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発信箱:派遣村の人々=磯崎由美(生活報道センター)

 東京タワーを仰ぐ森に炊き出しの湯気が立つ。年末年始、霞が関・日比谷公園にできた「年越し派遣村」。派遣切りなどで職や住居を失った500人を支えたのは、延べ1700人に上るボランティアだった。

 開村中の6日間、全国から野菜やコメが届き、カンパは2300万円を超えた。労働、医療、生活相談に加え、散髪コーナーまでできた。「新年を少しでも明るく」と歌や踊りを披露するパフォーマーや、「台湾大地震での日本の支援に恩返しを」と台湾の慈善団体も参加。村の様子は海外メディアも報じた。

 ベニヤ板を広げた臨時の厨房(ちゅうぼう)で、私もボランティアの輪に加わった。報道で知り北関東から駆けつけた会社員、父親に付いてきた中学生、かっぽう着と包丁持参で来た主婦……。名も知らぬ者どうしの絶妙な連係プレーで調理が進む。大鍋をかき回し、若い男性が言った。「偽善だと言う人もいた。でも僕は人のためというより、自分がやりたくて来たんです」

 ちょうど14年前の阪神大震災。あの時全国から集まった大勢の若者も、テレビが映すがれきと炎の街を見て「体が動いた」と言っていた。今回の雇用危機は失政による人災だが、あらがえない力が個人の生活をなぎ倒す悲惨さは同じだ。

 なお強い寒波が雇用を襲う。政治の動きが鈍ければ、民がもっと背中を押すしかない。最後のセーフティーネットは、人の思いなのかもしれない。

 派遣村が撤収した5日。「ありがたい気持ちでいっぱい。もう少し頑張ってみます」。50代の男性失業者が力強い言葉を残し、公園から国会へと向かうデモの波に加わっていった。

毎日新聞 2009年1月7日 0時02分

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