この年末年始を、東京の日比谷公園や厚生労働省の講堂で過ごした人たちがいます。いわゆる「派遣切り」に遭い、住まいと仕事を同時に失った人たちですが、5日、新たな宿泊先を提供され移動しました。
早朝の東京・日比谷公園。仕事と住まいを同時に失った派遣労働者らが、この場所での最後の朝を迎えていました。
「非常に助かった。同じような境遇の人がいることを知り、1人でいるよりは勇気づけられた」(日比谷公園で年末年始を迎えた人)
日比谷公園には大みそかから仕事を失った派遣労働者らを支援する「年越し派遣村」がつくられ、5日まで支援団体などが食事や寝る場所を提供してきました。
「2週間前に、突然の解雇通告を受けた」(男性)
派遣村に来ていたこの男性。山口県出身の29歳で、去年12月に派遣先から解雇された後、28日仕事を求めて上京、派遣村で年を越しました。
2年前に脳腫瘍で亡くなった母親の治療費などがかさんだため、貯金も所持金もほとんどないといいます。
「今まで派遣を使って、コストを下げてもうけた分を、住居の費用などに充ててほしい」(男性)
日を追うごとに人が増える「年越し派遣村」。2日には急きょ、厚労省の講堂が提供されました。
結局、5日朝までに500人もの派遣労働者らが集まりましたが、派遣村が終わる5日からどこで暮らせばよいのか、不安が広がっていました。
こうした事態に、東京都は別の施設を宿泊場所として開放することを決めました。
「(『派遣村』の人々が)次に行く避難所から頑張ってみようという状態で出られるように、我々は望んでいるし、できることをやっていく」(「年越し派遣村」 湯浅誠村長)
一方、派遣村にいた人のうちおよそ80人は5日、千代田区役所で生活保護の申請を行いました。
「とりあえずは、寝る所と住む所を確保しないと(職に就けない)」
「生活保護で中継ぎをして、そのあと何か仕事を探せれば」(生活保護を申請した人)
生活保護の申請件数はFAXでのものも含め、これまでに230件にのぼりました。
夕方、新たな宿泊先に向かう人たち・・・。提供されたのは、廃校となった小学校の体育館など4か所です。
「自分自身に自信を持たないと、ポジティブにやっていかないとやっていけない」(元派遣社員の男性)
しかし、この場所にいられるのもあと1週間。東京都はハローワークの出張窓口を開き、生活資金の貸付手続きも行う予定ですが、その先の彼らの生活はまだ見えません。(05日16:58)