正月三が日、各地の寺社は初詣で客でにぎわった。世の中を不透明感が覆う中での不安な心理の表れにもみえる。
米国のサブプライム住宅ローン問題に端を発した金融危機は世界に広がり、日本でも企業経営や雇用、暮らしに暗い影を落としている。殺伐とした事件や欺きの商法も後を絶たない。頼るべき政治も国民の願いをよそに迷走状態だ。大波に翻弄(ほんろう)される「日本丸」の針路を一刻も早く定め、飛躍へと突き進んで行かなければならない。
大きな転換期の中で、山陽新聞はきょう、創刊百三十周年の節目を迎えた。長い歴史を重ねて、この日を迎えられたことは喜ばしい限りだ。地域や読者からの温かい支援や励ましのおかげである。
読者とともに築いてきた日々を誇りに思う。同時に、大事な時に迎えた節目に、あらためて新聞の負うべき使命の重さを突きつけられた思いがし、身が引き締まる。
輝く創刊の精神
山陽新聞の前身である山陽新報は一八七九(明治十二)年一月四日に二十歳の若き創始者と、全国的にも知られていた言論人たちによって創刊された。
西南戦争が鎮静した直後、日本が近代国家へ向け歩みを始めた時代である。地方にも新聞の恩恵をもたらし、言論報道を普及したいとの願いからだ。創刊号の社説は「あまねく山陽の事情を写出し、世間有益のことを論述し、もって大いに教化殖産の道を裨益(ひえき)せんとす」と地域に根差した公器としての決意をうたい上げた。
事象の報道とともに国会開設の請願運動を支援し、社会福祉にも貢献するなどリード役を担った。そこには、地域の人々の政治に対する意識や、生活の向上を図りたいという意気込みが感じられる。
以後、言論弾圧や戦火など数々の苦難を乗り越えながら、「地域とともに」という創刊の精神は脈々と受け継がれてきた。社会に貢献したいとの思いも現在につながっている。先人たちの努力の積み重ねは、岡山、広島、香川三県にわたる山陽新聞の基盤を築いてきた。
新たな付加価値を
新聞を取り巻く環境は大きく変わった。インターネットをはじめとする多メディア化の進展である。情報を手軽に迅速に入手できる電子メディアの普及は、新聞には脅威だ。
だが、多メディア化は新たな情報提供の創造を可能にするものでもある。山陽新聞社が新聞を核に、他のメディアと融合する総合情報産業への取り組みを強めているのも、そのためだ。各メディアの特性を生かし、山陽新聞の付加価値を高めることで多様化する読者ニーズに応えようというわけである。
軌道に乗せるには、中心となる新聞の特性を高めなければならない。それは、さまざまな情報を掲載した一覧性であり、隠された事実を掘り起こし、時代の流れや背景を冷静に分析して本質に迫る取材力や解説力であろう。
社会情勢が流動化、混迷の度を深める中で、新聞の果たす役割はますます大きくなっている。山陽新聞が長い歴史を通して蓄積してきたノウハウを生かしてジャーナリズム機能をさらに高め、多メディア時代をリードして期待に応えたい。
絆を一層強く
日本が元気になるには、何よりも地方の活性化が欠かせない。しかし、現状は東京一極集中が加速し、地方の疲弊ぶりが顕著だ。
今こそ、住民に最も身近な地方に十分な権限や税財源を移譲し、地方分権を進め、個性を競い合うことが求められる。今年は四月に岡山市が、政令指定都市へ移行するのをはじめ、地方選挙もめじろ押しだ。地域のあるべき姿を考える契機にしてほしい。
地方分権は、自治体だけでは成り立たない。そこに住む住民の主体的な参画の意識が問われる。地域によって立つ地方紙も、自治体や住民とともに考えながら、新たな展望を切り開いていかなければならない。
そのためにも、山陽新聞は地域や読者との絆(きずな)を一層強める必要がある。紙面だけではなく、各種事業や配達業務を通した安全・安心への取り組みなど山陽新聞総ぐるみで「地域とともに」との創刊の精神を貫き、信頼される地方紙として進んでいきたい。