2008年12月31日(水)
過小診断過剰診断
わたしは、自分が紛れもない自閉症だという立場で、簡単に告知の話や、自閉症に対する対応の話をしている。
しかし、現場は本当にそんな簡単な話では済まないらしい。
10年前は、知能の高い自閉症の認知度が低く、過小診断が問題だった。
ところが今は、何でもかんでも自閉症、過剰診断が問題のようだ。
丁度15年前のアメリカの状況のようだな。
日本とアメリカでは国民性の違いか、子供たちをみんなADHDにしたがったんだな。
ADHDはハイパーで、エネルギッシュが成功者の証であるアメリカでは、最高の栄誉であったようだ。
仮にADHDでなくても、処方されるリタリンは集中力が高まると伝えられ、勉強させるのに有利だと親たちが考えた。
親の要望に応える医者が居る地域では、クラスの三分の一がADHDの診断を受けている始末。
アメリカでは、ハイパー崇拝神話を押さえるためのニュースレポートが幾つも流される事態になった。
今の日本では、アスペルガー症候群の過剰診断が問題だ。
わずか30分の問診で医者が診断を下した場合、いくら現場にいる心理士が日常を観察して間違いに気付いても、
医者の診断を心理士が覆すことは不可能だ。
ところが、妙な親たちは気に入る、診断、或いは診断モドキを貰うまで、カウンセラーを渡り歩き、
気に入った答えを貰ったところで、納得して、今度は決めつける。
何れにしても、「誤った診断」は、その子供の為に不幸であるのだ。
いくらアスペが好きで、アスペに診断されて喜んでも、教育環境がその子供に合っているとは限らないんだな。
引きこもって、自分でアスペになりきって浸っているのも、結局不幸なことを、今アスペごっこに興じている本人は分からないんだな。
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自分を映す鏡(対人関係における相手のこちらに対する認識・イメージ・理解・思い込み)には色々あるので、
最も自分が気に入る自分像を映してくれる鏡を探すことは、定型発達には必要な事と推察します。
双方向で気に入る自分像を映し合う鏡であれば、互いの満足に繋がり、幾久しくめでたい関係が続くのでしょう。
その鏡が、理想や期待・勝手な思い込みによって歪んでいようとも、自分が気に入る自分が映っていれば問題なし。
むしろ自分が気に入るように鏡の方を歪ませるべく努力をする場合も多いと想像します。
逆に自閉症の場合、鏡が歪んでいるという認識がなかなか持てないので、悩むことになります。
更に鏡が歪んでいると発見してしまったら最後、自分にとり好ましい方向への歪みさえ耐えられないのではないでしょうか。
歪みを補正するより早く、そんな歪んだ鏡は要らない。
自閉症の世界には、美しい誤解というようなものは存在出来ませんし。
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