ザ掲示板

南京論争

[0]黒玉 08/08/11 01:42 03xTYMt367
賛否両論あるこの事件。
互いに意見をぶつけあう場として、そのスレを立てました。

スレのお願い

○互いに相手の意見を尊重しつつ、論争をしてください。
○大人、社会人の自覚を持って、論争してください。
○現実でどんな地位でも、このスレでは対等な論争者として、発言をお願いします。

[1]黒玉 08/08/11 01:42 03xTYMt367
自分としては、東京裁判の一部の中国政府の発言に疑問点があること、写真の捏造、
証拠とされる手紙をヒトラーに送った中国のドイツ人(名前忘れた)
の裏事情、数枚の手紙の統一性のなさから、中国政府の情報が、
プロパガンダの可能性が高く、10万人近くの虐殺は捏造と考えてます。
[2] 08/08/11 10:46 HgZOvcmvIf
南京虐殺は捏造だと思います。只、捕虜の処刑は組織的に行われ
た。(その時点では捕虜ではない)その事実が南京大虐殺とすり替
えられ推定30万人もの無辜の市民が虐殺されたと作り上げられた。
と考えています。

[3]黒玉 08/08/11 16:57 03xTYMt367
南京事件の証拠品といわれるドイツ人ラーベの手紙。

しかし、このラーベ氏は中国とドイツの間の売買で利益を手にしてきた人物であり、日本との同盟のため、中国軍閥組織への援助を打ち切ろうとしてきたヒトラーに、日本の残虐性をアピールさせる必要があった。

[4] 08/09/01 15:53 XVTAknXrYZ
どのみち一般人は平和だったみたいだということは
当時の動画でよくわかった

[5] 08/09/01 16:18 XVTAknXrYZ
http://jp.youtube.com/watch?v=r-hCB4O49ms
平和だなぁ

http://jp.youtube.com/watch?v=rV66e7xVwt4
安定居住証明書下付の様子。
虐殺する人にそんなもの配らないよねぇ
[6]私はお馬鹿 08/09/15 12:45 *IIaGEYc6AJf*D-armto
当時南京派遣朝日新聞記者団の団長も、そんな事件は聞いた事が無い、南京は平穏で報道はいたって自由で軍の規制など無かったと話してますね。
[7]rs 08/09/16 04:40 5glk8bp40U
別の観点から、

数十万の市民を虐殺したとして、
・その十数万の死体を人知れず運搬するためのトラックとその燃料。
・数十万の死体を、未だに発見されないよう地下深く埋めるための穴を掘る土木機械(帝国陸軍の兵士とて、数十万の死体を埋める大きさの穴を人手では掘れないよね。)
・あるいは死体を焼却して埋めたとするとその燃料。

などなど、、、
当時の帝国陸軍さまにゃぁ、そんなトラックも、土木機械も、余分な燃料の備蓄もありゃあしませんって、、、、、w
[8]ハスドルバル 08/09/16 07:27 *BkDQJvrsXb4*D-sBIFV
ってか、何十万も殺すだけ余力あったのか?
弾は?刀は?
[9]ルルーシュ 08/11/05 23:52 SlBox3p2dN
【グース掲示板で削除された投稿】
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs

>(4)被害については死体の数が上限になるわけですから、この調査以降、外国人らが市民殺害数を5〜6万と推定することはありえないわけです。
>つまり、5〜6万説は調査によって論理的にありえない説ということになるので「5〜6万説は否定」されたということになるんですよ。

 これもK−K氏との議論の繰り返しになりますが、<b>「被害については死体の数が上限になる」という根拠は、スマイス調査には一言も書かれていません。
 このような見解は、資料に基づかない憶測ということになるでしょう。</b>
 学術的に言うならば、既に資料に基づいた説が提示されている以上、「憶測」ではそれを超える説とは言えないわけです。

 学問的なルールをご存じないようですね(笑)。


>(6)調査にあたったベイツは明確にこう言ってます。
>「南京で殺された民間人の数についての我々の最終的な合計は1万2000人です」
>我々というのは国際委員会の外国人を指します。スマイスもこの数字を否定的に扱ったことはありませんので、同様の認識と考えてよいでしょう。

 ベイツは、このスマイス調査「1万2000」の数字の意味づけとして、
「我々が確かに知って居る範囲」のものとしており、
一方で、「其の他市内で多数殺された者があります」と述べています。
 つまり、ベイツが手紙で書いた「我々の最終的な合計」とは「確かに知って居る範囲」ということになります。

東京裁判 ベイツ証言
「スミス」教授及び私は、色々な調査・観察の結果 、我々が確かに知って居る範囲内で、城内で一万二千人の男女及び子供が殺されたことを結論と致します。
(林モニター 男女及び子供を含む非戦闘員)
 其の他市内で多数殺された者がありますが、我々は其の数を調査することは出来ませぬ 。又、市外でも殺された者が相当居ります。今まで申したことは、中国の兵隊であり或は曾て中国の兵隊であったことのある何万人の男の虐殺を全然含まないものであります。


>■1938年3月7日付の日記ですが、その後に戦争被害調査が行われていますので、ウィルソン記述はスマイス調査により否定されることになります。

 ウィルソン日記における「最低10万」とは、中国軍の虐殺数を4万とした場合、市民虐殺数は6万となり、ラーベ「5〜6万」とほぼ一致する見解といえるでしょう。
 つまり、ラーベの言う「我々外国人」の認識を、ウィルソン日記で裏付けているという関係になるわけですね。


>■見積もりの根拠が不明ですし、ラーベの記述とも一致しません。
> スマイス調査を覆す史料とはなり得ません。

 確かにラーベ「5〜6万」とは一致しませんが、この記述が、スマイス調査で示された「1万2000」の意味を如実に物語っていると言えるでしょう。

 スチュワードは、38年12月10日に南京に戻ってきたのですが、そのとき、残留外国人(宣教師仲間)から南京大虐殺の模様を聞いたと考えられます。つまり、スチュワードが書いた数字というのは、そのときの残留外国人の認識だったと考えるべきなのです。

 市民虐殺数について、同時期に、一方で「1万2000」と書き、一方で「2〜3万」と説明する。この矛盾を解き明かすのが、東京裁判でのベイツの証言ということになります。
 ラーベ、ウィルソンは5〜6万と認識し、その他の人物は2〜3万と認識している。

 グース氏が主張する「1万2000」が「上限」だとする資料は、一つも存在しません。したがって、残留外国人がそのような主張をしているというグース説は、<b>「原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。」</b>ということになるでしょう(笑)。


>■東京裁判で30万説が出た後のことですね。

 前ではないでしょうか?
 東京裁判で30万説が出たのは8月の後半だったはずですが?
 何を根拠にこのようなことを仰っているのでしょうか?
 ぜひ、根拠を提示してくださいね(笑)。
[10]ルルーシュ 08/11/06 06:13 SlBox3p2dN
>このKというのが「辛島氏」ですが、証言内容は逃走する捕虜ですよね。
>秦教授の調査でも「多数を並べて斬った」という証言はしておらず、「複数名を並ばせて斬った」という部分のでの一致はありませんね。

 おっと、これは失礼。辛島ではなく、北之園陽徳ですね。
『また北之園陽徳(終戦時は海軍機関学校生徒)は、「(野田は)実際には捕虜を斬ったのだと言い、彼らは綿服を着ているのでなかなか斬れるものではなかった」と付け加えたと記憶する。』
 ここでの「実際はには」とは、百人斬り競争での「実際には」という意味ですので、百人斬りにおける捕虜殺害を証言していることになります。
 これは、志々目回想における、競争の実態としての捕虜惨殺と一致するわけです。


>そんなトンデモ説は認めてませんよ。

 では、志々目回想において、野田が百人斬り競争を行ったと告白していない、というのでしょうか?
 志々目回想には、この点は明確に記述されていますよ(笑)。


>出席者の証言によって、「競争に類する告白は実際にはなかった」と言ってるわけです。

 この主張は北之園証言によって否定されています。


>また、望月氏は講演会に出席していませんから、講演会の内容を裏付けることはできません(笑

 望月氏は講演会に出席していませんが、野田の語った内容を、実際に目撃しているという点で裏付けられるわけです。


>たぶん中学生くらいでも、志々目回想は虚構だと判断できると思いますし、望月氏の記述が創作色が強いことも理解できると思いますけどね。

 たぶん、中学生でも志々目回想、望月回想、その他証言を提示すれば、百人斬りの事実を確認することは難しくないでしょう。


>結局ですね、こういう二つアヤフヤな史料を軸にして、中学生からも「トンデモ」と言われるレベルの説を笠原教授は研究しているわけですよ(笑

 しかし、その「トンデモ」と言われる笠原氏の結論は、秦氏も似たような結論に達しているわけですし、地裁・高裁・最高裁と争われた裁判の判決も同じような結論に達しています。

 これをグループわけするならば、
(A) 笠原、秦、裁判所
(B) グース、東中野
 となるでしょう。
 さて、中学生は、この(A)と(B)のグループのどちらを「トンデモ」と判断するでしょうかね(笑)。

※ヒントとして、夏淑琴裁判の地裁判決文を提示しておきましょう。
「以上述べた2点だけからしても被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない。 」
[11]グース 08/11/07 01:01 l2rKuJfR8P
ルルーシュ さんへ 投稿者:グース 投稿日:2008年11月 6日(木)17時25分56秒    編集済
> これも単なる憶測であることは、スチュワード日記によって証明されているます。
> つまり、残留外国人は、紅卍字会の埋葬総数が約4万であると認識しているにも関わらず、
>スチュワードには死者数を6〜7万と説明しています。これは残留外国人の認識として、
>「占領軍も外国人もしらない死体」が万単位であったことが明らかになっているわけです。
>「スマイス調査に書かれているから正しい」というグース氏の信仰は、資料によって破綻していると思うのですが…(笑)。

外国人らが知らない万単位の死体のことを、外国人であるスチュワードだけが知っていた。
ということなんでしょうか(笑
論理的に矛盾しているといいますか、珍説の部類に入ると思いますよ。


まずですね、スチュワードは南京陥落前に南京を脱出していまして、陥落から約一年後の12月10日に南京に戻ってきた
わけです。その直後、つまり埋葬記録やスマイス調査その他の予備知識がまったくない状態で書かれた日記が
(1938年)12月11日の記述ですね。
>市が日本軍の手に陥ちたときに、全部で六、七万の人々が生命を失ったと見積られている。

さて、この記述がどういう経緯で書かれたかといいますと、12月11日の日記はこのように始まっています。
# This being Sunday, I went to Chiang T'ang Chieh, on foot (3miles).
固有名詞がよくわかりませんけど、日曜日に「陳さん」の家を訪れたわけです。
そこでワンさんという中国人の牧師さんがいて、ミサを行ったようなんですが出席者の詳細はよくわかりません。
# The Sones, Miss Brethorst, Mrs Wang and Yieh Sze Mu and Mr Yuan asked about Celia and the family.
とありますから、外国人らも何人かはいたようです。ただ、ベイツやスマイスの名前は見えません。
つまり、六〜七万という「見積もり・推測」は、おそらく中国人のものであろうと、考えられるわけです。
[12]グース 08/11/07 01:02 l2rKuJfR8P
で、12月21日の記述ですが、
戦争の被害については、スマイス調査を参照してくださいという意味の記述がありまして
# (See "War Damage in the Nanking Area" by Lewis S. C. Smythe,published by the Nanking International Famine Relief Committee, June 1938).
その後に以下の記述が続きます。
----------------------------
I learn that disposal of the bodies of the scores of thousands of people who were murdered in Nanking last winter was not carried out by the army which did the killing. It was done over a period of 5-6 months by workers of a Buddhist organization, the Red Swastika Society, Their efforts are held in very high regard locally, far above those of the Chinese Red Cross, I should say.
They are supposed to have buried about 40,000 bodies from the streets of Nanking during the first half of 1938.
"Eyewitnesses To Massacre" P322
----------------------------
ざっくり意訳しますと
『私は、去年の冬に南京で殺害された何千人という単位の死体は、日本軍によって埋葬されなかったことを学びます。
埋葬は5-6カ月の期間にわたり、仏教徒の組織である「紅卍会」の労働者によって行われました。彼らの努力は中国赤十字の
それを上回ると言わなければなりません。彼らは1938年の前半に南京の路上からおよそ4万の死体を埋葬しました』


翌年8月9日の日記にはこのような記述がありまして
--------------------------------
I have just finished reading Timperley's "What War Means" (Gollancz, 1938).
It gives most of the material we saw in letters from our friends who remained in Nanking at the time of the Japanese occupation, and much more that I had not seen. Bates regards it as the best statement of what happened, and I value his opinion most highly.About half the book of 288 pages is filled with copies of the authenticating documents.
"Eyewitnesses To Massacre" P328
---------------------------------
『私はちょうどティンパリーの 「戦争とは何か」( Gollancz 、1938)を読み終えたところです。
288ページの半分以上が陥落時の南京に残留した我々の友人たちからの信頼できる手紙で構成されています。
それは日本軍の占領下において私が知らなかった多くの出来事を伝えていました。南京で何が起こったのかについて、
ベーツはこの書簡集がもっともよく実態を表しているといいます。わたしもベイツの意見を高く評価します。』


とまあ、訳の細かい部分はアレなんですが、エキサイト和訳あたりに放り込んでも大体わかると思います。
いずれにしても、スチュワードが特別な情報源をもっていないことは証明されてますよね。
スチュワードもスマイス調査に準拠して考えているのは確実なので、外国人らは死体の総数を約4万と考えていたということで
間違いないですよ。


>これは残留外国人の認識として、「占領軍も外国人もしらない死体」が万単位であったことが明らかになっているわけです。
なってないでしょ?(笑
[13]グース 08/11/07 01:02 l2rKuJfR8P
歴史学的検証(12) 投稿者:グース 投稿日:2008年11月 6日(木)23時28分41秒
> ここで注目すべきなのは、埋葬活動について紅卍字会は「中国紅十字会をも遥かに凌いでいる」と
>述べている点です。つまり、埋葬活動については、紅卍字会以外の埋葬団体(紅十字会)が存在する
>ことを示しているわけです。これは、当然、スチュワード独自の情報というよりは、当時、南京に居た
>人々(中国人、欧米人共に)の認識だったということでしょう。

残念ながらこの読み方は無理ですね。
# They are supposed to have buried about 40,000 bodies from the streets of Nanking during the first half of 1938.
明確に埋葬数は4万であると書いてあるわけですから、4万+αを示唆したという読み方はできません。
文脈としては、引用文のあとに、死体が腐っていてすごく大変だったという意味の記述につながっていますので
紅卍会による埋葬活動は中国赤十字の救援活動よりも偉大であったという意味になります。


この点については、ほぼ同時期1938年11月のベイツの記述がありますの間違いありません。
--------------------------
 南京で殺された民間人の数についての我々の最終的な合計は1万2000人です。その内9割は当時市内にいて、
戦闘行為とは 無関係に殺された、多くの婦人や子供、老人が含まれています。 この数字は、当時の南京市内で、
4家族に一人の割合で殺されたこと を意味します。調査に際しては、報復を恐れての若干の非協力や隠蔽もありましたが 、
その結果、5家族につき一人が殺されたか、負傷したか、あるいは 拉致されて戻ってこないことが、わかりました。
 武装解除された中国兵捕虜3万以上が、無慈悲にも虐殺されました。
--------------------------
調査にあるとおり、死体の総数を約4万として最終的な結論としています。

日記にあるように、スチュワードは予備知識がない状態でスマイス調査を元に「学んだ」わけですから、
ベイツやスマイスらの認識を大きく離れることはありえません。
そのことは引用文にも出てますよね。
# (See "War Damage in the Nanking Area" by Lewis S. C. Smythe,published by the Nanking International Famine Relief Committee, June 1938).
スチュワードは、スマイスの「戦争被害調査」参照と明記してありますし、ベイツの認識についても「高く評価」しているわけですね。

また、死体の総数が約4万であることは日本側の記録とも一致します。
これで歴史学的には決着になりますが(笑


K-K説は、外国人の共通認識として死体の数は8〜9万というものなのでまったお話になりません。
[14]グース 08/11/07 01:04 l2rKuJfR8P
歴史学的検証(13) 投稿者:グース 投稿日:2008年11月 7日(金)00時19分14秒
ちょっと長くなりますが、後半部分です。
-----------------------
I learn that disposal of the bodies of the scores of thousands of people who were murdered in Nanking last winter was not carried out by the army which did the killing. It was done over a period of 5-6 months by workers of a Buddhist organization, the Red Swastika Society, Their efforts are held in very high regard locally, far above those of the Chinese Red Cross, I should say.They are supposed to have buried about 40,000 bodies from the streets of Nanking during the first half of 1938. Much of the work was done after the bodies had reached such a state of decay that they could not be handled directly, but were rolled onto straw mats in which they were wrapped and piled on trucks three or four deep. The stench was such that it was very difficult to get men to work on the trucks. It is reported to have been a common sight during those months to have the dogs scatter from some partly consumed carcass as people passed along the streets.
"Eyewitnesses To Massacre" P322
-----------------------
ざっくりとした意訳です。
『私は、去年の冬に南京で殺害された何千人という単位の死体は、日本軍によって埋葬されなかったことを学びました。
埋葬は5-6カ月の期間にわたり、仏教徒の組織である「紅卍会」の労働者によって行われました。
彼らの努力は中国赤十字のそれを上回ると言わなければなりません。
彼らは1938年の前半に南京の路上からおよそ40000の死体を埋葬しました
死体はかなり腐敗しており、直接ふれる(持ち運ぶ)ことができないほどでした。それらの死体は藁のマットに包まれトラックに
三層にも四層にも積み上げられ埋葬作業は行われたのです。死体は発する悪臭は、作業員がトラックに乗り込むことを
ためらわせたほどでした。埋葬が終わるまでの数ヶ月の間、犬に食いちぎられた死体を見ることは珍しいことではありませんでした。』

文脈をみれば、赤十字より紅卍会の埋葬数が多かったと言う意味ではなく、紅卍会が非常に過酷な埋葬作業を行ったことを
賞賛するという意味であることがわかると思います。
さらに、ベイツらは赤十字とも協力して活動しています。

----------------------------------
『南京事件資料集』 アメリカ関係資料編P174
「南京における救済状況」 1938年2月14 (ベイツ)
 当初から委員会は、中国赤十字社の地方組織と大きな無料食堂の運営において、素晴らしい協力を行ってきた。そして紅卍字会とは二つの大きな無料食堂の活動と死体埋葬活動において、協力を行ってきた。この後者の役目は簡単なものではなかった。彼らが一日に200体埋葬しても、まだ、埋葬すべき3万体があることがわかっている(ほとんどが下関)
----------------------------------
このように、赤十字はおもに給食活動をしていたわけですね。

[15]グース 08/11/07 01:05 l2rKuJfR8P



まとめますと
(1)1938年12月11日(陥落から一年後)スチュワードは事件に関する予備知識のない状態で南京にもどってきた。
中国人の家庭でのミサの最中に、中国人を情報源として、死体の数を「軍人4万、市民2〜3万=6〜7万」と
聞いたとおり日記に記述した。(外国人らは軍人3万と考えているので、4万というのは中国人の情報の可能性が高い)
(2)12月21日になって、スマイス調査をもとに埋葬数(死体の総数)が約4万であることを学んだ。
(3)スチュワードは、埋葬数を約4万として「スマイス調査」や「戦争とは何か」を適切なものとして扱っている。
(4)補強史料として、1938年11月のベイツ書簡は、埋葬数を約4万(軍3万、民1.2万)とし最終的な結論としている。
(5)埋葬に関してスチュワードに特殊な情報源はない。

■(結論)スチュワードの認識は埋葬数約4万であり
 「紅卍会埋葬4万+赤十字埋葬2〜3万」と読み解くのは間違いとなります。
[16]グース 08/11/07 01:14 l2rKuJfR8P
うちの掲示板では、低レベルの反論も一応受け付けて解説もしますけども、何度も学術議論に値しない
主張を、何度も繰り返す場合には削除対象となっております。
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs


削除の連絡です 投稿者:グース 投稿日:2008年10月23日(木)22時28分46秒
ルルーシュさんへ、

反論される場合は、きちんと内容を把握してからにしてください(笑

前回のわたくしの投稿ですけど
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs/2055

志々目回想記が他の史料と一致するのは「(数は別として)捕虜を切った」という部分だけです。
同じ講演会に出席した他の証言では、戦闘行為も含めて「競争」について聞いた方はおりません。
よって百人斬りに関していうと、志々目回想記はその他複数の出席者の証言と整合性がないので
「史料価値はない」というのが客観的な結論になります。

意図的にわたくしの論旨をねじ曲げて、それをいじくりまわすような投稿は削除させていただきますので、
よろしくお願いします。
[17]グース 08/11/07 01:14 l2rKuJfR8P
歴史学的検証(8) 投稿者:グース 投稿日:2008年10月22日(水)06時03分11秒
> 3に関しては、望月回想によって裏づけられる部分があり、また、多少のブレはあるものの、
>辛島証言で裏づけられていると言えるでしょう。
そうなんですか。
これは困りましたね(笑
講演会の内容について望月史料は関係ありませんので、講演会に関する資料を並べて見ますね。

■志々目回想の内容になります。
(A)戦闘で斬ったのは四〜五人。
(B)残りは戦闘終了後並ばせて斬った。
(C)二人で競争したのだが、「あとで何ともないかとよく聞かれるが、私は何ともない」

○辛島証言(秦教授による調査)
明瞭に記憶していたのは辛島勝一(終戦時は海軍兵学校75期生徒)で、野田中尉が腰から刀を抜いて
据えもの斬りをする恰好を見せてくれたのが印象的だったと語ってくれた。

◎高裁判決(抜粋)
「そもそも,志々目彰が野田少尉の話を聞いたというのが小学生時であり,その後月刊誌にその話を掲載したのが30余年を
経過した時点であることに照らすと,果たしてその記憶が正確なのか問題がないわけではない」
「志々目彰と同じ小学校で野田少尉の話を聞いたとするBは,百人斬ったという話や捕虜を斬ったという話を聞いた
ことがない旨陳述しており」
「志々目彰の著述内容を弾劾する陳述内容の書証が複数提出されているところである」。
「百人という多人数ではないが,逃走する捕虜をみせしめ処罰のために斬殺したという話を聞いた旨述べていることも認められ」
「当時,野田少尉が,志々目彰やAの在校する小学校において,捕虜を斬ったという話をしたという限度においては,両名の
記憶が一致しているといえる」

当時ですね、野田氏の講演を聴いた方は複数存在したわけですね。
その中で、上記A〜Cについて肯定している方はおりません。
0人です。
否定意見も多数あります。
これは誰がどう見ても、志々目氏の「捏造」もしくは「勘違い」であろうと判断すると思いますよ(笑
学術云々以前の問題です。

「逃げる捕虜を斬った」という話については聞いた方がおりますので、おそらくそういう話はあったのでしょう。
前回説明したように、「綿服を着ていると斬りにかった(北園証言)」というのも、相手が立っていて、かつ動ける状態での話しに
なりますから、「据えもの斬り競争」はなかった。
という結論になるでしょう。
これでほぼすべての史料が一致するわけですから、歴史学的には結論がついているんです。


おまけ。
>「占領した敵の塹壕にむかって『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらへやってくる。
>それを並ばせておいて片っぱしから斬る…」
>ということです。
>これを「斬首」だけだったと読むのは、まったく恣意的な史料解釈ですね。

ですから、そういう「お話」は最初からなかったんですよ。
志々目氏の「捏造」なのか「勘違い」なのかはわかりませんが、講演会の現場にいた誰もそういう話を聞いていない
わけですから(笑
当事者への聞き取りについても、裁判史料を集める為の調査と、秦氏の調査と二回行われています。
近現代史における調査としては十分なものなので、志々目回想に言われるような競争は「なかった」という結論を出す
以外にないんですよ。
[18]ルルーシュ 08/11/07 14:27 eon2kEi03e
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs?BD=15&CH=5
グース説の根拠はない 投稿者:ルルーシュ 投稿日:2008年11月 7日(金)14時26分5秒
>×ラーベ「(死体総数)8〜9万 民間人5〜6万」
>×ウィルソン「(死体総数)10万」
>この二つは埋葬も終わっていない、スマイスの戦争被害調査の結果も出る前の数字になります。
>埋葬が終わらない段階の推計は、埋葬数が判明すれば認識が変わるわけですから、この二つの
>史料は「共通認識」とはなりえません、

 38年2月14日にベイツの書いた「南京における救済状況」では、紅卍字会の埋葬予定として3万体あるとしておい、3月4日にローゼンの書いたドイツ外務省宛て報告書でも紅卍字会が埋葬する屍体として3万体と書いています。つまり、埋葬が完全に終了しないとしても、紅卍字会が担当している埋葬数についてはほぼ予測がついていたわけです。

 「埋葬が終わらない段階の推計」であっても、紅卍字会の埋葬数と死体総数推計は一致していませんので、埋葬が終わった時点においても、埋葬数と死体総数推計との不一致は当然あったと考えられます。

 この不一致における埋葬処理は、スチュワード日記に示された紅十字会などの埋葬を想定していたと考えるべきでしょう。また、東京裁判のベイツ証言でも、紅卍字会以上の市民虐殺数について言及していますので、これの状況を裏付けることになります。


>以上のように、占領軍である日本側の記録とも4万と言う数字はほぼ一致しますので、歴史学的にはこの死体総数4万という数字が、外国人たちの認識であると考えて問題ありません。

 最終的に論点が振り出しに戻るわけですが、グース氏が挙げているスマイス、ベイツ、ボートリン、スチュワードの記述した紅卍字会の埋葬数を、彼らが「虐殺総数」と認識していたのか?ということです。

 K−K氏との議論でも、この点、グース氏は一言も答えることが出来なかったのでしょう。


 上述のとおり、挙げられた数字の意味が「死体総数」なのか、「紅卍字会の埋葬数」なのか、という観点において、
○私やK−K氏が述べている見解は、東京裁判ベイツ証言を始め、ウィルソン、スチュワード日記など資料による裏づけがなされていおり、
×グース氏の見解には、根拠となる資料が存在しません。
 歴史学的に見ると、グース氏の所論は学問研究に値しないと言っても過言ではないでしょう。
[19]グース 08/11/07 22:40 AZ/KNFDHqb
歴史学的検証(15) 投稿者:グース 投稿日:2008年11月 7日(金)02時03分18秒    編集済
>残留外国人側の認識を列挙すると、
>ラーベ「(市民虐殺数)5〜6万」、
>ウィルソン「(死者総数)10万」、
>スチュワード「(死者総数)6〜7万」
>ベイツ「(市民虐殺数)1.2万以上」
>であり、「死体の総数が約4万」と一致する部分はあまりないようです。
>歴史学的にいうならば、「1.2万」という数字の意味づけは東京裁判ベイツ証言でなされている以上、これを
>そのまま残留外国人の認識とすることは出来ません。

いかさまですね(笑
まずそれぞれの記載日をはっきりする必要がありますね。
×ラーベ「(死体総数)8〜9万 民間人5〜6万」
×ウィルソン「(死体総数)10万」
この二つは埋葬も終わっていない、スマイスの戦争被害調査の結果も出る前の数字になります。
埋葬が終わらない段階の推計は、埋葬数が判明すれば認識が変わるわけですから、この二つの
史料は「共通認識」とはなりえません、

埋葬終了、戦争被害調査後は
○スマイス「総数約4万 民間人1.2万」(統計調査、埋葬記録から)
○ベイツ「総数4万 民間人1.2万」(我々外国人の最終結論として)
○ミニーボートリン「4万1382体、民間人約1万」(4月15日までの埋葬団体報告として)
×スチュワード※「死体総数5〜6万 民間人2〜3万」※中国人の見積もり
○スチュワード「死体総数4万、民間人1.2万」※スマイス調査を知った後

日本側史料
△特務機関報告、3月15日までの暫定「総数計31.791体」
△『大阪朝日新聞』 4月16日付け 「埋葬途中として、総数3万2104体」
http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page002.html

東京裁判
○ベイツ 「約4万(民間12000)」※スマイス調査として。
     それを超える数については「調査不能」として、当時は認識していなかった。
>其の他市内で多数殺された者がありますが、我々は其の数を調査することは出来ませぬ


以上のように、占領軍である日本側の記録とも4万と言う数字はほぼ一致しますので、歴史学的には
この死体総数4万という数字が、外国人たちの認識であると考えて問題ありません。

仮にですけどルルーシュ説のように、中国赤十字の埋葬が漏れていたと知っていたなら調査は可能
だったわけです。国際委員会と中国赤十字とは協力関係にありましたから、それを見落とすことは
考えられません。漏れていることを知っていれば、ベイツも「最終的な結論」とは記述しないでしょう。


これでほぼ史料も出揃ったと思いますので、同じような論点を繰り返すのであれば削除対象になります。
トンデモ説の公開は、ご自分のサイトで思う存分やってください。

[20]グース 08/11/07 22:42 AZ/KNFDHqb
歴史学的検証(15) 投稿者:グース 投稿日:2008年11月 7日(金)20時19分18秒
>この不一致における埋葬処理は、スチュワード日記に示された紅十字会などの埋葬を想定していたと考えるべきでしょう

ルルージュ説というのは、
【確認1】
紅卍会埋葬数約4万+中国赤十字の埋葬(その他)=死体総数6万〜7万。

【確認2】
それが外国人らの共通認識である。

ということでよろしいのでしょうか?
ご自身の見解ですので、YESかNOで答えられると思います。
よろしく(笑


>最終的に論点が振り出しに戻るわけですが、グース氏が挙げているスマイス、ベイツ、
>ボートリン、スチュワードの記述した紅卍字会の埋葬数を、彼らが「虐殺総数」と認識していたのか?
>ということです。
死体の総数ということであれば「YES」です。
ベイツは明確に、「我々外国人の最終的な結論」としています。
その他の外国人もこの結論を覆すような記述はしておりません(調査結果を覆す根拠がない)。
否定的な記述がない以上は、肯定的に扱ったと考えるのが学問のルールになります。
ちなみにスチュワードの6〜7万は、南京に来た翌日に中国人から聞いた話を日記に書いただけで、その後は
スマイス調査を「学んだ」ということなので、約4万という数字を妥当と考えたことになります。


ついでに東京裁判でのベイツ証言ですが
------------------------------
「スミス」教授及び私は、色々な調査・観察の結果 、我々が確かに知って居る範囲内で、城内で一万二千人の男女及び子供が殺されたことを結論と致します。
(東京裁判になって)其の他市内で多数殺された者が(あったことを知りました)が、(当時)我々は其の数を調査する
ことは出来ませ(んでした)。
------------------------------
という風に解釈するとわかりやすいと思いますよ。
1938年当時、ベイツ自身はこのように述べていますから。


-------------------------------
南京事件資料集 アメリカ関係資料編より
154B アメリカのキリスト者へのベイツの回状
1938年11月29日

南京で殺された民間人の数についての我々の最終的な合計は
1万2000人です。その内9割は当時市内にいて、戦闘行為とは 無関係に殺された、多くの婦人や子供、老人が含まれています。 この数字は、当時の南京市内で、4家族に一人の割合で殺されたこと を意味します。
我々には居住家族を調査した特別な報告があります。
調査に際しては、報復を恐れての若干の非協力や隠蔽もありましたが 、その結果、5家族につき一人が殺されたか、負傷したか、あるいは 拉致されて戻ってこないことが、わかりました。
武装解除された中国兵捕虜3万以上が、無慈悲にも虐殺されました。
---------------------------------
以上のように、4家族に1人の割合で殺害など細かい数字をあげていますので、当時は民間人12000
というのが妥当と考えていたことになります。
これ以上の被害が想定されるのであれば、最終的な結論とはなりえませんし、細かい数字をあげて検証
することもないでしょう。
[21]グース 08/11/07 22:43 AZ/KNFDHqb
お答えがないようですが? 投稿者:グース 投稿日:2008年11月 7日(金)22時35分27秒
>【確認1】
>紅卍会埋葬数約4万+中国赤十字の埋葬(その他)=死体総数6万〜7万。
> No。

>【確認2】
>それが外国人らの共通認識である。
> No。

では、ルールシュ説というのは、どういう説なのか具体的に説明してください(笑
他人に説明できないような説ではお話にもなりませんよ。


【確認3】
死体の数についての外国人の「共通認識」はどれくらいでしょうか?

【確認4】
外国人らが認識していた埋葬団体は紅卍会の他にはどの団体でしょう?


ルルーシュさんの「史料解釈」が成立しないことはすでに解説済みです。
スルーシュさんが個人的に「そう思う」のはご自由ですが、トンデモ解釈に同意する人は少ないと思います。
[22]摩耶 08/11/08 07:26 *0yj6vrUsA.G*dRXjnw6tap
>埋葬数

幕府山事件に代表されるように、虐殺時の死体については、焼いた上で揚子江に流して処理するという方法も取られていた。

このような形で処理された大量の死体(焼かれた損壊死体)が、その後すべて川から回収され、改めて埋葬されるなどということは不可能。

もちろん、焼かれなくても、やはり銃殺等で殺害の後揚子江のような大河に流された死体がすべて回収され、改めて埋葬されたなどとと云うことは不可能。

従って、記録として残っている埋葬数だけいくら取り上げても、虐殺数の上限はもちろん、虐殺全体数の考察にもなりません。
そのような史的解釈は通用しません。

[23] 08/11/10 03:41 ZidaVyg1Km
http://jp.youtube.com/watch?v=r-hCB4O49ms
平和だなぁ

http://jp.youtube.com/watch?v=rV66e7xVwt4
安定居住証明書下付の様子。
虐殺する人にそんなもの配らないよねぇ
[24]ルルーシュ 08/11/11 22:13 eon2kEi03e
こちらは、ほぼ決着でしょうか? 投稿者:ルルーシュ 投稿日:2008年11月11日(火)10時22分35秒    編集済
>相変わらずトンデモ解釈全開なんですが、
>「書いていないことは真である」という論理が成立しないことはなんども説明しています。

 つまり、スマイス報告の中に、「12,000」が、一般文民の殺害総数であると認識していることを示す文言は存在しないことをお認めになるのですね。


>スマイス調査においては12000が「過小」であると論じた部分はありませんし、論理的にも12000では少ないと考える根拠がありません。

 東京裁判ベイツ証言で、『スマイス調査においては12000が「過小」である』『論理的にも12000では少ない』ことが明言されていますね。


>12000という数値を適正なものとして、各種分析を行っていますので、当時の認識として12000だったことは動かしようがないことなんですよ。

 「各種分析」ですか?
 スマイス(HN)さんは、その数字を非科学的な数字であると論じているようですよ。
 私も、そう思いますね。


>被害者数を知る方法は
>(1)死体の数を調べる
>(2)住民の調査をする。
>この二つしかないんですよ。
>埋葬数=死体の数が約4万ということになれば、認識としては死体総数約4万(内市民12000)を超える認識はもちえないわけです。

 現実には、あなたが挙げた(1)(2)が無くとも、ラーベは5〜6万(市民)、ウィルソンは10万(軍民)、スチュワードは6〜7万(軍民)と認識していますよ。
 グースさんの論理は現実と離れているようですね。


>別の埋葬があることがわかれば、それは調査対象になりますし、調査不可能な埋葬があることを知っていれば、それは報告の中で注釈として入れなければなりませんが、そういう部分はない。

 調査として不完全なものである以上、どの様な数値を入れることも同じ意味なのです。
 その中で、根拠の明示できる数値を参考として注釈するのは、妥当なことです。


>現場に死体が4体しかなれば、とりあえず被害数は4人となるわけですよ。
>被害者が7人であるあるいは10人であると「認識」する為には、何らかの根拠が必要になります。

 実際に目撃した死体が4体であったとしても、他の目撃情報や、実際に目撃しないまでも、死者が出たであろう状況を把握すれば、被害者を4名とすることは出来ません。
 当たり前のことですね。


>東京裁判の時点で、さらに被害者が多かったという情報を提示されましたが
># 『その他市内で多数殺されたものがありますが、我々はその数を調査する事はできませぬ』
>と当時は「認識できなかった」ことが明示されています。

 これは、英文速記録で明らかになっています。

There were many others killed within the city outside our knowledge whose numbers we have no way of checking, and also there were large numbers killed immediately outside the city, of civilians.

 「我々の認識の範囲外」とは、「我々が知りえた確実な認識」であり、その実数として「12,000」です。
 つまり、「12,000」以外(我々の認識の範囲外)でも、たくさんの人が市内で殺害されたことを認識していた(There were〜)、ただし市内で殺害された「12,000」以外の死者数を調査することは出来なかった、とベイツは証言しているわけです。
 したがって、ベイツが言っているのは、「12,000」以外は認識していたが、調査できなかったということになります。「認識できなかった」わけではありません。

 しかも続けて「(その上)市の外で殺害された市民も数多くいました。」とも証言しています。こちらでも「there were 〜」と、当時の状況の証言となっています。

 当たり前のことですが、ベイツが求められているのは当時の南京の状況であり、ベイツは当時の状況を答えているのですから、ここで東京裁判時点での認識を話しても意味がありません。
 ですから、先日、グース氏が証言に付け足しをしたり歪曲をしたりすることを、「捏造」だと言ったのですよ。
[25]ルルーシュ 08/11/11 22:14 eon2kEi03e
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs
横レス:調査票 投稿者:ルルーシュ 投稿日:2008年11月11日(火)10時26分59秒
【グースHP記述】
>このように調査の段階では「事故」「戦争」という区分だった死亡原因が、集計の段階では「軍事行動」と「日本兵の暴行」という原因に見事に摩り替わってしまったのである。

 調査票の注釈が、最初から書かれていたものなのか、後から書かれたものなのかは、ハッキリとはしませんが、
 調査責任者のスマイスが、注釈として
『※「事故」というのは軍事行動の結果を記録する略語として、「戦争」というのは軍事行動以外の日本兵の暴行を指す略語として使われた。』
 と、書いているということは、この趣旨で調査が行われたことを意味しているわけです。

 であるならば、「見事に摩り替わってしまったのである」などという主張は、まったく史料を無視した見解ですね。
[26]ルルーシュ 08/11/11 22:17 eon2kEi03e
機関銃さん、グースさん 投稿者:ルルーシュ 投稿日:2008年11月11日(火)20時20分18秒<省略>
>この二つの調査を行った結果出てきた数字によって、根拠のないラーベやウィルソンの「推測」は否定されることになります。

 既に明らかにしたとおり、スチュワードの認識では軍民合わせて「6〜7万」であり、さらに紅十字会の埋葬活動をも言及していますので、グースさんの見解は否定されていますね。
 また、東京裁判ベイツ証言も指摘済みです。


>それは死体が移動されたという前提ですよね?
>万単位の死体が移動されるということは、まず考えられませんし、スマイスらもその点に言及してはいません。
>死体の数が4体で、死体が移動されたという「根拠」がなければ、被害者数は4人と
考えることになります。

 ぜんぜん、理解できていないようですね(笑)。
 死体4体を目撃し、それ以外の死体の存在が想像でき、かつ、死体が既に処理されてしまっている場合、死体は4体と言うことは出来ません。
 スチュワード日記でも紅十字会の埋葬について言及しており、紅卍字会以外の埋葬も認識していたようですので、死体が約4万ということは出来ません。

再編集が途切れてしまいました 投稿者:ルルーシュ 投稿日:2008年11月11日(火)22時02分40秒
>ベイツ自身は戦争被害調査について「最善を尽くした」と言っています。実際に住民調査も行い、埋葬数のチェックも行った。その他の観察なども含めた(当時の)「最終的な結論が12000」です。

 ループしていますよ(笑)。

 すでに明らかにしたとおり、東京裁判ベイツ証言で、当時の認識として「many others killed within the city outside」だったのであり、当時、ベイツやスマイスが示していた「12,000」という市民被害者数は「sure knowledge」であり、その他に「outside our knowledge」があったということです。

 グース氏が主張しているのは、単に、当時に「12,000」という記述があったということを述べているに過ぎません。。
 一方、私が見解は、その「12,000」という被害者数が、どういう性格のものかということを、史料による裏づけで論証しています。

 このように学術的には、グース氏の主張は、すでに破綻しているわけですね。
[27]グース 08/11/11 23:08 AZ/KNFDHqb
ルルーシュさんへ 投稿者:グース 投稿日:2008年11月11日(火)19時26分7秒    編集済
>現実には、あなたが挙げた(1)(2)が無くとも、ラーベは5〜6万(市民)、
>ウィルソンは10万(軍民)、スチュワードは6〜7万(軍民)と認識していますよ。
>グースさんの論理は現実と離れているようですね。
もちろんどんな状態でも「推測」は可能ですよ。
ただし、ある程度正確に被害者数を知為には
(1)死体の数を調べる
(2)住民の調査をする。
この二つしかありません。
この二つの調査を行った結果出てきた数字によって、根拠のないラーベやウィルソンの「推測」は否定されることになります。


>実際に目撃した死体が4体であったとしても、他の目撃情報や、実際に目撃しないまでも、
>死者が出たであろう状況を把握すれば、被害者を4名とすることは出来ません。
>当たり前のことですね。
それは死体が移動されたという前提ですよね?
万単位の死体が移動されるということは、まず考えられませんし、スマイスらもその点に言及してはいません。
死体の数が4体で、死体が移動されたという「根拠」がなければ、被害者数は4人と
考えることになります。


>つまり、「12,000」以外(我々の認識の範囲外)でも、たくさんの人が市内で殺害されたことを認識して
>いた(There were〜)、ただし市内で殺害された「12,000」以外の死者数を調査することは
>出来なかった、とベイツは証言しているわけです。
>したがって、ベイツが言っているのは、「12,000」以外は認識していたが、調査できなかったということ
>になります。「認識できなかった」わけではありません。
間違いです(笑
そういう解釈がありえないことははっきりしています。
ベイツ自身は戦争被害調査について「最善を尽くした」と言っています。実際に住民調査も行い、埋葬数のチェック
も行った。その他の観察なども含めた(当時の)「最終的な結論が12000」です。
この結論は東京裁判時点でも変わっていません。

論理的に(1)住民調査(2)埋葬数チェック以外の方法で万単位の殺害を認識することはできませんで、
調査以前に5万とか10万という「推測」があったとしても、それは死体が存在しないことによって、否定されることになります。

簡単な理屈でしょ?
小学生でもわかるんじゃないでしょうか(笑
[28]ルルーシュ 08/11/11 23:35 eon2kEi03e
http://8411.teacup.com/minzokuisyou/bbs
歴史学を騙るなかれ 投稿者:ルルーシュ 投稿日:2008年11月11日(火)23時34分19秒
>6〜7万(軍人4万説)は中国人の見積もりをそのまま書いただけです。

 いいえ、違いますね。同記述には、フィッチに関する記述があるので、これは中国軍将校の情報ではないでしょう。つまり、あの記述は、中国軍将校からの情報と共に、残留外国人の情報を含まれていたと考えるのが妥当でしょう。
 その上で、紅十字会の埋葬についても認識を示していることから考えて、軍民合わせて「6〜7万」という認識は不自然ではありません。

 逆に、紅十字会の埋葬を認識しつつ、紅卍字会の埋葬数だけが、被害者総数だと認識することは不自然なものになります。


>仮にですが、以下のスチュワードの記述を「中国赤十字の埋葬を外国人らが知っていた」解釈しましょう。

 というか、紅十字会より紅卍字会の方が、埋葬活動が「上回る」と明記しています。
 この時点でグース説は破綻しているのですが(笑)。


>すると外国人たちは、赤十字の埋葬活動や規模を知っていた(少なくとも紅卍会よりは埋葬が少ないと知っていた)
>ことになりますよね?

 なりませんね。
 紅十字会から情報の提供を受けていなければ、残留外国人たちが、知ることは出来ないでしょう。
 当たり前のことですね。


>以上、どこからどう突っ込んでもルルーシュ説が成り立つ余地はありませんが、どうしても4万以上の埋葬を外国人らが知っていたと主張したいなら、ベイツやスマイスが4万以上の認識を示した史料が必要となります。

 これは、まったく反論になっていませんね(笑)。

 引用されているベイツ証言では、当時の認識として「many others killed within the city outside(たくさんの人が市内で殺害された)」だったのであり、当時、ベイツやスマイスが示していた「12,000」という市民被害者数は「our own sure knowledge(我々が知りえた確実な認識)」であり、その他に「outside our knowledge(我々の認識の範囲外)」があったということです。

 つまり、ベイツ証言によって、当時の認識として、「12,000」以上の認識を持っていたことが証明されるわけですね。

東京裁判ベイツ証言
Professor Smythe and I concluded, as a result of our investigations and observations and checking of burials, that twelve thousand civilians, men, women and children, were killed inside the walls within our own sure knowledge.
There were many others killed within the city outside our knowledge whose numbers we have no way of checking,and also there were large numbers killed immediately outside the city, of civilians.


>そこで以下の点について確認いたします。

 先に、あなたが答えるべきではないですか?
------------------------
【K-K氏による確認 1】
>>スマイスは、調査結果としての市民死亡数が、
>>実態を表していないと認識していた。
>調査結果による2400〜6600は少ないと感じたようです。
>そこで、埋葬記録からの推計として12000人と数字を紹介
>しています。逆に言えば調査時の誤差を考慮しても、
>12000人程度に収まるということでしょう。

申し訳ないのですが、「逆に言えば調査時の誤差を考慮しても、12000人程度に収まる」ことを示す文言を提示して戴けませんか?私にはその様な文言は無いように思えます。ここで私が提出した疑問点は、スマイス調査結果がどの様な内容なのかということであり、あなたの推測を訊いているのではありません。
とりあえず、疑問点に忠実にお答えください。
------------------------

 ないのでしょう(笑)。
[29]グース 08/11/13 12:58 AZ/KNFDHqb
歴史学的検証(18) 投稿者:グース 投稿日:2008年11月11日(火)23時01分2秒
>既に明らかにしたとおり、スチュワードの認識では軍民合わせて「6〜7万」であり、
>さらに紅十字会の埋葬活動をも言及していますので、グースさんの見解は否定されていますね。
>また、東京裁判ベイツ証言も指摘済みです。

6〜7万(軍人4万説)は中国人の見積もりをそのまま書いただけです。
その後にスマイス調査によって被害規模を「学んだ」ということですので、スチュワードの最終的な認識は
埋葬記録を下にした軍民約4万になります。※下記参照

ルルーシュ説は「紅卍会埋葬+赤十字埋葬=6〜7万」が外国人の認識であるということなんですが、6〜7万というのは
「軍人4万+α」ということなので、実は中国人の認識なわけです。
「中国人の認識6〜7万」と「外国人の認識4万」とを比較して、その差は中国赤十字の埋葬であると読み解くことはできません。

仮にですが、以下のスチュワードの記述を「中国赤十字の埋葬を外国人らが知っていた」解釈しましょう。
すると外国人たちは、赤十字の埋葬活動や規模を知っていた(少なくとも紅卍会よりは埋葬が少ないと知っていた)
ことになりますよね?
すると調査は可能だったことになりますので、東京裁判のベイツ証言(調査できなかった)とは矛盾することになります。
また、埋葬規模が4万を大きく超えることを知っていれば、軍3万、民1.2万を最終結論とすることはないでしょう。


---------------------------------
ベイツ書簡 1938年11月29日
 南京で殺された民間人の数についてのわれわれの最終的な合計は、 1万2000人です。そのうち9割は当時市内にいて
戦闘行為とは無関係に殺された、多くの婦人や子供、老人が含まれています。
この数字は当時の南京市内で、4家族に一人の割合で殺されたことを意味します。
 われわれには居住家族を調査した特別な報告があります。調査に際しては、報復を恐れての若干の非協力や隠蔽も
ありましたが、その結果5家族につき一人が殺されたか、負傷したか、あるいは拉致されて戻ってこないことがわかりました。
武装解除された中国兵捕虜3万人以上が、無慈悲にも虐殺されました」
---------------------------------
---------------------------------
スチュワード日記、1938年12月21日(陥落から約一年後)
『私は、去年の冬に南京で殺害された何千人という単位の死体は、日本軍によって埋葬されなかったことを学びました。
埋葬は5-6カ月の期間にわたり、仏教徒の組織である「紅卍会」の労働者によって行われました。
彼らの努力は中国赤十字のそれを上回ると言わなければなりません。
彼らは1938年の前半に南京の路上からおよそ40000の死体を埋葬しました.
死体はかなり腐敗しており、直接ふれる(持ち運ぶ)ことができないほどでした。それらの死体は藁のマットに包まれ
トラックに三層にも四層にも積み上げられ埋葬作業は行われたのです。死体は発する悪臭は、作業員がトラックに
乗り込むことをためらわせたほどでした。埋葬が終わるまでの数ヶ月の間、犬に食いちぎられた死体を見ることは珍しい
ことではありませんでした。』
---------------------------------
これは同時期の記録になります。外国人らの認識は、規模として約4万(軍人3万、民1.2万)です。
スチュワードの11日の6−7万という推定はミサの最中に中国人らから聞いたことを書いただけなので、それはスチュワードの
認識とはなりえません。
[30]グース 08/11/13 12:58 AZ/KNFDHqb
東京裁判ベイツ証言についても、当時の認識としては、被害規模約4万でそれを超える分については「認識していなかった」ことが
説明されています。

■東京裁判ベイツ証言
A:『質問の範囲があまりに広すぎて、どこから答えたらよいのかわかりませんが、
こういった殺害が行われて範囲は非常に大きく、そのすべてを見通すことができるものは誰もいないでしょう。
我々が言えることは、安全地帯と隣接するエリアとを慎重に調査し、被害を明らかにする為に最善をつくしたと
いうことだけです。スマイス博士とわたくしは、さまざまな調査と観察・監視、埋葬のチェックによる結果を、
(当時)我々が知りえた確実な認識とし、城内で女子供を含む12000人の市民が殺害されたことを
結論といたします。
我々の認識の範囲外でも、たくさんの人が市内で殺害されましたが、その数を調査することはできません。
市の外で殺害された市民も数多くいました。』

--------------------------------
A: The question is so big, I don't know where to begin.
We can only say that we did our best to find out, in checking up carefully upon the safety zone and adjoining areas.
Professor Smythe and I concluded, as a result of our investigations and observations and checking of burials, that twelve thousand civilians, men, women and children, were killed inside the walls within our own sure knowledge.
There were many others killed within the city outside our knowledge whose numbers we have no way of checking,and also there were large numbers killed immediately outside the city, of civilians.

※[ knowledge ]という単語は、知っていること、知識、認識という意味になりますが、慎重に調査した結果知りえた
ということなので、「認識」という単語で訳すほうが適切になります。
-------------------------------

以上、どこからどう突っ込んでもルルーシュ説が成り立つ余地はありませんが、どうしても4万以上の埋葬を外国人らが
知っていたと主張したいなら、ベイツやスマイスが4万以上の認識を示した史料が必要となります。

そこで以下の点について確認いたします。

【確認 5】
スマイス調査に、埋葬を4万以上と推定した部分がありますか?

【確認 6】
東京裁判より前のベイツ書簡に、埋葬を4万以上と推定したものがありますか?
[31]グース 08/11/13 13:05 AZ/KNFDHqb
歴史学的検証(19) 投稿者:グース 投稿日:2008年11月12日(水)00時08分31秒    編集済
>いいえ、違いますね。同記述には、フィッチに関する記述があるので、これは中国軍将校の情報ではないでしょう。
>つまり、あの記述は、中国軍将校からの情報と共に、残留外国人の情報を含まれていたと考えるのが妥当でしょう。

それはルルーシュさんの願望にすぎません(笑
外国人らは軍人3万と認識しています。
外国人史料に軍人4万説の根拠はありませんので、総数6〜7万説(軍4万)は中国人情報ということになります。
これは同時期のベイツ書簡によって裏づけられています。
---------------------------------
ベイツ書簡 1938年11月29日(陥落約一年後)
 南京で殺された民間人の数についてのわれわれの最終的な合計は、 1万2000人です。そのうち9割は当時市内にいて
戦闘行為とは無関係に殺された、多くの婦人や子供、老人が含まれています。
この数字は当時の南京市内で、4家族に一人の割合で殺されたことを意味します。
 われわれには居住家族を調査した特別な報告があります。調査に際しては、報復を恐れての若干の非協力や隠蔽も
ありましたが、その結果5家族につき一人が殺されたか、負傷したか、あるいは拉致されて戻ってこないことがわかりました。
武装解除された中国兵捕虜3万人以上が、無慈悲にも虐殺されました」
---------------------------------
軍3万民1.2万合計約4万です。6〜7万の認識は示されていません。


> というか、紅十字会より紅卍字会の方が、埋葬活動が「上回る」と明記しています。
> この時点でグース説は破綻しているのですが(笑)。
そういう読み方ができないことは説明済みですね。
中国赤十字は給食活動などで避難民の保護にあたりましたが、埋葬のほうが赤十字の活動よりも大変なことだったと
説明されているんですよ(笑

この二つの史料を並べればあきらかですが。
----------------------------------
『南京事件資料集』 アメリカ関係資料編P174
「南京における救済状況」 1938年2月14 (ベイツ)
 当初から委員会は、中国赤十字社の地方組織と大きな無料食堂の運営において、素晴らしい協力を行ってきた。
そして紅卍字会とは二つの大きな無料食堂の活動と死体埋葬活動において、協力を行ってきた。この後者の役目は
簡単なものではなかった。彼らが一日に200体埋葬しても、まだ、埋葬すべき3万体があることがわかっている
(ほとんどが下関)

スチュワード日記 1938年12月21日
私は、去年の冬に南京で殺害された何千人という単位の死体は、日本軍によって埋葬されなかったことを学びました。
埋葬は5-6カ月の期間にわたり、仏教徒の組織である「紅卍会」の労働者によって行われました。
彼らの努力は中国赤十字のそれを上回ると言わなければなりません。
彼らは1938年の前半に南京の路上からおよそ40000の死体を埋葬しました.
----------------------------------
ベイツは、赤十字の給食と埋葬を比較して、後者(埋葬)は簡単ではなかったと説明しています。
スチュワードは、南京に残留した外国人たちから「学んだ」わけですから、必然的にベイツの記述と一致する内容となるんですよ。
[32]グース 08/11/13 13:05 AZ/KNFDHqb
以下のお答えがないようですが、いずれも「ない」ということでよろしいですよね?
(実際にないわけですから)

【確認 5】
スマイス調査に、埋葬を4万以上と推定した部分がありますか?
ない。

【確認 6】
東京裁判より前のベイツ書簡に、埋葬を4万以上と推定したものがありますか?
ない。

以上の確認によりまして、当時外国人らが埋葬を4万以上と認識したという根拠は存在しないことが
判明したといってよいでしょう。
東京裁判のベイツ証言は、東京裁判になって4万以上の数字を提示されたことによって、検察側証人として
検察側主張と矛盾しないように、認識外の殺害があったことを示唆したもの。
となあります。

以上、ルルーシュ説が成り立つ余地はまったくありません。

c-4638178
※このスレッドへは投稿はできません。 編集
お問い合わせ - ルール違反の報告 - BBS - 随筆