何十枚も干してあったりする。排ガス臭く
なったっておかまいなしなのだろう。
オートバイのサイドミラーは外側に向けられるべきところを、すり抜けがし
やすいようにみな内側に向けられている。誰もサイドミラーなんか見やしない。
ウインカーは誰も出さない。もしぼくがここで車でもバイクでも運転すれば確
実に1分以内に事故に遭っただろう。
タクシーの窓の外の、見たこともない鬱蒼としたパワーに満ちあふれたデリ
ーの街を、驚きのあまり目を見開いて見入って言葉を失った、そんなインド一
日目だった。



|
|
|
|
|
|
2008.12.16(火)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
久しぶりにスカパラのガモちゃんと飲みに行った。すげえ楽しかった。スカ
パラのメンバーとはよく飲みに行っていたが、ぼくはここ2、3年くらい飲み
歩くこともなくなり、オートバイに乗るようになってからはなおさらご無沙汰
になった。彼らも子供ができたりだなんだかんだで毎日のように飲み歩いてい
たメンバーも家に帰るようになって、少し事情が変わったようだ。でもたまに
は飲むのもいいもんだ。
スカパラは管楽器が主体のバンドなのでジャズの話が通じるから、音楽の話
をするにも馬鹿な話をするにも楽しい。
ぼくはこういう音楽性だけれども特に10代から20代前半までは分かりも
しないのによくジャズを聴いていた。高校の頃は学校が終わると普段から人民
帽を冠っていたYMO好きの大学生の先輩の家へ曲を作りにいくか、近所のフリ
ージャズ喫茶に行って、楽しいフリージャズおじさん達の話を聴いたりしてい
た。アルバート・アイラー、マイルス、ラウンジ・リザース、もしかしたらオ
ーネット・コールマンのレコードもかかっていたかもしれない。珈琲と煙草の
煙と純文学と管楽器、そして焼きうどん。ピンクのズボンをはいてバリトンサ
ックスをフリーキーに演奏していたマスターの作る焼きうどんが懐かしいな。
|
|
|
|
|
|
2008.12.15(月)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
寒い冬は家で映画、とみんな思うのかな、近所のレンタルDVD店は大賑わい。
ぼくも最近立て続けに映画を借りて観ているけど、ひとつ観ればそのひとつ前
観た映画の内容はおろかタイトルさえも忘れる。以前観たのを忘れもう一度借
りることもたまにあるので、最近観た映画をここに書き留めさせていただく。
「潜水服は蝶の夢を見る」、「ほえる犬は噛まない」、「ペネロピ」、「フィ
クサー」、「ビッグ・リボウスキ」、「ディパーテッド」。この中では「潜水
服〜」が良かった。最近よくある実話に基づいた物語。主人公は脳梗塞に倒れ
全身が麻痺し、左目をまばたきさせることしかできなくなったのだが、まばた
きの回数をアルファベに置き換える方法で本を書いた。その主人公から見た世
界を、とことんリアルに映像化しようと試みている。死を突きつけられること
によって、生きて、感じて、見える世界、潜水服と喩えられた自分の体の中で、
自由に飛翔するイメージを表現しようとする、溌剌とした命の姿。芸術は誰の
ものでもあると再確認して、やる気が出てくるような映画だったな。
|
|
|
|
|
|
2008.12.12(金)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
ボクシングからの帰り道、バイクでがらんとした川沿いの道を走って、黄色
い午後の陽射しの中にいっぱい出来ていた小さな羽虫の柱を883で散り散り
にしてアトリエまで来た。去年、バイクの免許をとりに教習所へ行っている時
も、この羽虫の柱の中に突っ込みながら走ったことを思い出した。そろそろ免
許を取って一年が経つんだな。
そういや観てなかった映画、「ダーティーハリー1」を観た。これってぼく
の大好きな石原軍団のテレビドラマシリーズじゃんか。「太陽に吠えろ」や「
西部警察」って、「ダーティーハリー」の影響があってああなっていたのか。
ツタヤの陳列棚に大量に並んでいる「ダークナイト」が全部レンタル中にな
ってた。やっぱりすごい人気だな。ぼくも飛行機の中で観たけれど面白かった
! もう一回観てもいい感じ。
クリント・イーストウッドって、ものすごい勢いで良い映画ばっかり作って
いる人だ。アメリカには、ただの男前俳優じゃすまされない人がいっぱいいる。
イーサン・ホーク、ベン・アフレック、ショーン・ペン、いっぱいいすぎて上
げきれないな。
|
|
|
|
|
|
2008.12.11(木)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
今日は朝目覚めるときひさしぶりに布団から出るのがおっくうだった。歳
を取るとどんどん朝が得意になっていいのだけれど、今日のような寒く眠い
朝は自分が若返ってもないのにちょっと若返ったような気分だな。
トランペットの高い音が最近ようやく鳴るようになってきた。下のドの音
から真ん中のドまでは出ていたが、ついにその上のドの音までが出始めるよ
うになってきた。トランペットを手に取って7、8年、この段階まで来るの
に、なんという長い道のりだったろう。
唇をマウスピースにあてがうやりかたをやり直した。気を抜くとすぐに悪
い吹き方に戻りそうになるのを、なんとかこらえてここ二ヶ月くらいやって
いたのが、やっとうまく行き始めたようで、高い音も力まずに出るようにな
ってきた。しかしまだ耐久力や安定性、コントロールする力がかなり足りな
い。トランペットの練習方法も少しずつ分かってきた。とにかく吹きすぎな
いことが大切だということ。唇の状態をふつうに保つことがいかに大切かと
いうことも分かってきた。なあんて趣味のトランペットもいいかげんにして、
今日も曲を作るぞー!
|
|
|
|
|
|
2008.12.10(水)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
ホンダが F1
から完全に撤退するというニュースを聞いた。車の世界のこ
とはよく分からないのだけれども、最近バイクの世界をすこし覗くようにな
って、ぼくはホンダという会社の技術力の凄さを知りはじめたばかりで、今
年一番よく見た企業のホームページでもあったから、そのニュースを聞いて
寂しい気がしたけれども、社長のインタビュー記事を読んで、潔い決断なの
ではないかと思った。
最近若者達の間でビッグスクーターが流行しているけれど、ぼくの世代か
ら見るとあれはオートバイには見えないというか、別の乗り物という感じな
んだな。ヤマハの SRやホンダの CBナナハンなど、ぼくが子供の頃からよく
見かけていたネイキッドのオートバイらしいオートバイはどんどん生産終了
になってきている。
先日行った外国の街に走る車とバイクはSUZUKI車とHONDA車がほとんど
だった。オートバイに興味をもって、日本の自動車、オートバイの技術は世
界に誇る素晴らしいものなんだと誇らしく思うようになって、ちょっとホン
ダのファンにさえなりかけていたのだけど、同時にその自動車、オートバイ
という産業が、今までにない大きな変化をしている時期なのだということも
最近知った。アメリカのビッグスリー、ゼネラル・モーターズ、フォード・
モーター、クライスラーもアメリカ政府が救済措置をするかどうかのニュー
スがよく流れている。オートバイの世界だけじゃなくて、世界の仕組みが大
きく変化してきているのだなあと、これほどつよく感じるのは、ぼくが生き
てきて初めてのことかもしれないな。
|
|
|
|
|
|
2008.12.09(火) 文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
「おれっておじいさんだったんだ。」これは、先日以前モトクロスへ行っ
たときに撮ってもらったビデオをバイク屋の店長と一緒に観て、そこに映っ
ている、モトクロスバイクに乗ってスローモーションのように遅いスピード
でぎこちなくコースを走る男が自分だとわかったときに、ふとぼくの口をつ
いて出た言葉である。恥ずかしい・・・。モトクロスバイクに乗っている人
たちはバイク歴の長い人たちが多く、原チャリ歴を抜かしたバイク歴が一年
を満たない自分がやるのは無謀であることは分かっているつもりだったが、
自分で走っているイメージと実際に走っている姿との間にこれほどギャップ
があるとは。42歳でモトクロスに手を出すのだから上手く乗れるようにな
るかどうかは非常に怪しいものだとは分かっていた。しかしやるなら今が最
後の年齢かもしれないと思って、駄目でよしとしてやり始めたことだから、
それはそれでよい。バイクに興味を持って、バイクの構造や乗り方を一番手
っ取り早く分かるようになるのはモトクロスなどのダートバイクではなかろ
うかと思ってやってみたこともある。レースも楽しいけれど、レースで一位
を取ろうと思ってやってみたことではない。だからかっこわるくたって笑わ
れたってなんでもこいだ、別に気にしないで行くぜとは思っていたものの、
やっぱりかっこわるい・・・。走る姿勢がまずかっこわるい。それにしても
バイク屋店長とアマチュアレースをいい成績で走っている○○君は、こんな
状態のぼくに、あれほどいろいろ細かく親切に乗り方を教えてくれていたの
だな。本当に有り難いことです。でもダサくても笑われても、やっぱり泥の
上をモトクロスバイクで走るのは楽しくてたまらん。まず第一の目標は、ダ
ートバイクにふつうに乗れること、走って曲がって止まれる、基本中の基本
を身に付けよう、おれよ。
|
|
|
|
|
|
2008.12.08(月) 文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
裁判員制度が来年から始まる。これはちょっとすごいことだなと、画期的
な制度だなと思う。
今まで日本では時代劇にあるように、罪を犯した人を裁くのは背中に桜吹
雪を背負ったような偉い人でないといけないというようなムードがあったよ
うに思う。だから急に裁判員制度ができて、わざわざ仕事を休んでまで裁判
所に出向いて行って、なんで自分とは関係ない他人の罪に対して自分なりに
判断し、裁きに加わらなければならないのだろう、プロフェッショナルじゃ
ない法律の素人である一般の個人個人が、他人を裁くような重大なことをし
ていいものか、まして、人が人を裁いていいものなのか、そういった疑問が
沸き起こるのも自然かもしれない。
裁判員制度を法として施行させるには前提として、国あるいは社会が、「
個人個人が人生を経験して得た知恵」を信用しているということがあると思
う。生きて成功したり失敗したりしながら人生を経験してゆけば、誰しも自
ずと知恵が付いてゆく、という前提がなければ、この裁判員制度は現実的で
はないということになるのではないか。つまり裁判員制度は、国あるいは社
会が大衆の判断をある程度信用しているということの上に成り立つ制度なの
ではないだろうか。
人を裁くことにおいて、法律の世界の知識と経験をもったプロフェッショ
ナルだけの判断によらず、人生経験を通して培った知恵を持った一般の個人
個人の意見を聴き入れなければならないというのは、社会のシステムが一つ
大人になったような感じがする。一般的に子供と違って大人は社会に出れば
責任を負わなければならないが、来年からぼくらには、裁判員制度に従わな
ければならないという新しい責任が加わるのだ。
ジェーン・フォンダのお父さんのヘンリー・フォンダが出演している「1
2人の怒れる男」は陪審員制度を扱ったアメリカ映画で、ふつうの人々があ
あだこうだいろいろ自分勝手なことを言いだして議論は乱れ混乱しながらも
結局最後には罪に正しい裁きが下されるというストーリーなのだけれど、理
想論だと一言で片付けられない説得力があって考えさせられた。日本がこれ
と同じように当てはまるとは言えないかもしれないけれど、裁判員制度がス
タートするにあたって興味ある人に参考までにとお勧めしたい映画だ。
|
|
|
|
|
|
2008.12.05(金)
文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
今日は朝早くから病院に行ったり車を車検に出したり、細々した用事がい
ろいろあった日だったな。
外出して身体が冷えて部屋に入って珈琲を飲んで身体が温まると眠くなるん
だこれが。冬の作曲はけっこう睡魔との戦いだったりする。
この間買ってきたCDを聴く。Juana Morina/Un Dia , Nintin Sawhney/Lo
ndon Undersound , Tom Waits/Live in Concert , Al Kooper/White
Choco
rate , あとはCCRの昔のアルバムとか。
Al Kooperの新譜が良くて嬉しかった。作風がちっとも変わっていない。
今も一生懸命曲を作っていることが伝わってくる味のあるアルバムだ。
|
|
|
|
|
|
2008.12.04(木) 文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
きのうからWhat's
New に出ていますが、12月24日に Midtownで弾き
語りのフリーライブをやります。久しぶりに皆さまの前で歌えることがすご
く嬉しくて、楽しみにしています。
以前からバンドでのライブのセットリストの中に、一二曲弾き語りの曲を
入れるということはやっていたのですが、斉藤和義くんの弾き語りライブを
観てから、ぼくも弾き語りのだけライブをやってみたいと思うようになりま
した。クリスマスの日を盛り上げたいと思いますので、ぜひとも、遊びに来
てください。
最近ボクシングを始めたという方から質問をいただいたので、すこしそれ
に答えます。僕は35歳のときに始めて、最初の一年間は週に3、4回くら
い通いました。その後は週に一回のペースで今も通っています。40歳を過
ぎて首と腰を痛めてから、それまでメニューをがむしゃらやっていたのを、
自分の体の様子を見ながらという方針に変えました。僕の通っているジムは、
プロ候補生はもちろんスパーをやりますが、そうでない人は基本的にスパー
はやらせてもらえません。マス・ボクシングはごくたまにやらせてもらって
ます。ぼくも最初の3ヶ月は縄跳びさえキツかったのですが、体は徐々に慣
れていきます。冬はボクシングを始めるのにいい時期です。夏までにある程
度体ができあがってゆくので、つらい夏のトレーニングを乗り越えやすくな
ります。ともに頑張りましょう。
|
|
|
|
|
|
2008.12.03(水) 文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
インフルエンザの予防接種をしてきた。今話題になっている新型インフル
エンザのものではないけれども。
吉本隆明さんの「身の丈で考える」とでもいうべき姿勢が好きだ。自分の
実感に基づいたところで考え、決してそこから離れないようにする。当てず
っぽうで考えるのではない。自分の実感に基づいたところの先のことは分か
らないとする。だから吉本さんの考えは、世界から得た知識や情報を比較し
たり編集したりしただけのものではない。考えと人生とが一致している。生
活と思想が、ずれていない。
「身の丈で考える」のは誰にでもできそうなことでありながら、なかなか
できるものではなく、とくに吉本さんのように徹底してはなかなかできない。
誰でも頭の中で、自分の身の丈以上(もしくは以下)のことを考えてしまい
がちなのだ。
|
|
|
|
|
|
2008.12.02(火) 文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
映画「マン・オン・ザ・ムーン」を観た。ジム・キャリー演じるアンディ
・カウフマンという35歳で夭折したコメディアンのことを、この映画で初
めて知った。テレビ番組で、強烈な毒を含んだギャグをやって視聴者の笑い
と怒りを同時にかっていたらしい。
神経を逆撫でする笑い、ブラックジョークがアメリカ人はお好きなようだ。
以前、アメリカ人の友人が、日本のジョークは毒が少なくて物足りないと言
っていた。スタンダップコメディーは有名人をどぎつく貶して笑いを取ると
いうものが多い。その貶し方にシャレた皮肉が込められているので、暴言が
ジョークとして成立している。笑いは、なにかを壊す力が働く。
ジム・キャリーの主演映画はほとんど見ている。近所のツタヤのDVD陳列
棚、ジム・キャリーのコーナーに、彼を紹介するコピーが書いてあり「ミス
ター顔筋肉」とある。「ふたりの男とひとりの女」で二重人格になった警官
を演じるジム・キャリーが、気の弱い人格からワイルドな人格に変身する瞬
間の顔が、僕のジム・キャリーの顔、ベスト一位である。
REMがアンディ・カウフマンについての曲を書いていて、「マン・オン・
ザ・ムーン」のDVDにプロモーションビデオが収録されていた。アメリカで
はかなり人気があるのに、日本ではいまいちぱっとしないバンドだ。僕も、
REMのどこがいいのかよく分からなかったが、このプロモーションビデオを
歌詞を追いながら観て、はじめていいと思った。そしてボーカルの洋服の色
使いが気になった。地味な顔つきなのに、パステルカラーの洋服を突飛な感
じに組み合わせていて、変な感じだ。
|
|
|
|
|
|
2008.12.01(月) 文:田島貴男 |
|
|
|
|
|
|
|
|
先週の金曜日にホームページ用のコンピュータがダウンしてVoiceをアッ
プできませんでした。すいません。やっと復旧したのでまたVoiceを再開し
ます。
しかしこのコンピュータというやつは普段はまあ結構便利だが、ちょっと
調子がおかしくなるとたちまちひどい目に遭うなあ。僕の音楽用のコンピュ
ータは自分ですべて管理しているのだけれども、過去に何回か大変なことに
なっていて、その度に物凄い労力を使って復旧してきた。最近はハードディ
スクの容量も増えたので、フォーマットしてすべてのソフトを再インストー
ルしてなどとやっていると気が遠くなるような時間を費やす。自分がコンピ
ュータを使っているつもりが、コンピュータに自分が使われ振り回されてい
るような気がしてくる。人類の進歩の足取りは決して戻ることはないそうだ
が、コンピュータのトラブルに遭うと、自分だけ戻ってもかまわない、とい
う気分になる。
12月になってやっと東京も寒くなった。最近の冬は短いからか、寒さに
郷愁のようなものさえ感じる。寒い冬は鍋がうまい。今日はキムチ鍋を食べ
た。この間モトクロスでみんながキムチ鍋を作ってくれて、それが美味しく
てはまっている。キムチと豚肉という黄金律。
美味い料理屋に行って食べる料理の美味しさもあるけれど、みんなで集ま
って料理を自分達で作って食べる美味しさは、料理のそのものの味以上の美
味しさがある。
|
|
|
過去の「Tajima's
Voice」はこちらへ |
|
|