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部活と学業:名門大卒の「フェンシング王子」太田雄貴

北京五輪フェンシングで銀メダルに輝いた太田雄貴選手。/写真=チョン・ギビョン記者
 太田雄貴(23)は、2008北京五輪で銀メダルを獲得し、日本フェンシング史上初のメダルをもたらした。端正なマスクに優れた話術まで身に付けた太田は、「フェンシング王子」という愛称で爆発的な人気を得ている。

 先月、日本代表が訓練をするナショナルトレーニングセンターで会った太田は「一時的な人気が大切なのではなく、僕が愛するフェンシングを日本の人気種目にさせるのが夢」と語った。太田はフェンシングの実力以上の学力で若い選手らのかがみとされている。太田は今年、名門・同志社大学商学部を卒業した。太田は卒論「規制緩和の弊害」で、日本が公共交通機関や医療など公共性の高い領域を市場競争の論理に任せることで、どのような弊害が起きているかを考察した。「タクシーの基本料金が昨年660円から710円に上がりました。乗客は高すぎる料金に不満で、乗客が減るとタクシー会社や運転手らは収入が減り、さらに料金引き上げの要求が生まれる、という悪循環を繰り返しています。国民生活に直接的な影響を及ぼす公共部門でも規制を緩和することは、全般的な生活の質を低下させるという点を、論文を通じて表現したかったのです。民営化がすべてにおいて良いとはいえないということです」と話した。

 太田は小学3年のときクラブ活動でフェンシングを始め、京都の平安中学・高校に通った。全国高校選手権(インターハイ)で3年連続優勝する傍ら、学業成績も常に上位だった。大学も、一般の生徒たちと同じ試験を受けて商学部に入学した。大学4年間、成績は5点満点中4.3点。日本代表として年間10回以上国際大会に出場しながら、インターネットを通じて課題を提出、友人のノートを借りて勉強し、試験を受けた結果だ。

 もしや「天才」なのではと思ったが、本人いわく、必死に勉強したという。

 「学校の授業を抜けてまでフェンシングをすることはないけれど、勉強とスポーツの両立が難しいのは事実です。教師である父親から『好きなことばかりしていては立派な人になれない』と教えられました。幼いころから勉強する習慣が身に付いていたからできるのでしょう」

 太田は人生目標がはっきりしていた。日本のフェンシング人口を増やして人気種目にした後、スポンサーを誘致して日本をフェンシング強国にすること。太田は「僕の学問の目的は、フェンシングの楽しさを理論的に裏付けることです。選手らの栄養摂取にかかわる栄養学から、スポンサーにアピールできるスポーツ経営学まで、幅広く勉強するつもりです」。2012年ロンドン五輪で再度メダル獲得に挑戦するという太田は、大学院進学のため勉強している。

東京=閔鶴洙(ミン・ハクス)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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