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カフェ・ヒラカワ店主軽薄

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ヒラカワの見方 [全792件]

  「内向き」礼賛。  (6)

お正月も今日で終わり。
明日から、
いや、まだ終わっていないので考えるのはよそう。
今日は、アゲインマスターの石川くんに誘われて、
武蔵小山清水湯へ、朝風呂。
天然懸け流しの銭湯である。
いいねぇ。朝寝、朝風呂。
のんびりと全身をゆるめて、
家に戻って原稿書き。
本年三月以降に講談社から出版予定の
「退化に生きる、我ら」。
このタイトルは、二十代の頃やっていた同人誌『赤目』第二号に
同人、森下哲志くんが書いた、詩ともエッセイとも言えない
短い作品のタイトル。
三十余年後に、おれはそのアンサーソングを書こうというわけである。
でも、筆は遅々として進まない。
進まないから、こうやって新年の書初めとしてブログに書くのである。

新年二日は、
いつもの年と同じように内田くん、アゲイン店主石川くんと
自由が丘の書店で待ち合わせて、
新年のご挨拶と時局に関する意見交換。
早速、元旦の晩のNHKスペシャル『激論2009』の感想を
述べる。
竹中平蔵、岡本行夫、八代尚宏といった新自由主義を推進してきた連中と
それに対抗する金子勝、山口二郎、斎藤貴男が討論。
勝間和代という人も出ていたが、何のためにどんな立ち位置で
出ていたのかよく判らない、というか
このひとなんにでも顔をだして、「正論」を吐いているが
その言葉のひとつも胸に届いてこないのは何故だろう。
まあ、知らない方だし、どうでもいいっちゃいいんだけどね。
俺は、金子にせよ、山口にせよ、
ディベート巧者の竹中を何故論破できないのかと思いながら
この見たくもないテレビを見ていたのである。
「だったら、見なけりゃいいじゃねぇかって。
そりゃ、そうだけど」
さて、鉄面皮の竹中さんが、「誰が今日の経済的混乱の犯人かなどという
犯人探しをしたってしょうがないではないか。
具代的にどうするのかが、問題だ。」と言う意味のことを
言っていた。
「問題は、停滞した経済を復活させるために何を今具体的にすべきかだ」
と言われると、金子も山口も同じ文脈で別の答を探そうとする。
違うだろ。違うってば。停滞は歴史的な必然なのだと
何故、金子は自説(たぶん彼はそうじゃないかと思っているだけだけど)
を展開しないのだ。
資本主義の高度化のなかで、
労働賃金の高騰と、飽和してゆく市場キャパシティなどによって、
経済成長の停滞(というよりは均衡というべきか)は必然的な結果である。
それをさらに続けようとすれば、経済成長の見込まれる発展途上地域を
見つけ出して略取する(グローバリズムだね)か、
詐欺のような金融システムで、仮想的な成長を延命させるかといった
無理筋を押し通してゆくしかない。
その結果が、この度の金融システムの崩壊なんじゃないのか、
それを推進したのがあなたではないのかと何故言わないのか。

「問題は、元気がなくなっている。内向きになっていることだ」と
若者の海外渡航の現象をデータで示しながら
正論めいていてよく訳がわからないことを勝間も言う。
これも、違うぜ、データの意味づけが全く反対だと思いながら、
我慢してみていたのである。
「経済は成長させなければならない」「若者は元気で外に向かわなければならない」
という呪文に、囚われているかぎり、この間の金融破綻までと同じ文脈で思考する
ことから自由になれない。

問題は(これこそ問題というに値すると俺は思うのだが)、
文脈それ自体を変更するのかどうかということではないのか。
つまり、経済成長しなくてもよい、その代わりに何を指標とするのかということ、
内向きになることで、何が失われるのか、何を得られるのかを考え直すこと。
自分を見つめなおすときには、内向きになるのは当たり前の話だ。
まだまだ、内向き度が足りない。

具体的に何をすべきか、なんていうことは
いま、NHKがそれらしく用意した番組でいくら
話し合ったところで、現状を変えもしなければ、に何も付け加えはしない。
もちろん、具体的な行動というなら今すぐ、スタジオを出てやればよい。
現実は逼迫している。
いや、俺たちは言論でというなら、
具体的な行動と乖離した具体案を並べ立てるより、
現在の文脈そのものを続けるのかどうかという
ことを考えるべきだろうと思うのである。
考えるとはそういうことだ。

視聴者の価値観にくさびを打ち込むような言葉を
発してほしいと思いながら、
俺は、だらだらしながら、だらだらとした討論を見ていたのである。
勝間は、若者が内向きになっているのは、経済が停滞する原因だと
考えているようだが、それは原因ではなく、経済成長を単一の
指標としてやってきた
これまでのこの国の施策や、作り上げてきた社会の結果なのだと
何故考えないのだろうかと思う。

金子も、山口も、「それなら社会主義を選ぶというのか」という
恫喝に口をつぐんでしまうが、別にそんな古臭い恫喝に怯えることはない。
いま、まさに竹中らがモデルにしようとしたアメリカシステムこそが
社会主義を採用しようとしているのである。
そもそも、市場原理主義なんていうようなレッテル貼りはナンセンスと言っている
竹中に、社会主義なんていうレッテルを貼りをする資格はない。
だめだぜ。経済学者が社会主義なんて言っちゃ。

俺は、内向き、下から目線が、
しばらくのトレンドになるだろうと思う。
それでいいと俺は思っている。
その目線の先に、金融システムが崩壊したように、
競争原理の称揚、自己決定自己責任といった価値観、労働形態の多様化といった
労働市場システムなどの総体が、溶解してくるのを
見据えてみるべきだとおもう。
谷川雁ではないが、「イメージから先に変えよ」ということだ。
この間のレバレッジ金融の崩壊は、
お天道様に叱られたようなものだ。
叱られたら、しばらくはシュンとなって、
雑巾がけからやり直しますというのが正しい態度だと俺は思う。
喩え仮想的にではあれ、一番低いところに位置どりしなければ
システムの全体は、見渡すことなどできない。
(と書きながら、新年早々の上から目線を反省)



Last updated January 05, 2009 00:21:00 AM
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December 31, 2008

  新年の第一声。  (4)

2009年、あけましておめでとうございます。
昨年は、世間的にはいろいろありましたが、
個人的には大変充実した年でした。
特筆すべきことは何もないのですが、
その何もないということが、
ありがたいような心持ちなのであります。
年が明ける真夜中に、
数十年振りにベートーベンのピアノソナタ聴きながら
ぼんやりとしております。
二十歳の頃、よくわかりもせずに、毎晩のように
クラッシック音楽を聴いていたことを思い出しております。
アラカン(アラウンド還暦)になって聴く
四十年も昔に聴いていた曲は、
その感慨も、意味もまったく別のものになっています。
なかなか切なく深く、良いものであります。
コーヒーを飲みながら、
スピーカーの前に座って
何もしない。
できれば、このままずっと、なにもせずにぼけっとして
いたいところですが、
渡世の義理が待っております。
ああ、面倒だ。
これが情けない新年の第一声というわけです。
というわけで、今年もこの態度の悪い爺と
よろしくお付き合いの程お願い申し上げます。



Last updated January 01, 2009 01:32:16 AM
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December 26, 2008

  アンサーソング。  (11)

本日より、『ラジオデイズ』で
待望の「大瀧詠一的2008」、「田中宇の世界はこう読め!1月号」ダウンロード開始です。

さて、内田くんが、『ラジオの時代』というエントリをしている。
そのなかで、テレビの時代は終わるだろうとの大胆予想をしている。
預言者としての内田くんは、福田前首相の登場を予言したことでも
定評がある。
俺も、テレビの時代は終焉をむかえるだろうと思う。
ただ、その終わり方は、ラジオに回帰するというような形にはならないだろうと思う。
ラジオは今後もしぶとく生き残るだろうが、生き残り方は
「流行らないものはすたれない」@上野茂都 的なニッチャーとしてであり
テレビは、そのビジネスモデルごとほとんど解体していくように思える。
テレビに代わるのはもちろんインターネットや携帯ツールである。
そこにどんな功罪を発見し、如何なる意味や価値を付加するのかは
こういった媒体のヘヴィユーザの仕事であるべきだ。
俺は、インターネットも、携帯も
味気ないサラダのように、食べるだけである。

最近のサラ金、パチンコ業界に支えられたテレビ番組を見ていると
やはり、ビジネスモデル的に賞味期限を終えたのだと思わざるを得ないのである。
筑紫哲也さんの死は、メディアとしてのテレビの終わりを象徴する出来事になった。
つまり、テレビはもう終わっているのである。

ラジオが、一気に国民的ツールになったのは、
昭和の初期、盧溝橋事件、柳条湖事件を経て満州事変が勃発する
30年代である。このとき、ラジオも新聞も爆発的に利用者集を伸ばした。
不景気に鬱屈した人々にとって、戦果を報じる扇動的な記事や報道が
開放感をもたらせたともいえるだろう。
メディアは、メディアとしての当為から最も離れた翼賛的な傾向を帯びる
ときにその発行部数や視聴者集を増やすという
アイロニカルなポジションに立っている。
(そのことの重要な意味を、メディアの人々はもっと真摯に考えてみるべきである)
以後、テレビが登場してくるまで、ラジオは唯一の電波メディアであり、
廉価で便利な娯楽であり続けた。

しかし、テレビの登場によって、人々の関心は映像の伴なうこのメディアに
吸い寄せられ、その分だけラジオから遠ざかっていった。
ガキの時分に『赤胴鈴之助』や『少年探偵団』を聴いて育った俺も、
テレビが登場し、『月光仮面』にかじりつくようになった頃には、
ラジオを聴かなくなっており、まさにラジオからテレビへと
「劇的に」切り替わったのである。

そのラジオが復活したのは、六十年代の深夜放送ブームの頃であるが、
ラジオはもはやテレビの代替物ではなく、まったく別の選別されたリスナーのための
ツールとしての役割を担って登場した。いち早くビルボードやキャッシュ・ボックスといったアメリカ音楽雑誌の曲を聴きたい音楽ファンのためであり、
深夜に、「ながら」勉強をする受験生のためのものであり、
落語や漫才といったテレビでは尺の合わぬ芸能をじっくりと聞きたい人のためのものであった。大衆ツールからニッチャーへ転身することで、
ラジオは活路を見出し、それが今日にまで続いているように思える。
テレビはラジオというメディアと喧嘩するように、市場を略奪していったが、
ラジオはあえてテレビと喧嘩しない隘路を進み、その分だけロイヤリティの高い
リスナーを獲得していったともいえるかもしれない。

テレビが急速につまらなくなったのは、通信と放送の融合などといううたい文句が流行りだした、90年代後半である。
俺もケーブルテレビに加入して、何時でも好きなときに、好きな番組が
見れるような状態になったときに、急速にテレビに対する興味を失っていったのを
よく覚えている。
何時でもどこでも、好きなときに、好きな番組が見れる状態とは、「だったら他のことをしよう」という状態なのであり、緊急性、奇特性、一回性の希薄化ということである。
その時に、その場に居合わせるという偶然性の面白さもまた、この多チャンネル化、オンデマンド化は消失させていった。
ガキの頃、千秋楽で栃錦と若乃花が対決する夕刻には、風呂屋ががらがらになった。
蒲田の街頭テレビには、プロレス中継を見る人で黒山の人だかりとなった。
そういうことは、もう二度と起こらない。
テレビが、紅白歌合戦的な国民的幻想の統合の役割を果たした時代は終わったのである。
これは同時に、誰もが同じ絵を見、同じ音を聴くという共同的な時間が消失したことを意味している。背景にあるのは消費資本主義の進展であり、多様化して自立する個人を称揚するイデオロギーがこれを後押しした。テレビというメディアは、多様化、個体化イデオロギーの伝播者となっていったが、同時にそれはテレビのメディア特性の最良の部分を失わせるという自殺行為でもあったのである。

 ラジオの時代。それは痺れるような懐かしさを伴なった言葉である。しかし、たぶんラジオはただしぶとくニッチを生きる奇特な媒体としていき続けるだけで、ラジオの時代は再び戻ってはこないだろう。そして、その不在ゆえに、かつて『ラジオの時代』があり、その時代を俺(たち)が潜り抜けたという「共有された時間」が輝きを増しているのである。



Last updated December 26, 2008 3:05:08 PM
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December 23, 2008

  年賀状書き。  (2)

昼ごろ起きて
膀胱に溜まった水分を排出し、
朝の光を入れて、コーヒーを飲みながら
煙草を吸いながら
大瀧詠一スピーチバルーンを聞きながら
フランス人空手家のイヴァノビッチからもらった
万年筆にインクを入れて
年賀状を書いたのであった。

いつも、キーボードばかり叩いているので
字がうまく書けない。
漢字を忘れている。
三十年ぶりの麻雀のように、
書き順を忘却している。
形が整わない。
スタミナがなくなっている。
「どうしたんだ、へへいベイビー@清志郎」状態。
指が退化してきている。
この文明病は
案外重要なものを含んでいるような気がする。

この戯文もそうだが
コンピュータでたたき出す文章と
こりこりと万年筆で書く文章では
大部その肌合いが異なってくる。

機械でついた餅と、
杵でついた餅の味が違うように、
機械でこねた饅頭と
てごねのそれの味が違うように、
電気釜のごはんと、
薪釜の銀シャリの味が違うように、
文章もまた微細な違いを含んでいるものである。

文字ばかりではない。
あらゆる生活の局面で
石油や機械のお世話になって便利になった分だけ
もっとも本質的な微細な味わいというものを
失っているというわけである。

昔は良かったなどと言うつもりはないし、
文明を忌避するといった趣味はないけれど、
確実に退化しているものの根源を
考えてみる必要はあるだろうと思う。

そんなことを、つらつらと考えながら、
遅まきの大瀧節を聴きながら、
涙目をこすりながら、
煎餅を齧りながら、
指先のスタミナを気にしながら
米粒写経の心境で、
年賀状というものを書いたのであった。




Last updated December 23, 2008 4:57:51 PM
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December 18, 2008

  世知辛い世の中、だけど。  (18)

企業の社会的な責任を問いたい。
カフェ店主は怒っているのである。

確かに、世界同時不況、円高のあおりで、企業の業績は一気に悪化しているのだろう。だが、ここ数年最高益を更新し、潤沢な内部留保を持ち、まだ期間利益が出ており、万策尽きたという状態ではないにもかかわらず、真っ先に派遣社員、非正規社員の大量解雇という形でリストラを行った大企業には、今後二度と「企業の社会的責任」などと言って欲しくない。やるべきことの優先順位が違う。人件費配分の見直し、系列を含めた企業間での人員再配置、留保金の活用、中長期戦略の見直しなどやるべきことはいくらでもあったはずである。このリストラで得るものと、失うものとの冷静な比較考量も十分になされたのかどうか疑問が残る。失ったものは、労使間の信頼関係であり、ブランドイメージであり、自らの商品への購買需要の長期的な減退である。得たものは短期的な資金防衛、株価防衛、これ以外に何があるのだろう。

 本日は、ラジオデイズの収録が二つ。最初は田中宇氏へのインタビュー。先週末も彼とセッションを行っており、なんだか毎週お会いしているような感じである。今日のセッションは第三回目で、だいぶ田中氏の着眼が理解できるようになってきた。この間のリセッションをメディアも評論家も、市場の失敗(何のこっちゃ)や、金融崩壊後の対処の失敗で説明することが多いのだが、田中氏は政治的な駆け引きや陰謀によって意図的に引き起こされているという側面を強調する。世界の構造変化を、経済だけから見るのではなく、政治の側から見るとどう見えるのか。陰謀史観だという批判もあろうが、多視点的に世界を見る方法には、啓発されることが多い。あと3回セッションが残っている。次回はオババの大統領就任直後の1月20日。

続いて、小田嶋隆さん登場。俺はプロデューサーの立場で、会話には参加していないが、大変に滋味深い小田嶋節を聞くことが出来た。モニター室から見ていると自然と頬が緩んでいる。そこはかとなく可笑しい。こういう味のある知性と出会えるのは大変に楽しいことである。収録終了後、思わぬプレゼントをいただく。峠の釜飯の釜の蓋に描かれているのは、せんだってご逝去された愛龍のイギー氏である。(何のことかお判りにならない方は、小田嶋ブログを参照されたい)
その後、アシスタントの藍ちゃん、見学訪問の本願寺出版魔性の女フジモトと四人で、ピザやで軽くおしゃべり。ものの感じ方、立ち位置、雰囲気、すべて気持がいい。いやぁ、小田嶋さん、いい男である。
世知辛い世の中ではあるが、清涼感のあるひと時に浸ることができた。うん、わるくない。


Last updated December 19, 2008 02:03:36 AM
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December 12, 2008

  企業の社会的責任。  (14)

本日より、ラジオデイズで待望の小田嶋隆さん登場です。
☆劇薬注意!人気コラムニスト小田嶋隆が世相を斬る『グラフィカルトーク12月号』 収録に立会った俺は、ほとんど笑いっぱなしでありました。必聴です。 【全巻セット】→ http://www.radiodays.jp/item_set/show/93


2004年に俺は『反戦略的ビジネスのすすめ』という本を書いた。
続いて『会社は株主のものではない』というペーパーバックに
岩井克人さんや、奥村宏さんらの末席に寄稿した。(実際にはインタビュー記事)
その中でこんなことを言っていた。

 ― すいぶん話がおおきくなってしまいましたけれど、インフラ的な面を考えても、地政学的な面を考えても、日本はダウンサイジングしていったほうがいいのではないか、紆余曲折があっても必然的にダウンサイジングしていくのではないか、というのがほくの考えです。

どうして、こんなことを言ったのかはもうよく覚えていないのだが、この話の前段を読むと、ここでインフラ面と言っているのは人口減少社会の到来ということ、地政学面というのはこれから起こるであろう米中の熾烈な経済覇権競争の谷間で、アメリカの風下にポジションしている状況を指している。ずいぶんと荒っぽい話を俺はしているなと思いながら、インタビューに答えていたのをかすかに覚えているのだが、その荒っぽい直感が、四年後の現在は、当時以上にリアリティのある話になっている。

同じ2004年にNTT出版の『Inter Communication』という雑誌の「大学」特集のインタビュー記事で俺はこんな風に言っていた。

― アメリカ流のビジネス・エリートというのは、勝つか負けるかみたいなところにスティックしていろんなことを言っている。儲かることが勝つことだと思っているわけです。とくに今の企業社会では、これはマスコミもいけないんですけど、どれだけ利益を上げたということを指標にして盛んに褒めそやすじゃないですか。カルロス・ゴーンがどうしたとか。でも僕は、会社の利益を上げるなんてちっとも偉いことだと思わないんですよ。
(中略)
会社の利益なんていうのは、ある程度の規模の会社ならリストラをすれば出せるんです。でもリストラすることがいいことなのか。むしろ会社は利益なんか出さなくてもいいから、まずつぶさない。それから雇用を確保するということが一番大事なんです。つまりどれだけ多くの雇用を確保したまま存続していけるのかというのが社会的なミッションなんです。それをリストラがうまいとか、リストラができる肝が据わっているとか、そんなことをみんあで褒めあっている。こういった勝ち組だとか負け組だとかいう貧困な発想はもうやめましょうと言いたいわけです。
(中略)
だってそうでしょう。日本の現実を考えたとき、人口減少が確実ですから、これまでのようにグングン生産を増やしていく、つまりGDPを上げてマーケットを拡大していくというようなことはできない。したがって、長期停滞に否が応でも入ります。長期停滞に入らない道があるとすれば二つしかない。一つは、移民の大量受け入れをして国内に新しい市場を作り出すか、あるいは米国のように日本型グローバリズムを作り出していくか。この二つのうちどちらかを選択しないかぎり、長期停滞は回避できません。僕自身は、長期停滞でもいいと思っています。長期停滞のときに、米国型モデルが通用するかといったら通用しません。長期停滞モデル、すなわちGDPが1−2%あるいはマイナス成長というときに、企業を10%も20%も成長させるなんてことは、通常のオペレーションでは無理な話です。そうするとゼロ成長で企業を維持していく、社会を健全に運営していくという知恵が必要です。そういうちえこそインテリジェンスというものです。

これまた随分荒っぽい話をしているが、状況判断としては、四年後の現実をある程度見通せていたのではないかと思う。当時はアメリカングローバリズム全盛で、一部の学者を除けば、ビジネスの世界では、俺のような意見はペシミスティックな妄想として関係者の顰蹙を買っていたのである。

リーマンショック以後、予想されたよりも、日本の労働現場は手ひどい打撃を受けている。大手企業では相次いで生産調整に入り、雇用調整をはじめている。しかし、これをダウンサイジングとはいうべきではないだろう。俺はむしろ、経営の怠慢であり、マネジメントの放棄であると呼ぶべきであろうと思う。雇用調整によって利益を確保するという経営は、もはや失敗した株主至上主義のパラダイムをそのまま踏襲したアメリカ型経営モデルであり、経営者はそのモデルから脱却しなければならないはずである。この間失うであろう貴重な労働力と、労使の信頼関係をこれから数年の後に取り戻してゆくのは容易ではない。しかし、株主圧力と短期的な視野のなかで思考停止している経営陣は、労働調整と工場の閉鎖によるコストカット以外の選択肢をうまく思い描くことができない。経済状況が悪化しているのはわかるが、大手企業の経営者は、相変わらず経済成長神話の信奉者であり、利益至上主義から脱却できないでいる。

金融の世界だけではなく、実物経済の世界においてもジョージ・ソロスいうところの「再帰性」理論は有効である。再帰性とは、現象を認識して行動する場合に、この現象から影響を受けて行動する人間が現象に影響を与え、さらにその現象が人間に影響をあたえるという、現実と人間との間の相互干渉的な関係を指している。この度状況を百年に一度の不況ととらえ、企業は生産調整、リストラを行う。この企業の行動が不況の度合いをさらに深刻なものにしてゆくのである。実態的にも心理的にも負のフィードバックが働いている。CSR(企業の社会的責任)なんていうことを盛んに喧伝していた大企業が、こういうときに真っ先に利益防衛のための人員調整を行ってこの負のフィードバックに拍車をかけているのである。確かに事態は逼迫しており、背に腹は代えられない状況なのかもしれない。こういうときに雇用を維持し、長期的な視野でコストコントロールを行っている企業がないわけではない。メディアは、「こういう時代でも大儲けしている企業」を褒めそやす(あるんだよ、いつでもこういう論調が)のではなく、儲かってはいなくとも、長期的なビジョンに沿って安定的な雇用と生産を続けようとしている企業に注目すべきなのだ。



Last updated December 12, 2008 0:49:28 PM
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December 09, 2008

  スピーチバルーン。  (3)

石川くんから、
大瀧詠一さんのラジオトーク番組『スピーチバルーン』の
全巻セットが回ってきた。
大瀧師匠からは、『日本ポップス伝』を聴いておくようにご下達が
あったが、こっちが先になった。
ナイアガラー諸君には、何を今頃といわれそうであるが、
このような番組で
このようなことをやっていたのを
俺は知らずに過ごしてきたわけで、
今は大変悔やまれる。

どうにも、こんな面白いラジオトークを聴いたことがない。
中野翠さんの名著に『今夜も落語で眠りたい』があるが、
このところの俺は毎晩『スピーチバルーン』で眠っている。
この年になると、今更勉強しようなんていう気も起きないものだが、
このトークを聞いていると、
ああ、俺は何を聴いてきたんだと思ってしまうのである。

船村徹、遠藤実との対談は、
ご両人の実に味わい深い体験談に裏打ちされた
日本歌謡曲の史伝となっている。
かれら日本歌謡曲の重鎮の発想は身体的であり、
比類のない情緒的な強弱でひとつのフレーズ、
ひとつの音調に対しての思いを語っている。
大瀧師匠は、その情緒的な強弱が、何に由来し、どこに接続されて
ひとつの歴史になっていったのかを
想像していた以上の論理的な言葉で解説してくれている。
「この曲いいね」といって俺が選ぶのは
ただ俺の五感に同調したり、増幅させたりするもので、
何故その音に俺の五感が同調したり、増幅されされたり
するのかについては問う必要もないと思っていた。
「いいものはいい」でいいじゃないか。
しかし、師匠はそこに何故その音が面白いのか、何故その詞に心打たれる
のかについて、いくつもの「意味」の補助線を投げ入れるのである。
『音、沈黙と測りあえるほどに』は武光だが
師匠は、ここで音と測りあえる「言葉」を
発見しようとしているように俺には思えた。
「言葉」とは例えば一瞬のフレーズに潜んだ「堆積された時間」
のことだ。
その地層を掘り返すことには意味がある。

特に面白かったのは
高田渡との対談であった。
俺は知らなかったぜ。
この二人が同じ時代に生きていたことは勿論知っていたが、
これほど近い場所で呼応しあっていたとは
想像すらしていなかった。
(ほんと、今さらで、もうしわけないが)
二人はオリジナリティの不在という観念において通底し、
オリジナリティの不在の上に立ち上がってくる音楽的連続性において
同門的な意識を共有している。
これでは、なんのことかわからないかもしれないが、
全ての創作は本歌取りであり、その意味ではオリジナルではありえない。
自らオリジナルと称するものは、ただ本歌に対して無意識、無自覚
であるに過ぎない。
本歌の上に継承者の身体を迂回して歌が重ねられる。
オリジナリティとはその迂回の仕方の微細な差異の異名である。
本歌取りとはモノマネではない。
同じ歌枕(場所)に立つということなのである。
ビートルズは、チャックベリーと同じ場所に立ち、
高田渡は明治の演歌師添田唖然坊と同じ場所に立ち、
船村や遠藤は、流浪の浪曲師、演歌師らと同じ場所に立って、
自らの身体を使って、かれらの唄を歌うのである。
ああ、おもしろい。

こんなことをつらつらと考え、
自分の頭の余白の「吹き出し」に書き込みながら、
今日も『スピーチバルーン』を聴いているのである。



Last updated December 09, 2008 11:50:04 PM
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December 03, 2008

  捨てたもんじゃない、と思いたい。  (9)

ちょっと、底が抜けてきた感じだ。
TBSテレビ『水曜ノンフィクション』で大田区の町工場の
惨状を映し出していた。
旋盤やフライス盤が狭い工場に並ぶ。
切り子の山が陽の光りを反射している。
俺の家もまったく同じ光景のなかに置かれた町工場だった。
切削油の饐えたような匂いと、
グラインダーの鉄粉の匂いの中で俺は少年期を過ごした。
この光景を俺はある種の思いなしに見ることができない。
同時にそれをうまく言葉にできない。

いま、多くの工場に仕事がまったく回らなくなっている。
好況は最後にやってくる、不況は一番初めにやってくるという町工場
のいつもの風景だが、今回の不況はかつて経験してきた単なる景気循環のなかの
不景気とは全く様相が違う。
世界的に推進されたグローバリズムという収奪システムの
ひずみが、もっとも先鋭的に現れているのである。
職人たちは、この不況を百年に一度の厄災として、
じっと我慢して倹約と忍耐で乗り切れるところまで乗り切ろうとしている。
しかし、この先、この環境が好転する見込みは
きわめて薄いといわざるを得ない。
景気循環ではなく、生産システムそのものの断絶がある。

大企業から中堅、下請けまでの仕事の循環の構造が
まったく変化してしまったのである。
市場がそれを決めたわけではない。
グローバリズムというイデオロギーがそれを主導したのである。
中小・零細企業は職人的な技術だけを売り物にして
日本経済の生産の底辺を支えていた。
同時に、政治の不作為や、大企業の生産調整を
吸収して最後列を死守するバッファでもあった。
大企業の給与は右肩上がりでも、
町工場の工場主も従業員も不安定な収入に耐えてきたのである。
求めてバッファ役を買ったわけではないけれど、
かれらの存在が、日本の生産システムの強さの秘密であった。

株主利益の最大化を目指す、効率至上主義は、
このバッファを最初は最大限利用したが、
たとえば中国労働市場、派遣労働市場を利用すれば
さらにコストメリットが得られることを発見した。
機器の高度化、作業の標準化を背景にして、
本来は代替不能なものを、代替可能なものへとシフトしたのである。
生産性は飛躍的に上がったが、
持続的な良質の技能は廃棄されたのである。

その代償がいま、たとえば大田区の町工場を瀕死の状態に
追い込んでいる。
そのつけは、国内から貴重な生産拠点が失われてゆくという結果として
あらわれるだろう。
失われたものは二度と戻ってはこない。
この光景を見るのは、大変に辛いことだ。

関口宏キャスターの横に、コメンテーターとして
小関智弘さんが座っていた。
このブログでも何度か書いてきたが
小関さんは作家として認められた後も、
大田区の町工場の職工生活をずっと続けてきた。
拙著の帯び文をどなたかに書いてもらったら、という編集者の誘いに
俺は、躊躇無く「小関さんにお願いしたい」と答えたのである。

切削油の匂いのする言葉で、技術とは何であるかを伝え、
今のあやうい状況を言葉にできる人は
小関さん以外にはほとんどいないといっても良いと思う。
麻生太郎日本国内閣総理大臣は、
本当は興味もないし、よくも知らない秋葉原に出向いたり、
ホテルのバーで取り巻きと雑談しているひまが
あるのなら、小関さんから一晩じっくりと
話を聞いたほうがいい。
今の政治状況を見ていると、どうにもやりきれない気持になるが、
小関さんが、が今もお元気な様子で、
なお、絶望していない気骨を
温和な物言いに滲ませていたのが
唯一の救いであった。

彼のような男が見てくれているというのは
この渡世もまだまだ、捨てたもんじゃないと、思わせてくれる。
だが、政治やビジネスの世界で、
そんな風に思わせてくれる人物が
どこかにいるのだろうか。


Last updated December 04, 2008 08:51:12 AM
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November 30, 2008

  1930年代。  (1)

よく晴れた日曜日。
目黒ルノアールで仕事をして、白金の東京都庭園美術館に立ち寄る。
『1930年代・東京』展をやっている。
アール・デコの館である朝香宮邸が生まれたのがこの時代。
1923年の関東大震災で東京は壊滅的な打撃をうける。
しかし、30年代には早くも復興を遂げ
街に活況が戻っている。
この震災から、29年の世界大恐慌、31年満州事変、
そして第二次世界大戦へ至るまでの十余年が
一体どんな時代だったのか。
展示されていた絵やポスター、写真を見ていると
激動する世界のもとで、
人々は復興に努め、消費と享楽を追い求め、
街の空気も想像しているよりもずっと明るい。
「アカルサハホロビノスガタダロウカ。
ヒトモイエモクライウチハホロビハセヌ」(うろ覚え)
という太宰の『右大臣実朝』の言葉が浮かんでくる。
それは、この享楽のはてに、国破れる戦争が
あったことを知っているからこその感想なのだろう。
展示されている写真や絵を見ていると
明るさの中に不安が膨らみはじめているのが実感されてくる。
震災から戦争までの短い期間だが、
梶井基次郎は『檸檬』を書き、
永井荷風は『墨東奇譚』を書いた。
川端康成は『雪国』を書き、
谷崎潤一郎は『細雪』を書いた。
黒田清輝、岸田劉生、佐伯祐三、小出楢重らが
傑作を次々に発表したのもこの時代である。
国産トーキーである松竹『マダムと女房』もこの間に
上映されている。
俺はまだ生まれていない。
明治に文豪、巨匠が生まれているが
俺は彼らにはその偉大さゆえに距離を感じてしまう。
彼らは西洋を意識し、その文化に対峙するような作品を残した。
墨東を彷徨する荷風や、丸善をうろつく梶井の視線の先にある野心も
懊悩もずっと小ぶりであり、微細な差異に向けられている。
それでも、俺はこの時代に対しても、この時代の人々にも強く惹かれる。



Last updated November 30, 2008 10:03:32 PM
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November 27, 2008

  大瀧的知性と間の悪い男。

朝から雨が降っている。
『昔から雨が降ってくる』@中島みゆきを聞きながら御苑前の会社へ出勤。
♪僕は思い出す 僕の正体を
 昔から降ってくる なつかしく降ってくる
 昔大きな恐竜も、昔小さな恐竜も
 同じ雨を見上げたろうか 同じ雨にうなだれただろうか
 あの雨が降ってくる 昔から降ってくる

いいね。俺もオーヴァーの襟を立てて、雨を見上げて、
うなだれていたい気分である。でも仕事が待っている。

内田くんも、石川くんも昨日の大瀧師匠との鼎談のことを書いている。
第2回目になったこの鼎談(というよりは雑談)も
だいぶ油が回って、酔っ払いの麻雀のようなゆるさが醸し出されている。
いつものように、話は転々宇宙間であったが、
彼らが何故、大瀧さんを師匠と崇め、熱く語ってきたのか
その理由がこの日の大瀧さんの絶妙なトークで了解できた気がした。
こういうのを、「話しっぷりがいい」というのだろう。
音楽はもとより、日本映画、野球、相撲、世相を語って
余人が見過ごしてしまうような細部に熱を吹き込むことのできる
知性のあり方というものに、俺はほとんど出会ったことがない。
誰でも少しは自分をよく見せたいと思うものであり、
それゆえ見るべきものを見逃してしまうものだが、
大瀧さんはそんなけちくさい根性かららくらくと自由になれる人であった。

大変充実した、愉快な二時間であった。
ただ、間の悪い俺は失態をしてしまう。
収録中に俺の携帯電話が二度も鳴ってしまったのである。(大反省)
編集で誤魔化すことができるかどうかわからないけれど、
あらかじめ関係各方面にお詫び申し上げたい。
何の因果かしらないが、昔から間が悪いのである。

中学生の頃、思いを寄せている女の子を、思い切ってデートに誘った。
眠れない前夜のたたりか、腹具合が芳しくない。
デートの途中で女の子を待たせて公衆トイレに駆け込む。
用を済ませ、ほっとして身づくろいをしているときに、
ポケットから財布が便器のなかへポチャリと落っこちてしまったのである。
後の顛末は書かないが、
こういうことがよく起こるのである。

大学受験のときも、間の悪い失態が重なった。
その日は大雪で、俺は受験の時間に遅れてしまったのである。
何とか試験は受けられたのだが、
事前選択であった社会科(日本史、世界史、政治経済から選択する)で、
選択していなかった政治経済の問題をやってしまったのである。
後の顛末は書かなくてもお判りだろうが、よくこういうことをしでかすのである。

間の悪さは、治らない。
ダブルブッキングも治らない。
治す気がないんじゃねぇのかと言われる。
そんなことはないのだが、言われて見ればそういうことかもしれない。
だから自動車免許も取消しになる。
また、点数が残り少なくなっている。



Last updated November 27, 2008 6:04:48 PM
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